事案(完)

 その日の夜、アルトのフロアで少し遅めの夕食を取りながら、伶奈はアルトに放課後にあった事件のあらましを語っていた。
「……貴女も大変だったわねぇ……」
 伶奈の食事の上前を跳ねてるアルトが言えば、フォカッチャを千切りながら、肩をすくめて伶奈は応える。
「瑠依子先生が警察に事情を説明してくれて……それでなんとか……」
「ふぅん……まあ、あの三人のうち、灯なら『家庭教師の先生』、祐介なら『隣室の住人』ですむけど、俊一だけは説明しづらい相手よねぇ……」
「うんうん、結局、『家業の飲食店の常連客』扱いだったよ」
 頬を緩めて、伶奈はメインディッシュのお魚料理にざくっ! とフォークを突き刺した。
 本日の料理は白身魚にパン粉と香草、それから粉チーズも混ぜた物をまぶして揚げ焼きにした物。どちらかというと肉食動物であることを最近自覚した伶奈には若干苦手なお魚料理。
 伶奈が肉が好きって事は喫茶アルト内部では割と有名なお話だ。
 それが知れて以来、アルトのキッチンスタッフ二人のうち、美月は言わなくても肉料理を作ってくれるようになって、翼は言っても――
「……何? 文句、あるの?」
 そう言って、魚料理を出すようになった。
 あの鉄仮面で聞こえるか聞こえないか、ギリギリのボリュームで言われると物凄く怖い。
 しかし、一番辛いのは、香草とチーズの風味豊かな衣がオリーブオイルでかりっと揚げられていて、表面はサックサック、中の白身魚はふわっふわな逸品がとっても美味しい事だ。自家製タルタルソースがこれまた美味しいんだ。
「どうして?」
「まずかったら文句言いやすいじゃん……」
 尋ねたアルトに答を返すと、少女は全部食べ終え、付け合わせの素揚げされたパセリまでもがなくなった食器をテーブルの上から下ろした。
 ディナータイムというのもそろそろ遅くなってきたラストオーダー間際のフロア、客もずいぶんと減ってきて、残っているのはちょくちょく来ている中年の研究員さん。夜には良く来る人だが、あの人がここで食事をするときはほぼ確実に、朝まで大学にいる。翌日、伶奈が朝ご飯を食べにくるタイミングでモーニングを食べにくるからよく解るのだ。
 それから、もう一人は奇麗に着飾った女子大生さん。あの人はあの人でこの時間帯にご飯を食べると高確率で翌朝にもモーニングを食べにくるが、多分、遊びに行ってるんだろう。あのうつむいたら下着が見えそうなワンピースとか超絶長いブーツで研究室とか………………あるんだろうか?
 なんて事を考えながらキッチンに入ったら、伶奈はそこで明日の下拵えをしている翼に声をかけた。
「ごちそうさま、美味しかったです」
「んっ……」
 伶奈の顔をちらりと一瞥、コクンと頷いたら、再び、大きな寸胴でスープから灰汁を取る作業へと意識を向ける。
 昔はこう言う翼の態度にもいちいちビビってた物だが、この人はこう言う人だと言うことを理解すれば別に怖くない。
「次はお肉にしましょうね」
 同じく、明日の下越し雷をしていた美月が言えば、素直に伶奈はコクン……と小さく頷いた。
「……チーフは甘い」
「いいんですよ〜その分、お野菜、多めですから」
 背後で聞こえている会話に肩をすくめて、伶奈は自身が使った食器の洗い物。食器の上で温かな温水を弾けさせて、伶奈は食器を洗う。
 洗い終わって片付けたら、キッチンを通って、自室へ……
 ……と、向かおうとしたら、聞こえてくる賑やかな声。
「あんた、どこに行ってたの?!」
 素っ頓狂な声は入り口付近で客を出迎えている時任凪歩の物だ。
「灯かしら?」
 アルトが頭の上で呟いた。
 まあ、仕事中の凪歩が『あんた』呼ばわりする相手なんて他に居ないから、そうなんだろうなぁ……と思って、入り口付近へと近づいてみると、そこに居たのはスカイブルーのスカジャンを着た時任灯の姿。その右手には真っ黒いフルフェイスのヘルメットが握られていた。
「どこって……どこなんだろう? 国道を三時間くらい――あっ、伶奈ちゃん、こんばんは」
「……こんばんは、灯センセ……どうしたの? こんな時間に……」
 伶奈が立ち話の二人に声を掛けると、背後からまた、大きな声が聞こえた。
「なぎぽん、お愛想! 灯くん、おねーちゃん、借りるね?」
 声をかけたのはきわどい格好のお姉さん、食事を終わらせ、帰るところのようだ。そして、彼女はパチン♪ と灯に向けてウィンク一発。見ている方が恥ずかしくなるような仕草ではあるが、整った顔と綺麗なスタイルの女性がやると、妙に絵になるから不思議な物。
「なぎぽん、言うな! はーい!」
 大きな声で凪歩がお返事、パタパタとレジへと向かったら、取り残されるのは灯と伶奈の師弟コンビ。
「何してたの? って聞きなさいよ」
 そして、頭の上で偉そうにふんぞり返ってる妖精さん。彼女の方をチラリと一瞥したら、伶奈は改めて、灯に尋ねた。
「何かあったの?」
「バイク、買ったからちょっと試運転にね。バイトも休みだし。それで、ここまで帰ってきて、ここの建物を見たら、急に腹が減ってきちゃって……」
 苦笑いと照れ笑いが半々に混じり合った表情で彼が答えると、伶奈は小首をかしげて、尋ね返した。
「灯センセも?」
「俺もって……ああ、ジェリドのCBRも見た?」
「ジェリドも買ったの?」
「ジェリドじゃなかったら、シュン? あいつ、今日、取りに行ってたはずだけど……」
「実はね……」
 と、語り始めたところで、先ほどのきわどい格好の女子大生がから〜んとドアベルを鳴らして店を後にした。
 そして、凪歩がコツン……と軽く伶奈の頭のげんこつを乗せて、言った。
「伶奈ちゃん、ここで立ち話は止めてね。灯、ラストオーダー終わってるから、ろくな物、食べられないけど、良い?」
「ああ、なんでもいいよ。それじゃ、あっち、行こうか?」
「うん」
 灯に誘われるまま、喫茶アルト、窓際隅っこいつもの席へと伶奈は足を向けた。
 先ほどまで自身が食事をしていた場所。窓の外に真っ暗な空と真っ暗な稜線が見える席に伶奈が座ると、少女と空との間に灯も腰を下ろした。
 そして、その場で昼間の顛末を灯に語って聞かせれば、彼はあははと明るい口調で笑って見せた。
「あいつもバカだなぁ……今回、俺たち、三人とも二四研のOBの所で買ったんだけど、そのOBの実家が英明からちょっと行ったところにあるんだよ。それで、あいつ、今日、取りに行くって言ってたから、その帰り道だな」
「私はここで二四研の人のオートバイをよく見るけど、みんなはオートバイなんて見たことないから、びっくりしたみたい」
「シュンも相手が四人とも顔見知りだからって油断したんだろうなぁ〜」
 そんな感じで和やかに言葉を交わしていると、それを聞いていたアルトが頭の上で尋ねた。
「それで、三人のバイクはどんなのを買ったの?」
 尋ねてきたアルトをちらっと一瞥したら、伶奈は灯の方へと視線を戻して口を開いた。
「……――ってアルトが聞いてる」
「俺がSR400、シュンがイントルーダーとかって言ってたっけ……? あと、ジェリドがCBR400だよ」
「……言われても分かんない」
「単気筒のネイキッド、アメリカン、レーサーレプリカ……だったかしらね? 前に直樹がバイク雑誌を読んでたわよ」
「……言われても分かんない……あっ、アルトがね、教えてくれたんだけど……」
「まあ、解らないかなぁ……ちょっと待って」
 そう言うと、灯はスマホをポケットから引っ張り出すと、三枚の写真を伶奈に見せた。
 一枚目は黒い車体のオートバイ。ネイキッド、すなわち『裸』とアルトが表現したとおりにエンジンや骨組みなんかが丸見えのオートバイだ。余計な物をはぎ取ってるからだろうか? ずいぶんと細身で、飾り気のない、質実剛健って言った感じのオートバイに見えた。
 それから二枚目が昼間も見た俊一のアメリカンバイク。イントルーダーとか言ってたか? 意味はよく解らない。灯のSR−400同様に骨組みやエンジンが丸見えのデザインではあるが、ずいぶんと印象は違う。ずっしりとしていて、なんだか、重たそう……重厚? って言うのが正しいのだろうか? そう言うバイクだ。
 そして、最後、三枚目が真っ赤なガワ? が付いたオートバイ。他の二台とはまるで違う雰囲気。カクカクとした鋭角な装甲のような物が付けられたオートバイは攻撃的で、まるで、一歩でも、一ミリでも前に進みたがっているような、そんな意思を全身から余すことなく発していた。
 と、言う感じではあるのだが、まあ、突き詰めて言っちゃえば――
「……格好いいね……って事くらいしか解らない……」
 自身の顔が困り顔になっていくのを感じながら、少女は灯にスマホを返した。
 そのスマホを受け取り、スカジャンのポケットに戻しながら、彼は答える。
「その認識だけで十分だよ」
「そうなの?」
「そうなの。格好いいから乗るんだよ」
「へぇ……」
 確かに黒いネイキッドって言うのか? よく解らないけど、あのバイクにスカジャン姿の灯が乗ってたら格好いいなぁ……とは思う。今度、乗ってるところが見てみたいかも……
「じゃあ、後ろに乗せて貰ったら?」
「後ろ?」
 ふわっと頭の上から顔を覗かせたアルトの言葉を、少女は思わず、復唱した。
 とっさに浮かんだのは、真っ赤なオートバイのタンデムシートに乗っかる自分の姿。
 時々、アルトにもタンデムカップルが来客することがあるし、国道でも見かけることがある。乗ってるバイクは種々様々ではあるが、どれもこれも共通してるのは、後ろになってる人が振り落とされないように一生懸命力一杯しがみついていることだけ。
 だから、きっと自分も……なんて事を思い描いた瞬間、ぽん! と少女の顔が真っ赤になった。
「むりむりむりむり!!! そんなの、絶対に無理!」
 ブンブンと首が千切れるかと思うほど、前髪を留めてるヘアピンが外れて飛んでいくかと思うほどの勢いで、首を左右に振ってみせれば、そもそも、アルトの言葉が聞こえていない灯はきょとーんとした表情にしかならない。
「何が?」
 不思議そうに尋ねられれば、急に恥ずかしくなるのが人情という物。更に顔を赤らめ、穴があったら入りたい気分満載で、彼女は答える。
「えっ?! あっ、いや……後ろに乗せて貰えって……アルトが言ったから……そんなの無理だ! って……」
「どうしてよ?」
 聞いたのはアルトの方。
 その言葉に先ほどのシーンがまた頭の中に浮かび上がって、少女はますます顔が赤くなるのを感じた。その真っ赤に染め上げられた顔を灯に見られるのが恥ずかしくて、ますます、顔をうつむける。
「どっ、どうしてって……そっ、それは……その……」
 ぼそぼそ……っと答えづらそうに言葉を濁せば、何を問われたのかを察した灯水を向けた。
「怖い?」
「そう! 怖い!!」
 ナイスな助け船に顔を跳ね上げさせると、灯はちょっぴり苦笑い。
「まあ、実際、事故ったときに大怪我をするのはタンデムシートの方って言うし、二四研は基本的にタンデムは禁止だから」
「そうなの?」
「普段はともかく、二四研主催のツーリングはタンデムは禁止だよ。そもそも、俺はまだ免許を取って、一年過ぎてないから、タンデムは法律で禁止だしね」
「そっ、そっかぁ……」
 そう言われて見れば、ちょっぴり惜しいような、乗せて貰いたいような……複雑な気分になるのが人情、もしくは女心って奴なのかも知れない。
「まっ、伶奈ちゃんの可愛い顔に傷を付けたら、この辺の連中、全員に怨まれるからね? てか、まず、うちに入れてやらない」
 不意に聞こえてきた第四の声。釣られるように顔を巡らせば、背の高いポニーテールのメガネが立っていた。笑顔の彼女が手にしているのは、大きなトレイ。そこには大盛りのナポリタン。
 トン……とそれが灯の前に置かれた。
 早速灯がお箸でナポリタンをすすり始めれば、芳ばしい香が辺りに立ちこめる。
 その香りにつられるかのように覗き込んでみれば、赤いパスタの具は野菜クズや安いウィンナーばっかり。安く切り詰められた具材達が、翼作だと言うことを如実に教えていた。
 そして、伶奈の前にはお冷やを置いて、凪歩がひと言付け足した。
「看板娘だからね」
「わっ、私、看板娘とかじゃ……」
「いやいや、土曜日、暇そうに丸椅子に座ってるのを眺めてるのが癒やしだって言ってる人、ちょくちょく居るよ?」
「……そんな事で癒やされないでよ……」
 真顔で返されると思わず、ため息。
 そんな伶奈の頭の上で、また、アルトが茶々を入れた。
「暇そうにしてるから、そう言われるのよ」
「うるさい、アルト!」
「キレてごまかさないの」
 アルトのキレれば返ってきたのは辛らつな言葉。ぷいっ! とそっぽを向けば、通訳してないのに灯と凪歩の私邸は頬を緩めて笑い合う。
 喫茶アルトのフロアの片隅での賑やかなお話は、キッチンから出てきた翼が――
「……なぎぽん、働け」
 ――と冷たく言い放つまで続いた。

 さて、翌日の夕方。今日は週三回の家庭教師の日。他の面々よりも一足先に下校した少女は、地獄の坂をえっちらおっちらと自転車を漕いで登る……のを早々に諦めて、素直に押して登っていた。
 来週からゴールデンウィークという四月半ば過ぎともなれば、日もずいぶんと長くなるし、暖かくもなる。この急坂を自転車で押して上がるのも辛い時期が、そろそろ、始まろうとしていた。
 その予感にうんざりした物を感じていると、後ろから、パンッ! と小さなフォーンの音が鳴った。
「ん?」
 振り向き見れば何処かで見覚えのある真っ赤なオートバイ。
「よう、クソジャリ、今、お帰りか?」
 車体に合わせたようなワインレッドのヘルメット。七色に光る風防を跳ね上げるとそこには顔なじみのお隣さん――ジェリドこと勝岡悠介の顔が合った。
 その顔を見つつ、少女は呟く。
「……女子中学生に声を掛ける変質者……」
「……言うじゃねーか? クソジャリ」
 眉をひそめる青年の顔から視線を下へと動かす。
 革ジャンにジーンズ、大きなオートバイ……首から下だけは格好いい……とか思いながら、少女は言葉を続ける。
「……バイクが可哀相……」
「うっせ、クソジャリ」
 そうは言いつつも、自転車を押している伶奈に合わせるかのように、青年もオートバイを降りると、その大きな車体を一生懸命押し始めた。
 とっとっとっ……と小刻みなアイドリング音を響かせるオートバイ、それを押してる青年の顔を見やりて、少女は言った。
「先に帰れば良いのに……」
「久しぶりにバカの顔を見たから、じっくり見てやろうと思ってんだよ」
「……最近さ、私、学んだんだよね……」
「なにが?」
「私が大騒ぎしたら、ジェリドの人生に深刻なダメージを与えられるんだって事……」
「……お前、タチが悪いぞ……シュンの一件か?」
 にがり顔の天敵がそう言えば、少女はため込んだ溜飲のごくごく一部、利子にも及ばない物が下がっていくのを感じた。そして、その勝利の余韻に、頬を緩めて、彼女は言う。
「うん、聞いた?」
「聞いた。あいつらしいっちゃーあいつらしい」
「ジェリドだったら、知らない人の振りしてやったのに……」
「知らない人の振りって言えば……お前、英明傍の百均の前で、俺が声をかけたら、気づかないで百均の中に入っていったろう?」
「えっ? いつ?」
「俺がバイクを取りに行った日だから、一昨日の三時過ぎか四時前くらいかな? ぞろぞろ、英明の連中が帰ってた時」
 言われて少女は足を止めた。
 バイクを押してる青年も足を止めた。
 そして、彼が尋ねる。
「どうした?」
 その声は聞こえてなかった。
 一昨日、百均……ちなみに一昨日の三時過ぎから四時前、伶奈は部活で一生懸命お針子をしてた。
 考えがまとまるまでわずか数秒……まとめ終えると、彼女はつーっと視線を祐介の方へと向けた。
 きょとーんとヘルメットの中でこっちを見ている、客観的にはそこそこ格好いい青年の間抜け面と目があった。
 そしたら、スーーーーっと大きく息を吸って、下腹部、いわゆる丹田たんでんに力を溜める。今日の奴はフルフェイスの格好いいヘルメットを被ってるから、普段よりも大きな声を出す必要がある。
 溜め終えたら、一気に吐き出す。
「ジェリドのバカ!!!!!!!!!!!!」
 思いっきり言ってやったら、自転車にまたがり、立ちこぎで一気に力を込める。
 この辺りはただでさえきつい坂の中でも特にきつい勾配がきつい辺りだ。ここを乗ってクリアーできたことは一度も無い……が、今日は余裕で漕ぎ上がることが出来た。
 怒りの力というのは斯くも偉大な物である。
 そして、取り残された青年は自転車で登って行く少女の後ろ姿を見やりて、呟いた。
「……人違いだったかなぁ……?」

 なお、少女の怒りの根源が――
「よりによって、一年と間違えやがった!!!!」
 ――であったことに、青年が気づくことはなかった。

 で、後に、その『バイクに乗った変質者に声をかけられた一年生』の身長が百五十五センチだったと聞いて、ちょっぴり、機嫌を直すのであった。
「……安い、安すぎる……」
 って、アルトが呆れてたのは見えてない振りをした。

前の話   書庫   次の話

ご意見ご感想、お待ちしてます。