「ふわぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜よく寝たなぁ……」
気持ちいい陽光の下、伶奈はぐーっと大きく背伸びを一発。レジャーシートの上で身体を起こし、辺りを見渡してみると、伶奈の隣には少女が一人いた。
「あっ、おはよ〜」
そう言ったのは寝る前に居たはずの蓮ではなく、大きな三つ編みをゆらしている八重子だ。今回同じ班になっている愛生衣がいつもつるんでる相手。
その彼女の顔を見上げながら、伶奈は言った。
「みんなは?」
「バドやってるよ。南風野さんが入ったから結局人数が奇数になっちゃって、順番で休憩しながらやってんの」
「ああ……そっかぁ……」
「西部さんも入る?」
「時間があるなら……」
未だ目覚めきらない視線を体育館の壁へと向ける。
そこには大きなアナログ時計、針はそろそろ時間が三時を迎えることを示していた。
レクリエーションの時間は三時までのはずだ。
「時間は……ないか……――みんな! そろそろ、止めないと!」
大きめの声で八重子がそう言うと、その辺りでバトミントンをやってた八人とフリスビーを投げて遊んでたクラスメイトだったり、別のクラスのものだったり……パッと見ただけで三−四十名ほどが壁の時計を確認。
それぞれ、落胆の声を上げると、彼女らはそれぞれが使っていた遊び道具なんかを片付け始めた。
伶奈も自分が寝転がっていたレジャーシートをたたみ始める。
「あら、起きたの?」
大きめのレジャーシートを四つ折りにしたところで頭の少し上辺りからアルトの声が聞こえた。
「うん……何してたの?」
「あっちでバドを見てたのよ」
「ふぅん……」
伶奈と会話を交わしながらアルトはちょこんと伶奈の頭の上に着地。パタパタと足を上下に動かしてるのは上機嫌の証、何をしてたんだろう? と思うが、周りでは他の生徒達もばたばたと片付けの真っ最中。のんきにアルトと話をしている余裕はない。
ただ……
「……時々シャトルが変な動きをしてたのよねぇ……ふわっと飛んでたのがいきなり真っ逆さまに落ちたり……なんでだろう?」
と、不思議そうに首をかしげる愛生衣を見れば、尋ねる必要も……まあ、あまりないだろう。
「ちゃんと、公平にしてたわよ」
そう嘯く妖精の上ではスコーンと抜けるように高い青空が広がっていた。
さて、いよいよ夕飯の準備だ。
メニューはこう言うとき定番のカレー。
「……この間、穂香ちゃんちで食べたね……」
ちょっぴり不服っぽく美紅は言うも、穂香はあっさりとした口調で応える。
「今日、チキンカレーだから!」
「この間のすじ肉のカレー、美味しかったなぁ……圧力鍋で煮るとあんなに柔らかくなるんだね」
しみじみ……と伶奈は呟く。
圧力鍋での煮方を教えてくれたのは穂香の母親だ。
伶奈の家ではカレーは豚が定番だったが牛のカレーも美味しい。甲乙付けがたいところではあるがビーフの方が美味しかった気がする。
蓮の持ってきた肉が値段の割に良い部位だったってのも大きいだろうが、穂香の母親が教えてくれた圧力鍋ですじ肉をたくってのが良かったみたい。
ほんの三十分ほど煮ただけであんなにトロトロになるとは驚き。
帰って美月や翼に教えたら、今度作ってみようって話になったのはちょっとした余談だ。
しみじみと先日のビーフカレーの美味しさを伶奈が反芻していると、その伶奈に何かを感じた少女達が一斉に反応を示した。
「……肉娘」
「伶奈ちゃん、お肉好きだよねぇ……」
「……にしちゃんみたいな人が居るから……我が家は生きていける……」
「そのわりに発育悪いよね……胸」
上からアルト、美紅、蓮、そして、穂香だ。
とりあえず、どや顔を決めてる穂香の顔を一瞥して、伶奈は言った。
「穂香、今夜マヨ丼。炊きたてご飯にたっぷりマヨ、それから鰹節と醤油。私たちチキンカレー」
よどみなく少女が喋れば友人は途端に顔色を変えた。
「ひどいっ!?」
「調理委員長権限だから」
「独裁許すまじ……革命だー!」
「革命を起こされたので、じゃあ、穂香が調理委員長。ちゃんと作ってね、チキンカレー」
「……ごめんなさい。美味しいチキンカレーが食べたいです……」
いつもの東西漫才にオチが付くと周りで聞いてた友人達が愛らしい笑い声を上げる。
「ちゃんと手伝わないと本当にマヨ丼だからね」
伶奈がぴしゃりと言えば満面の笑みで穂香が頷く。
「はーい」
返事だけはいいんだから……と思うが、穂香の母によると子供の頃からだからもはや治ることはあるまい。
「じゃあ、伶奈チと愛生衣ッチが料理の下拵えで、残り三人でかまど作りね!」
そう提案したのは穂香だった。
「なんでだよ!? 私と美紅で料理、残り三人がかまど作りで良いじゃんか!」
それに伶奈が反論したのは愛生衣の料理の腕がともかくひどいからだ。多角形な人参を量産されては溜まらない。
一方、伶奈が欲しがった美紅は母親の影響からか、お菓子作りをしてて包丁の使い方も堂に入ってる、戦力として考えれば確実にこちらが上だ。
しかし、穂香にも言い分という物があった。
「いやぁ〜でもさ、レンガを運んでかまどを作るとなると体力のあるミクミックーが必要なんだよね」
軽い口調の穂香が言わんとしていることは理解出来る。
しかし、認めるわけには行かず、伶奈も思わず声を荒らげた。
「穂香ががんばりなよ!」
「だって、蓮チが役立たずになる事を考えたらさ! 美紅チは必要じゃんか!」
そう言っていつもの口論を始めた伶奈と穂香の横でぽつり……と連が呟く。
「……役立たずだよー」
「……開き直らないでよ……」
「……私だって頑張れるのに……」
蓮の呟きに美紅と愛生衣が合いの手を入れて、お話し終了。
結局――
「……蓮と江川崎さんかぁ……」
話し合いの結果、穂香と美紅がかまど作りで、伶奈と蓮と愛生衣が調理班。
「南風野さんって料理できるの?」
愛生衣が尋ねると伶奈は少し小首をかしげた。
今まで彼女が料理をしていたと言うイメージがないのだ。
一年生の頃に家庭科実習で料理をしてたし、蓮と同じ班になったこともある。
しかし、彼女が料理をしていたという記憶だけが全くない。
「調理実習の時、ボーッと空を見上げてただけって記憶しか……」
「まあ、それは調理実習の時だけに限らないけど……」
「今日も……空が奇麗……」
愛生衣と伶奈が話してる横では蓮がぼんやりと空を見上げてる、いつもの風景。
その風景を道連れに少女達はキャンプ場の真ん中くらいにある大きな炊事場へと足を向けた。
今回、伶奈達が使う野外炊飯場はブロック塀で囲まれた狭い区画が三十区画ほど作られていて、その区画の中にレンガを積み上げてかまどを作り、そこで煮炊きをする形。
炊事場はその野外炊飯場のほぼ真ん中。大きな東屋って風体の建物中にあって、水道やら洗い場やらが整備されていた。
水が出るのはここだけなので、ポリタンクに入れて運ぶことになっている。
「野菜はここで洗って皮むきしていくんだっけ?」
愛生衣が尋ねると伶奈はコクンと小さく頷いた。
「ゴミ箱もここだけだし……後から持ってくるのも面倒だから……」
グループごとに別けられた材料を教師から受け取ると、伶奈達は早速下拵えに取りかかった。
「ひとまず、材料は手に持つ、ここから始めようよ」
伶奈がそう言うと、愛生衣は右手に人参、左手に包丁を装備した。
「……なんで、右手に人参を握ってるのよ……? この子、左利きなの?」
伶奈の頭の上でアルトが尋ねると、伶奈はそのアルトをチラリと一瞥。
そして、伶奈はアルトの言葉を自らの言葉として愛生衣にぶつけた。
すると、彼女はサラッとした表情で答えた。
「ううん、右利きだけど……なんか怖い」
「なんか怖い、じゃないよ? 聞き手に包丁持たない方がもっと怖いよ?」
「そうかな?」
「そうだよ……てか、家庭科の授業の時、何してたの?」
「二回目以降、誰も手出しさせてくれなくなったから、空を見てた……南風野さんの隣で」
愛生衣の言葉にあちゃ〜とコンクリート打ちっぱなしの天井を見上げて伶奈は嘆息した。
そして、その頭の絵で妖精が呟く。
「……ダメすぎるわね……」
――と伶奈も思っていたらそうでもなかった。
シュルシュルシュルシュル……
規則正しく包丁が皮を剥く音が聞こえ始めた。
「あれ?」
呟き伶奈が視線を向ければ、人参を丁寧に剥いてる蓮の姿。
「蓮、出来るの?」
伶奈が尋ねると彼女は軽く首を縦に振る。
「……蓮の家……本家だから、季節ごとに人が集まって……蓮も手伝わないと……ご飯の用意、出来ないから……」
蓮がポツポツと答える。
その答えにアルトが気付いた。
「そう言えば……お正月にも本家だからどうのこうのって話……してたわよね?」
頭の上でアルトが言うと、伶奈にも思い当たる節はある。田舎って大変だなぁ……なんて、頭の片隅で――
「――って、出来るなら、なんで家庭科の時、ボーッとしてたの!?」
「……出来るから……いちいち、学校でやらなくても良いかな……? って……」
「その理屈なら、私だってやらなくて良いじゃんか!」
「……あっ」
「あっ……じゃないよ!」
連日から一杯の突っ込みをしていたら、今度は背後からちょいちょいと方を突く誰かさんの指。
「……西部さん……右手に包丁と左手に人参を装備してみたけど……次は?」
右手に包丁、左手に人参、フル装備の愛生衣さん。
しかし、残念ながら百点満点とは行かない。
なぜなら……
「……包丁、逆手に持たないで……」
右手に持った包丁が逆手。腰の後ろに隠されると怖いので止めて欲しい。
その右手の包丁と伶奈の顔を数回見比べ、愛生衣は言った。
「格好いいかと……」
「……かっこよさはいらない」
伶奈の突っ込みに従い、少女は素直に従い、右手に装着。
これで一応形はまともになった感じで一安心――
――出来るわけでもないから辛い。
人参の葉っぱ皮をギュッと握りしめて、包丁を縦軸に対して垂直に当てる。そのまま、包丁を根元の太いところから先っぽの細い方へと向けて動かし始めれば、危なっかしくも人参の皮は奇麗に剥ける。
まあ、平たく言えば、鉛筆を削るような感じだ。
「……凄い……」
その発想力に伶奈はまず呆れた。
「感心してないで止めなさい」
アルトの冷静な突っ込みが頭の上から響くと、伶奈は慌てて愛生衣の行動を止めた。
「あっ……あぶないよ! なんで、そんな切り方するんだよ!?」
「……じゃあ、どうやって切るの?」
心底きょとーんとした顔で尋ねられたのには頭を抱えた。
仕方ないから、前に翼が教えてくれたときのことを思い出しながら、愛生衣にかつらむきのレクチャー。
まあ、一発で上手に出来るようになれば苦労はしない。
教わる方も不器用なら教える方も不器用とあっては、伶奈の苦労は翼のそれをはるかに上回っていた。
背後から愛生衣の両手を押さえて包丁と人参の動きを制御、気分は二人羽織だ。
「こっ、怖いよ!? 西部さん!?」
「えっ、江川崎さんも……もっ、もうちょっと力を抜いて……」
「だっ、だって……こっ、怖いし……」
「怖くないよ、すぐに終わるから……」
ガチガチに固まってる愛生衣の両手を操作しながら言葉を交わしていると、頭の上では妖精さんが他人事気分の妖精さんが楽しそうに笑う。
「……会話だけ聞いてると、なんか、悪い事してるみたいね……」
頭の上に向けて視線を一瞬送るも、頭の上に座っている妖精の姿は見えずじまい。正面には愛生衣、周りには他の級友達も居るところではこれ以上の制裁も不可能。後で絞めようとだけ決めて、少女は動きの悪い友人へと意識を向けた。
そこに飛び込む一つの言葉。
「……にしちゃん」
視野の外から聞こえた声、確かめるまでもなく、それは蓮の声だった。
「なに? 蓮」
「……手首が、痛い……」
「……えっ?」
ジャガイモ全部とタマネギが少し、プラスティック製まな板の上で刻まれている横で蓮が右手首を押さえて青い顔をしていた。
「どうしたの?」
思わず、愛生衣が尋ねると、蓮はぽつりと答えた。
「……腱鞘炎かも……」
「なんでだよ!? おかしいよ!? それくらい刻んだだけで腱鞘炎とか!!」
「蓮は……深窓の令嬢だから……」
「最近は深窓の令嬢の方が料理とか上手だよ! てか、さっき穂香が言ってた! それ!」
と、怒ってみたところで蓮の特異体質も言えるような貧弱さに着ける薬が見つかるはずもない。
「そもそも、この子の家族って、みんな野良着で走り回ってるような人ばっかりよね……」
頭の上でアルトが言えば、穂香のことを我が娘のように怒鳴りつけていた蓮の母のことを思い出す。汚れてくたびれた野良着の上にエプロンを着けた姿は深窓のご令嬢の母君って言うよりも田舎の肝っ玉母ちゃんと言った雰囲気だった。
もちろん、他の家族も似たり寄ったりだったなぁ……なんて事を思い出す。
「西部さん……西部さん……」
「とりあえず、ゆっくりで良いから、タマネギ切って――なっ、なに?」
愛生衣の声に我を取り戻すと、相変わらず伶奈の胸の中、両腕で抱き締められるような形になっていた愛生衣がぼそぼそ……っと囁くように言った。
「……これ以上抱き締められてると……いけない喜びに目覚めるよ……」
呟き、こちらに向けた顔はなぜか朱色、瞳も潤んでなんかなまめかしい。
慌てて、飛び退くと隣で蓮がまた言った。
「にしちゃんには大学生の彼がいるから……」
小さな呟きだけが東屋の高い天井にこだますると、少女達のざわめきが止まる。
聞こえるのは遠くで鳴いてるひばりの声と流れる水がシンクを叩く音のみ。
「さ〜ん……に〜い……い〜ち……」
妖精のカウントダウンが聞こえ、そして――
「ぜろ」
「どんな人!?」
「どこまで行ってんの!?」
「格好いいの!?」
アルトのカウントダウンがゼロに達した瞬間、少女達の声が一斉に湧き上がる。騒いでる連中の中には顔も知らない少女もいたのだが、今の伶奈にそれに気づく余裕はない。
その大騒ぎに伶奈はあっと言う間にパニック。致命的な言葉を大声で叫んでしまう。
「ジェリドは関係ないし!!」
「……誰もお隣さんのことだとは言ってないわよ」
アルトの突っ込みよりも大変なのは、勘違いした少女達。
「じぇりど!? 外人!? ハーフ!?」
誰かが大きな声を出したら、一気に大盛り上がり。
「そー言えば……ジェリドさんは……なんでジェリドさん?」
あれがコテコテの日本人であることを知ってる蓮が小首をかしげるも、伶奈だって名前のいわれは良く知らない。
「Zガンダムってアニメがあってね……」
仕方ないから、アルトの始めた解説をさも『私は知ってましたよ』って感じで伝え始めた結果……
「遅い!!!」
「なんで、そんなにかかったんだよぉ……」
奇麗にレンガを積み上げた穂香と美紅が待ちくたびれることになったのは余談である。
なお、今年のカレー作りは全体的に時間が押したそうだ。
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