出ていく人、残る人(2)

 さて、喫茶アルトの『吉田貴美追い出し会(仮題)』の幹事をなぜか、良夜が押し付けられる形になった。まあ、タカミーズは学内において、良夜の一番親しい友人と言って良い相手だ。最後の飲み会に骨を折るのもやぶさかではない。
 そもそも、やる事なんて……――
「日程調整と缶チューハイの買い出しだけでしょ? どうせ、現場はここなんだし」
 空っぽになったコーヒーカップの上、ぷらぷらと足を振りながら、アルトが言った。
 彼女に言われるまでもなく、やる事なんてたかがしれてる。実質やることは出席させたいメンバーに都合の良い日を聞いて回るだけ。簡単な物だ。
 そういう訳で、早速スマホを取りだし、吉田貴美の電話番号を呼び出す。
「今、貴美はどっちにいるの?」
「こっちには居ない……けど、地元に居るとも限らない。三月は遊び倒すとか言ってたから……何処かに行ってるかも……」
「旅行とか? 卒業旅行ね……いいわね、良夜も行ってきたら?」
 楽しげに足をぷらぷらさせる度、かちんかちんと木靴の踵がカップに当たる音が良夜の耳に届いていた。
 そのアルトの楽しげなそぶりを見つつ、スマホをテーブルの上に戻した。
 もちろん、呼び出し音は聞こえやしないが、そこに表示された『吉田貴美・呼び出し中』の表示はしっかり見えるから、問題なし。
 そのスマホを視線の端に捕らえながら、良夜はコーヒーカップの上でくつろぐ妖精へと、視線の中心を動かした。
 大きな窓から差し込む明かりに金髪を照らされながら、アルトが大きな瞳で良夜の顔を見上げていた。いたずらっ子のような小憎たらしくも、どこか嫌いにはなれない笑み。
 その顔を見下ろしながら、青年は答える。
「一人旅ってのはなんか寂しいし、美月さんは忙しそうだし、お前と二人旅はごめんだし、他に当てはないしって所だな」
「美月が忙しそう……以外はたいした理由になってないわよ? 特に私との旅行が嫌って、何様よ?」
「……いや、お前と二人で旅行に行くなら、ここでコーヒーでも飲んでる方がマシだよ。安上がりな分」
「これだから、出不精なオタクは嫌いだわ」
「どうとでも言え」
「ふんっ!」
 プイッとそっぽを向いたかと思えば、すぐに視線を戻して、彼女は尋ねた。
「所で、電話は?」
「……出ねえな……直樹の方にかけてみるか……」
 呟きスマホの液晶を数回撫でて操作。すぐに直樹の番号を呼び出し、通話をしてみれば、帰ってきたのは冷たい女性の声。
『こちらは、NTT ドコモです。おかけになった電話は電波の届かない場所におられるか――』
「……なんだよ? あいつ……」
 ひと言吐き捨て通話をたたき切ったら、もう一度、貴美の番号を呼び出した。そして、彼が、もう一度、その番号にかければ――
『こちらは、NTT ドコモです。おかけになった電話は電波の届かない場所におられるか――』
「……やろう、今、電源を切り腐ったな……」
 さすがにムッと眉をひそめながら、青年はスマホをポケットの中にねじ込んだ。
 そして、彼は誰に言うとでもなく、ひと言言った。
「あいつら、何してんだ?」
 独り言にアルトがすまし顔で答えた。
「ナニしてるに決まってるでしょ?」
 その言葉、良夜は理解するのに十秒の時をかけた。
「……お前なぁ……」
「そんなことより、貴方には大事な仕事があるのよ?」
 呆れる良夜に、トンとコーヒーカップの上から飛び降りて、アルトが言った。
「なんだよ……?」
 訝しむ良夜の手元、トーンと踏切り、アルトは宙へと舞い上がった。そして、良夜の肩口にちょこんと着地、そっと耳元に唇を寄せると、彼女は言った。
「この話の根源を司る大事な任務よ、それはね……――」
 その耳打ちを聞き、青年は大きな声で言うのだった。
「ああ!! 絶対そうなるわ……」

『いや、ごめん、ちょっと取り込み中で。なんの用?』
 貴美から折り返しの電話が掛かってきたのは、良夜が電話を諦めてから三時間後のことだった。
 その時、もちろん、良夜の姿は喫茶アルトにはなかった。居たのは自宅、パソコンの前。エロではないが、ゲームの真っ最中。しかも、割と良いところ。昼間電話に出なかった事への恨み節に、中断されたいらつきがブレンドされて、その心中は決して穏やかな物ではなかった。
「お前、何してたんだよ……?」
 その不機嫌丸出しな言葉に貴美はひと言、あっさり答えた。
『ナニしてた』
『ちょっと!? 貴美さん!!!』
 貴美の声の向こう側で直樹の声が聞こえた。
 仲よさそうでなりよりである。
 青年は軽くため息を吐きながら、口を開いた。
「……吉田さんってホント、すげーな……まあ、いいや……それで、アルトで壮行会やるんだけど、吉田さん、いつなら都合が良い?」
 スマホを左手一本で耳に押しつけつつ、右手でマウスを転がし、青年はゲームを中断した。ポリゴンで表示された荒廃した世界が消え失せ、代わりに緑美しい山と真っ青な空の壁紙で飾られたデスクトップが表示される。
 その左耳に貴美の高く澄んだ声が聞こえた。
『アルトの? まあ、いつでも良いんだけど……伶奈ちゃんの都合は聞いたん?』
 パソコンデッキはキッチンの片隅、八畳の寝室とキッチンを遮る壁際に押し付けるような感じで置かれていた。そのパソコンデッキの前から立ち上がると、青年は軽く小首をかしげながら、貴美の言葉に応えた。
「伶奈ちゃん? いや、まだ」
『だったら、先に伶奈ちゃんの都合を聞きなよ。こっちは大人だし、どうとでも都合は付けられっけど、相手、中坊だよ? 伶奈ちゃんの都合に大人が合わせた方が良いじゃん。それとも呼ばんの?』
「ああ……」
 貴美の言葉に軽くではあるが感嘆の声を上げた。そして、彼は寝室兼リビングへと足を踏み入れた。
 引っ越し直後は荒れ放題だった部屋もひと月の間で奇麗さっぱり片付いていた。大量にある資料の類い、その中で使用頻度の高い物は壁際に置かれたカラーボックスの中、頻度の低い物はクローゼットや収納スペースに押し込んだ。
 その片付けられた部屋の中、一番大きな荷物であるベッドの上に寝転がりながら、青年は言った。
「全く、考えてなかった……呼ぶんじゃないのかな……? 出席できれば、だけど……」
『まあ、相手中学生だから、多分、土曜か金曜の夜くらいしか予定取れないだろうし、そうなると、日にちは限られてくるから、予定は組みやすいんだけど……ところでさ』
 貴美は不意に言葉を句切った。
「なんだ?」
 良夜が言った言葉に貴美がぼんやりとした口調で応える。
『壮行会って……誰か辞めんの?』
 その質問に良夜は思わず、沈黙した。
 それがだいたい、十秒くらいか? もしかしたら、もうちょっと長かったかも知れない。
『りょーやん?』
 と、貴美が返事の催促をしたんだから、長かった可能性は高い。
 そして、良夜はやおら答えた。
「……えっと、吉田さんさ、りすぎで頭、ボケたか? 吉田さん以外に誰が辞めるんだよ……」
 すると今度は貴美が沈黙する番。
 結構長い。
 それは良夜が枕元に放置してあったリモコンに手を伸ばし、電源ボタンを押してもまだ続くほど。
 壁際、メタルラックの上に置かれた液晶テレビに灯がともり、夕方のローカルニュースが映し出される。何処かのお寺でツバキが奇麗に咲いてるって言う、割とどうでも良い情報。
 その割とどうでも良い情報が伝えられ終わる頃、ようやく、貴美が大きな声を上げた。
『…………………………ああ、私!?』
「……バカなの?」
『嫌だよ、壮行会なんて。一抱えもあるような花束貰って、渡す方も涙なら受け取る方も涙とか、寒い絵面、嫌だかんね』
「吉田さん、それは催促か?」
『いや、マジ、ヤだって! ただの飲み会ならともかく、私の壮行会とか、絶対に嫌!』
「嫌って言われても……多分、今夜辺り、美月さんが他の二人には伝えるだろうし、最後だから、ちょっと良い飯食って、ちょっと良い酒飲んで、一抱えある赤いバラの花束でも貰って、帰れよ」
『なんで、赤いバラなんよ!』
「……一番、貰って、恥ずかしそうなのが良いかと思って」
『りょーやん、性格、悪くなった!!』
「もしそうだとしたら、半分は、あんたのせいだよ」
『三割だって! 残り三割五分はアルちゃんと美月さん』
「……美月さんを混ぜんな。それじゃ、こっちで伶奈ちゃんの予定を聞いたら、そっちに連絡するわ。最後の飲み会になんだからさ、素直に出てこいよ」
『……もう、良いよ。卒業式の日にはアルトに顔を出すから、そこでバイバイって感じで終わりにしようよ」
 投げやりな貴美の口調に、良夜は軽くため息を吐いた。
 概ね、予想されてたとおりの発言だ。
『他人を弄るのおは大好きだが、弄られるのは大嫌い。セレモニーは他人の物を主催する物で、自分がやられる側になるのは真っ平御免』
 それが貴美の持論だ。それは直樹の誕生日はなんだかんだと盛大に祝う癖に、自分の誕生日には何にもやらないって感じらしいし、さらには『第一子の出生届を出す直前に婚姻届を出せば良い』と、結婚式すらやらないと公言しているんだから、徹底している。
 まあ、これがアルトの言った『大事な任務』だ。
 嫌がる貴美に首を縦に振らせることである。
 ベッドの上から体を起こし、青年は居住まいを正した。
 そして、スマホを右手に持ち直すと、コホンと、小さく咳払い。

「解った、来なくて良いよ。その代わり、壮行会ん時に、美月さんの部屋に置いてあるぬいぐるみに『吉田貴美代理』ってワッペン着けさせて、テーブルの上に並べてやるからな、直樹が来なかったら、直樹の分も! その写真を撮って、アルトに張り出してやっからな!!!」

 アルトに教えられた通りのセリフを言えば、スマホの向こうがから、貴美の悲鳴のような声が聞こえた。
『汚い! りょーやん、汚い!!』

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