さて、翌日。朝一番……と言っても、もう、九時。そんな時間に伶奈は穂香と蓮と共に喫茶アルトの前の国道、その路肩、その縁石に座り込んでいた。
いつものオーバーオールであることを良い事に体育座りをしている伶奈の隣では、同じくキュロットスカートであることを良い事に、あぐらを組んだ穂香が座っている。そして、逆隣では少し短めのスカートを履いた蓮が体育座り。膝の下で組んだ腕がスカートを押さえているが、そのガードが崩れることも多々。その度に、見せてはならない白い布を車道に晒して、慌てていた。
三人とも一様に眠そうな顔。
蓮に至っては、目がしょぼつくとかで普段はコンタクトなのに、今朝はメガネだ。そのメガネの内側に指をねじ込んでは、しきりに目をこすっていた。
そして、伶奈の頭の上には足を投げ出して座ってる妖精さんの姿。更にその上は青空なれど、春霞か黄砂かその両方で、うすらぼんやりと霞んだ眠そうな空が広がっていた。
その眠そうな空、対岸の山に植えられた桜の花びらが風に乗って、少女達の頭上をゆっくりと流れていることに、少女達は、まだ、気づいてはいない。
このうららかな春の空の下、四方会のメンバーの一人、美紅の姿はない。
「…………みくみっくーも良くやるよねぇ……」
穂香がぼんやりとした口調で呟いた。
「…………スポーツは身体に悪い」
普段よりもぼんやり度二割り増しで蓮が呟いた。
「……蓮は少しやった方が良いよ……そのうち、生きてるだけで筋肉痛になるよ?」
蓮の横顔を見やり伶奈も呟く。
そんな少女達を伶奈の頭の上からぐるりと一瞥し、アルトはすっくと立ち上がった。
「貴女達ね……良い若い者が朝っぱらから景気の悪い声出してないで、ちょっとはやる気という物を見せなさい! やる気という物を!!」
と、彼女は大きめの声で発破を掛けた。
しかし、少女達の反応はいまいち良くない。
伶奈達三人、どいつもこいつも、一様にやる気が無いのは、昨夜、なぜかセミダブルのベッドで四人寝るという暴挙に出たからだ。
なんでこんなことをしちゃったのか? そんな事、伶奈はもちろん、他の誰にも解りゃしない。『
挙げ句、ズボンがパンツごと半分脱がされてお尻丸出しの美紅はもとより、他の面々も寝苦しさに暴れてるうちにパジャマが着崩れてぐちゃぐちゃ。そのパジャマを整えたり、恥ずかしがってたりするうちに、二度寝の出来ない程度に目が覚めた。
しかし、しゃんとするには、根本的に睡眠が足りてない。
完全なる、寝不足。
やる気が無いのも仕方が無い。
――って、言い訳は伶奈の頭の上、一人、いつの間にか部屋から逃げ出して、フロアでぐーぐー爆睡を決め込んでた妖精さんには、通じない。
「眠いのは美紅だって同じでしょ!? それが日課だからって、ジョギングに出てるのよ!? 貴女達もちょっとはしゃんとなさい! 朝っぱらからしけた顔としけた声出してないで!!」
また、アルトが無駄に大きな声を出した。
アルトの言うとおり、美紅は三十分ほど前からジョギングに出て行き、帰ってきてない。
「日課だし、ちょっと走ってくるね。ああ、みんなは先にご飯、食べてて良いし、二度寝してても良いよ」
なぜか持ってきていたジャージに着替えて、美紅は出て行ってしまった。
取り残されるのは、中途半端に目が覚めちゃった少女達三名。
美紅の言ったとおり、先に朝食を取っちゃおうか? って意見も出た。
しかし、四方会リーダー(自称。ただし、否定する者も特に居ない)の穂香が異論を唱えた。
「私は三人で食べても問題ないけど、みくみっくーが一人で食べるのは絶対に美味しくないはず」
穂香の提案は一理あるし、何より、どうせすぐに帰ってくると言う根拠のない読みもあった。
――ので、待ってる。
すでに三十分以上。
そろそろ、四十分。
「まだ、食べないの?」
その声に振り向く。
そこには長身のポニーテールが大きなメガネの向こう側に苦笑い気味の笑みを作って、少女達を見下ろしていた。
「……お腹は空いてきたけど、もはや、美紅チに何か言ってやんないと、食べる気になんない……」
立てた膝の上に両頬杖を突いて穂香が言えば、他の二人もなんとなく、首を縦に振った。
そんな少女達の様子に凪歩は軽く肩をすくめて、踵を返す。
「……じゃあ、私は何か食べてくる――ちょっと!?」
妖精が伶奈の頭の上から飛び立とうとした、まさに、その瞬間。伶奈の右手が一閃。あっと言う間に彼女を両手で包み込む。久しぶりの金髪危機一髪状態だ。
その妖精の身体をギュッと握りしめたら、奴の顔をジトッとした視線で見下ろして、少女はひと言だけ言った。
「……友達だよね?」
「……友達を鷲づかみにするんじゃないわよ……」
そう言うアルトの言葉は軽くスルー。ろくな話でないことを理解してるのか、それとも単に眠さと空腹で面倒くさくなってるのかは解らないけど、蓮と穂香も通訳の催促はせずじまい。
ただただ、少女達が国道っぺりの縁石の上に座って、ぼんやりし続ける時間が続いた。
ここから更に三十分ほど。
この時、伶奈は心底……
「顔見知りの常連さんが来なくて良かった……」
と思っていた……事はもちろん、トップシークレットだ。
もっとも顔見知りの常連こそ来なかったが、常連じゃない客は数名来店した。
その度に、チラリと少女達を不思議そうに見ていくのが若干と言わず恥ずかしい。
その中には、伶奈は知らなくても、相手は伶奈を良く知っているという、客商売にはありがちな関係の大学生もいた。
「どうした?」
と、その大学生が問いかけてきたので
「とっ、友達、待ってるの」
とだけ答えて置いた。
ちょっと……とは言えない程度に恥ずかしくて、若干のどもり気味で、声もうわずっていたような気がする。それに、顔は確実に赤くなってただろう。
まあ、昨今、下手に中学生に話しかけると警察沙汰にもなりかねないからだろうか? それ以上は特に聞く事もなく「ふぅん……」と不思議そうに相づちだけ打って、彼は店内へと向かって行ってくれたのが、何よりの救い。
そんな時間が更に十五分……合計でなんと驚きの一時間二十五分。
「あれ? もしかして、待ってた?」
「何してたんだよ!?」
「遅い!」
「お腹、空いた…………」
穂香ののんきな声に伶奈、穂香、蓮の少女達三人が一斉に声を上げた。
そして、伶奈が顔を上げれば、そこには――
「女の子が縁石に座り込むものじゃないよ。特にスカートの子……」
「今日も可愛いね、三人とも」
伶奈の前では『家庭教師』のポーズを崩さない灯はちょっと眉をひそめながら、その隣では『女子中学生大好き』を公言してはばからない俊一が明るい笑顔でひらひらと手を振り、そして、
「おっす、クソジャリども。ジャリが集まってるって、ここは砂場か?」
伶奈の天敵ジェリドこと祐介の三人、『顔見知りの常連客』の姿があった。
三人とも濃紺の作業着、何処かの制服だろうか? 社名は入ってないようだが、泥や油なんかが付いてるところを見ると、外でのアルバイトをしてたのであろう事が見て取れた。
カッと顔が赤くなるのを感じている斜め前、赤いジャージ姿の美紅が嬉しそうな表情で口を開いた。
「下りを流しで走って、駅前で軽くストレッチしてたら、ちょうど、通りかかったみたいなんだよね〜」
で、俊一に『正しいストレッチのやり方』をレクチャーして貰ったり、緊張のほぐし方を灯に教えて貰ったり、祐介には先日貰った『パッケージはエンゼルパイ、中身はチョコパイ』の文句を改めて言ったり……と、立ち話をした後、灯が運転してたライトバンに乗って帰ってきたらしい。
と言う話を、物凄く嬉しそうに美紅が語り終えると、その話を静かに聞いていた少女達はすっくと立ち上がった。
そして、彼女らは被告人の周りをぐるりと取り囲む。
「えっ……えっとぉ……私、先に食べててって……言って、出掛けた……よね?」
軽く冷や汗をかきながら、被告人はそう弁明した。
「では、四方会裁判を始めます。被告人はみくみっくー。まさか、こんなに遅くなるとは思ってなかったし、挙げ句、格好いいお兄さん達の車に乗って帰ってくるなんて、許せないよ!? 罪!」
声を荒らげ穂香が美紅に詰め寄った。
その隣で伶奈も眉を強めに寄せながら、言葉を続けた。
「ジェリドは格好良くないけど……ともかく、こんな所で待ってるのは恥ずかしかったんだよ?」
そして、最後に蓮も言う。
「…………お腹、空いた…………」
三者三様の言葉で攻め立てられれば、美紅に残された道は素直に頭を下げることだけ。
「……ごっ、ごめんなさい」
「じゃあ、朝ご飯の食器を下ろすくらいはやってよね!」
「はーい」
と、穂香が判決(?)を下して話は一件落着。
「朝から、面白いな……お前ら」
美紅をかごめかごめの中から解放した伶奈に、祐介が声を掛けた。
呆れているというか、笑ってるというか、何とも微妙な表情。そんな天敵の顔を少し高い位置に見上げながら、少女は軽く肩をすくめて答えた。
「ジェリド達ほどじゃないもん」
答えてつんっとそっぽを向けば、そこに立っていた灯と視線が交わった。
その灯がやっぱり軽く肩をすくめて応える。
「面白いのは主にジェリドとシュンだよ」
「うん、知ってる」
頬を緩めて伶奈は頷いてみせれば、面白いと言われた二人は不貞腐れ気味に言う。
「この師弟は……」
冷たい視線を伶奈に送ってきたのが祐介の方。
「俺もかよ」
苦笑いを浮かべてるのは俊一だ。
「まあ、ジェリドは単体だとつまんないけど!」
「何言ってんだよ、灯なんて、どーでも良い冗談とかよく言うからな。ジャリの前だとかっこつけてるけど」
「……じゃあ、ジェリドもかっこつけたら?」
「お前の身長がもうちょっと伸びたらな」
と、伶奈が祐介と話をしていると、不意に穂香が口を開いた。
「ねえねえ、どっか連れて行ってよ」
「えっ!?」
その声は他の三人の少女は言うに及ばず、伶奈の頭の上に居たアルトまでもが発した物だった。
そんな友人達に腰に拳を当てて、胸をふんぞり返らせながら、彼女は言った。
「良いじゃん、三人とも身元ははっきりしてる訳だし、変なこともしないでしょ? アルトちゃんもいるし」
で……
喫茶アルトの美味しいモーニングを美紅に上げ膳据え膳してもらって、食べた後のこと。少女四人と青年三人、そして、妖精さんは喫茶アルト対岸にある山へとやって来ていた。
その麓にはちょっとした桜の並木道。
大昔――それこそ戦前とかその前とかって時代は桜の名所だったらしい。現在でも少々数は減りこそしたが、大学生のボランティアがちょくちょく手入れをしているおかげで、今でも結構な数の古木が見事な華を咲かせていた。
もっとも、その下では朝から酒盛りしている学生達が結構居て、桜の木々が大学生に感謝しているかどうかは怪しい。
その桜の下を伶奈達はのんびりだらだらと歩いていた。
「えー!? カラオケとかじゃないの!? 遊園地とかでも良いけど!」
「歩いて行ける範囲に遊園地はもちろん、カラオケ屋もないし、そこまで行く足もない。四人乗りの軽バンに七人乗る気か?」
不貞腐れる穂香に後ろを歩いていた祐介が応え、そして、俊一があくび混じりに言葉を続ける。
「ふわぁ……そもそも、その元気もない……昨日、ネコ車で砂利を運んで、徹夜だもんな……」
「一番足りてないのは甲斐性よね……っと、あっ、伶奈、そこ、山の方に入って」
言われるままに山の方へと入れば、そこはほとんど、獣道。未だ成長期真っ最中の少女には少々濃すぎるヤブが行く手を阻む。
そう思っていたら、ひょいと三人の青年達が少女達の一歩前を歩き始めた。
そして、灯が少女達の方へと視線を向けて、言った。
「気をつけてね。道、細いから……って、こんな所に入るの?」
「うん……なんか、行きたいところがあるって……」
そして、ヤブを越えて十五分か……二十分ほど、いい加減、蓮が――
「にしちゃん……私、ここで待ってる……」
とか言い始め、そして、俊一が――
「抱っこしようか? ……軽い冗談だって……」
と言って、少女達に汚物を見る目で見られる羽目になった頃、ようやく、アルトのお目当ての場所へとたどり着いた。
そこにあったのは一本の巨大な倒木……
その倒木を見上げて、伶奈は呟く。
「これ? 入り口の桜の方が奇麗じゃん……」
倒木自体は巨大で立ってた頃は立派であったことが容易に想像が出来る。倒れてる幹ですら、伶奈の身の丈ほどもあるくらいなのだから。出来ることならば、倒れる前に見てみたかった……が、今はただの苔むし、朽ちかけたただの倒木だ。
「こっちよ、こっち」
そう言ってアルトは伶奈の髪を引っ張り、倒木の根元、根っこの跡だけが残るところへと連れて行った。
そこにあるのは、高さ、1メートルほど……可愛らしい桜の若木。
小さくも可憐な花を一生懸命咲かせる姿は、親木にはない懸命さを伶奈に感じさせた。
「一昨年は吹けば倒れるような細い木だったのよねぇ……去年は色々あってこれなかったし」
伶奈がその愛らしい若木に目を奪われていることに気づいたのか、後ろに付いていた少女達もその若木を取り囲んだ。
「わぁ〜可愛いね! あの大きな木が倒れて、代わりにこれが生えたの!? 凄い!!」
美紅が感嘆の声を上げた。
「うんうん。ねえねえ、毎年、見に来ようか? ずっとずっと、大きくなるまでさ」
そして、やっぱり、穂香が強く首を上下に振りながらに言えば、蓮はぽつりと呟くように応える。
「…………しのちゃんがおんぶ、してくれたら……」
「だからさ、蓮、本当、運動しないと、心臓の筋肉もなくなって、止まるよ?」
そう言って、伶奈は苦笑い。
そして、アルトはぽーんと伶奈の頭の上から飛び降りると、若木の前にホバリングをし始めた。パタパタと小さな羽が一生懸命上下に動く。
そして、彼女は小さな手を幹へと伸ばした。
細い幹を小さな手が優しく撫でる。
「これを見せたかったのよ。子供だけで連れてくるのもちょっと不安だったし、良い
「……――だって」
アルトの言葉を皆に伝えれば、少女達は口々にありがとうと素直に礼を言った。
そして、一陣の風が拭き、小さな
その薄桃色の花弁の動きに釣られるように空を見上げれば、春霞だった空も晴れ上がり、春らしい真っ青な空がどこまでも高く続いていた。
少女達の眠気もすっかり覚めてしまっていた。
が……
「……ジェリドはない……って思ってたけど、灯センセも真鍋さんもないんだね……」
それを見下ろし、伶奈が呟いた。
「……ないねぇ……」
その隣で穂香が呟き、やっぱり、美紅は口惜しそうな口調で呟く。
「……顔は良いのに……三人とも……」
「……蓮も眠気……思い出しちゃった……」
そして、蓮はまたメガネの内側に指を突っ込み、大きな目をごしごしと強めにこすっていた。
彼女らの視線の先には、倒木を背もたれにグースカ寝ている三人の男達の姿があった。
なお、この後……
「お前らのせいで俺の教師としての立場がなくなんだろう!?」
「いや、お前が一番に寝ちまってたんだよ!」
「そもそも、お前んちの親父が馬車馬のように働かせるから、眠くなるんだろう!?」
起きた途端に、灯、俊一、祐介の三人の醜い言い争いが発生した。
そして……
「やっぱり、先生としては良いけど……ないかなぁ?」
伶奈が苦笑い気味の笑みを浮かべていることに、灯が気づくのは藪を漕いで、再び、桜の並木道にまで帰ってきたときのことだった。
と、言う感じで今回のお泊まり会も無事に終了した。
次は……
「ゴールデンウィークかな?!」
って、穂香は言ってるけど……どうなるの物か……それは、まだ、解らない。
ご意見ご感想、お待ちしてます。