野外学習(2)

「四方会血の掟、アルトちゃんのことは外部には秘密!」
 と、言いだしたのは穂香だった。
 野外学習の班分けが確定した直後の日曜日、四方会の面々はたまり場になってる穂香の家に集まっていた。
 それぞれの家から持ち寄ったお弁当でお昼ご飯、食べた後には穂香の家で用意されていた小さなカップケーキと伶奈が煎れたココアがデザート。
 幸せな気分でだらだらしてるところで、穂香がいきなり言い出したのが、上記のお言葉だ。
「なんで?」
 穂香の言葉に顔を上げたのは、伶奈の手元、アイスココアのグラスにちょこんと腰を下ろしている張本人――妖精のアルトだ。
「……――って言ってる」
 アルトの言葉を伶奈が通訳したら、穂香はパンッ! と両手をガラステーブルの上に突き、その反動で腰を浮かせた。
 そして、彼女は大きな声で言う。
「だって、大騒ぎになったら面倒だし、なにより!」
 もったいぶるように穂香は言葉を句切った。
 穂香の手元に置かれたココアのグラス、半分ほどにまで減ったグラスの氷が溶けて溶けて崩れた。
 そして、グラスの表面をうっすらと覆っていた水滴がつーっと静かに流れて落ちる。
 その水滴がペーパーコースターの上に小さなシミを作るのを、伶奈が見るともなしに見ていると、伶奈の正面に座っていた美紅が穂香の方へと視線を向けて言った。
「なにより……何?」
「共通の秘密が一つか二つある方が、結束が高まるじゃん! 秘密結社四方会! 的な」
 膨らみ始めた胸元を大いに逸らしながら、穂香が言えば、他の面々(含むアルト)の反応はしごく単純な物だった。
「はぁ……」
 それはため息を吐くことのみ。
「ちょっと!? なんで!? なんで、呆れられる流れなの!?」
 テーブルとベッドの間の上座で穂香は一人大騒ぎ。
 ひとまずは大騒ぎしてる穂香はほったらかし。
 四方会の残り三人にアルトを合わせた四人は、テーブルから少し離れると、おでこがくっつくくらいに密集して、でぼそぼそ、ごにょごにょ、ご相談。
 なお、一人、テーブルとベッドの間に座っている穂香は、すぐに出てくることも出来ずに蚊帳の外。
「ねっ!? ねっねっねっ!! 四方会血の掟、ハブ禁止だよ!?」
 大声で騒いでいるが、とりあえずは放置だ。
「大騒ぎにはなる……かな? やっぱり」
 伶奈がそう呟いたのは、前に良夜がそんな事を言ってたことを思い出したからだ。その結果、アルトの営業に支障が出たら困るし、面倒くさいって言うのが良夜の言い分。
 その言い分を他の面々に伝える。
「UMAだし」
 打てば響くタイミングで答えたのは蓮。
「ネッシーと一緒にしないで!」
「……――って言ってる」
 それにアルトが顔を真っ赤にして怒鳴りつければ、それを伶奈が素直に通訳。
 そして、美紅は口元に手を当てしばし考え込んだ後、ゆっくり、言葉を選ぶような口調で答えた。
「みんながみんな、四方会と凄く仲が良い……って訳でもないしね……言わない方が良いかも……」
 で、結果――
 四方会血の掟に『アルトちゃんのことは部外秘!』が採択された。
「……言い出しっぺ私じゃん……さっき、ため息で全否定したくせに……」
 と、穂香の機嫌が少々悪くなった……ってのは、些事だ。
「些事にしないで!!」
 穂香は抗議をしたが、あくまでも些事である……と言うスタンスを四方会のメンバーは崩さなかった。

 野外学習は五月の最終週の金曜日に出発して日曜日に帰ってくる予定だ。
 その出発の前日、伶奈は最寄り駅まで帰ってくると、そのまま、家にも帰らず、喫茶アルトへと向かった。
 明日、野外学習に連れていくアルトを迎えに行くためだ。
 普段の授業は『私には勉強なんて必要ない』と言って決して着いては来ないのだが、こう言うときは話が別らしい。
「いらっ――と、お帰り、伶奈ちゃん」
 から〜んとドアベルを鳴らして店内に入ると、すっかり、捻挫も治った凪歩の姿。
「ただいま。アルト、迎えに来ただけだから」
 そう言って、窓際隅っこいつもの席へと少女は急ぐ。
 窓の外はすでに薄暗く、天井からぶら下がったペンダントライトの明かりがまぶしくテーブルを照らしていた。
 そのテーブルの上には一日分の着替えを百均で買ってきた小物入れに押し込んでいる妖精さんの姿。
 どうやら、あらかた用意は終わっているらしく、パチンと乳白色、半透明の蓋を閉めるところだった。
「はい、忘れないでね」
 そして、なぜか、伶奈が持たされる。
 手のひらサイズの半透明の小物入れ、それを受け取ったら、手のひらのそれと妖精の顔を数回見比べ、少女は尋ねた。
「……なんでだよ?」
「中身は普通の人には見えないけど、箱は見えちゃうのよねぇ……だから、私が持って動くと、半透明の箱がフヨフヨ浮いてることになるわよ?」
「……面倒くさい体質」
 軽くため息を吐いたら、一応、預かり、改めて、その中身を確認した。
 野外学習って事で汗をかくかもしれないので、下着だけではなく、服の方も準備万端。アルトの服としては比較的ラインのシンプルなノースリーブのワンピース、伶奈が作った物だ。
「少し寒くない?」
「大丈夫じゃないかしら? きっと暖かいわよ、この週末は」
 そう言って嘯く妖精に「ふぅん」と軽く言葉を返すと、少女は彼女を頭に乗せて、家路へと急ぐ。
 薄暗くなり始めた国道を急ぎ足で引き返し、アパートの階段をトントントンッと駆け上がる。
 そして、角を曲がれば、ドアの前でウンコ座りしているお隣さんの姿。
「おっ……よっ、お帰り、クソジャリ」
「ただいま! クソジェリド!」
 煙管で煙草をくゆらす青年が減らず口をたたけば、少女負けじと彼を罵る。
 そんな二人に妖精が頭の上で呆れきった声を上げた。
「相変わらずね、貴女達」
 聞こえてきた声はひとまず無視して、少女も自宅のドアに体重を預けて、中腰になった。
 膝は少し強めに閉じて、スカートはお尻の所で押さえ、下着が見えないようにしっかりとガード。
 それを横目で見ていたジェリドこと悠介は、すぅ〜〜〜と気持ちよさそうに煙管を吸い、そして、ぷはぁ〜〜〜〜と紫煙を中へと吐き出した。
 その紫煙が夕暮れ時の空へと消えるよりも早くに、青年は言った。
「……誰が見るか」
 そして、少女も答える。
「……誰が見せるか」
 そして、妖精はため息交じりに呟いた。
「……本当に相変わらず過ぎ……」
 妖精の言葉が余韻として消えるよりも先に、煙管の紫煙と共に祐介が言葉を吐き出した。
「ところで、ジャリ、明日から野外学習だって?」
 教えたつもりのない相手が言えばさすがにびっくり。
「なんで知ってんの?」
 少し大きめの声を上げれば、煙管を加えた青年はクスッと軽く肩をすくめてみせると、軽い口調で答えた。
「明日金曜で、家庭教師休むって灯に言ったろう? その流れ」
「あっ……そっか……うん、明日、普通に登校したらそのまま、青野山のキャンプ場だって」
 聞いてみればどうって事のない理由で一安心。伶奈も妙に納得した気分で言葉を続けた。
「へぇ……やっぱ、飯ごう炊飯で飯炊いたり、夜は寝ないで麻雀とかか?」
「……前半はともかく、後半は女子中学生がやったらおかしいわよ……」
「……――ってアルトが言ってる」
 祐介の言葉にアルトが応えるとそれを伶奈が青年に伝えた。
 すると彼は口から煙管を離し、少し意外そうな表情をこちらへと向けた。
「何だ? あのクソ妖精も来てんのか? もしかして、連れて行く気か?」
「うん……友達が連れて来いって」
「遊びだな」
 そう言った表情は少し苦笑い気味。
 それに少女も少しだけ苦笑い気味の笑顔を向けると、軽く首を縦に振って見せた。
「半分は遊びだって、瑠依子先生も言ってたもん……アナログゲームなら持っていっても良いって言ってたし」
 なお、中等部時代の瑠依子は大きなボードゲームを持って出ようとして、親にはっ倒されたそうだ……ってのは余談。
 その話を軽くすると、さすがの祐介も苦笑い。
「お前ん所はぶっちゃけてるなぁ……」
「そう言う校風なんだよ」
「ふぅん……面白いなっと、ちょっと待ってろ」
 青年はそう言うと、煙管の雁首を灰皿の縁に叩き付け、中に残っていた火種をぽとんと灰の中へと落とした。
 それから、ふっ! と強めに息を吹き込み、中に残る灰を吹き飛ばしたら、コーンと竹筒の中に煙管を放り込む。
 流れるような動きに思わず見入るも、青年はそれに気づかず、ウンコ座りから立ち上がった。
 そして、彼は部屋の中……
「どうしたんだろう?」
 独り言のように呟くと、頭の上でアルトが応える。
「餞別でも持ってくるんじゃないの?」
「……貰ってどうするんだよ……? お土産なんて買えるところないよ」
「冗談よ」
 そんな軽い会話が終わる頃、再び、隣家のドアが開いた。
 もちろん、中から出て来たのは犬猿の仲であるお隣さん。
 彼はつかつかとこちらに足を向けると、両手の平からあふれる程度の箱を少女に差し出す。
 その仕草に反射的に顔が跳ね上がり、右手を差し出せば、スカートがぱらり……と落ち、白い布きれが閉じた足の間から見え隠れ……って事には、少女本人はもちろん、正面ではなく横に立ってる青年も気づきはしない。
 そして、箱を受け取れば、少女はぽつりと言葉を漏らす。
「なに? コレ」
「書いてるだろう?」
 言われて右手へと視線を落として、そこに書かれている五文字を読み上げる。
「かーど……まーじゃん?」
「おう。面白いぞ?」
 視野の外、頭の上から降ってくる言葉に少女は顔を上げ、そして、勤めて抑揚のない口調で、彼女は呟く。
「……ねえ、ジェリド」
「なんだ? ジャリ」
「……天下のJCじぇーしーが麻雀のやり方とか、知ってると思うの?」
 尋ねてみれば、青年はブンブンと首を左右に二度振り、そして、言う。
「ううん、思わない」
「……じゃあ、なんで渡してんだよ!?」
 思わず浮かび上がる腰と、張り上げられる声。
 それにニマッと底意地悪く笑えば、彼は言葉を続ける。
「キレるかな? と思って持って来たら、案の定キレたので、満足したよ」
「…………死ね、バカジェリド」
「天下のJCが死ねとかバカとか言う物じゃねーぞ? じゃあ、代わりにこれ、持ってけ」
 ひょいと取り上げられるカード麻雀、そして、代わりに与えられたのは、今度はマグネット式のオセロだ。このタイプにしては少し大きめ。二つ折りのボードも分厚いし、持てばずっしりとした重みを感じる。
「なんで、こんなの持ってるの?」
「俺の部屋、テレビとパソコンが一つずつだから、ゲームをやれるのは最大二人か三人くらいまでだろう? あぶれた奴らがこう言うのやってんだよ。花札と将棋と人生ゲームもあるぞ?」
 どや顔を決めて胸を張ってる青年と手元のオセロとを見比べ、少女は万感の思いを込めて呟いた。
「本当、大学生ってもっと大人だと思ってた……」
「ここまでバカもそうそう居ないわよ」
 呟きにアルトが応えるも、その言葉は伶奈だけの胸に納めたまま、少女は少しだけそっぽを向いた。そして、ぼそぼそ……視野の隅っこに青年を捉えたまま、少女は言葉を続けた。
「灯センセをバカの仲間に引きずり込まないでよ……」
「バカやるときは三人一緒だ。オセロは俺が買った奴だけど、将棋は灯で、シュンは人生ゲームだぞ」
「…………ジェリドのバカが移ったんだ」
「かもな」
 投げやりに答える青年の声を聞きながら、少女は立ち上がった。
 少し皺になってしまったスカートをパンパンと手の平で整えたら、相変わらず、突っ立ったままの青年へと視線を向けて、彼女は言う。
「でも、オセロは借りとく……飯ごう炊飯に使った炭の燃えかすくらいかハイキングで拾った松ぼっくりくらいは持って帰ってきてあげるよ、お土産に」
「そりゃ、楽しみだ。じゃあな、楽しんで来いよ、クソジャリ」
 それだけ言うと、クルンと青年は回れ右。足下に置いてあったたばこ盆をひょいと取り上げたら、彼は自宅のドアを開いて、部屋の中へと帰って行った。
「じゃあね、バカジェリド。オセロ、ありがと!」
 その彼を見送り、少女は小さなオセロの箱へと視線を落とした。
 手の平サイズの小さく薄い板っ切れ、マグネット式になっているからだろうか? 中にコマが入っている感じはするのだが、振ってみても音はしない。
 それを見つめて、少女はクスッと小さく笑い、そして、頭の上の妖精に言った。
「……寝る前にしようか?」
「そうね、結構、強いわよ? 私」
「私は久しぶり……かな?」
 その日の夜、伶奈は母が寝静まった後、アルトとオセロを始めて……――
「起きなさい! 伶奈!!」
 ――翌日、寝過ごした。
 母の怒声で目覚めたときには、朝食どころか前髪を整える暇すらなかったのは……
「あなたの負けず嫌いのせいよ……ふわぁ〜〜〜〜ねむ……」
 眠そうに金色の瞳をこすっているアルトの言うとおり、負ける度に「もう一回」と言い続けた結果、気づいたら日付変更線を超えるまで、ずーっとベッドでオセロをやってた少女バカの自業自得である。
 が……
「ジェリドが余計な物、貸すのが悪いんだよ!!!」
 必死で自転車を漕いで走る少女は、逆恨みの怒声を発していた。
 その頭上にはさんさんと輝くまぶしい太陽、そして、頬を撫でる優しい風があったことを……少女に気づく余裕はなかった。

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