成長、そして、後輩(3)

 改めて本浦詩羽と名乗った少女の顔を見上げてみる。
 少しぽっちゃりとした丸顔、ほっぺが少し朱色に染まっているのが初対面の“先輩”に声をかけてる緊張感からだろう。少し不安そうに揺れる瞳は真ん丸で大きくてちょっと奇麗。広いおでこも自分のはコンプレックスだが他人のは可愛く思えるのはどうしてだろうか? そして、ふんわりと内跳ねしているショートヘアー……首から上を見れば確実に中学生だ。それこそ、小学生にだって見える。
 しかし、その顔が乗ってる身体、華奢ではあるが長くスラッと伸びた手足、成長過程の胸元は、まだまだ寂しい限りではあるが、一年でこの身長があるのなら、将来は有望なのではないのか? と、血筋的に御先真っ暗が確定気味な伶奈なんてのは思うくらい。
「ちょっと失礼するね?」
 そう言ったのは穂香だった。彼女はすっと立ち上がると、机の上に置き去りになっていた布製のメジャーを手に取った。そして、つかつかと新入生の元へと足を向けたかと思えば、するする……っと足下から頭の天辺へ――
「あっ、背筋伸ばして」
「あっ、いや……あの……おね――私……ちょっと、困り……」
 顔を真っ赤にしながらも素直に背を伸ばしてしまう。根は素直なのだろうと思えば、ちょっと好感を覚えた。
 それと同時に……
「わっ!? 百六十五!? みくみっくーですら、まだ、百六十の大台には乗ってないのに!?」
 本当に計ってしまう少女となんで友人やってんだろう? と伶奈は思った。
 伶奈があっけにとられている時、いつの間にやら穂香の背後へと回っていた蓮がパンッ!!! と気持ちよく響く音で穂香の頭を叩いた。
 その音の気持ちよさと言えば、プラモ組や服飾組の少女達の手が止まり顔が上がったばかりか、何をしているのかはよく解らないが、事務仕事らしき物をしていた顧問の瑠依子までもが顔を上げるほど。
「南風野〜人の頭を叩くときはもうちょっと遠慮しろ〜」
 なんて、気楽に言うあたり、この教師もろくなもんじゃない。
 そんな教師の声を聞いてるのか、聞いてないのか……蓮は振り向く穂香に向けて、ひと言、きつめの口調で言った。
「めっ!」
 強めの声が響く。
 伶奈の方からだと蓮の表情は見えない。
 しかし――
「あっ……いや……あの……その……」
 穂香がしどろもどろになってるのだから、結構きつい表情をしているのだろう。
 もう一回、伶奈の背を向けたまま、蓮が言った。
「めっ!」
「かっ、顔、怖いって……でもさ、みんなだって、正確な身長を知り――痛いって!」
 言い訳をする穂香の額に蓮の平手がペチーン! これまた、心地よい音が家庭科実習室に響き渡る。
「めっ!」
「わっ、解った! 私が悪かった! ごめん!」
「あっち!」
 鋭い声と共に蓮の右人差し指が穂香の背後、ほとんど放置される形になっている詩羽の顔をぴたりと捉える。
 その詩羽本人はと言えば、いきなり身長は測られるわ、目の前で先輩同士が言い争いというか一方的に攻められ始めるわと、入学早々、小学生時代にはなかったであろうイベントにあっけにとられている模様。ぽかーんと可愛らしい唇を半開きにしたまま、二人の様子を眺めていた。
 そんな詩羽に向かって、穂香がぺこり、割と深めに頭を下げた。
 そして、顔を上げると、彼女は言った。
「いや、ごめんね? ちょっと、好奇心が止められなくて……」
「あっ……いえ……背が高いのはよく言われるから……」
 穂香がバツが悪そうに頭を掻くと、詩羽は詩羽で恥ずかしそうにぺこりと頭を下げた。
 そして、蓮は満足したのか、トコトコと伶奈の隣、自分の指定席に戻ってきたら、ちょこんと腰を下ろして、フェイスマッサージを始めた。まなじりの辺りを念入りに……コンタクトを付けてるせいか、まぶたは直接押さえないようにしているようだ。
 その蓮の横顔を見て、伶奈は言う。
「……お疲れ様」
「……ありがと」
 そう言いながら、まなじりの付近を軽くマッサージしてるのを見やり、伶奈は軽く肩をすくめた。
 そして、逆隣に穂香が腰を下ろせば、伶奈はひと言だけ言った。
「……やりすぎ」
「今となっては、後悔してます、はい」
 ちょっぴり苦笑い気味で穂香はそう言うが、その軽めの口調は懲りてないというか、同じシチュエーションになったら、同じことをしそうというか……
 そんなやりとりの向かいで、予定通り席を立つ女が一人。
「まあ、とりあえず、座ろうよ? ほら、ここ」
 もちろん、ドール組仕切り屋和夏子だ。
 この時、予定では伶奈も席を立ち、椅子を二つ持って包囲網を完成させる手はずであった。
 が――
「絶対に懲りてないよね……穂香……」
 頬杖を突いて穂香を見やれば、彼女は満面の笑みを浮かべて、伶奈に言葉を返した。
「やんない、やんない。そのうち、伶奈チの所のポニテメガネのウェイトレスさんの身長も測りたいとか、全然、思ってない」
 軽くため息を一つ。ジト目で友人を見やり、伶奈は言葉を刻む。
「……もう、呼ばないよ? 本当。蓮と美紅だけにするよ?」
「四方会、血の掟、ハブ禁止!」
 しゅぴっ! と右手を突き上げ、高らかに穂香が宣言を下す。
 その表情は凄く嬉しそう。ノリの良い彼女らしい反応だ。
 その穂香がテーブルの上に置いたままの左手を、伶奈の手元を通過した蓮の左手ががっしっ! とつかんだ。
 そして、ひと言だけ、蓮が言う。
「……カプッ」
 その捕まれた左手と掴んでる左手、それから蓮のぼんやりした顔とを数回見比べて、穂香は軽く小首をかしげた。
「……蓮チ、何してるの?」
 そして、蓮はぼんやりとした口調で答える。
「沖縄に居る奴」
「ああ……蛇のハブね、噛まれると死ぬ奴」
 伶奈がそう言って、ようやく、穂香も理解したらしい。
「ああ! そういうことか!」
 と、こんなやりとりをしているうちにすっぱりと忘れていた。
 そして、飛んでくる怒鳴り声。
「西部さん! 椅子!!」
「うわっ!? はっ、はい!」
 丸椅子の上から転がり落ちる勢いで立ち上がると、伶奈はその椅子を持って対面側へ。
「もう一個、持ってきて……って言ったんだけど……」
「良いよ、良いよ。隣の机から別の椅子を持って来て、元のところに座ってれば良いから」
 呆れ顔で立ってる和夏子に対して、座ったままの希花は苦笑い。
「もう……包囲網が完成しないじゃん……」
 ぶつくさ言いながらも、納得したのか、椅子を詩羽の背後にコトンと置いて、和夏子は腰を下ろした。
 それを横目に、希花に言われたとおり、伶奈は無人のテーブルから丸椅子を一つ拾い上げた。
 それを元々座っていた穂香と蓮の間に置いたら、そこに腰を落ち着け直した。
 そして、隣の穂香の顔をちらり。
「……穂香のせいだよ……」
「むしろ、蓮チのせいじゃ……?」
「渾身のネタだったのに……」
 ぼそぼそごにょごにょ……伶奈、穂香、そして、蓮の三名は額をひっつけ合って、先ほどの総括を行った。
 されど、その興味もすぐに新入生へと引き寄せられてしまう。特に三人にとってはこれが初めての後輩らしい後輩なのだから、当然と言えば当然。
「手芸部の説明の所に『カスタムドール』って言うのがあって、それで従姉妹の大学生がやってるのを思いだして……」
「じゃあ、触ったことはあるの?」
 穂香がずけずけと聞くと、詩羽は少しだけ苦笑い気味の笑みを穂香へと向けて答えた。
「ああ……ないです。触らせてくれなくて」
 そして、先輩二人が同時に言った。
「まあ、当然よね」
「わっ、ケチクサ」
 前者が和夏子で後者が希花。
 ほぼ同時に言葉を発したかと思うと、ほぼ同時に互いの方へと顔を向けた。
「「…………」」
「その二人はしょっちゅう喧嘩してるから、風物詩だと思ってスルーして。じゃあ、まだ、持ってないんだ? いきなり買っちゃっても良いけど、カスタムドールは中学生のお小遣いだと結構きついんだよね。完成品だと一人一万円なんて珍しくないし」
 喧嘩をし始めた高等部一年二人組をほったらかしに、中三凉帆が説明を続ける。
 その凉帆の大人びた優しい口調に気を許せたのか、詩羽は少し肩の力と頬を緩めて応えた。
「お小遣いはあまりないけど……お年玉がまだ残ってるから……買ってみようかなぁ……?」
 その言葉に、無言のままでにらみ合っていた高一二人がほぼ同時に声を上げた。
「無理して買っちゃいなよ、一人お迎えしたら絶対に続けられるし」
「無理して買う必要ないよ、続くかどうか解らないんだし」
 前者が和夏子で後者が希花。
 ほぼ同時に言葉を発したかと思うと、ほぼ同時に互いの方へと顔を向けた。
「「…………」」
 そして、二人は無言のままで互いのネクタイをギュッと掴んだ。
 その不穏な空気に再び、詩羽の顔色が曇り、不安そうに辺りをきょろきょろし始める。
 ――も、慣れてる凉帆は淡々と言葉を続けるだけ。
「本当、あの二人の喧嘩は無視して良いから。買うなら相談に乗るよ。まあ、何か一つでも無いと話が始まらないけど、最初はリカちゃんやバービーでも良いと思うんだよね、手頃だし、可愛いし、ほら、あそこにちょっと不格好なズボンとTシャツ着てる子がいるでしょ? あれ、西部さんのジュニアちゃん」
 いきなり話を振られて、思わず、目をパチクリ。後輩の視線が不格好なズボンとTシャツに向けられていることを知れば、少女は慌てて、その人形をひっ捕まえて、背後へと隠した。
「こっ、これ……始めて作った奴で不格好だから……余り、見ないで……」
 顔を真っ赤にしてクシュン……とうつむく。
 その先輩に対して、後輩が優しい口調で声をかけた。
「ううん、おねー……――あっ、いや、私もきっと最初は変になっちゃうだろうし……」
「私も、三学期から始めたばっかりだから……」
「そうなんだぁ〜じゃあ、一緒に、上達できると良いね」
「そうだね」
 詩羽と伶奈との間で言葉が行ったり来たり。
 そこにするりと滑り込む一つの言葉。
 それを発したのは穂香だった。
「おねーちゃん!」
 少し大きめの声、それに打てば響くタイミングで詩羽が応える。
「なに? 呼んだ?」
 シーン……と静まりかえるドール組のテーブル。
 それは今にもつかみ合いの喧嘩を始めんばかりに威嚇し合っていた和夏子と希花すら止めた。
 そして、詩羽がぽつりと呟いた。
「…………あっ」
 更に数秒の沈黙……その後に詩羽が言った。
「だっ、だって……うち、妹が二人居て……その妹が…………」
 そこまで言うとちらり……と、未だに互いのネクタイをつかみ合ったまま、ぽかーんとした表情で固まっている二人の高校生を一瞥。
 すぐに視線を逸らして、彼女は言った。
「………………良くとっくみあいの喧嘩してて……先輩達のこと、見てたら……家に居るような気分に……」
 そこまで言うと詩羽は再び二人の方へと向いて、気恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら、ぼそぼそ……っと非常に小さな声で言った。
「……あっ、あの、余りやりすぎては……ダメだよ?」
 ぱっ! と離れる和夏子と希花の手。
「「あははははは……」」
 二人のドール組最年長は笑ってごまかすしかなく、そして……――
「おねーちゃん」
 ドール組最年少新一年生、伶奈に出来た最初の後輩は、そのあだ名が『おねーちゃん』になった。

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