成長、そして、後輩(完)

 さて、一日の授業が終わり、部活も終わった。
 マネキン代わりだったリカちゃん人形『アルトジュニア(通称ジュニア)』や型紙、蓮が描いてくれたデザイン画なんかも片付けて、帰る準備に余念が無い。
 そんな中、作りかけのパズルをロッカーの中に片付け終えた穂香が口を開いた。
「今日は『抜け』、居ないんだっけ?」
 ここで言う『抜け』とは急いで帰らなきゃいけないメンツのことだ。
 伶奈も週に三日の家庭教師があるし、穂香や一人だけソフトボール部の美紅にも学習塾があるし、勉強はしてないわりに成績だけは人一倍良い蓮すら週に一回ずつ、お茶とお華を習いに行っている。
 こういう事情で先に帰っちゃう子のことを四方会では『抜け』と呼ぶ。
 そんな中での全員集合の日はとっても貴重だ。
 伶奈の計算では週に一回か二回くらいのはずだ。
「って訳で、こう言う日はたこ判だよ、たこ判」
 楽しそうに提案したのは四方会言い出しっぺ役の穂香だ。
 たこ判を食べるためにアルトでのアルバイトを始めた伶奈に否があるはずもないし、穂香が言いだして伶奈が「うん」と言えば蓮は自動的に付いてくることになる。後は美紅だが、部活終了直後の彼女は基本的に腹ぺこなので誘って付いてこなかったことは、この一年の間、一回もない。
 それから三名のドール組上級生は不参加。これは彼女らがつねにギリギリの生活をしているが故。カスタムドールの材料やドール本体を買うために無駄遣いが出来ない彼女らが付いてくることは滅多にない。
 そして、最後の一人が、本日、ドール組の仲間に入った本浦詩羽さん。
「あの……たこばんって、なんですか?」
 きょとーんとした顔で尋ねる長身の後輩に伶奈は少しだけ頬を緩めて答えた。
「大きなたこ焼きみたいな物だよ」
「伶奈チ! 伶奈チは解ってない! たこ判はたこ判であって、他の何物でも無いんだよ!? 一年もたこ判を食べ続けてた癖に、未だにそんな認識だったの!?」
 びしっ! と伶奈の方に右人差し指で作った指でっぽを向けて、穂香は高らかに宣言を下した。
 その指先をぴんっ! とデコピンで弾くと伶奈は静かに言う。
「……じゃあ、たこ判は何か、おねーちゃんに説明してみなよ……穂香が……」
「えっ? あっ、うーん……」
 伶奈の言葉に顎に手を当て、真顔で考え込むこと数秒。
 やおら、彼女は呟くように言った。
「……小さなお好み焼き……IN、タコ」
 一同、「大きなたこ焼きと変わらないじゃないか……?」と思ったことは言うまでもないことだ。

「買い食いって良いのかなぁ……?」
 慣れない詩羽は少々おっかなびっくりではあるが、そのやりとりを聞いてた瑠依子が――
「もう少ししたら新年度の身体測定だって事、忘れないよーに」
 ――なんて事をぼそっと聞こえよがしに言うだけ言って、消えていったことに安心したのか、素直に彼女も付いてきた。
「英明の生徒が買い食い止めたら、ハマ屋、潰れちゃうからね〜」
「文房具も売ってるから大丈夫だよ」
「いやぁ〜最近は百均で買って来ちゃう子も多いからねぇ〜やっぱり、たこ判が主力商品だよ、あそこ」
「ああ……近くにあるもんね、百均」
 軽い言葉で穂香と伶奈が喋っているのは部活上がりの学生達が下校し始めている校門の横。
 西の空には大きな夕日。足下には長くくっきりとした影。
 明日も良い天気が保証されたような夕焼け空だ。
 部活が終わるのはほぼ同時くらいだが、その後に着替えをしなきゃいけない分だけ、運動部の美紅が遅れるのが定番だ。その遅れる美紅をここで待つのが四方会の不文律になっていた。
「おまたせ〜!!」
 大きな声を上げながら駆け寄ってくる美紅に伶奈達もひらひらと手を振り、彼女を迎え入れる。
「遅い!」
 そう言ってる穂香の顔は満面の笑み、そして、右手を挙げればぱんっ! と大きな破裂音が大勢の女生徒と少数の男子生徒でごった返す放課後の校門に響き渡った。
「お疲れ様、美紅」
「……ご苦労様……きたちゃん」
 それから、伶奈と蓮が一言ずつ、美紅をねぎらい、穂香同様にハイタッチ。
 パンパンと、二つの破裂音が気持ちよく響く。
 そして、肩を並べて歩き出せば、美紅が言った。
「ねえねえ、その背の高い子……誰?」
「あっ! 私、本浦詩羽って言います。手芸部に入りました」
「ドール組の一年、伶奈チの後輩だよ」
 詩羽がぺこりと頭を下げると、穂香がそれに補足説明。
「ふぅん……」
 と、少し、考えるようなそぶりをして見せたら、美紅は伶奈の手をギュッと握って、言った。
「いくら出したら、この子をソフトボール部に売ってくれるの?」
「「ふえっ!?」」
 間抜けな声を上げたのは買われようとしている詩羽と、売買を持ちかけられた伶奈だ。
「だって、この身長だよ?! 運動部に入らないのは日本女子運動会への冒涜だよ!? ほら、あそこでバレー部とバスケ部がこっちをちらちら見てる!!」
 美紅の言葉に辺りを見渡してみる。
 確かに平均身長高めなれど、詩羽よりかは背の低い女子生徒達がちらちらとこちらを伺い見ている気配を存分に感じることが出来た。
 それはバレー部やバスケ部だけではない雰囲気だ。
「大丈夫! 蓮ちゃんみたいに五十メートル走を十秒かけて走っただけでも、筋肉痛になるとか、移動教室で階段を上っただけでこむら返りを起こすとか、そう言う特異体質でも、ちゃんと鍛えてあげるから!」
「……登校だけで疲労困憊、とか……」
 どうでも良いところで蓮がどうでもいい合いの手を入れるも、それはほぼ全員の総意によって、無視された。ちょっと不服そう……って表情も余り顧みられることはなかった。
 世の中の注目はこちら側。
「あっ、いや、あの、そのっ……おっ、おねーちゃんは……」
「えっと……でっ、でも、手芸部の大事な後輩だし……」
 力説してくる美紅相手に一年生の詩羽はもちろん、ぎゅーっと手を強く握りしめられている伶奈もたじたじ。ぼそぼそと控えめな口調で反論するも、美紅は一気にたたみかける。
「五千円までなら、部費で出すから!」
「えっ? まじで!?」
 思わず、伶奈が素っ頓狂な声を上げた。
「……伶奈チ、顔色、変えんな……」
 ぽつりと呟かれる穂香の言葉に、伶奈はかーっと顔を赤くする。されど、やっぱり、五千円という金額は安くない。
「だって、五千円だよ!? アルバイト一日分だと思うと……」
「西部先輩、おねーちゃんを売らないで……」
 伶奈のシビアな計算に詩羽が顔色を変える。さすがにまずいことを言ったと伶奈の顔がますます赤くなる。
 一方の美紅はヒートアップする一方だ。
「でもね、でもね、みんな考えて! 誰かの足を速くするとか、持久力を付けるとか、がんばれば出来るの。でもね、百四十しかない子を百五十とか六十にするのは――」
「百六十五だよ」
 力説している美紅に穂香がぽつりと訂正の言葉を差し入れれば、美紅のボルテージは一気に急上昇。痛いほどに伶奈の手を握りしめたかと思うと、視線だけをひときわ高い詩羽の方へと向けて、言葉を続けた。
「百六十五! 女子一年でその身長は、もう、それだけで才能なの! ソフトがいやだったら、バレーでもバスケでも! 絶対にやった方が良いって!」
 一息に美紅がまくし立てると、周りで様子を見ていた他の運動部の連中までもがうんうんと『我が意を得たり』とでも言わんばかりに首を縦に振っている。
 その一種異様な雰囲気に恐れをなしたのか、身長差実に十五センチの伶奈の背後へと詩羽は隠れる。もちろん、頭半分ほど大きいんだから、隠れてる意味なんて全くないのだが……
 そして、彼女はぼそぼそ……っと小さな声で言った。
「おっ、おねーちゃん……身体が……」
 しかし、美紅は引き下がらない。
 ずいっと一歩進んで彼女は大きな声を上げた。
「弱いの!? 運動してたら、身体も丈夫になるよ!」
 背後には後輩、正面には友人。挟まれる形になってる伶奈は好い迷惑。何が腹が立つって、奴ら二人の声が頭の上を行ったり来たりしているところだ。
 そして、ついに詩羽がキレた。
「じゃなくて! 腎臓壊して、運動制限かけられてるの!!!」
「あっ……」
 彼女が大声を上げると、詰め寄っていた美紅が天を仰ぎ見、バレー部とバスケ部は互いの肩をたたき合う。そして、一様に小さくもはっきりとしたため息を吐いたかと思うと、彼女腹三々五々にその場を後にしていった。
 取り残されるのは、四方会のメンバーとしてその場に残らざるを得ない美紅、一人だけ。
「ごっ、ごめん……」
 真っ赤な顔でぺこり……深々と美紅は頭を下げた。
「いえ、気にしないで下さい。誘ってくれたのは嬉しかったので……」
「そう言ってくれると……救われるよ、本当、ごめんね」
 気恥ずかしそうにうつむく美紅に、詩羽は頬を緩めてみせる。
「じゃあ、もしかして、食事制限なんかも?」
 尋ねたのは伶奈だ。この手の話は看護師をしている母からちょくちょく聞いてる話。味気ない病人食を食べたくなかったら、好き嫌いはするな……とは子供の頃から繰り返し言われたセリフだったりする……のだが、冷静に考えて、好き嫌いしてようがしてまいが、身体が壊れるときは壊れる物だろうって事に最近気づいた。
 そのことを思い出しながら尋ねると、詩羽はぺこっと軽く首肯した。
「塩分の制限があります……だから、お昼もお弁当持参で……」
「たこ判、大丈夫?」
 今度は穂香が尋ねると、コクンっと首肯して、詩羽は答えた。
「お好み焼きかたこ焼きみたいなものなら、ソースさえかけなかったら……」
 少し寂しそうな苦笑い。
 食べたい物を食べられないのは辛いんだろうなぁ……なんて思いながら、友人や新しい後輩と一緒にハマ屋へと伶奈は足を向けた。
「小学校の四年生からだから、いい加減、薄味にも慣れちゃって……」
 そう言ってソースなし、マヨネーズだけホンのちょっとぴりなプレーンたこ判を突っつく詩羽は幸せそう。誘ったかいがあるというものだ。
 そんな詩羽を中心に四方会の四人はベンチにそれぞれ座って、自分のたこ判を突っついていた。
 尚、ベンチに座れるのはギリギリ四人、立たされ坊主は無駄にテンションを上げて赤っ恥をかかせた美紅だ。
 詩羽は別にかまわないとは言っているが、一番の被害者を立たせるわけにも行かない。かと言って、他の面々も立食いはいやなので、立つのは美紅しか居ない。
「くぅ……今日は走り込みがきつかったのに……」
 そんな事をぼやきながらも、たこ判二つをペロッと食べちゃう辺り、彼女もなかなかの代物。
 そんな感じの放課後のひとときが終われば、後は帰宅。
 穂香と蓮とはバス停でお別れ、今日は運動禁止の後輩もいるしって事で少し早めにバス停を出て、のんびりと歩いて駅に到着。駅員の居ない構内を抜けたら、プラットフォームへ……
 そして、ふと、伶奈は気づいた。
「……おねーちゃん、どこまで付いてきてるの?」
「えっと……私も下りの電車で帰るから……」
「えっ? どこまで?」
 と、話を聞いてみれば、伶奈が降りる駅の一つ手前の駅で彼女も降りるのだという。凄い偶然……と言えば凄い偶然だが、その辺りは二十年ほど前に出来た住宅地がある辺りで、駅その物が分譲地と一緒に作られた物だそうだ。おかげでアルトの傍に比べればずいぶん人も沢山住んでるし、お店なんかもあって、賑やかな地域だそうだ。
「じゃあ、今度、伶奈ちゃんちに遊びに行くときは本浦さんも来たら? 伶奈ちゃんチって喫茶店なんだよ。知ってる? アルトってお店」
 嬉しそうに教えているのは、一人、上り電車で帰る美紅の方。
「あっ、一回だけ行きましたよ。シナモンロールとコーヒーのセット、美味しかったです」
「何曜日? 土曜日だったら、伶奈ちゃんも働いてるんだよ」
 やっぱり楽しそうに美紅が言うと、詩羽は少し小首をかしげながら、考える。
「日曜日だと……二年くらい前だと思うけど……」
 考え込んだままのうすらぼんやりとした口調で答えると、伶奈は少し頬を緩めて応えた。
「それじゃ、何曜日でもこっちにいないよ。去年の春だもん」
「そうなんだぁ〜じゃあ、また、行ってみたい……」
「うん。いつでも……でも、土曜日は恥ずかしいから……」
「あはは、はい」
 美紅と伶奈が話に夢中になっていたところで、遠くで遮断機の音がカンカンカン……と高い空に鳴り響く。
「――と、話がまとまったところで、電車が来ちゃったね。それじゃ、また明日。本浦さん、今日はごめんね。良かったら、また、一緒にたこ判、食べようね」
 最後の別れ際に美紅が少し早口気味にそう言うと、詩羽も慌てて口を開く。
「はい。それじゃ、またです。あっ……お名前……」
「ああ、ごめん、北原美紅だよ。それじゃ〜!」
 大きく手を振り、美紅は一人、上り電車へ……そして、伶奈と詩羽の二人は下りの電車。
 混み始めてこそ居るがまだまだ客の少ない。立ってる客も居るが、場所さえ選ばなければ、座るところはいくらでもあった。
 そんな中、二人はロングシートの一角に腰を据えた。
「英明に来て……良かったなぁ……」
 窓の外をぼんやりと見ながら、詩羽は呟く。
 外はそろそろあかね色の夕焼け時。
 群青色の屋根の上には種類はよく解らないけど、何処かへと飛んでいく鳥の群。
 それを見ながら、伶奈は少し冗談めかした口調で言うのだった。
「よろしくね、おねーちゃん」
「もう……おねーちゃんの方が後輩なのに」
 そう言って頬を膨らませ、そっぽを向くの姿は、やっぱり、先月まで小学生だった後輩らしくて、少し可愛く思った。
 と、言うわけで、伶奈の英明学園中等部二年生の生活が本格的に始まった。
 

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