お泊まり会―春の陣―(1)

 さて、話、少し戻って三月中頃。
 雨の土曜日、喫茶アルト。
 当然、伶奈は制服姿でアルバイト中。
 すでに大学生の大半は春休み、雨の中、わざわざ、来店する客も多くはなく、店内は閑散としていた。
 が、雨の中、わざわざ、来店する客は『多くない』だけで、ゼロではなかった。
 そのゼロではないごく少数の客は……
「ランチは美味しかったけど、その後のおやつは伶奈チのココアとパン耳ラスク……せめて、ジャムだけでも付いてれば……」
 パン耳スティックを咥えてぴょこぴょこ上下させてるキュロットスカートの少女は東雲穂香。奇妙な関西弁のイントネーションはまんまアニメのキャラクターようだ。
「……いや、穂香ちゃん、無駄遣いが過ぎてるって……ゲームばっかり買ってるから……」
 とか言いつつ、やっぱり、パン耳スティックを囓っているのがなぜか制服姿の北原美紅。部活のために登校したら雨天中止、仕方ないのでこっちに来たらしい。
「いや、買うでしょ? ゲームは」
「……半分、積んでるって言ってたじゃん……」
「いやぁ〜なんだかんだで忙しくて……」
「……わぁ、びっくり、私、今日、『暇だから伶奈チをからかいに行こう』って誘われたはずなんだけど……」
「みくみっく〜は暇でしょ? 部活、雨で流れて」
「……ああ、なるほど…………………………………………………………アレ?」
 美紅と穂香の間で言葉が言ったり来たり。そして、最終的には上手い具合にごまかされてた美紅がしきりに首を傾げるというざま。
「………………………………」
 そんな間抜けな会話劇を明後日の方向をぼんやりと見ながら聞いていたのが、可愛いふりふりのワンピースを着た南風野蓮だ。もちろん、彼女の愛らしいお口にもパン耳スティック。
 さらにはカウンター席では伶奈の担任教諭である桑原瑠依子。学校で仕事をしていたところを穂香に『ランチ食べに行こう!』のひと言でアシ代わりを押し付けられたらしい。
 そして、更にもう一人。瑠依子の隣は、瑠依子に電話一本で呼び出されたふっくら美女、川東綾音の姿まであった。
 普段のランチ前後の時間帯としては悲しくなるほどの客数だが、春休みの土曜日、しかも雨と考えれば千客万来と言っても良いほど。
 しかし、西部伶奈は不機嫌であった。
「……仕事中に友達が来るのって、すっごく、いや……」
 なのである。
「吉田さんくらい仕事が出来れば、そりゃ、私だって、気にしないで居られるけど、実際には食器運ぶのもおっかなびっくりだしさ……もうちょっと、格好良く仕事が出来るようになってからにして欲しいんだよね……高校生くらいになったら……きっと」
 頭の上にアルトを乗せて、ぶつくさとぼやく少女は、ただいま、キッチンにいた。
 右手には小さなペティナイフ、左手には真っ赤なリンゴさん。これを八つに切ったら、飾り包丁をちょいちょい……あっと言う間に昔ながらのウサギさんの完成だ。
「ペティナイフは上手に使うようになってるじゃない?」
「そりゃ、翼さんと美月お姉ちゃんに扱かれたし……でも、フロアでウサギリンゴ作ってたらバカみたいじゃん……」
「まっ、それもそうね……」
 頭の上のアルトとお話をしながら、切ったリンゴウサギを塩水で満たされたガラスボールの中へと放り込む。
 一匹をその中に沈めたら更に二匹目、三匹目……と、八匹のうさちゃんリンゴをボールの中へ。完成した彼らを菜箸でちょいちょいと中に沈め、次の作業に移る。
 今度は、背の高いパフェグラスにシリアルを半分ほど。そこにバナナを刻んで放り込み、その上にアイス。それから生クリームをウニョウニョと流し込んだら、先ほど作ったウサギリンゴを一つ突き刺し、最後は濃厚なチョコクリームでアクセント。
 パーフェクトなチョコパフェの完成だ。
 で、これをトレイに乗せて、運び行く先は――
「来ましたわ……もう……もう、泣きそう……」
 大きめのパフェグラスに感涙むせび泣いてるぽっちゃり美女、川東彩音さん。これで社会人二年目らしい。
 その隣ではお昼代わりのパンケーキにアイスコーヒーを合わせて飲んでる瑠依子がぽつり……と呟いた。
「お嬢、この間、ダイエットとか言ってなかったっけ?」
「…………そんな昔のことは忘れましたわ」
「……お嬢、来週、役所の検診とか言ってなかったっけ? 体重とか計る奴」
「…………そんな先のことは考えてませんわ」
 何処かのハードボイルド小説みたいなセリフを吐きつつも、パフェを食ってる彩音に瑠依子はため息一つ。そして、なんとなく逃げ損ねていた伶奈の方へと顔を向けると、彼女はダークブルーのビネススーツの胸ポケットからスマートフォンを取りだした。
「西部、これ見てみい、これ」
 そう言って、表面をタップすること三回ほど。呼び出したのは英明の制服を着て微笑むほっそりとした――
「何をなさってるんですか!!??」
 ――ほっそりとした奇麗な女性の写真が表示されたスマホは彩音の手により没収された。しかも、指先が霞むほどの早さで消去。電子の海へと帰っていった。
「まあ、いくら消したところで、家のパソコンに入ってんだけどさ」
「会長!?」
「西部も、肉と甘いものばっかり喰ってると、わずか数年でピーキロ以上太って、趣味が『ダイエットの中断』とか言われる人生を歩むことになるからね……まあ、お嬢の場合、付き合ってる男も悪いんだけど……」
「ストレスがですね、溜まるんですよ……公務員だってだけで、ぼろカスに言って良いと思ってらっしゃる方も沢山いて……ああ……もう、この、この一口のために……」
 そう言って彩音はスプーンに大盛りにした生クリームを口にパクリ。その瞬間、彼女の目元は大いに緩み、ふっくらとしたほっぺは落っこちんばかりだし、幸せそうな笑顔ははち切れんばかり。
 一方、実は先日からダイエットを始めている恩師はその甘い香りと幸せそうな笑顔からはプイッとそっぽを向いてる始末。しかし、この後輩を呼んだのは瑠依子その人なので、文句も言えないらしい。
「あはは……」
 そんな二人に挟まれて、伶奈は引き気味の苦笑いを浮かべるだけ。
「次のお客さんがいらっしゃるまで、友達の所に行かれてても良いですよ」
 パイプを磨きながら女性達の様子をのんべんだらりと眺めていた老店主がそう言えば、頭の上でアルトがひと言付け加える。
「この調子じゃしばらくは誰も来ないと思うけど」
 そう言った妖精の声に釣られるように、少女は視線を右へと向けた。
 その先には大きな窓ガラス。大粒の雨が叩き付けられ、それが滝のように窓ガラスの表面を流れ落ちてる体たらく。
 アスファルトや建物を叩く雨音も耳につくほど大きな物になっていた。
 視野の上部ぎりぎりをちらちら動いてるアルトの足をチラリと一瞥、コクン……と喫茶アルト“名目上”店長の老紳士に頷いてみせると、少女は店内ほぼ中央にある大きめの席を陣取り、あーだのこーだのと楽しそうに話をしている友人達の元へと足を向けた。
 徒歩十数秒、あっと言う間に現場到着。
 すると、そこにはなぜか、美月の姿。アルトの制服ではなく、美月が好んで着るシンプルなワンピース姿。
「あっ、伶奈ちゃん、ちょうど良いところに」
 一人、立っていた美月が伶奈の顔を見るなり、そう言って、パッと大輪のひまわりのように散る笑顔を浮かべた。
「何? 美月お姉ちゃん」
「うん、今ね、伶奈チのお姉ちゃんに春休みにここでお泊まり会して良い? って聞いたら、良いって言ってくれたんで、伶奈チの部屋でお泊まり会しようね!」
 そう宣ったのは四方会リーダーというか言い出しっぺ役、東雲穂香だ。よっぽど嬉しかったのか、にっこにことこぼれんばかりの笑みで伶奈の顔を見上げ、一息にまくし立てた。
「えっ……えっと……私……そんな話、聞いてない……」
 呆然と伶奈がそう返せば、軽く頭を抱えている美紅と苦笑いの美月、明後日の方向をぼんやり眺めている蓮を放置して、穂香が応えた。
「うん、今、言ったからね!」
「……私の部屋でやるんだよね? お泊まり会」
「うん! 春休みのいつか! この辺は今から調整だね!」
「なんで、私が最後に聞いてるの?」
「たまたま!!」
 明るい笑顔で言い切られると、軽いめまいを少女は覚えざるをえない。そのめまいの中、少女は絞り出すような声で呟いた。
「たまたま……なんだ……」
「うん! だって、伶奈チのお姉ちゃんがふらふらしてるのを見かけたときに思いついたことだし!」
 悪気の全くなさげな穂香の笑顔を見てれば、怒る気も消え失せる。少女の胸に去来する思いはただただ一つだけ。
「……ああ……うん……知ってた……穂香がそう言う雑な生き方をしてるの……」
「えへへ」
「褒めてない!!!」
 頭を掻きつつ照れてる穂香を一括すれば、頭の上で妖精がぽつりと漏らした。
「怒ってるじゃない……」

 さて、楽しいお泊まり会の予定が立ったわけだ、が。
「一応、教師の前でお泊まり会とか、そー言う話をしないで欲しいんだよね……」
 アイスコーヒーのお代わりを飲んでいた一応担任教師の瑠依子が軽くため息を吐いた。
 そのため息交じりの言葉にパフェをじっくりと味わいながら突いていた彩音がきょとんとした表情を見せた。
「あら、生徒会室でお泊まり会やっちゃった生徒会長様も、ずいぶんとご立派なことをおっしゃるようになられたのですね? 若干、びっくり」
 言われて瑠依子の細い眉がぴくりと動く。
「……お嬢、毒吐くようになったね……?」
「毎日毎日、手厳しい県民の皆様クレーマーのお相手してたら、毒だって少しくらい吐けるようになります」
 そう言って、また、チョコの絡んだアイスバニラアイスをぱくりと口に含む。
 こぼれんばかりの笑みが彼女を少し童顔に見せた。
「成長したのかねぇ……」
「今なら、全校生徒の前で演説しても、卒倒はしませんわ…………しゃべれはしないと思いますけど」
「大して変わってないよ」
 クスッと頬を緩める瑠依子にやっぱり彩音も頬を緩め、言葉を続けた。
「それで……聞いちゃった先生はどうなさるのですか?」
「もちろん」
「もちろん?」
「聞かなかったことにする」
「……会長は変わりませんね」
「あの子達を信用してるの……っと、まあ、この辺りだと若い男も多いから、ひと言、釘だけは刺しておこうかな?」
 そう言って瑠依子はストゥールから立ち上がり、わいわいと少女達が盛り上がっている一角へと足を向けた。
「そー言う計画は教師がいないところで建てる物でしょ!?」
「大丈夫だよ〜一晩中ゲームするだけだし〜」
「ここ、穂香ちゃんが持ってないハードもあるしね」
「……………………………………あと、ココア、飲み放題」
「煎れるの私じゃんか!?」
「つーか、楽しそうだから、私も混ぜて」
「「「「え〜〜〜〜〜!!?」」」」
 彩音の背後で瑠依子の賑やかな声が聞こえたかと思うも、それは少女達の声にあっと言う間に飲み込まれてしまう。そして、それは、ただの女達の盛り上がった声へと変化していった。
「……あの人は、ほんと、変わりませんねぇ……」
「ふふ……釘はどこに刺したんでしょうね?」
 彩音の呟きに老紳士が皺を深くして応じれば、彩音もパフェのぱくりと一口、大きめに食べて頬を緩めた。

「この辺は大学生も多いんだから、変なのに声をかけられたら、私に連絡するのよ。速攻、見に来るから!」

 聞こえてきた瑠依子の弾む声に彩音はひと言だけ呟いた……
「……歪んだ釘をさして……」

 と、言うわけで第二回四方会お泊まり会は四月第一日曜の夜と決まった。

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