大きなタンブラーに濃いめに入れたココア、そこに濃厚なミルクの味が美味しいアイス(味見済み)をディッシャーでひとすくい……と思っていたら、背後で騒ぐ友人が一人。
「二つ行こうよ! 売り物じゃないんだし、蓮チの持って来た奴なんだし!!」
言わずと知れた雑に生きてる女――東雲穂香ちゃん。小ぶりなバケツくらいの大きさの器から乳白色のアイスをかきだそうとしている伶奈の背後で大騒ぎ。
そんな彼女の顔を肩越しにチラリと見た後、そこからちょいとずれたところに視線を移す。そこには居るもう一人の友人、このアイスを持ってきた張本人、南風野蓮がぼんやりと伶奈の方を眺めていた。
交わる視線。
そして、蓮は無表情のままで、サムアップした両手を突き出した。
その仕草を伶奈の頭の上から見ていたアルトがひと言言う。
「……太るわよ」
「……――ってアルトも言ってるけど……」
と、通訳しながらも、伶奈はディッシャーで二つすくってタンブラーの中へ。積み上げられるアイスのタワーを見れば我知らぬうちに頬っぺたが緩む。出来ることなら三段重ねとかにしちゃいたいくらいだ。まあ……それこそ太るだろうし、夕食が食べられなくなるので、二つで我慢。
それを四つ作る。
その出来上がったアイスココアフロートをトレイの上へと乗せながら、美紅が明るい口調で言い切った。
「太ったら、ダイエットすれば良いんだよ? 運動して! さあ! おいでよ、ソフトボール部!」
「蓮チが死んじゃう」
明るい表情の美紅とは裏腹に穂香が眉をへの字に曲げてぽつりと呟けば、蓮もそれに首肯して言う。
「……ひと思いに死ぬよー」
「……蓮ちゃんは運動しないと死ぬよ? 運動不足で」
ぼやく美紅に伶奈も苦笑い。
まあ……伶奈だって運動してダイエットなんて奇特な真似は出来るだけしたくないけど。
さて、完成したココア達とパン耳ラスクの載ったお皿とを持ってフロアへ。春休みの日曜日とあって店内は閑散としている。お客さんと言えば――
「……もうちょっと、静かになさい、こっちまで声が聞こえてたわよ……」
カウンターで美月、和明の両人相手にアイスコーヒーを呑んでる西部由美子女史ただ一人。
「……なんで、お母さんが居るんだよ……」
眉をへの字に曲げて尋ねると、由美子はコクン……とアイスコーヒーを一口飲んで答えた。
「後で見に行くって言ったでしょ? 親なんだから、美月さん達だけに任かせられないわよ」
「……それは、聞いたけど……」
気恥ずかしさにその場を一刻も早く離れたい気分で一杯。
されど伶奈の背後で小さな声が聞こえた。
「お邪魔、してます」
最初にそう言ったのはいつもはぼんやりしてるくせにこう言うときは反応が早い蓮。
「こんにちは〜!」
「あっ、お邪魔してます」
それとほぼ同時に穂香の声と右手が上がって、少し遅れて美紅がぺこりと頭を下げた。
「ああ、お邪魔って言っても、うちじゃないから……」
そう言って由美子は少し頬を緩めるとストゥールの上から立ち上がった。
そして、ぺこりと頭を下げると、少女達に言った。
「いつも娘がお世話になってます。人見知りの癖に慣れると遠慮が無くなるって、タチの悪い子ですけど、根は悪い子じゃないので……」
「おっ、お母さん!!」
思わぬ批判に顔を真っ赤にしたのは、もちろん、言われている伶奈だ。
そんな伶奈達をほったらかしに友人達は声を上げて笑い、そして、口々に言った。
「大丈夫! 伶奈チ、良い子なのは知ってるから!」
そう言ってくれたのは穂香。
「うんうん、だいたい、私たちで一番タチが悪いのは、穂香ちゃんだし!」
「……しのちゃんだし」
続いて美紅が明るく言い、蓮もその言葉に頷き、そして、最後にまた穂香が言った。
「うん、私だし!」
「解ってるなら、ちょっとは自重して!」
大きく頷く友人に伶奈が再び大きな声を上げれば、大きな声を上げられてる張本人を含めた四方会三人が大きな声で笑い始める。
そして、母はちょっぴり苦い表情。
「……そういう所が慣れると遠慮がなくなるって所よ……」
軽く肩をすくめて由美子はそう言うと、改めて、ストゥールに腰を下ろした。
ギシッとストゥールがきしむ。
そして、伶奈からその背後で愛らしい笑い顔を浮かべている愛娘の友人達へと視線を動かし、彼女は言った。
「今夜、良かったらお風呂屋さんに行こうか? 前、東雲さんの所に泊まったときにはお風呂、行ったんでしょ? おばさん、車出すから」
喫茶アルトから最寄りの銭湯は結構な距離がある。駅よりもまだ向こうだから、歩けば三十分で着くのは難しいだろう。特に連が居ると時間は延びる傾向にある。三割、場合によっては五割増しも覚悟しないとならない。
「下りは飛ばすと膝を痛めるしね!」
「……走る前提で言うのは止めようよ……ホント、美紅って身体を動かすことに関しては
明るく言い切る美紅にため息交じりのしみじみとした口調で応えると、言われた本人はサッとその表情を赤くして言った。
「……穂香ちゃんと同じくくりは止めて……」
二人のやりとりに、ぽつりと穂香が呟く。
「……今、ひどいことを言われた気がする……」
そして、アルトがぽーんと伶奈の頭から穂香の頭へと飛び移り、ひと言言った。
「確信を持って良いわよ、ひどい事言われたって」
ペチペチとアルトが穂香の頭を叩いているようだが、当人はそれに気づいていない様子だ。
そんなアルトと穂香のやりとりから視線を外して、カウンターでホットコーヒーの残りをちびちびと飲んでる母へと顔を向けた。
「でも、お母さんとお風呂って……なんか、いや……」
「母さんだってたまには、広いお風呂に入りたいわよ。嫌なら止める?」
母がそう言って、コーヒーカップをテーブルへと返した、まさにその瞬間だった。
伶奈の周りを三人の友人がぐるりと囲んだ。
手を繋ぐ少女達。
まるでかごめかごめのよう。
そして、静かに穂香が言った。
「では、これより四方会人民裁判を執り行います。罪名は『伶奈ちゃんの
静かな口調、強い眼光は伶奈の顔を貫き、その表情に笑みは一切見当たらない。
そして、美紅と蓮が異口同音に大きく頷いて見せた。
「異議なし!」
「…………蓮も」
そんな一同の雰囲気に飲まれたかのように伶奈のは辺りをきょろきょろ……と見渡すも、真顔の友人達の背後にはニコニコと楽しそうに笑っている大人達だけ。
「ちょっと待って、ねえ、普段と違うくない? 普段よりもシリアスだよ? 求刑がリアルだし、後、あの部屋、私の部屋だし!」
そう言って一生懸命弁解してみても、穂香に取り付く島もない。
「普段よりも具体的な被害だからだよ! お風呂屋さん、行きたいよ! ここの下のお風呂屋さん、新しくて奇麗で広いって、伶奈チ、言ってたじゃんか!」
ぴしゃりと真正面の少女が言い切れば、右斜め後方と左斜め後方を固める二人の友人もコクコクと何度も首を縦に振る。
文字通り四面楚歌の状況……正確に言えば三面楚歌。
「……べっ、別に……行かないなんて……言ってないし……」
ごにょごにょ、ぼそぼそ……言い訳じみた言葉が口の中であぶくのように生まれては、本人を含めた誰の耳にも届くことなく、消えていく。
そんな少女の様子に業を煮やしたかのように尋ねたのは、斜め後ろにいる南風野蓮だ。
「行く……? 行かない?」
そして、更に正面で穂香が尋ねる。
「お風呂屋さんに行くか? 今夜、廊下で寝るか? って聞いてるの!」
もはや、少女に逃げ道はなかった。
そもそも、どーしても行きたくないって訳でもないのだ。
「……行きます」
伶奈がバツの悪そうな声で答える。
すると、穂香がパッと友人達の手から両手を離した。そして、バンザイのように大きく両手を挙げ、高らかに宣言した。
「じゃあ、おばさん! そういうわけなんで、おねがいしま〜す!」
「はいはい……――伶奈も膨れてないで……母さんがそばにいるのが気に入らないなら、離れたところで入ってるから……」
「……別にそんなんじゃないもん……ちょっと、恥ずかしいって言うか、なんて言うか……――」
と、母に向かって相変わらずごにょごにょ言ってるうちに、本当にいやだった理由に……格好良く言えば自分の本心という奴に、伶奈は気づいた。
瞬間、ぎゅっ! と音を立てて穂香の方へと向いた。
そして、少女は大声を上げる。
「――……てか、良く考えたら、穂香だって、私が穂香のお婆ちゃんと話してたら、嫌がってたじゃんか!」
「そんな昔のことは覚えてないな〜」
大きな声を上げる伶奈からプイッと、穂香はそっぽを向いちゃう。その横顔には含み笑い。楽しそうな表情が凄く腹立つ。
そんな横顔を見やり、少女はぼそぼそと呟く。
「…………今度、遊びに行ったら、延々、話し込んでやる……おばあさんだけじゃなくて、お母さんとかにも」
「出来ないことを言う物じゃないわよ、人見知り」
そして、未だに穂香の頭の上に陣取っていたアルトが漏らす……も、少女は聞こえない振りをした。
なお、その計画は実行に移されることはなかった。実行出来るほど、伶奈は穂香の祖母郁恵には慣れていなかったのだ。いわんや、ご両親なんて……と言った状況であったことをここに記しておきたい。
さて、喫茶アルト営業終了直後くらいの喫茶アルト二階。伶奈の部屋。
少女達はやいのやいのと大騒ぎの中、ゲームを楽しんでいた。
イカがペンキで色を塗っていく奴とかボードゲームみたいな奴とか。大半は良夜が学生時代に購入し、やる暇がなくなったという『建前』で置いていった物だ。
「子供はゲームが好きだろうって安易な発想よ」とは、当時のアルトが言ったお言葉。
まあ、友達とも引き離され、ひとりぼっちでこちらに連れて来られた伶奈のために、良夜が気を使ってくれたのだと言うことくらいは少女本人にも理解出来ていた。
もっとも、良夜が置いていった後、新しいゲームはさすがに供給されてないから、少し古い物ばっかりなのが難点。
それでも、ボードゲームやら対戦ゲームを友人達とすれば盛り上がる。
「伶奈チは余り上手じゃないだけだけど……みくみっくはなんて言うか……競り合いになると弱いよね?」
ゲームの類いはなんでもそつなくこなす穂香がそう言った。
「…………きたちゃんはチャンスがピンチでピンチはピンチ……」
こう見えてゲームは妙に上手な蓮が言葉を続ける。
「序盤に先制、中盤の中だるみしてるところに追い打ちかけて、後は悠々独走って言うのが私の必勝パターンだから……」
バツが悪そうに答える美紅の言葉に、伶奈の頭の上でアルトが苦笑いを浮かべて言う。
「……それが出来れば誰でも勝てるわよ」
その妖精に座られている伶奈は負けが込んでちょっぴり不貞腐れ気味に言う。
「……――ってアルトが言ってるよ。私は……ゲームって苦手なんだよね……」
そんな感じで感想戦を行いつつ、ポテチと伶奈お手製のアイスココア。至福の時間帯――
「みなさ〜ん、お風呂行きますよ〜」
と、下から大きな声が聞こえた。
美月の声だ。
「はーい!」
答えたのは伶奈ではなく、穂香の方。こう言うときは妙に反応が良い。
もちろん、アルトの営業が終わるまで待つ必要は全くない。
「どうせなら、みんなで行きたい」
と、穂香が言いだた。
それに対して美月も翼も特に異論を差し挟まなかったし、母の由美子も「お二人が嫌でなければ……」と特に異論は唱えない。
そうなれば、女性みんなでお風呂屋さん! って言うのは、当然の成り行きであった。
なお、一人男の和明氏は自宅でお風呂。お風呂上がりにゆっくりと煙草を吸うのだ。しかも、フロアーで堂々と。美月がいないとき出ないと出来ない贅沢……なので、気にしないで良い、とはアルトの言葉。もちろん、美月には内緒。
着替えやらバスタオルやらが入ったトートバッグを持って、階段をトントント〜ンと駆け下りれば、すぐにフロア。
そこにはすでに美月、翼、そして、母の由美子、三人がしっかりと少女達を待っていた。
「お待たせしました〜♪」
社交的な穂香がそう言った。
「いえいえ」
と、美月が軽く首を振ってこたえる。
そして、一同は揃って店の裏口から外へと出て行く。
店の外にはエアコンの壊れたワンボックスカーと美月のアルトが二台鎮座していた。
(もうすぐ、この車に乗るのが辛くなる時期だなぁ……)
なんて思いつつも、母の助手席に乗ってお風呂屋さんへ。
そして、お風呂に入ったら……――
「……なんで、お母さんと美月お姉ちゃん、あんなに向こうにいるの?」
と、伶奈は小首をかしげた。
周りには四方会の友人達とついでに無言、無表情のまま、カウンターで買ったミニタオルを頭の上に載っけている翼さん。
一方、西部由美子と三島美月の二人は、なぜか、反対側の隅っこ、暗ーい顔をしてチョコーンと座っていた。
「…………伶奈、人には触れられたくない傷がある……あなたにも……そう、でしょ?」
翼が抑揚のない口調でそう言えば、そりゃ、伶奈にだって触って欲しくない傷は色々とある……あるのだが……
「……伶奈のそれに比べたら、美月のはただのひっかき傷よ……」
と、頭の上でアルトが呟き……そして、更に小さな声で呟いた。
「……何を喰ったらあんなに大きくなるのよ……」
その呟きに少女は辺りをくるりと見渡した。
柔らかそうな膨らみが三組と、ちょっと固そうな――
「伶奈ちゃん、今、なんか、不穏なことを考えたよね?」
「……考えてないよ?」
じろっと睨み付けてくるもう一組の柔かそうな胸……しかし、中学生の分際で腹筋がうっすら見えてるって何事だろうか? 胸よりも、こっちの方がずっと気になる。
そんな友人達の裸体から、少女は自身の胸元へと視線を落とした。
ひと言で言って、三島の血だなと思うサイズだった。
そして、少女は顔を上げて尋ねた。
「ねえ……おっぱいって、小さいと傷つかなきゃ行けないような代物なの?」
尋ねれば、そこそこのサイズのある連中にそれを聞いても無駄。口々に答える言葉は千差万別なれど、つまるところは――
「さあ?」
と言った穂香の言葉に集約されるような代物だ。
だから、少女は尋ねた。
頭の上でちょこんと座っている妖精に……
「そうなの?」
「…………私はスレンダーなの!」
アルトはそう答えるも……やっぱり……
「………………私はスレンダーなのよ……」
と、呟いた声が辛そうだったことは、誰にも伝えず、そっと胸の中にしまっておくことにした。
ご意見ご感想、お待ちしてます。