野外学習(4)

 英明学園から青野山の学習センターまではバスで小一時間と言ったところだ。
 距離はそんなに離れているわけでもないのだが、市中心部――いわゆる新市街の辺りを抜けていくから、距離以上に時間が掛かる。
 信号が多くて、いつも混雑しているのだ。
 女子中学生二十人が乗り込んだバスが四台。そのいずれの中も少女達の笑い声が響き渡り、凄く賑やか。
 もちろん、伶奈も四方会や愛生衣、その他の友達との会話に華を咲かせ続けていた。
 そして、予定通りに小一時間。余り高くはないが緑豊かな山の中腹『青野山少年自然センター』と書かれた大きな看板を横目で見ながら、バスは大きな駐車場へと滑り込んだ。
 ついたら、まずは入所式。
 会場はミニバスケット用のコートが二面取れる広い体育館。二百余名の生徒たちが楽に入ることが出来る。
 雨が降ったらここで何かのレクリエーションも予定されていたようだ。
 しかし、今日の空模様を鑑みれば、その計画は無為に終わることは確定済みと言って良いだろう。
 学年主任の女性初老教諭によるありがたい心構えやら、学習センターのお偉いさんによる挨拶やら……伶奈はそうでもないのだが、頭の上に乗ってる妖精さんなんかは、最初の一分で飽きたと言い出し、五分が過ぎる頃には帰りたいと宣い始めるほど。
(どこにでも遊びに行けば良いのに……)
 体育館の中、体育座りをした少女達の中で少女はそう思った。
 その退屈な入所式も一応終わったら、次は荷物を学習センターの部屋に放り込む作業だ。
 宿泊室は三十畳、そこに二十人分の布団が畳まれた状態で整然と並べられていた。
 ここまで広い部屋を見るのはこれが生まれて初めてだし、これだけの布団が並んでるのを見るのも生まれて初めて。
 ちょっと驚きながら、少女はぽつりとこぼした。
「……私、畳に布団を引いて寝るのって初めて……」
 伶奈の言葉に、周りからは「私も」という声が大量に上がり、その声にかき消されるかのように「毎日、畳に布団」ってマイノリティの声。
「溶けた保冷剤にタオルで寝てるわ」
 って、超マイノリティが頭の上に一人居るが、それは軽く無視。
 そして、四方会四人に愛生衣を混ぜた五人は奥の一角に並んで五つ、寝床を確保した。
 ちなみに穂香が壁際の端っこで愛生衣がその隣、そして、伶奈、美紅、蓮の順番。
 すぐ隣は愛生衣がいつもつるんでる二人を中心とした五人組。
 四方会とも比較的仲の良いクラスメイトばかり。
 もちろん、伶奈とも仲が良い。
 これからの二泊三日、居心地が良さそうだ。
 畳の上に直接ぺたんと腰を下ろす。
 青い畳の香りが日本人の心という物をいたく刺激し、そう言えば、畳の間自体こちらに来て初めてだったことを少女に思い出させた。
 そして、前に住んでた家のこととそこでのことを思い出して胸が痛いというか、なんというか……
 何とも言えない気分の伶奈に元気の良い声が届く。
「この次、何すんの?」
 尋ねたのは大きなリュックサックを布団の足下にドンッ! と下ろした穂香だった。
「ジャージに着替えたら、食堂でお昼って言ってたじゃん……さっき。ご飯が終わったら少しリクレーションしたら、キャンプ場で夕飯作りだよ」
 答えたのは同じく荷物を布団の枕元に置いた美紅。
「ずいぶん早くから夕飯の用意をするのね?」
 頭の上でアルトが尋ねれば、確かにそうだ……と伶奈も思い至り、それを素直に口に出した。
「なんで、そんなに早くから用意するの?」
「飯ごう炊飯だから、準備に手間が掛かるんじゃないのかな? 炭に火を付けるのも大変だし」
 美紅に教わればなるほど……と納得。
「遊びながら作るような物だしねぇ〜」
 穂香の軽い口調に、伶奈はリュックから臙脂のジャージを取り出す手を止め、口を開いた。
「……ご飯、作るときに遊んでたらダメだよ?」
「伶奈チは真面目だね。じゃあ、任せたよ? 二年三組調理委員長」
 偉そうな口調でそう言うと、穂香はぽんと伶奈の肩を叩いた。
 畳の上に座ったまま、立ったままの穂香の顔を見上げる。
 なんか知らないけど、凄く偉そう。ふんぞり返った胸元が猛烈に腹が立った。
 その顔を見上げて、伶奈は淡々とした口調で応えた。
「……仕事しない人は食べられないよ? 特に穂香」
「なんで、名指し!? ひどい! 私、良いところのお嬢様だから、料理なんて出来ないもん!」
 芝居がかった口調、口元に持って行った二つの拳と、わざとらしくくねらせてる身体がむかつく。
 少女は自身の額に縦線が刻まれるのを自覚しつつ、視線を手元、鞄の中から取りだした臙脂のジャージへと移した。
 そして、また、少女は平たい口調で言った。
「良いところのお嬢様は良いところのお嬢様を自称しない」
「あっ! じゃあ、伶奈チ、私が良いところのお嬢様だって証言して!」
「……ヤだよ。それより、着替えるよ? お腹、空いたし。私、朝ご飯食べてないんだもん」
「はーい。私もちょっとお腹空いた」
 遠くでシャッ! とカーテンを引く音。微かに部屋が薄暗くなった。
 その暗さを確認すると、伶奈は着替えをスタート。その隣では穂香を始めとした他の面々も着替え始めていた。
 その中の一人、愛生衣が頬を緩ませて言った。
「……西部さんって、結構言うよね」
 そう言った愛生衣はすでにインナー姿。白くて野暮ったいTシャツのようなインナーシャツは夏の体操服、伶奈も着ている学校指定品だ。
 その下にはスポーツブラかジュニアブラかは解らないが、白いブラジャーが思ってたよりも大きめの乳房を包み込んでいのが、透けて見えていた。
 その愛生衣に笑みを向けたら、伶奈は控えめな応えた。
「穂香にだけだよ。穂香、バカみたいな事ばっかり言うんだもん」
「四方会名物東西漫才だよ」
 すでにインナーシャツと白いショーツ、そんな姿で胸を張ってる穂香を見やりて、少女はため息を吐いた。
 そして、伶奈はぽつりとこぼす。
「……じゃあ、もう、穂香がバカなことを言っても無視するから……」
 そう言ってプイッとそっぽを向けば、そこには面白そうに頬を緩めている美紅の姿。
「伶奈ちゃんが穂香ちゃんの面倒を見ないんなら、蓮ちゃんの面倒を押し付けちゃおうかな?」
 そして、悪乗りの蓮が――
「きたちゃん、見捨てないで〜〜〜〜〜〜〜」
 そう言って美紅の体にしがみつく。
 ちなみに彼女はインナーを着ておらず、白いブラとショーツの上下だけ。
「重たいってば!! 伶奈ちゃんの所に行きなよ!!」
 すがりつく蓮に美紅が大声を上げて逃げようとするも、こう言うときの蓮は恐ろしく元気で力強い。
「きたちゃん……疲れた……だっこぉ〜」
 それに慌てるのが四方会突っ込み役の伶奈だ。
「蓮! 下着で抱っこはダメだよ! 美紅もちょっとは手加減してよ!」
 蓮は下着がずれても気にせず美紅にすがりつくし、美紅は美紅で手加減なしに暴れるものだから、蓮の下着は乱れ放題。今にも彼女の大事な部分が見えちゃいそう。
「蓮のおっぱいは逃げも隠れもしないよ〜」
「じゃあ、伶奈ちゃんが蓮ちゃんを引きはがしてぇ!」
 賑やかな二人のじゃれ合いを伶奈が――
(頭痛いなぁ……)
 なんて思いながら眺めていると、穂香の真面目くさった声が響く。
「みんな、遊んでないで着替えないとご飯食べにいけないよ!」
 ひときわ大きな声で言った物だから、じゃれてた蓮と美紅、それを眺めていた伶奈はもちろん、他のクラスメイト達も一瞬呆然。
 シーン……と三十畳の大きな和室は水を打ったかのように静かになった。
 その沈黙を穂香が破る。
「もう! みんな! 遊んでちゃダメだぞ?」
 芝居がかったセリフ、立てた右手の人差し指が殺意を抱かせる。
 そしれ、伶奈がぽつりと呟く。
「……殴って良いよね……あれ」
 その伶奈の両肩を二人の友人がポンポンと叩き、そして、言う。
「殴ろう」
 と言ったのが美紅。
「アッパーで」
 とは蓮の言葉だった。
 そして、穂香が顔色を変えて叫ぶ。
「四方会血の掟! 暴力禁止!」
 その言葉は当然のように黙殺……と言うか、残り三人の総意として――
「後で聞く」
 ――が採択された。
「……ホント、四方会って面白い……」
「……ホントにね」
 呆れ顔で呟く愛生衣の頭で、いつの間にか居場所を移していた妖精さんが呟いた。
 しかし、残念なことにその言葉は他の面々はもちろん、四方会の面々とじゃれてる伶奈にすら届くことはなかった。

 さて、お昼ご飯は簡単な仕出し弁当。ボリュームは十分なのだが味はイマイチ。しかもメインが白身魚のフライってのが最悪。
「……せめてフリットだったらなぁ……」
 ぼやきながらも付け合わせのキャベツの千切りはもちろん、パセリまできっちり食べちゃった辺りは親の躾……ではなく、むしろ喫茶アルトの躾だ。
 食べきれない量を残すのならともかく、付け合わせのパセリやサラダを残すことに関しては非常にうるさい。
「特に翼に無言で見つめられると辛いみたいね」
 手元、白身のフライと海苔たまふりかけのかかったご飯でお腹を満たした妖精が嘯く。
 ちなみに彼女は好きな物しか食べない。小柄で小食だから嫌いな物を入れるスペースが胃袋にないそうだ。
 物は言いようである。
 そんな妖精を一瞥、伶奈は答えた。
「生ゴミ捨てるのもただじゃないって言われるとね……食べなきゃしょうがないじゃん」
 ため息交じりに答えながら余り美味しくもない食事は終了。
 食事への評価は周りも似たようなもの。褒めてる少女は皆無だし、一緒に食べてた担任教諭に至っては……
「……相変わらず」
 この一言だけ。
 まあ、本命は夕飯だしお昼は安く仕上げたいのだろう……と思うことにする。
 軽く食休みをしたら後はお昼休み。
 入所式を行った体育館やそこから出たところにある大きな運動場と芝生の広場を使っての自由行動。
 体育館ではミニバスケも出来るらしいし、バトミントンやフリスビー。ミニバスの代わりにバレーも出来るが、今回はミニバスの方が優先された。
 さて、伶奈達四方会は芝生の上にピクニックシートを敷いてダラダラと食休み。
「蓮……横っ腹が破裂して……死ぬ」
 との蓮の意見を尊重したからだ。
 もっとも、そのうち体を動かすのが好きな美紅が何かをやりだ始めるだろう。そうなると穂香も黙っていられなくなる。そしたら、伶奈と蓮もなし崩しに動き始める……ってのが普段の四方会だ。
 しかし、今日はその傍に五人目の女――愛生衣がいる。
 当然ではあるが、愛生衣には愛生衣の友人って者が居る。
 一人は去年から同じクラスだった十川そがわ八重子やえこだ。小さめの眼鏡と太い三つ編みが特徴的な少女。
 もう一人が今年から同じクラスになっためぐみ瑛里沙えりさ。こちらはボブカットをふんわりと内ハネにした美少女と言った感じの少女。一部では蓮と並んで二年三組の美女双璧と呼ばれてるとか……呼ばれてないとか。
 そんな二人の内、片方、八重子の方がピクニックシートの上でだらけてる愛生衣に声をかけた。
「ねえねえ、バドやんない?」
 どうやら、八重子や瑛里沙達の班でバドをやるために道具を借りてきたのは来たのは良いが、これだと一人余っちゃうので愛生衣もやらないか? って流れのようだ。
「うん、良いよ〜あっ、みんなは? 道具、足りない?」
 愛生衣が首肯すると今度は瑛里沙の方が口を開いた。
「ううん、大丈夫。道具なら大量にあるから」
 同性から見ても人好きする笑みを浮かべて瑛里沙が首肯すれば、運動大好きな美紅が最初に立ち上がった。
「やるやる!」
 元気な声で美紅が立ち上がると穂香も立ち上がり、屈託のない笑みを浮かべて言う。
「私もやんないと人数、奇数になっちゃうもんね!」
 すると残るのは伶奈と蓮の二人組。
「蓮はお腹が痛くなるからぁ……」
 ふわふわとした口調で蓮が答える。この辺りはもはや南風野蓮というキャラクターなので誰も驚きはしない。
 そして、すっとその隣、足を投げ出し座っていた伶奈へと視線が集中。
「ああ……私はいいや……私もまだお腹がいっぱいだし。それに眠いんだよね」
「そー言えば伶奈チ、寝てないんだっけ? 私は寝てないけど元気いっぱいだけどね!」
 居残った伶奈に気を使ったのか、穂香は伶奈に二言三言尋ねた後、クルンと回れ右。
「総当たり戦やるよっ!」
 大きな声で穂香が宣言しているのを聞きながら、少女はごろん♪ とレジャーシートの上に寝転がった
「眠い?」
 隣で足を投げ出し座っている蓮が尋ねた。
「うん……眠い……」
「アルトちゃんは?」
「居るわよ」
 蓮の言葉を受けてポーンと伶奈の頭の上から飛び立ち、クルンと青空を背景に一回転。美しいフォームで蓮のふわふわな猫毛の上に着地を決めた。
 そして、蓮の髪を数回引っ張れば彼女のそこに妖精さんが来たことを知る。
「……いらっしゃい」
「お邪魔します」
「……――だってさ……ふわぁ……眠い……」
 そして、伶奈はぐーーーーーっと大きく背伸びを一発。
 すっと目を閉じればあっと言う間に夢の中。
「あれ? 伶奈チ、マジ寝? もう……しょうがないなぁ〜」
 そんな穂香の声が聞こえてたけど……これからの楽しい野外学習本番の前に伶奈は一休み……
   

 

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