喫茶アルト吉田貴美追い出し会、その最初のイベントは西部伶奈による花束贈呈式であった。
訳だが……
「えっと……あの……その……海に行ったり……買い物に付き合ってくれたの、楽しかった……です。それと、ちょっとだけだけど、仕事、教えて貰って……厳しかったけど、説明は解りやすかったです。忘れないで、がんばっていきたい……です」
と、ここまでは良かった。
しかし、ここからが良くなかった。
「でも、教えて貰った事、私、まだまだ、ちゃんとできてないし………………椅子、暇になるとカタカタ言わせちゃうし……あくびも出るし……忙しくなったら、アルトに注文を覚えて貰うし……ひっくっ……私、まだまだ、ダメダメで…………ひっく……すんっ……翼さんはキッチンだし……美月お姉ちゃんは家事してたり、りょーや君とお出かけしたりしてるし……ぐすっ……すんっ……おじいちゃんは置物だし……ふえっ……すっ……ひっく……凪歩お姉ちゃんはお休みだし……フロア、私一人で……ひんっ……だから……もうちょっと……ふぇ……えんっ……ぐすっ……吉田さんには教えて欲しかったけど……でも、そんな事……ぐすっ……ふぇ……」
当初は恥ずかしそうに言葉を選んでいた伶奈であったが、その言葉を紡いでる内、次第にその表情は曇り始めた。そして、最終的には反省を始めた挙げ句に感極まっての号泣。
そんな様子をぼんやりと一人、テーブルの上に並べられていた料理をつまみ食いしながら、妖精が呟く。
「ああ……前からちょっと思ってたんだけど、この子、喋ってる内にテンションが上がって、キレたり、泣いたりするタイプなのねぇ……」
呟く向こう側ではめそめそ泣いてる少女の周りで男女六人の大人が右往左往という面白い風景。
その光景を摘まみに、パスタを摘まむ妖精に向け、良夜の鋭い怒声が飛んだ。
「……――って、お前ものんきにしてないで、ちょっとはフォローしろよ!!!」
と、言う感じでのっけからただでは終わらない感じをたっぷりと醸し出しながらも、喫茶アルト吉田貴美追い出し会が始まった。
さて、伶奈が泣き止んだのはそれから五分くらい経っての事だった。
「あんたらがちゃんとやんないから、伶奈ちゃんが不安になって泣いちゃったんっしょ!? 特になぎぽんだ! 面倒見ろつってったっしょ!? 夏休み以降、勤務日が合わないって、合わせなきゃ、合わないに決まってんっしょ!? 最初にたらたらする事を覚えたら一生たらたらなんよ!? ほんとにもう! 後、美月さんも! たまにはデート止めて、伶奈ちゃんの面倒をみな?! それから、つばさんは相変わらず、キッチン引きこもりか? たまには出てこなあかんって、前から、言ってんっしょ!? ちっさい店なんだから、全員が全員のフォローに回れるようにしなきゃいけんの!!」
伶奈の様子が落ち着いたかと思えば、次に始まったのは追い出される当人によるお説教であった。
上座に座った貴美が料理だらけのテーブルの上に両手を突き、両側にずらりと並んだ面々に向けて大演説だ。
それをクシュンとうつむいた女性陣三人と右往左往きょろきょろしている少女が一人。それから、居心地悪そうにそっぽを向いてる男性二人が聞いているというのは、一種異様な風景であった。
それでも『お前ら正座』から始めなかった辺り、彼女にも理性が残っていたのだろうと良夜は思った。
「もう! ちっとは考えなよ! はい! もう、終わり! 食べんよ! あっ、伶奈ちゃんに怒った訳ちゃうから。きょろきょろしないで良いからね」
そう言って話を切り上げれば、いよいよ追い出し会本番開始。
この始まり方も悪くはなかったのではないか? と良夜は思った。そういうのも、さすがにお説教直後に酒を浴びるほど飲む奴も――
「あっ……もう、ない……」
――居た。
喫茶アルトスタッフ最強の酒豪、通称『枠』の時任凪歩二十一歳。彼女の手元には缶酎ハイの空き缶がすでに三本、それらを空けた彼女が次の狙いに定めたのは、彼女自身が持ってきたサントリーの角瓶だった。彼女は、無造作に瓶の封を切ると、とくとくとタンブラーに琥珀色の液体を注ぎ込んでいった。
「……最後なんだから、ちっとは遠慮しぃ? 遠慮」
そう言ったのは、当人も結構強く、ついでに言えば結構なペースで飲んでる吉田貴美だ。彼女とて一本目の缶ビールはすでに空っぽ。凪歩がテーブルの上へと戻した角瓶に手を伸ばすと、タンブラーの中に琥珀色の液体をとくとくと注ぎ込んだ。その上から更にコカコーラを少々。濃いめのコークハイを、おつまみのブルスケッタと共に口へと運び始めた。
そんな凪歩と貴美から良夜は視線をテーブルの上へと動かした。
テーブルの上には伶奈が好きなジャガイモとベーコンのジャーマンピザに定番のマルゲリータ、ミートソースとチーズたっぷりのミートソースピザの三種類。他にも、さっき、貴美が摘まんでいたがバケットのガーリックトーストの上にアンチョビーやツナ、トマト、チキンなど、好きな物をトッピングし、オリーブオイルと粗挽きこしょうで味付けをして食べるブルスケッタ。モッツァレラチーズとトマトのサラダ――カプレーゼは伶奈の作品、暇そうにしている伶奈を見つけた翼が作るように命じた代物だ。他にもペペロンチーノのパスタや鶏肉のトマトソース煮なんかも並んでいるし、飲み物はアルコール、ノンアルコール問わずに豊富。
今夜は普段以上に豪華だ。
そんな中、良夜は貴美の残したコカコーラの缶に手を伸ばした。
「呑まないの?」
尋ねたのは先ほどまですすり泣いていた西部伶奈さん。顔を洗いに行ったおかげか、泣きはらした瞳が少々腫れぼったい以外は普段通りの様子に戻っていた。
彼女が摘まんでいるのは好物のチキンのトマトソース煮、飲み物はウーロン茶だ。夏の海で調子に乗って炭酸ジュースを飲んでいたら、それだけでお腹が膨れてしまったという反省から、今夜は甘くなく、炭酸でもないお茶類で攻めるつもりらしい。
そんな伶奈の手元をチラリと見たら、良夜は少しだけ頬を緩めて答えた。
「時任さん達を送るから……運転手なんだよ」
そう答えると伶奈も納得したらしい。
「ご苦労様……」
小さめの声でそう言うと、彼女はグビグビとウーロン茶を大きめのタンブラー半分ほどあおった。
「良夜さんが頼みやすんですよねぇ〜こー言うの」
そう言ったのは、良夜を伶奈と共に挟むように座っている美月だ。彼女の手には赤ワインが注がれたグラス、ちびちびと舐めるようにゆっくりと飲んでいた。
その美月に本日の主役、上座を与えられている貴美が言った。
「……自分が飲まずに送ろうって意識は皆無なんやね……?」
貴美のひと言にワインを傾ける美月の手が止まった。
そして、その美月が口を開くよりも先に口を開いた女がいた。
「チーフは……嫌……」
美月の正面に座っている翼だ。ジャーマンピザを片手にピーチの缶酎ハイを傾けていた彼女は、淡々とした口調で言葉を続けた。
「チーフは……寝るから……」
「いっ、いつの話をしてるんですか!? 去年のお正月の事じゃないですか!?」
顔色を変えて美月が抗議をする物の、彼女はペースを崩す事泣く、缶酎ハイとジャーマンピザを交互に口に運びながら、言葉を紡ぐ。
「……新歓飲み会の時も……ぐーぐー寝てた、し……」
翼がそう言えば、美月の方も負けていない。
ぴっ! と人差し指を立てたら、こぼれんばかりの笑みで彼女は言った。
「良夜さんの胸に吐いちゃったときですね! 翼さんが」
「……………………忘れた」
「ああ! ずるいです!!」
プイッとそっぽを向いてしまう翼に、美月は大喜び。「ずるい、ずるい」とはやし立てる。まるで子供のようだ。
そんな美月と翼の様子を、缶コーラとパスタ片手にぼんやりと良夜が眺めていると、同じようにぼんやりと眺めていた直樹に貴美が声をかけた。
「どったん? 静かじゃん」
「みなさんほど賑やかに飲む方じゃないですよ」
「まあ、そうやね? 影が薄いから」
「……このメンツの中で影が濃くなるのは無理ですよ、ボクには……――でも、こうやってこのメンツで飲むのも最後だなぁ……って思うと、少し、寂しくて」
直樹がそう言うと貴美も少し寂しそうな笑みを浮かべて答えた。
「そー言えばさ……私らとりょーやんが初めて会ったときも、いきなりビール飲んでたよね」
「あはは、そうでしたね。吉田さんが割った卵を一ダース丸ごと使った奴」
「しょうがないじゃんか……蜂に刺されちゃったんだし」
そう言って盛り上がる貴美と直樹、その時、美月の手元、ワインをストローで飲んでいたアルトが、トン……と美月の背の高いワイングラスの縁から飛び降りた。そして、トコトコ……ゆっくりとした足取りでその場を――
「どこに行くの?」
――辞すれない
ひょいとアルトの薄っぺらな羽を伶奈が摘まみ上げ、その小さな顔を伶奈自身の目の高さにまで持ち上げた。
その視線からプイッとそっぽを向いて、アルトは答える。
「……ちょっと……天竺に
「魔天経文は天竺にはないと思うよ、三蔵が持ってるから」
「…………付いて来やがったわ、この
伶奈とアルトがそんなやりとりをしている間にも、貴美と直樹の会話は盛り上がっている模様。
「飲み会で始まって、飲み会で終わるって言うのも、私ららしくていいやね」
「そうですね」
貴美が言って、直樹が頬を緩める。
そんなタカミーズの二人から視線を動かし、良夜はアルトの顔を一瞥した。
視線が交わって一瞬、ぷいっ! と伶奈に摘ままれたまま、アルトはそっぽを向いた。
そんなアルトに軽く頬を緩めて、良夜は言った。
「ところでさ……吉田さんさ……」
「なんよ? 四年越しの告白?」
「告白っちゃー告白……まあ、俺も奇麗さっぱり忘れてたんだけどさ……四年前の飲み会」
「卵パーティの事?」
「そそ、その卵パーティの原因になった蜂……」
「うん、蜂がどうしたん?」
不思議そうに貴美が小首をかしげれば、良夜が伶奈の方へと視線を向けて、言った。
「……今、伶奈ちゃんが摘まんでる」
しーーーーーーーーーーーーんと静まりかえる、喫茶アルト、フロア。
「本当に言ったわねっ!? 四年も前の話!!!」
「……――ってアルトが言ってるよ……」
「教えなくていいわよ!!」
「……――だって」
アルトの言葉を通訳したのは、アルトの羽を摘まんだままの西部伶奈ちゃん。その指の下、羽を摘ままれたアルトがじたばたと暴れているが、彼女の指先は決して、摘まんだ物を離しはしない。
逃げる事を諦めたのか、じたばたするのを辞めると、アルトは良夜の方へとストローをぴしっ! と向けて、いった。
「じゃっ、じゃあ! 言うけど!! 四年前の聞きコーヒーの時、良夜が当てたのは私が全部教えてあげたからじゃないの!!」
顔色を変えて叫ぶアルトに良夜はコクン……と小首を傾げる。
「なんの話だ? それ?」
「忘れてるの!? ほら!! 貴美に聞きコーヒーの話し、覚えてるか? って聞きなさい!」
「……――ってアルトが言ってるけど……」
「ん……ああ! 私がインスタントとドリップの味がわかんないって話になった時の……って、インチキだったん!? あれ!!??」
良夜はすっかり忘れ去っていたイベントではあったが、貴美はしっかり覚えていた模様。伶奈の通訳を聞いた途端、がたん! と大きな音を立てて、腰を浮かせた。
一方、美月の方もこの話は覚えていたらしく、良夜の方へと顔を向けて、当時の話を語って聞かせる。
「ほら、良夜さんが『吉田さんは泥水に砂糖とミルクを混ぜた物をコーヒーだと思って飲む』って……」
「ああ……そうそう、そうだ、そうだ、そんな事あったあった!」
ぽん! と懐かしい話に手を叩いて、良夜が声を上げると、説明をしつつ、もっと詳しい事を思いだした美月がコテン……と、小首をかしげ、あやふやな記憶を確かめるように小さめの声で呟いた。
「……あれ? 良夜さんじゃなくて、言ってたの、アルトですよね? 本当は」
アルトの言ってた話を、良夜が美月に伝えて、当時、まだ、アルトの事を知らなかった貴美に話をするため、美月がアルトが言った事を「良夜さんが言ってた」と伝えたのが、この一件の原因だ……って事を美月と良夜が貴美にすれば、伶奈の指の中で、相変わらず摘ままれたままの妖精が顔色を変えた。
「わっ!? やぶ蛇!!」
「……――だって」
「あはは!」
そんな話をぽかーんと聞いていた貴美が不意に大きめの声を上げて笑い始めた。
そのまま、ひとしきり笑い終えると、貴美はぺたんと浮かせていた腰を椅子の座面へと落ち着けた。そして、半分ほどにまで減ったコークハイの残りを一気飲み、トンッ! とテーブルの上に戻すと、彼女はしみじみとした口調で呟いた。
「そっかぁ〜こっちに来た当日からアルちゃんに遭ってたんやね……」
そして、彼女はほっ……と一息漏らすと、視線を窓の方へと向けて、呟いた。
「楽しかったなぁ……四年間……」
「吉田さんならどこに行っても楽しいですよ」
貴美の独り言に直樹が茶化すような口調で答えた。彼の手にも一本目ではない発泡酒の缶、貴美に鍛えられたせいか、ずいぶんと強くなっていて、最近はべろんべろんになる事も少ない。
その彼が空っぽになった発泡酒の缶をゴミ袋に放り込みながら、言葉を続けた。
「でも、ここでの楽しみはもう、終わりなんですね」
しんみりとした口調だった。
そして、新しい発泡酒が開かれ、炭酸の抜ける音がパシュッ! と心地よくフロアの中に響いた。
「乾杯、しましょうか?」
美月がそう言い、腰を浮かした。
その手にはワイングラス、そこにはルビーのように澄んだ色をした液体が半分ほど満たされていた。
その言葉を受けて、他の面々もグラスを手にする。
アルトの羽を摘まんでいた伶奈も離したし、摘ままれていたアルトもテーブルの上に着地をして、一抱えもあるショットグラスをぐいっ! と持ち上げた。
「良いわよって、美月に伝えて」
「――だって」
アルトの用意が出来たことを、伶奈が美月に教えれば、美月はグラスを掲げて力強く宣言をした。
「吉田貴美さんの四年に及ぶ尽力に感謝し、そして、これからのご多幸をお祈りして、乾杯!!」
「かんぱい!」
美月の言葉に一人を除いて――アルトまでもが高らかに杯を掲げ、声を上げる。
「……なんでなおまで言ってんよ……?」
「えっ? あっ……勢い?」
「もう……」
酒に赤くなった顔で照れ笑いを浮かべる直樹に、貴美も照れ笑いとため息のような言葉を与えて、彼女は立ち上がった。
そして、辺りをぐるっと見渡したら、コホン……と軽く咳払い。
「四年間ありがとう……楽しかったよ。ここで過ごした事は一生の宝物になると思う。みんなに言いたい事はさっきのお説教で言っちゃったかな? それ以外はやっぱり、『ありがとう』『楽しかった』以外にないよ……って、もう、これくらいでいいよね? 伶奈ちゃんじゃないけどさ、これ以上、喋ってたら、テンション上がって、泣きそうだから……たまには遊びに来るから、美味しいコーヒーと料理、食べさせてね、以上!」
そう言って貴美はぺたん! と座面に腰を下ろすと、プイッとそっぽを向いた。そして、そっぽを向いたままでテーブルの片隅に置かれていたペーパーナプキンへと手を伸ばす。
ひょいと数枚のペーパーナプキンが貴美の細い指先に抜き取られ、それは彼女の後頭部の向こう側へと消えた。
パチパチ……控えめな拍手の音が喫茶アルトのフロア、吉田貴美追い出し会の会場に響き渡った。
そして、貴美はそっぽを向いたままに言った。
「拍手なんて、いらんって!」
そう言った声は少しだけ涙声に聞こえた……のは、多分、気のせいではない、と青年は思った。
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