お泊まり会―春の陣―(2)

 時も過ぎて春休み。
 四方会お泊まり会の日は、日曜日から翌月曜日までと言うことになった。土日でやると伶奈のアルバイトに被ってしまうからだ。
 夏休みもそうだったが、冬休みも『休み明けの学習到達度試験で六割とれ』が英明学園の宿題だった。だから、てっきり、春休みにもそういうのがあるのだと、伶奈が思ってたら――
「残念ながら春休み明けに到達度試験はない。クラス替えだの入学式だのなんだのかんだので忙しい時期に試験を作ったり、採点するのは面倒くさいので、春はしない事になってる」
 ――って、瑠依子がぶっちゃけた。
 とは言っても、一応私立中学だ。大半の生徒は塾に行ったり、家庭教師が付いたりしてて、教師が言わなくてもやるか、もしくはやらされている。
 それはソフトボール部の活動に忙しい美紅だって同じだと、伶奈は聞いている。
 だがしかし。
「私? 全然、やってないよ」
「………………………………蓮も」
 そう言って胸を張ってる女達がいた。
 本日、喫茶アルト二階、伶奈の部屋に泊まりに来ている四方会の友人穂香と蓮だ。
 その二人と共にレースのテーブルクロスが可愛いちゃぶ台を囲むのはこの部屋の家主である西部伶奈、それとテーブルの上に足を投げ出して座ってる妖精のアルトちゃん。
 四方会のメンバーが、伶奈を含めて三名しか居ないのは、もう一人のメンバー北原美紅がソフトボールの練習試合に行ってるから。終わったら電車でこっちに来る予定。ちなみに、六番センターの先発出場だそうだ。
 翼が作ってくれた野菜クズのナポリタンとフォカッチャのお昼ご飯を食べた後のひとときを、少女達はのんべんだらりと雑談で過ごしていた。
 彼女らの目の前には伶奈が煎れたココアが三つとアルトのために和明が入れたコーヒーが一つ。その中のココアを手に取り、伶奈が口を開いた。
「蓮はともかくとして……なんで、穂香、やらないの? 三学期のテスト、美紅に負けて、膝から崩れ落ちてたよね?」
 そう言った顔は伶奈自身でも解るほどに呆れ顔。ため息もずいぶんも混じった口調になっていた。
 しかし、言われた張本人、今日はスキニーな七分丈のズボンにだぼっとした長袖のトレーナーを会わせた穂香は、鼻高々な表情を見せると、すっくとその場で立ち上がった。
 そして、彼女は
「ふふん」
 と、軽く鼻で笑うと蕩々と語り始めた。
「英明には二種類の子がいるの。一種類は『英明に入ってがんばるぞー!』ってがんばる子、もう一種類は『英明に入れて良かったー!』って安心しちゃう子、私は後者!」
 そのご高説を拝聴しながら、伶奈は斜め右百二十度の所にいる語り手から、逆方向、斜め左百二十度の所へと視線を動かした。そこにはぼんやりとした表情ではあるが、確実にこちらを見ている少女の姿があった。
 もちろん、四方会一の優等生、ふわふわフリルのスカートに白いブラウスが可愛い南風野蓮ちゃん。ちなみに年度末試験ではついにクラス首位の座を射止め、学年順位も三番に輝いた。
 ちなみに伶奈はクラス四位で学年十位。
 その優等生二人組、伶奈と蓮の視線が交われば、二人はほぼ同時に頷き合った。
 そして、彼女らは立ち上がると、未だに胸を張っている友達バカの元へと足を向ける。
「ちなみにね、この『英明に入れて良かったー!』組はここから先転がり落ちる一方――なに?」
「解ってるなら、安心しないで!」
「めっ!」
 伶奈と蓮の見事な突っ込みが穂香の後頭部両側に炸裂した。
 そして、妖精は今は亡き大親友へと思いを馳せるのだった。
「……貴女の後輩は立派に育ってるわよ、真雪……」
 ……呆れ顔とため息交じりに。
 で!
 ちゃぶ台の上には灯が用意してくれた問題集。例の『油断すると裸の女性が媚びてる』ってあれだ。それから穂香も蓮もペンケースなんて持って来てないから、愛用の布製のペンケースを用意し、シャーペンを貸し与える。
 と、穂香が早速そのシャーペンをくるくると指先で回しながらふくれっ面を見せた。
「……なんで、伶奈チんチにお泊まり会に来て、勉強しなきゃ行けないのか……?」
 ノートを開き、問題集を用意しながら、伶奈は淡々と答える。
「普段してないからだよ」
「ああ……これならみっくみく〜の試合でも見に行けば良かった……」
「練習試合なんて見ててもつまらないって言い出したの、穂香だよね?」
「今、猛烈に後悔してる……」
 半べそ(でも、多分、嘘泣き)になりがらも、穂香はシャーペンを手にし、伶奈の使いかけのノートを開いた。
「私はね、英明に入るのが目標で生きてたの、十二年間……それが叶ったから、後はオマケの人生なの……」
 等と、ぶつくさ文句を言いながらも彼女は視線を問題集の上へ、ペンをノートの上へと走らせ始めた。
「三学期の期末、美紅に英語でも負けちゃって、膝から崩れ落ちてたじゃん……」
「ソフトボール忙しくて、勉強なんてやってないと思ってた……やってない者同士なら、私にもワンチャン……」
「……美紅は一応学習塾に通ってるし、テスト前になったら部活休みで勉強してるよ……特に最近は、穂香にだけは負けないって、言ってるの、聞いてるでしょ?」
 伶奈がそう言うと、穂香は手にしていたシャーペンをノートの上にトンと置いた。
 コロコロ……白紙のページの上をシャーペンが転がっていく。
 そして、穂香は最近成長著しい胸元を反らして言った。
「私なんて、部活出来なくなったら、その分、遊んでるからね!」
「威張らないで! また、二学期の学習到達テスト、首の皮一枚で生き残る気なの?」
 ぱん! 伶奈の両手がちゃぶ台を叩いた。
 ちょこんと座っていたアルトの身体がシャーペンと共に数ミリほど浮かび上がり、そのまま、ストンと落ちた。
 コロコロと転がるシャーペンがアルトの伸ばしたつま先ににコツンと当たると、アルトはそれを邪魔そうに蹴飛ばした。
 再び、コロコロと転がっていくシャーペン……それは穂香の手元へと帰って行く。
 そのシャーペンをひょいと摘まみ上げて、穂香は答えた。
「伶奈チは心配性だなぁ〜大丈夫! 私はやるときはやるよ!!」
「何を?」
「一夜漬け!」
 どや顔決めて言いきる友人の顔を少女はまじまじと見つめた。
 一重だけど大きな目、黒目がちの奇麗な瞳、長いまつげ、ほどよくふっくらとした頬は健康的、さらさら黒髪のロングヘアーは少し癖っ毛な伶奈にはちょっとうらやましい限り。
 総論的に言えば美人の友人を見やり、伶奈は呟いた。
「……穂香って、なんでこんなに美人なのに、こんなにダメな人なんだろう……?」
 前から思っていた疑問を口に出せば、穂香もさすがにショックを受けたらしい。がっくりとうなだれ、絞り出すように言った。
「………………しみじみ言わないで…………解ったよ……今日くらいは勉強する……」
「美紅が来るまでは勉強するからね?」
「三時過ぎって言ってたじゃん!? 長いよぉ……」
「文句言わない」
 不承不承と言った感じではあるがノートに視線とペンを走らせ始めた穂香から、伶奈も自身のノートへと視線を落とした。そこには昨日の夜にやった部分の問題と答。その続きにペンを走らせながら、少女はひと言付け加えた。
「蓮だってやってるよ?」
 されど、その言葉の余韻が伶奈の部屋から消えるよりも先にアルトが言った。
「してないわよ」
「えっ?」
 顔を上げ、視線を蓮へと向ける。
 鉛筆を握る少女の手元には真新しいノート。そのノートへと視線を落とせば、そこにはニコニコと笑ってる穂香に青筋立てて怒ってる伶奈の顔がバストアップで描かれていた。
 割と写実的な姿。
 そして、背景にはなぜか百合の花、大輪の百合がいくつも咲き乱れていた。
「……蓮、何してるの?」
「…………蓮は成績良いから……」
「あのね、蓮、良く聞いて。毎回、一生懸命勉強してるのに、毎回、蓮に負けて、悔しい思いをしてる子もいるんだよ?」
「にしちゃんの事?」
「名指ししないで!」
「にしちゃんは頑張り屋さん」
 そう言って蓮はちゃぶ台の上に身を乗り出すと、伶奈の頭をぽんぽん……と数回、軽く叩くように撫でた。その小さな手のひらの感触は少しくすぐったいけど、褒められてる感じがして悪く――
「――じゃない!! ちょっとは勉強しようよ! 授業中にスケッチ量産してないで!」
「ちょっと見して〜」
 伶奈と蓮が揉めてる横で穂香がノートへと手を伸ばし、ひょいとそれを取り上げた。
 そして、まじまじと見つめたら、ひと言言った。
「伶奈チのおっぱい、こんなに大きくないよ?」
「さーびす」
 ピースサインを穂香へと突き出し、蓮が言えば、伶奈の鋭い怒声が部屋の中に響き渡った。
「いらないから! そんなサービス! 良いの! 三島家の女はおっぱいが小さいの!!!」
「……にしちゃん、ガンバ」
 肘を曲げて拳を作って、蓮はそう言った。どこかぼんやりした表情との組み合わせは後から考えてみれば、凄く可愛い代物。されど、今の伶奈にそれをゆっくりと鑑賞している余裕はなかった。
「大きなお世話だよ!!!」
 伶奈は思わず、大きな声で叫んでしまっていた。
「伶奈、余り怒鳴ってると血管がキレるわよ、この辺の」
 そう言ってアルトは自分自身のこめかみの辺りを細い指先でちょんちょん……と突いて見せた。
「アルトまでそっち側なの!!??」
「……そっち側って、どっち側よ……?」
「敵なの!?」
「敵とか味方とか、色づけするのは良くないわよ?」
「もう、突っ込みきれないの! みんな、真面目に勉強し――」
 と、叫んでいた伶奈の言葉が凍り付いたのは……
「蓮チ、ここはこっちの式とこっちの式を掛ければ良いんだっけ?」
「……うん……良いよ」
 蓮と穂香が頭を付き合わせた。その二人の間には問題集が一冊とノートが二冊ずつ。真面目に数式が描かれて、今まさに、解かれようとしていた。
 唖然としている伶奈に妖精がぽつりと言った。
「……一番勉強してないのは貴女よ、伶奈」
 パタン……少女の顔が少女の顔がちゃぶ台の上へと落っこちる。そして、少女は突っ伏したまま、ぼそぼそと小さな声で呟き始めた。
「美紅、助けて……もう、私、突っ込みに疲れちゃった……もう、突っ込まなくて良いよね……放置で良いよね……てか、もう、四方会、抜けたい……」
「伶奈チ、突っ込みの声は控えめに、だよ?」
 突っ伏する伶奈に穂香の明るい声が長け変えられれば、少女はがばっ! と身を起こして叫んだ。
「今は突っ込んでないじゃんか!! 思い出したみたいに言わないで!!!」
 そして、ぼんやりと視線の合ってない顔を伶奈の方へと向けると、やっぱり、ぼんやりとした口調で蓮が言う。
「……にしちゃん……ないすつっこみ」
 サムアップされた蓮の右手を見やり、伶奈は深々とため息を吐いた。
「早く、美紅来てくれないかな……突っ込みが足りないよ……」

 さて、それからだらだらと三時間ちょっとが過ぎて、美紅来襲。
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」
 頭から汗をびっしょりとかいた少女が伶奈の部屋の入り口に立っていた。
「どうしたの?」
 と、穂香が一番になって尋ねれば、美紅は答えた。
「……坂、走って上がってきた……一度、やって、みたかったの……」
 息も絶え絶えの少女はそう言うと、部屋の中に入ってくるなり、パタンと冷たい床の上に寝っ転がった。ちなみに制服。汗だくのブラウスが肌に張り付いて、うっすらとスカイブルーのスポーツブラが透けて見えてる。
 そんな友人の艶姿をぼんやりと見つめて、伶奈はぽつりと呟いた。
「……そっかぁ……美紅もそっちボケ側の人だったんだぁ……」
 と……
 ちなみに外はまぶしい春の空。まだまだ四月も始まったばかりだというのに、最高気温は二十五度を超えていた。
 

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