野外学習(1)

 伶奈は自分が料理は余り上手ではない……と思っている。
 土曜日にはアルトでまかない料理を作っているが、常に翼の監督と指図の元だし、味付けも大事なところは翼が受け持っている。一人で出来ると言えば、翼直伝の野菜クズと肉の切れっ端で作るナポリタンと、美月に教えて貰った切って並べてオリーブオイルをかけただけのカプレーゼ。
 ナポリタンはちょっと難しいが、カプレーゼなんかは――
「誰でも作れる料理」
 ――だと思っていた。
 しかし、ゴールデンウィークが終わった翌週、週末。四方会四人にそれぞれ用事があったりで、出来なかったお泊まり会を穂香の家でやったときの事だった。
 今夜はみんなでカレーを作ろう! と、穂香が言いだした。
 大丈夫なのかな? なんて不安にはなったが、穂香の母親も多少は手伝ってくれると言ってるから、ひとまずは安心。最悪、近所にコンビニがあるからそこでお弁当を買ってくれば良いじゃんって話になった。
 最初からコンビニ弁当を計算に入れてるのはどうかと思うが、さすがにそこまで大失敗する事はないだろう。
 てなことを思いつつ、伶奈は使い慣れない東雲家のキッチンでお料理。
 ジャガイモの皮を剥いて、一口大……少し大きめの方が良いと頭の上のアルトが言うので言うがままに少し大きめカット。ニンジンはピーラーで皮を剥いてざく切り、タマネギはくし切りで、南風野家のツテで購入したすじ肉の良いところは出刃でダンッ! ダンッ! とぶつ切り。
「まあ、六十点って所かしらね? ピーラーでジャガイモの皮を剥くのがヘタよね。指の皮まで剥ぎそう……あと、せっかく手が余ってるんだから、なんか、手伝わせなさい。黙々と一人で作業してるの、翼みたいね」
 頭の上から響く声にチラリと一瞥するも、その場ではスルー。むかっ! とデコに縦皺が生まれた事は自覚できたが、すぐ傍で穂香の母親が見ている現状では返事をする事も出来ない。
 額に生まれた縦線を消す努力もせずに、出来上がった物を大きめの鍋にざーっと入れたら――
 パチパチパチパチパチ……
 なぜか、四方会の面々が拍手をしていた。
「えっ? わっ?! なっ、何?」
 伶奈がぽかんとした口調で尋ねると、答えたのは四方会の三人ではなく、穂香の母親。
 ふっくらとした丸い女性は奥二重の瞳を大きく開いて、伶奈に言った。
「西部さん……お料理、上手ねぇ……」
 呆然とした口調、伶奈に言ってるというよりかは思考が独り言として唇からあふれ出したって感じの口調だ。
 その言葉に伶奈はぶんぶんっ! と大きく首を二回、横に振った。
「……そっ、そんな事……美月お姉ちゃんも翼さんももっと上手だし……」
「その二人、プロじゃん……アルトの」
 口走った言葉に的確なツッコミを返してきたのは、美紅だ。
「そうだけど……でも、凄く手際が良いから、あの二人を見てると……」
 その美紅に言葉を返していたら、ぽこっ! と後頭部に小さな痛み。
 振り向いてみれば、腰に手を当て仁王立ちの穂香の姿。
 きりっ! と眉をつり上げたかと思ったら、彼女は雄弁に語った。
「比べるのが間違い! 伶奈チは料理が上手! はい、復唱!」
 有無を言わせぬ強い言葉に少女は思わず苦笑い。だけど、そう言って貰えると頬が緩む事を禁じ得ない。
 そして、彼女は軽く笑みを浮かべて穂香に言った。
「……復唱はちょっと……でも、ありがと」
「うん! 私なんて何にも出来――痛っ!」
 大見得を切って言葉を続ける穂香が悲鳴を上げると、その背後には様子を見守っていた彼女の母の顔。ため息交じりの言葉を母は娘へと投げかけた。
「……ちょっとはあなたも手伝いなさい。黙って座れば食事が出てくると思ってんだから……」
「……お父さんだって、そうじゃん……」
 その言葉が母親の逆鱗に触れたらしい。
 への字を描いていた眉がすっと平らに戻ったかと思うと、穂香母の顔から表情が消えた。
 そして、ぐいっ! と腕をつかむと、彼女は言う。
「ちょっと、こっちに来なさい!」
「いたいっ! いたたたたたぁ!!! ちょっと、お母さん! 友達来てる! 友達!!」
「だから、こっちで話すのよ!!!」
 と、穂香はリビングへと腕をつかまれ、連行されていった。
 取り残されるのは少女達三人と伶奈の頭の上に居る妖精さん一人。
「どうしよう……?」
 伶奈がぽつりと呟いたら、頭の上でアルトが答えた。
「次は材料を炒めるのよ」

 さて、カレーはカレールーのパッケージ裏に書かれていたとおりのレシピで、書かれていたとおりに作れば、美味しい物が出来るようになっている。
 当然、伶奈が作ってもそうだ。
 カレーを作ってる間に美紅にしかけて貰ったご飯も美味しく炊けて、蓮が千切ったレタスとモッツァレラチーズにドレッシングをかけたシーザーサラダと共に、穂香の部屋へと運ばれた。
「ちなみに、穂香はずーっと親に説教されてたのよね」
 伶奈の頭の上でアルトが言うと、少女は少しだけ格好を崩して、他のメンツへとその言葉を伝えた。
「まぁねぇ!」
 言われた穂香は満面の笑顔。テーブルの上に置かれた大盛りカレーの前にストンと腰を下ろしたら、おざなりに「頂きます」の挨拶。その余韻が部屋から消えるよりも先に、早速、一口パクリ♪
「おいしいっ! って、結局、黙って座るとご飯が出てきたね、今日も」
 嬉しそうにそう言ってがっつく姿を見れば、何か言ってやりたいような、言う気も失せるような……
 それを真似るように美紅と蓮、それから伶奈もしっかりと「頂きます」の挨拶をした後、食事を始める。
「上手に作るね。作った事あったの?」
 二口ほど食べて美紅が褒めると、伶奈は少しだけ照れくさそうな表情で答えた。
「ううん、カレーは初めて。でも、箱のレシピは美月お姉ちゃんの説明より解りやすいもん。カプレーゼを教えて貰った時なんて――」

「トマトとモッツァレラチーズを良いぐらいの厚さに切って、カリカリ〜〜〜っと黒胡椒と岩塩を振って、後はオリーブオイルをサッとかけたら完成なんですよ? 簡単ですよね? 知ってますか?」

「……――って……しかも、作って食べて貰ったら……胡椒さんがトマトさんをいじめてるって、なんだよ、それ……って、感じのダメ出しをしてくるんだよ?」
 話を得ると、伶奈は大きなスプーンにカレーライスを載っけてお口にパクリ。
 香辛料の香り豊かなカレーの味が口いっぱいに広がる。味の方はなかなかの物だ。
「……タチの悪い姑みたい」
 そう言ったのはカレースプーンをくわえている穂香だ。
「まあ、お客さんに出して、お金を貰う物だから事細かく言うのも仕方ないんだろうけど……要領得ないにも程があるね」
 そう言ったのは、付け合わせのらっきょうを口にぽいと放り込んだ美紅だ。
 ちなみに蓮は黙々と食べてる。
 その三人の友人の顔を見やり、伶奈はコクン……と小さくクビを縦に振った。
「結局、翼さんの所に聞きに行ってたの。翼さんも美月お姉ちゃんの説明は解らないからって、だいたい、お爺ちゃんにアドバイスして貰うって言ってたし……」
 んで、結局、翼指導の下で作り直してみれば、確かに味は前のよりも美味しい気がした。
 初期作品は、全体的に味が薄かったとか、トマトとチーズのバランスが悪かったとか、胡椒の多いところと少ないところがあったりとか、まあ、色々原因はあったようだ。
 それに、結果論から言えば、美月の言ってる事は正しかったような気がする。
 いじめてるっていうのは、トマトが薄すぎて塩胡椒の味に負けている……と言うことを言いたかった……ような気がする。多分。
 そんな話をしてると、伶奈の手元、伶奈のカレーから大きなすじ肉を分捕り、ストローの先っぽに刺してるアルトが伶奈の方へと視線を向けた。
「あの子、本当、皮膚感覚で料理してるから、人に教えるって言うのが出来ないのよ。そもそも、料理を教わった経験ってないし。独学というか、見て、味見して覚えたというか……本人も自分がどうやって料理をしてるのか、解ってないというか……」
「……――だって」
 アルトの言葉を皆に伝えれば「あはは」と快活な少女達の笑い声が、部屋の中に響いた。
 なお、調理師学校の調理実習の方は『知ってることを教え直して貰う退屈な時間』と思っていたらしい。
 それでも、マグロの解体実習の時は若干テンションが上がったそうだ。

 さて、ゴールデンウィークが開けると野外学校の準備という物が始まる。
 英明からさほど車で小一時間ほどの所にある青野山あおのやまの研修施設で二泊三日、ハイキングをやったり、飯ごう炊飯でご飯を作ったり、キャンプファイヤーをやったりするらしい。
 って話を伶奈がアルトにしたのは、家庭教師の授業が終わった後のことだった。
 凪歩のねんざもあらかた治ったって事で、毎晩のお掃除アルバイトもゴールデンウィークの終了と同時におしまい。のんびりとしたいつもの夜が伶奈の元に帰ってきていた。
「……――それから、昔は夜に肝試しをしてたらしいよ。今はないけど」
 一通りの話を終えるとアイスココアのグラスにちょこんと腰を下ろしたアルトが、つまらなさそうな顔で伶奈を見上げて言った。
「まあ、ご時世よねぇ〜つまらない世の中だわ」
 その言葉に伶奈は軽く首を左右に振ってみせる。
 そして、ちょっぴり苦笑い気味の笑みで言った。
「ううん、誰かさんの親友が、脅し役の先生を脅して、泣かしちゃったんで、翌年から中止でそのまんま。顔にゾンビのメイクして、先生を追いかけ回したらしいよ」
「…………誰の親友なのかしらね?」
「さあ?」
 そっぽを向いてるアルトが可愛くて、少女はクスッと頬を緩める。
 そのそっぽを向いた横顔に少女は少しだけ弾んだ口調で声をかけた。
「アルトも来る? みんな、連れて来いって言ってるんだけど……」
 こちらへと向いた顔は、先ほどまでそっぽを向いていたのが嘘のようにパッと明るく華やいだもの。
 その愛らしい笑みをこちらに向けて、妖精はほとんど反射的に答えた。
「良いの?」
「問題が一つあるんだよね……四方会は四人でしょ? でも、班分けは五人なんだよ。クラスが二十だから、五人かける四班。一人、アルトを知らない子が入ってくるから……アルトのこと、余り、相手できないかも……」
「なるほどねぇ……まあ、考えておくわ」
「うん」
 クールを装う妖精を見やりて、少女は首を縦に振った。
 そして、思う……
(もう一人、誰かなぁ……?)
 クラス二十人の中、四方会と比較的仲の良い友人、何人かの顔が頭の中に浮かんでは消える。
 誰と一緒になっても楽しそう。

 が、話はそんなに簡単ではなかった。
「四方会と一緒が良い!」
 クラスメイト二十人、四方会四名を外して十六人、その大半がこう言いだしたのだ。
「なんで?」
 尋ねたのは四方会自称リーダー東雲穂香だ。
 その彼女は誰かが答えるよりも先に言葉を並べ立てた。
「そりゃ、私と一緒に居たら、楽しいに決まってるけど! でも、他の人と一緒でも絶対に楽しいよ!」
 その穂香の偉そうな口ぶりに対してきっぱりと首を左右に振る少女がいた。
 四方会とは比較的仲の良いクラスメイトの一人江川崎えかわざき愛生衣あおいだ。背は伶奈よりも少し高く、肉付きも良くて全体的に発育の良さそうな感じの女子生徒。少し長めに伸ばした髪を首の辺りで大きめのリボンで束ねているのが特徴的。
 その彼女が一人盛り上がる穂香めがけて、冷静な口調と表情で言った。
「……いや、違うし。むしろ、東雲さんが居ると理不尽な迷惑を被りそうでいや」
「……ちょっと!? じゃあ、なんでだよ!?」
 さすがにムッとしたのか、穂香が切れ気味の声を上げた。
 されど、愛生衣はさして気にすることもなく、パッ! と顔を明るくして答える。
「だって、西部さんのご飯、美味しいんだもん!」
 まあ、中学受験をやるような女子達だから、お料理なんて物を教わる暇もなかった生徒達が多い。
 大根の皮を剥けと言われたら、まず、大根をろくに押さえもせずにドスン! と包丁を振るって輪切りを一つ。
 その右と左で厚さが倍ほども違う代物、その台形になってる輪切り大根をまな板の上に置いたら、更に押さえることもしないで、ドスン! ドスン! ドスン! ドスン! ドスン! と包丁を縦に振るうこと五回。見事に五角形の大根を作り上げた少女もいたほど。
 ちなみにやったのは、一年だった頃の愛生衣。
 ここまで行き着いた料理下手は少ないが、それでも上手と言える人は数少ない。
 そんな中、アルトで鍛えられた伶奈は貴重な存在だ。
 家庭科実習の度にその存在感をクラスメイトに示し続けていた。
 包丁は上手に使うし、味付けも伶奈が調整すればなんとなく可はなくても不可も無いところに軟着陸させてくれる。
 そういう訳で……
「西部さんは二年三組の共有財産だよ!? むしろ、四方会が独占している現状がおかしい!」
 愛生衣が力説すれば、他の少女達も同意と言わんばかりに首を縦に振る。
 そんな少女達に、伶奈はぽつり……
「……勝手に財産にしないで……」
 と、言うわけで、英明学園二年恒例行事野外学習は班分けの段階から一筋縄でいかない雰囲気がたっぷりと醸し出されて始まるのだった。
 なお、結局、四方会と一緒に行動するのは、四方会とも仲の良い愛生衣と言うことになった。
 一番下手なのと一番上手なのとを一緒にしたらバランスが取れるだろう……と言うのがクラスメイト(除く四方会)の総意だった。

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