お勉強会(2)

「お泊まり勉強会したい!」
 そう言い出した穂香に対して、母が下した条件は――
「……放課後の勉強会でやった物を持ってきなさい。しっかりとやってるのを確認出来たら許してあげる」
 ――だった。
「って訳なんで、協力してね、みんな」
 翌日のお昼休み、説明を終えた穂香がそう言った。
 協力するのはやぶさかではないが、本当にちゃんとやるのだろうか? と、伶奈は不安になった。
 だがしかし……
「……すごい、ちゃんと出来てる」
 火曜日の放課後、穂香の部屋に集まっての勉強会。
 月曜日、伶奈達が帰った後にどのくらい勉強したのか? って事を確かめてみれば、ちゃんと英語と理科の二科目、問題集を十ページずつしっかりとやりこんでいた。
 片方だけで伶奈なら一時間ほど、穂香だと一時間半くらいはかかるか? だから、両方で二時間以上、三時間弱くらいは掛かっているはずだ。
「間違えて……ないかな?」
「多分……」
 覗き込んで尋ねる美紅に伶奈が答えれば、その二人の間に挟まれていた穂香が胸を張った。
「私はやれば出来る子だから!」
「……じゃあ、やってよ、普段から……」
「――でもやらない!」
「やれ!」
「えぇ〜〜だってね、ゲームもしたいし、みんなとメールもしたいし、テレビも見たいし、音楽も聴きたいし、ゆっくり寝たいし……一日って二十四時間じゃ足りないよね!」
「……流石に呆れる」
 穂香と美紅とのやりとりを聞きながら穂香がやった問題集の答え合わせ。
 一年生の時のおさらい問題だから出来て当たり前ではあるが、それでも一つや二つは間違えているだろう……と伶奈は思っていた。
 しかし、これが見事に全問正解。
 正直、若干驚き。
「えらいね、しのちゃん……」
 そう言って対岸の連がテーブルの上に身を乗り出して、穂香の頭を撫でる。
「もっと褒めて、もっと褒めて」
 それを、穂香自身もテーブルの上に身を乗り出して受け止める。
 ちなみに左右の手はピースサイン。
 ちょっと腹が立つ。
「でも、まあ、冷静に考えてみて中学受験の狭き門をくぐり抜けてここに居るんだから、バカなわけはないんだよね……」
 伶奈がぼんやりとした口調でそう呟く。
 伶奈だって小学校の頃には順位が張り出されていたわけではないが皮膚感覚として『周りよりも勉強が出来る』という自覚はあった。
 だから、穂香の『やれば出来る子』という自己評価は決して間違いではないのかも知れない……が――
(それを真顔で言われると腹が立つよね……)
 伶奈がぼんやりと思っている事を知ってから知らずか……ってか、多分、知らずに穂香はまた胸を反らして言う。
「六年生まですっごく頑張ったからね。だから、今は人生の小休止なの!」
 でかい声で穂香が言えば他の三人の視線が一気に冷える。
「………………」
 そして、数秒の沈黙……
「よーし! じゃあ、決めた! 四方会は穂香ちゃんの出来に関わらず、中間試験の結果が出たら連絡はスカイプね!」
 最初に口を開いたのは美紅だった。
 蓮が親戚とスカイプで連絡を取っているという話を聞いてから、一応、伶奈と美紅もスカイプをスマホに導入している。
 グループも作っていつでも連絡を取り合えるようにはしているが、穂香が普通の携帯電話しか持ってないって言うので一応遠慮していたのだ。
「でも、もう、穂香ちゃんには遠慮するのを止める! 勉強頑張ればスマホを買って貰えるんだから、頑張るべきだよ!」
 美紅が熱弁を振るえば、なるほどその通りと伶奈も首を縦に振るし、蓮もそれに異論はないようだ。
 こうして、蓮、伶奈、美紅の三人が意見を統一させれば、なぜか穂香は目を輝かせて言った。
「うん! スカイプ、良いじゃん! うちのお父さんとかお母さんとかはLINEやってるけど、スカイプでも良いよ!」
 明るく言い切る穂香に伶奈達三人の視線が集中……
 言ってる意味がわかっているのだろうか? と思いながら、伶奈は恐る恐る訪ねる。
「……ねえ、穂香、解ってる? クラスで上位十番に入らないと穂香だけハブだよ?」
「うん! 入るから! 私はやれば出来る子だから! あと、入れなかったら四方会でハブにされるって泣きつくから!」
 ……胸を張る友人に少女達は海よりも深いため息を吐くしかなかった。

 さて、お泊まり会当日。伶奈は美月にお願いしてアルトでのバイトは午前中だけにして貰った。
 午前中に美月が溜まっている家事をこなしてる間の店番だけがこの日のお仕事だ。
「ごめんなさい」
 朝、出勤してきたところで美月にぺこりと頭を下げる。
 そして、伶奈が顔を上げるとジーパンにトレーナー、野良着姿の美月は朗らかに頬を緩めた。
「良いんですよ〜今日は良夜さんも土曜出勤ですし」
「りょーやくんも大変だね……先週も土曜日出勤だったよね?」
「そーなんですよ〜埋め合わせのつもりなのか、日曜日はずーっとカウンターに座ってましね。おかげでたくさんお話が出来ました」
「あはは、ごちそうさま」
 どこか嬉しそうな美月に伶奈がそう言う。
「のろけたつもりはないんですけどね」
 そう言うものの、言ってる美月も頬を緩めて嬉しそう。幸せそうだ。
「良夜は美月が働いてるのを眺めてるのが好きだし、美月は良夜がカウンターに居るだけで満足……割れ鍋に綴じ蓋ってあー言うのを言うのよ」
 ――とは伶奈の頭の上で話を聞いてたアルトの言葉。
「お似合いだよ」
 軽く笑ってそう答える。
 そして、半日のお仕事は特に山場もなければ谷もなく、平々凡々に終了した。
 それが終わったら自分の部屋に帰ってお着替えと出発の準備だ。
 いつもオーバーオールにトレーナー、ずいぶんと暖かくなってきたら、上着は要らない。
 着替えは大きめのボストンバッグにまとめてぶち込み済み。それから愛用の櫛やらヘアピン、リップクリームにモバイルバッテリー等々、大量の小物が入ったナップザックを背負ったら準備は万端だ。
 ポンと外に飛び出せば空似は分厚い雲、昼からは雨という天気予報になってるらしい。
(ジェリド、居ないなー)
 なんて思いながら、階段を駆け下りて自転車置き場へ。
 彼の真っ赤なCBR400とか言うバイクがないのをみれば、どうやら彼はお留守であるらしい。
(のんきな学生)
 自転車に飛び乗ったらまずは坂を上って下って喫茶アルトへ。
 そこでアルトをGetしたら、またもや坂を上ってずーっと下って駅まで一直線。
 カタコトと揺れる景色を見ながらアルトと言葉を交わし始めた。
「今日はね、蓮がね、蓮のお兄さんが作ったローストビーフを持ってきてくれるんだよ。レタスと一緒にサンドイッチにして食べようって……絶対に幸せだよ、それ。国産和牛のローストビーフをサンドイッチだよ?」
 言ってる自分でも解るくらいにはじける笑顔、曇り空も吹き飛ぶくらいに明るい表情が車窓に映る。
「本当に貴女は肉娘ね……その割には身長も低いし身体は細身だし……どこに消えてるのかしら? 食べた物」
「量が少ないんだよ、みんなよりも。美紅は凄く食べるし、穂香はご飯以外に必ずお菓子を食べるって言うし……蓮は私と同じくらいしか食べないけど、私よりも背が低いし……」
「美紅じゃないけど少しは運動してお腹を減らすようにしないと身体に毒よ?」
「毎日自転車を押して坂を上ってるし、週に一回はアルトで立ち仕事してるから良いの」
「……日々の運動が足りないからお腹が空かないのよ……」
「うぐっ……あっ……雨、降りそうだね。買い物とかお風呂とかあるのに大丈夫かな?」
 窓の外を見ながらごまかす少女の頭の上でアルトは冷めた口調で呟く。
「……全く……この子は……」

 そんな感じで電車での時間を潰していればあっという間に英明の最寄り駅へと到達した。
「おっはよ〜ん、伶奈ちゃん!」
 テスト期間中と言う事で部下もお休みの美紅とは駅の中で合流。ジーパンに革ジャン、その下にはノースリーブのトップス。格好いい感じで決めるのは穂香の定番だ。
「……にしちゃん……きたちゃん……蓮の……屍を超えていって……」
 それから大きなクーラーボックスと大玉なレタスが入ったビニール袋、さらには着替えが入ってるのであろうトートバッグ。容量オーバーの荷物にふらふらしている蓮とはバス停のすぐ傍で合流だ。
 黒いワンピースにハイソックス、帽子までかぶって、お嬢様っぽいコーデだが顔が死んでるので台無し。
「やっほ〜みんな!」
 その蓮を両側から支えてあるていると向こうから手を千切れんばかりにぶんぶん振り回している穂香が歩いてきた。
 チューリップ袖の可愛いトップスと相変わらずのキュロットスカート。ちょっと短めで大胆に生足を見せているのがフェミニンな感じ。
 四方会全員集合ってな物で、四人と妖精一人は仲良く穂香の家へと向かった。
「あっ、いらっしゃい」
 そう言って伶奈達を出迎えたのは一言で言えば丸い中年男性だ。
 まん丸に太っているし、母親と同じか少し上くらいなのに見事にはげ上がった頭と優しそうな笑顔……どこかで見た顔だなぁ……なんて、少女は思う。
「お父さんは引っ込んでてよ! せめてジャージで出てこないで!」
 穂香がストレートに誰かを怒鳴りつける姿はこの一年ちょっとの付き合いの中でも初めてだ。
(珍しい……)
「お邪魔します。今日はお招きいただき、ありがとうございます」
 伶奈が少しだけ面食らってる間に折り目正しい蓮が控えめな音量ではあるがはっきりと聞こえる声でそう言い、ぺこりと頭を下げる。
 その言葉に合わせて美紅と伶奈も同様に深々と頭を下げれば、穂香の父はその愛嬌のある顔をさらに緩めて答えた。
「これはご丁寧に……南風野さんと西部さん、それから北原さん? うちの娘のこと、よろしく」
 そう言って中年男性は深々と頭下げる。
 ――も穂香は顔色を変えて父を玄関横にある仏間に押し込んで、自分たちはキッチンへ……そこで蓮が持ってきたローストビーフを冷蔵庫の中に突っ込んだ。
「態度、悪くない? 穂香ちゃん」
「ぶっくぶっく、まん丸に太ったジャージのおっさんが父親とか恥ずかしいじゃんか……せめてスーツ着てネクタイ締めてれば許せるんだけど……」
「……いや、休みの日までスーツにネクタイを要求するのは止めようよ」
「だってぇ〜ねえ、伶奈チはどう思う? うちのお父さん」
 心の準備もない所で話を振られた伶奈は思わず先ほど抱いた第一印象を漏らした。
「えっ!? 魔神ブウに似てた……」
 シーン……元々口数の少ない連は言うに及ばず、先ほどまで楽しそうに話をしていた穂香と美紅、それから頭の上でくつろいでたアルトまでもが思わず絶句。
 しまった……と思ってももはや時すでに遅し。
「ぷっ……魔神ブウって……確かに似てたわね」
 軽く吹き出しちゃったのが頭の上のアルトだ。
「……言われてみれば……似てるね……魔神ブウ……」
 美紅がぽつりと呟く
「……ピンク色じゃない……」
 そんな人間はいない……と突っ込み返したくなる突っ込みをしたのが連。
 そして……
「止めてよ! これから先、魔神ブウだと認識した人を父親だと思って暮らさなきゃ行けないんだよ!? 怒られたら頭の中で魔神ブウが『もうおこったもんね!』ってシーンが頭に流れるんだよ?! きっと!」
 顔を真っ赤にして穂香がぶち切れ。
「……ごっ、ごめん……」
 確かに脳内であのおじさんが『もうおこったもんね!』って言い出したら確かにお説教どころの騒ぎではない。
 さらに二言三言、穂香に文句は言われた物の苦笑い気味に謝ればすぐに許しを得ることが出来た。基本的にさっぱりした少女だから付き合いやすい。
 なにより――
「お父さんとお母さんとおばあちゃんに言ったら盛り上がりそうだよね……」
 ――って事で許して貰った。
 笑い話で盛り上がりつつ、部屋に上がると早速勉強……とは行かないのが東雲穂香というキャラクター。
 ガラステーブルを囲んでノートやその他諸々、勉強道具を並べながらも、早速彼女は口を開いた。
「夕方、雨らしいけど夕飯の買い物とお風呂屋さん、どうする?」
 そう言われて伶奈たち三人は互いの顔を見合わせ、そして伶奈だけは最後に手元に居たアルトへと視線を落とした。
 今日の夕飯は穂香の提案通り、サンドイッチ大会だ。
 メインとなるローストビーフは会場となっている東雲家以外の三家がお金を出し合って連の兄とその友人が経営しているお店で購入したから問題なし。レタスは南風野家からの差し入れ。なんでもご近所からの頂き物らしい。
 問題は他の材料だ。
 本来は軽く勉強した後に息抜きでご近所にあるディスカウントストアーに買いに行く予定だった。
 もちろん、徒歩で。
 その買い物が終わったら食事前に銭湯。こちらも徒歩の予定だった。
 どちらも片道十分くらいの距離。
 どうという距離ではないが、雨が降ってると億劫だ。
 特にお風呂上がりに雨の中を帰るのはちょっといや。
 さて、どうしようか? って事を、穂香は全く勉強もしないで言い切りやがった。
「まあ、確かに雨の中、買い物とか銭湯とか面倒くさいけど……穂香ちゃんの親に車出して貰える?」
 美紅がそう言うと穂香は「うーん……」とうなり声を上げた。
「どうしたの?」
 尋ねたのはアルト。
 その言葉を伶奈が他の面々に通訳すると穂香が答えた。
「今日、お父さんしか居ないんだよね……うち」
「お母さんとお婆さんは?」
 尋ねたのは美紅だ。
「お母さんとおばあちゃんでデパートに買い物に行くってさ。うちの嫁姑は仲が良いから……なんでもデパートでレディスのバーゲンだとか……お祖母ちゃん、ほっとくと着ずっぱりの人だからお母さんが服を買うんだってさ」
 そう言うと、穂香はシャーペンを指先でくるくると回しながら言葉を続けた。
「――って訳で今の我が家に車を運転出来る人は魔神ブウしか居ないって事なんだよね。ブウと買い物とお風呂に行きたいか? それとも雨の中、傘を差して買い物とお風呂に行きたいか? まあ、買い物はお母さん達にに任せ、お風呂はうちで一人ずつ入るってのもあるけど、買い物はともかくお風呂一人ずつは寂しいよね」
 穂香の提案を聞いて伶奈は正直の所傘を差してみんなで行く方が良いと思った。
 雨の中、車で送り迎え……それは伶奈が実の父親に良くして貰っていた事だからだ。
 仕事をしてない時期、父は雨が降ると車で学校の前まで迎えに来てくれていた。
 最初はそれが嬉しかった。友達も一緒に送って貰う事だってあったし、そう言う時は優しいお父さんを誇らしくも思った。
 しかしそれが次第に辛い物へと変わっていった。
 車の中で父が母の悪口を言い出すのだ。
 それは大半が妄想――病院で若い医師と不倫しているとか、患者と寝ているとか、仕事に行かないで男とデートしているとか……
 もちろん、それは事実無根……だと伶奈は思う……母が傷つくだろうから確認はしてないけど。
 父親が母親の悪口を言ってるのを聞いて嬉しい娘は居ない。
 だから、気付かないふりをして一人でこっそり裏門から家に帰ったり、家に帰らずそのまま友達の家に遊びに行ったりした事もあった。
 すると、今度は『お前も母親と同様に俺を裏切った』と泣き始める。
 今考えれば父はすでに壊れていたのだろう……しかし、それを理解するには少女は幼すぎたし、理解してたからと言って家計を一人で支えている母にそれを相談する事も出来なかった。
 そんなことを雨と車という二つのキーワードから伶奈は一気に連想してしまった。
 だから、伶奈は雨の日が嫌いだ。
(やな事思い出しちゃったなぁ……)
 薄らぼんやりとそんな事を考えていると思いもよらない言葉が耳に飛び込んだ。
「伶奈チは雨が降るとテンション下がるし、魔神ブウに頼もうかなぁ……」
 穂香のどこか憂鬱そうな声が伶奈を薄暗い思い出の世界から明るい現実へと引き戻した。
「えっ?」
「どったの?」
 尋ねたのは伶奈の隣に居る美紅。
「ううん、何でもない……」
「買い物を母親に頼んでお風呂は夕飯が終わってから母親に頼めば?」
 慌てて首を振る伶奈の手元、全ての事情を知るアルトが助け船を出そうとする……が、少女は手元で自身を見上げている妖精さんをちらっと一瞥しただけ。
 それを穂香達に告げる事はなかった。
「……良いの?」
 アルトには軽く――アルト以外には気付かないか気付いても意味のわからない程度に首肯して、少女は顔を上げた。
 気は進まない……でも、穂香が「雨が降ったらテンションが下がる」って事を解ってくれてたのが伶奈には少し嬉しい。だから、その配慮は例え若干逆効果なところがあったとしても素直に受け入れようと思う。
「うん……雨の中、傘を差して出かけるのも面倒だよね。特に蓮は五分も歩けばグダるし」
「ぐだるよ〜」
 蓮の茶々を聞きながら、伶奈は頭の片隅で思う。
(私のお父さんと穂香のお父さんは違うしね……)
「じゃあ、ブウ……いや、お父さんに頼んでくるよ」
「早めに頭の中でリセットした方が良いよ、お父さんと魔神ブウとの繋がり」
 立ち上がる穂香に美紅が声をかけた。
 その言葉に美紅が軽く手を振り、彼女は部屋の外へ……そして、階段の上から大声を張り上げた。
『お父さ――じゃないや、魔神ブウ!』
「逆だよ!? 訂正が!」
 遠くから聞こえた声に伶奈と美紅が慌てるも父親は割とノリが良かった。
『もうおこったもんね!』
 ――って声が聞こえて、アニオタらしいと言う噂の穂香の父親に伶奈は戦慄を覚えた。
 

 
 

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