事案(1)

 二年三組の担任は御影みかげ文子ふみこという三十代後半の女性だ。担当科目には日本史。細身で顔に笑い皺が増え始めてこそ居るが、清楚なお化粧と毎日アイロンを欠かしていないスーツ姿がよく似合う奇麗な女性だ、と言うのが伶奈の第一印象だった。
 瑠依子が後輩への気安さで彩音に語ったところに寄ると『真面目で授業が解りやすいだけが取り柄のつまらない先生』って言うのが、生徒達の評価らしい。
『真面目で授業が解りやすい』って教師には何よりの褒め言葉ではないのだろうか? と、その評価を彩音から伝え聞いたときに伶奈は思った物だが、授業を受けてみると、それが『解りやすいけど真面目すぎてつまらない』だった事に気づいて、ちょっぴり苦笑い。
その点、瑠依子は授業中も冗談を言ったり、なぜか納車された車の自慢話を始めたりと、面白い授業だったなぁ〜なんて事を思い出す。今年の英語の先生は他の人なのがちょっと残念。
 四月の下旬、そろそろ、新しいクラスにも慣れては来たが、同時に目の前に迫るゴールデンウィークに浮き足立った来る時期。
 そんな時期の授業も終わって、帰りのホームルームの時、真面目だけどつまらないと言われている担任教師が壇上で言った。
「昨日、下校中に中等部の一年生が大きなオートバイに乗った男性に声をかけられるという事件があったようです。当校には遠距離通学者も多く、また、学習塾などで帰宅時間も遅くなる人が多いので、登下校時、学習塾帰りの安全には十分な配慮してください。ご両親の送り迎え、防犯ブザーなどが効果的です」
 まじめくさった顔で彼女がそう言えば、教室の中はざわざわとした空気に包まれる。尚、変なの声をかけられた女子生徒はすぐに近くの百円ショップに逃げ込み、事なきを得たらしい。
 そんなお話をされた放課後。東の空はそろそろ薄暗くなってきて、西の空には真っ赤な太陽が春霞のうすらぼんやりとした晴天の空を燃やしていた。
 そんな燃える空の下、四方会四人はハマ屋でたこ判を突いていた。
 四方会に抜けメンバーはいないが、後輩の詩羽は学習塾で部活はお休み、久しぶりに四方会だけのたこ判祭だ。
「そう言えばさ、みくみっくーのケータイは防犯ブザーが付いてる奴だっけ?」
 最初にたこ判を食べ終えた穂香がそう言うと、未だ半分ほど残っていたたこ判を食べる手を止め、美紅がニマッと頬を緩めた。
「それは、前のケータイなのさ!」
 彼女はそう高らかに宣言するとすっくと立ち上がった。
「ありがと」
 そして、待っていた三年生に席を奪われた。
 まだ、食べてるのに。
 堪えきれない笑いを漏らしながらも、冷静を装いて伶奈が尋ねる。
「ぷっ……なっ、何してるの? 美紅」
「……えぐえぐ」
 芝居がかった表情で泣いてみせれば、席を(解ってた上で)分捕った三年生含めて、周辺にいる英明生徒達の間に楽しげな笑い声がわき上がる。
 されど、今日の美紅は負けない。
「いいもん! スマホデビューしたから!」
 そう言って少女は左手にたこ判のビニールタッパーを持ったまま、右手をプリーツスカートのポケットにねじ込んだ。そこから取り出されるのは手帳型ケースに包まれたスマートフォン!
「おぉ〜〜〜!!」
 と、大きな声を上げたのが穂香。
「へぇ……」
 と、小さくも少し感心した風な声を上げたのが伶奈。
「………………美味しい」
 と、一心にたこ判を突き続けてるのが蓮だった。
「……穂香ちゃん以外、反応、薄い……」
「……私はスマホ持ってるし」
「………………蓮はたこ判が美味しいから……」
 美紅が頬を膨らせてみても伶奈と蓮はいまいちノリが悪い。
 一方、穂香は――携帯電話は持っているが親のお古のいわゆるガラケーな穂香は一気にテンションを上げた。
「ねえ! みんなでLINEしてよ! LINE!」
「なんで?」
 答えながら、伶奈はパキン……と割り箸を折ると、空っぽになったビニールタッパーの中に放り込み、席を立った。
 代わりに三年生が腰を下ろすのを横目で見つつ、ゴミはゴミ箱の中。
 そして、妙にテンションを上げてる友人に向けて、少女は言った。
「私、まだ、LINEはやってないよ……」
 クラスメイトも二年になればやってない方が少数派になる程度にはLINEも普及している。
 しかし、四方会ではそうではない。
 穂香と美紅はガラケーとキッズケータイだから論外、蓮もAndroidタブレットこそ持っているが、携帯電話を持ってないので登録が出来ない。
 未だ、四方会においてはLINEは『やるか、やらないか』ではなく『やれるか、やれないか』のお話なのだ。
 で、そう言う状況下では、四方会以外のクラスメイトからLINEに誘われはする物の、一人だけ始めるのはなんか、抜け駆けみたいで嫌だなぁ……って思って、誰からも止められるわけではないのだが、結局、やっていないって言うのが、伶奈の状況だった。
「だから、ここで、みんながLINE始めたら、私が『四方会でハブにされてる!』って親に泣きついて、スマホ、買って貰うから!」
 力説している横で美紅がたこ判を食べ終え、ゴミをポイ。そこから数秒遅れで蓮も終わって立ち上がれば、夕暮れ時のたこ判タイムも一区切り。
 そして、バス停に向かって歩き始めて、伶奈が言う。
「………………それじゃ、私たちが悪者じゃん」
「友のためにあえて汚名を被る……美しい友情だよね!」
 両手を胸の前で組んで、うっとりとした表情……向ける視線の先では遠い山へと帰るカラスがカーカーとのんきに鳴いていた。
 そのカラスから未だにとろけた表情を見せてる穂香を一瞬だけ経由させた後、伶奈の方へと顔を向け、美紅は言った。
「……本当にLINEか何か始めて、穂香ちゃん、ハブろうか……」
「……蓮、スカイプなら、出来る……」
 どうも母方の親戚としているらしい。
「じゃあ、それで」
 蓮と伶奈も首を縦に振ってしまえば、いつまでもとろけた顔でいられないのが穂香だ。
「ちょっと!? じゃぁ! じゃあ、こうしよう! みんなでスカイプやりたいから、穂香ちゃんもがんばって買って貰おうって、言ってくれたって話に!」
「さっきよりかはマシだけど、やっぱり、悪者じゃんか……」
 伶奈はそう言ってはみた物の、心の何処かで『それくらいなら良いかな?』とも思ってた。
 現状、伶奈達四方会は連絡を良夜が立ち上げてくれた無料のメーリングリストで執り行っている。時々栄養サプリや健康食品のCMメールが来るのはうざいし、良夜に『無料だからプライバシーは期待しないで。内容は全部、誰かに読まれてると思った方が良い』なんて言われてるような代物だ。それなら、他の友達もやってるSNSみたいな物を使えれば便利だと思う。
 何より、こんな物で連絡を取り合ってる中学生グループなんて、絶対に他には存在しない! と、思う。
 それが解消されるなら、少しくらいの悪者も良いのでは……?
 そう思っていたのだが、美紅の考えはちょっと違うようだ。
「私たち、ちょくちょく、穂香ちゃんちでたまってんだから、家族に睨まれて居心地悪くしないでよ」
 美紅が真顔でそう言うと、伶奈もぽん! 心の中で膝を叩く。
「確かに……ゴールデンウィークにも泊まりに行くし……それを考えると、余り睨まれたくないよねぇ……」
「うう……みんなひどい。しょうがない、こうなったら、必殺の『北原さんと西部さんも持ってる』攻撃しか……」
 ため息一つの穂香が言えば、蓮がぽつり……と小さな声で尋ねた。
「……何回、殺したの?」
「『よそはよそ!』のカウンターパンチで大概、討ち死に」
「……ダメじゃん」
 もうしばらくはあのメーリングリストかぁ……と人知れずがっかりしてる伶奈を尻目にすでに穂香の興味が別の話題へと飛んだ。
「今度こそは! ところでさ、前のケータイは?」
「契約は切って使えなくなってるけど、防犯ブザー部分は使えるから、ポケットに入れて持ち歩いてるよ、お守り代わり」
 そう言って、美紅は左手に鞄を握り直すと、プリーツスカートのポケットに手を突っ込んだ。先ほどと同じポケット。どうやら、スマホと一緒に入れているようだ。
 そして、携帯電話として考えれば小さいが、防犯ブザーとして考えるとずいぶん大きな二つ折りのキッズケータイを美紅はとりだした。
「安いからそのうち、新しいのを買うと思うけどね。五−六百円の物だし」
 美紅が軽く肩をすくめてそう言う頃、少女達の一段は普段通り、のんびりとした足取りでバス停の前へとたどり着いた。
 バスが来るまであと十分ほどか? それまで、流れで雑談をやってるのが伶奈達の日常だ。
「ねえねえ、一回、鳴らしてみようよ」
 穂香がひと言そう言うと、美紅がひと言だけで答えた。
「バカなの?」
「いたっ!? 今のは痛かったよ!? なんて言うか、言葉のナタで袈裟斬りにされた気分!」
 胸を押さえて苦しむ少女を三人の少女達は一瞥。しかる後にコクリ……と頷き合ったら、きっぱりと言った。
「「「バカなの?」」」
「イジメ……いくない」
「こんな所で鳴らしたら大騒ぎになるに決まってんじゃん。今度、穂香ちゃんちで鳴らしてあげるよ」
 ぼろカスに言われた穂香がうつむくも、美紅が笑い顔で言えばパッとその表情は華やいだ。
「わぁい」
 喜ぶ穂香と美紅に伶奈が苦笑い。
「……結局、鳴らすんだね……」
「契約入ってるときに鳴らすと、お母さんの所にメールが飛ぶ仕組みだから、下手に鳴らせなくて……まだ、鳴ってるところ、聞いたことがないんだよね」
 そう言って、美紅も苦笑い。軽く肩をすくめて、手にしていた防犯ブザー……もとい、キッズケータイをポケットに押し込もうとした時だった。
 ぱんっ!
 と、短く響くフォーンの音。
 それに釣られるように首を巡らせば、大きなオートバイ。黒い車体に銀色の排気パイプがアクセントになってて格好いい。なんて言うか、アメリカの映画にちょくちょく出てくるような大きくてがっしりした奴だと伶奈は思った。
 それは、いわゆるアメリカンってタイプなのだが、伶奈にはそこまでの知識はない。
 それにまたがっているのは黒い革ジャンに表面に黒革を貼ったヘルメットに、やっぱり、黒革バリのゴーグル。
 どっどっどっ……野太い排気音が下っ腹に心地よく響く。
(どこかで会った人かな? 二四研とか……)
 なんて、ぼんやりのんきに構えていたのは、アルトで二四研の部員と親しくしている伶奈だけだった。
 他の面々は即座に『大きなバイクに乗った不審者』の言葉を思い出して身を固くしていたらしい。しかも、全身黒革ずくめの男ってのは見慣れてないと結構怖い……と感じるようだ。
 伶奈はアルトでちょくちょく見てるから、余り、ピンとこないのだけど……
「おーい、伶奈ちゃ――」
 何処かで聞き覚えのある声がそう言った、その刹那! すでに一杯一杯だった少女達の緊張感が弾けた。
 びーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!
 美紅が握りしめていた防犯ベルがけたたましい音で鳴り響く。
 現在、それを握りしめているのは、持ち主の美紅ではなく、それを分捕った穂香だ。
 そして、いつの間にか蓮は他の三人よりも一歩前に踏み出し、両手両足を大きく広げて、仁王立ち。されど、怖かったのだろうか? その目頭には涙が浮かび、手は震え、膝は笑っていた。
 一方、ぽかーんとしている伶奈の腕にしがみつき、悲鳴を上げたのが美紅だった。
「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」
「待って! 待って! 待って待って待って待って待って!!!!!! 俺! 俺!! みんな、会ったことあるだろう!?」
 そう言ってゴーグルを持ち上げ、ヘルメットを脱げば、そこに現れたのは彫りの深い、日本人離れしたイケメンさん。真鍋俊一が半泣きで一生懸命声を上げていた。
「急に声かけるから……みんな、びっくりしたみたい」
 最初に驚愕から立ち直った伶奈が苦笑い気味にそう言う。
 その声が合図になったかのように、顔色をなくしていた伶奈以外三人が安堵の吐息を漏らした。
「「「はぁ……」」」
 右腕にしがみついていた美紅もそこから離れ、気が抜けたのと同時に腰まで抜かした蓮がぺたん……とアスファルトの上に座り込み、そして……
 びーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!
「あっ、アレ……どうやって止めるの? アレ? えっと……アレ……いや……わっ、ヤバっ……!!!」
 自身が鳴らした防犯ブザーを止められない穂香が伶奈の後方、バス停の標識に隠れて、あたふたしていた。
「急に声をかけた俺も悪かったけど、マジ、早く止めて……視線が痛い!」
 男泣きしている俊一が言うとおり、すでに辺りはちょっとした人だかり。ぼそぼそと耳打ちし合う学生達、信号で止まるついでにこちらをジーッと見ているドライバーなんかもいる。
 小市民を自称している伶奈にもちょっと辛い状況だ。
 びーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!
 されど、防犯ベルはいっこうに止まらない。
「わっ、解ってる、解ってるけど……ちょっ!? 美紅チ! どうやって止めんの!?」
 びーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!
「その抜いたコードを突っ込むんだよ!! あと、今、美紅チって呼んだ!」
 びーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!
「気のせいだよ! いいから、早く、入れてよ!!」
 びーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!
「あっ、アレ……はっ、入んない……」
 びーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!
 バス停で揉めてる少女達を尻目にバスは走り去り、代わりに……
 ピーポーピーポー……
 赤色灯を回す車が遠くからこちらへとやってくるのが見えた。
 それを見やりて、伶奈がぽつりと呟いた。
「……いよいよ、警察沙汰だね……真鍋さん……」
「……俺、そこまで悪いことをしたのか……?」
 そして、俊一は頭を抱え込んだ。

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