さて、お泊まり会以降も伶奈達四方会は一生懸命勉強に励んだ。
授業が終われば穂香の家に集まって夕方までずーっとお勉強、サボりたがる穂香もこの期間だけは脇目も振らずに問題集を解き続けていた。
そして、いざ、実際にテストが始まれば――
「……頭を傾けると耳から英単語か公式があふれ出そう……」
――なんて馬鹿なことを言うくらい、毎晩遅くまで勉強していたらしい。
そして、ついに試験三日目最終日、最後に残っていた英語の試験も終わってようやく試験期間が終わりを告げた。
「終わったぁぁぁぁぁ!! たこ判! たこ判!」
試験中は願掛けも兼ねて我慢していたハマ屋のたこ判もようやく解禁、言い出しっぺの穂香は踊り出しそうな勢いで『たこ判』の言葉を連呼していた。
もちろん、伶奈達四方会の面々にもその提案に否はない。
ホームルームが終われば、五月晴れの気持ちいい空の下、一行はたこ判を求めてハマ屋へと|吶喊《とっかん》した。
ハマ屋の店先は満員御礼、特等席のベンチはすでに一杯で座れそうにない。
仕方ないから今日は立ち食い。
お行儀悪いなぁ〜って思ってたのは最初の一年、それも数ヶ月と言ったところ。二年もひと月以上が終われば気にならなくなる。
「で、どうだった? 穂香ちゃん」
餅とチーズの入った餅チーを突いていた美紅が穂香に尋ねた。
「もう考えない! 終わった事を考えても仕方ないよ! ダメなら期末で真ん中より上を狙う!」
気持ちよく啖呵を切ったら、穂香は手に持っていたたこ判をパクり。牛すじ入りたこ判だ。甘辛く煮込んだとろとろ牛すじがたまらない逸品は、伶奈も大好き。
胸を張って偉そうに言ってる穂香に、伶奈は少しだけ苦笑いを浮かべ、自分のたこ判――新製品カレー餡をパクリと一口頬張る。
口いっぱいにカレーの美味しい辛さが広がっていくのが溜まらない。
それをコクン……と飲み干したら伶奈が言った。
「今回、頑張ったもんね、穂香。私、絶対に途中で投げ出すと思ってたもん」
そして、プレーンなたこ判にたらこマヨがたっぷりかけられたタラマヨたこ判を食べていた蓮が言う。
「…………しのちゃん、偉いね」
「まっ、これからずーっと頑張らないとすぐにスマホを取り上げられると思うけどね」
美紅がそう言うと途端に穂香の表情がどんよりと曇った。そして、たこ判を突く手も止めて、彼女は言う。
「それを考えると心が痛むんだよねぇ……毎回、こんなに勉強してたらハゲるよ? 私」
「毎日少しずつやってたら、試験期間中に頑張らなくて良いんだよ?」
淡々と伶奈がそう言うと穂香の俯いていた顔がパッと跳ね上がった。
そして、物凄い言い笑顔で彼女は言い切る。
「それが出来ないからこうなってるんだよ? 怜奈チは勉強出来るのにバカだね」
そのどや顔をじーっと伶奈が見つめるけど数秒……軽くため息を吐いて伶奈は言った。
「…………穂香、私、もう四方会抜けるから」
「むしろ、穂香ちゃんだけが追い出される感じ」
「………………三方会爆誕」
伶奈、美紅、そして、蓮までもが淡々と言えば、穂香はペコペコと何度も頭を下げる他はない。
「ごめんなさい、冗談です、許して……」
もはや様式美と言っても良いような流れをこなしたら、凹んでる穂香を除いた三人は「あはは」と楽しそうに声を上げて笑う。
それに釣られて穂香も笑っちゃう……いつものパターン。
そんな感じで少女達が笑っていると、クラスメイトの愛生衣がひょっこりと顔を出した。
「あっ! 四方会、たこ判してたんだ?」
どうやら、八重子と瑛里沙の二人と立ち話をしていたら出遅れたらしい。
「おばちゃ〜ん、オンチーズ! でさ、シノ、スマホは持てそう?」
「手応えはあったと思うんだよねぇ〜だめなら期末に賭けるよ」
愛生衣の言葉に穂香が応えると、愛生衣はしれっと美紅の隣のスペースをキープしながら答えた。
「今期、2−3はガチで頑張ってるから、難しいかもよ?」
「えっ?」
穂香がきょとんとした表情で尋ね返すと、愛生衣は思い出し笑いをしながらかばんの中からスマホを取りだした。
遠距離通学者が多い英明ではスマホの持ち込みは一応許可されているが、学校にいる間は電源オフが校則だ。
その校則通りに電源オフになっているスマホに愛生衣が電源を投入……メーカーロゴが立ち上がって待つ事しばし……
すぐにピロンピロンとLINEのメッセージが入ってくる。
「んっと……これこれ」
そう言って見せてくれたのはクラスメイトの多くが入っているグループチャットだ。
もっとも伶奈を含め四方会はLINEをやってないから、未だにそこには入ってないし、そこで話された話題は余りに耳に届かない。
寂しいと言えば寂しいがなければなかったで困る物でもないと言うのが伶奈の実感だった。
――で、そこには……
『東雲さんには負けない!』
この言葉を合い言葉に試験勉強にいそしむクラスメイトの楽しげな会話がずらずらと並んでいた。
「何でよ!?」
キレ気味に穂香が尋ねると、愛生衣がしれっとした顔で応える。
「シノ、今期クラス十位以内でスマホって吹聴して歩いてたでしょ? それで、みんなで『一年二組実質ドベだった東雲さんに十人ごぼう抜きされるのは二年三組の恥』って話になったんだよ」
「なんで、そんな事するのかな?! もう! 言い出しっぺ、誰!?」
顔を真っ赤にしてる穂香に対して、愛生衣はニコニコ上機嫌。美紅の隣を陣取ると、彼女は屈託のない笑顔で言った。
「やまちゃん」
やまちゃんとは元一年二組でインフルエンザからの回復直後に年度末考査に臨んで、見事びりっけつに甘んじる事になった山城和子の事だ。
一般的にやまちゃんとか――
「扶桑型二番艦め!」
――とか呼ばれてる少女。
なお、この呼び方をするのは東雲穂香だけ。
「……そう言う事言うから、嫌がらせされるんだよ?」
そう言って伶奈はカレー餡のたこ判、その最後の一口を口に運んだ。
(もう一つ欲しいなぁ……)
なんて思うが、無駄遣いをしてるとキリがないし、太りそうなので我慢……するのが若干辛い……って事を考える程度に穂香の成績への興味を失ってることに、内心伶奈は苦笑い。
「これは軽いイジメだよ!?」
七割方切れた声で穂香が言った。
それに対して、折った割り箸をタッパーの中に入れながら、美紅が言う。
「勉強してただけでイジメ扱いされたら溜まらないよ?」
「どうせなら、私のためにみんなサボってくれれば良いのに……」
ぽつりと漏らす穂香に周辺にいた者全て――名も知らぬ上級生下級生含めて嘆息したのは言うまでもなかった。
さて、そんなこんなで中間考査も無事終了、いよいよ、結果発表である。
「……良いんだ、もう。私は一生ガラケーで過ごせば良いんだよ。スマホなんておしゃれガジェット、私が持ったら世の中のおしゃれさん達に申し訳立たないよ……」
穂香はすっかりしょげていた。
そう言うのも五月雨式に返却されていく試験の大半が平均点を超える囲えないかの危ない範囲でしかなかったからだ。
決定的だったのが――
「ふふふ……みんなの成績が良くて、先生、幸せ♪ ずっとこの調子だったら良いのになぁ〜♪」
真面目で無駄話をしないつまらない教師ともっぱらの噂の文子が上機嫌でそう言った事で、完全に穂香の心は折れてしまっていた。
「良いんだ……一生メーリングリストでお話ししながら怪しげなダイエットフードの宣伝を読む生活をするから……良いよ、みんなラインでもスカイプでもカカオでもやれば……そして、三方会を作れば良いよ。私はぼっちになる」
こんな感じでずーっと、穂香はすねてる。
さて、そんな感じの中間考査結果発表の時がやってきた。
廊下に張り出されるのは各クラス上位十名。
これは英明学園の黒雪姫こと黒沢(旧姓)真雪が在学してた頃からの伝統だ。
もっとも、当時は一クラス三十人以上、それが減り続けて今は二十人。
結果、半数が張り出されるという地獄絵図(穂香談)になっていた。
「……いぇい」
呟いた連が第一位。しかも、割とぶっちぎり。本気出すと言っただけの事はある。
「…………はぁ」
無言のまま、少しだけため息を吐いたのが三位の伶奈、今回も蓮に負けたのがちょっと悔しいが、ちゃんと勉強していただけショックは少ない……と言う訳ではない程度に自分が負けず嫌いだという事を伶奈は理解した。
「うっ……うわぁぁぁぁ……やっっっっっっっっっっっっったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
大声を上げたのが二年目にして初めてクラス十位に入った美紅。
「初入賞おめおめ〜!」
なんて盛り上がってるのが最近は四方会プラスワンと呼ばれてる江川崎愛生衣。彼女は伶奈の一つ下、四位だ。
そして、穂香は――。
「…………」
覚悟は出来ていたようだが流石の穂香も茫然自失、ぼんやりと名前のない張り紙を上げ続けていた。
「……穂香……冗談だよ? 穂香をハブってみんなでラインとかスカイプするって話」
「……逆にそう言う体裁でお母さん達にねだってみたら? 悪役になっても良いよ?」
「……しのちゃんは頑張ったよ、良い子……」
上から順番に伶奈、美紅、蓮。それぞれが穂香にそう言うも、穂香に反応はなし。
「……さっ、流石にやり過ぎたかな? でっ、でも、私達、ちょっと普段より頑張っただけで、何も悪い事してないよね? イジメとか言われないよね?」
若干、顔色を変えたのが愛生衣を初めとする『みんなで勉強頑張って東雲さんに痛い目を見せよう会(仮称)』の人々だ。
なんにも悪い事はしてないし、むしろ、褒められる事だ。
しかし、動機が不純だったのが気まずい。
その不純な動機のおかげでなんとな〜く罪悪感を抱くに至ってしまっていたのだ。
「意外と善人ばっかり」
――とは後で話を聞いたアルトの言い分だ。
そして、なんとなくいたたまれない時間が五分ほど……
急に穂香が声を上げた。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! 期末で! みんなを! 二年三組を! 私の足下にひれ伏させてやるからぁぁぁぁぁぁ!!!!」
大絶叫での宣言、周辺に他クラスメイトもそうでないのも教師までもが拍手をした。
「毎日勉強する! 二時間やる! ゲームは止め……なくて少しだけ減らす!」
「……素直に止めなよ」
美紅が冷静に突っ込み、他の面々が大きく頷く。
偉大なる穂香の目標が立てられた……
が、それは実行に移される事はなかった。
「えへへへへへへ」
「……穂香、気持ち悪い……」
英明学園生徒達の社交場ハマ屋の軒先。そこで真新しいスマホに頬ずりをしていた。その表情はだるだるに緩んで友達止めようかと思うほど。
「……しかもiPhoneの一番新しい奴じゃん……良いなぁ……」
呟いたのはそんなに高くないAndroidスマホしか持ってない美紅だ。
ちなみに伶奈も似たような機種で一年前に買って貰った奴だから少し型遅れ……うらやましいか? と言われれば、凄くうらやましい。
で、なんで買って貰えたか? と言うと……
「だってぇ〜クラスでは二十人中十二番だったけど、学年だと八十三人中四十一番だったんだもん!」
「偉いね、しのちゃん……良い子、良い子……」
胸を張る穂香の頭を連がなでなで。
これもちょっとうらやましい。
そして、伶奈は軽くため息を吐いて口を開く。
「はあ……でも、成績落ちたら取り上げられるんでしょ? これからも勉強しなよ……」
その苦言に対して穂香はやっぱり胸を張ったまま言うのだった。
「それなりにねっ!」
……と言う訳で『二年三組を足下にひれ伏させる』計画は実行前に消え去った。
なお、穂香は期末でクラス二十人中十五位。学年八十三人中五十番で危うくスマホを取り上げられそうになると言う面白おかしい事件が発生し、世間はいよいよ夏へと突入しく……。