お返し(完)

 さて、三月に入ればすぐにホワイトデーだ。
 伶奈達四方会はバレンタインデーの時、それぞれにお菓子を持ち寄り、ちょっとしたお茶会でも……と言うことになり、当日は穂香の部屋に集まった。
 しかし、そこはそれ、名目はバレンタインで「友チョコ」の持ち寄りだ。当然のように、全員が全員、自分の食べる分に加えて、他の三名へのバレンタインデーのチョコという物を持ってきてしまった。
 結果、十六人前のお菓子が部屋のテーブルの上に積み上げられた。
 ちなみに味の大半がチョコがらみ。
 なかなか、壮観。
 そして、飽きる。
 この上、翌日月曜日に、他のクラスメイトからも友チョコをちょっと頂いた。更に、放課後、手芸部に行ったらドール組の先輩三人が麦チョコを摘まんでて、「上げる」と言われたら断り切れなかった。
 はっきり言って、もうしばらくはチョコレートなんて見たくないって言うような状況になっていた。
 そしてひと月が経ち、ホワイトデー。
「量は控える、マシュマロとホワイトチョコは禁止」
 と、穂香が提案した。
 そこで伶奈はレーズン入りのクッキーを少々、持っていくことにした。もちろん、喫茶アルトで買ったケーキショップ『ひさか』の市販品。
 お気に入りのジーンズ生地のナップザックにクッキーを入れて、伶奈はぽんと部屋を飛び出る。すると、そこにはいつものように暇そうに煙草をくゆらせてるお隣さんの姿があった。
「……ジェリドって、私のこと、待ってるの?」
「なんで、ジャリを待つんだよ……って言いたいけど、今日は待ってた、ほれ」
 そう言うと悠介は手元に置いてあった買い物袋をひょいと取り上げ、伶奈へと突き出した。
 思いも寄らぬプレゼントに思わず変なことを発してしまいながらも、少女はその買い物袋を開いてみた。
「おっ? えっ? ああ……ホワイトデー…………」
 すると中には小さなクッキーの袋が一つとマシュマロの袋が一つ、それから……――
「……本当にエンゼルパイだ」
 箱詰めになってるエンゼルパイが一つ、意表を突くプレゼントに思わず声が零れた。
「その箱のが俺ので、クッキーが灯で、マシュマロがシュンだよ」
 そう言うと彼はプカーっと煙草の煙を中に吐き出す。匂いのきつい紫煙が真っ青な春空へと吐き出され、そして、拡散していく。
 その紫煙の行く末をチラ見したら、少女はウンコ座りの青年に言葉をかけた。
「灯センセと真鍋さんは?」
「二人とも草野球の応援……フレーフレーじゃない方」
 煙草をくゆらせながら、悠介が言うと、伶奈は背負っていたナップザックを下ろしながら、言った。
「……ジェリドがやれば? フレーフレーの方」
「……俺がやって誰が喜ぶんだ?」
「私が大爆笑する」
「……おう、そりゃ、ありがとな。さっさと行け、クソジャリ」
 そのまま、二言三言と言葉を交換し合ってるうちに、悠介から貰った買い物袋は伶奈のナップザックの中。奇麗に納まったら、ひょいとそのナップザックを背負い直す。
 そして、伶奈は屈託のない笑みを浮かべると、彼に軽く手を振ってみせる。
「あはは、じゃあ、またね。ホワイトデー、ありがと!」
 そんな言葉を一つ残し、少女は足取りも軽くトントンと階段を駆け下りていく。
 その背後で青年が――
「……さて、奴が帰ってくるまでに逃げるか……」
 なーんて、呟いてることも知らずに。

 自転車に乗ってひとっ走り、伶奈は喫茶アルトに向かった。そこでだら〜っとコーヒーを飲んでた妖精さんを回収。彼女をオーバーオールの大きな胸ポケットにねじ込んだら、一路、駅へと向かう。
 電車に乗ったら、ぼんやりしてるうちに英明学園最寄り駅だ。
 下りたらそこはまぶしい春の陽気とジーパンに白いブラウスというボーイッシュな出で立ちの友人――北原美紅の姿があった。
「ヤッホー、伶奈ちゃん」
 そう言って掲げる右手を左手でパンッ! 心地よい張り手の音が春まだ早い空へと消えていく。
 その音に見送られるように二人は駅を後にし、穂香の家へ……と向かう前に、バス停の前で蓮を小脇に抱えている穂香本人と合流。四人揃ったら、円陣を組んでのハイタッチ。ちなみに、伶奈の右手で穂香、左手に蓮、正面に美紅の布陣ってのは、余談。
 ひらひらが沢山付いたフェミニンなワンピース姿の蓮、ショートパンツにブラウス姿の穂香、四人並んで穂香の家へと向かう散歩を少女達は愉しむ。
 その散歩はものの十分と掛からずに終了。
 穂香のおうちに入ったら、まずは、ココアの用意だ。四方会四人分、さらには穂香のご両親とおばあさんの分も入れたら、おずおずと穂香の部屋へと四人は向かう。
「なんで、親の分まで煎れるのかしらね?」
「……さあ?」
 アルトの突っ込みに苦笑いを返して、彼女はガラステーブルの前に座った。
 東西南北の並び順。もちろん、家主の穂香が背もたれのある“上座”だ。
 そして、少女達は各々が持ち寄ったお菓子をざーっとテーブルの上へと取り出した。
 穂香は定番にクッキー、ミルククリームが挟まってる奴。美紅は母親と一緒に作ったパウンドケーキをカットした物で、蓮は市販のカステラ……そして、伶奈は自身が買ってきたマドレーヌとジェリドこと悠介がくれたホワイトデーのお返しだ。
「沢山持ってくるのは辞めようって言ったじゃんかぁ〜」
 多すぎる伶奈の分量に頬を膨らませたのは、四方会の言い出しっぺ役とリーダーを兼ねてる穂香だった。
 そんな穂香の抗議の言葉に伶奈は少し苦笑いを浮かべて、答えた。
「出しなにお隣さんに貰った奴だよ。余ったら私が持って帰るから、気にしないで欲しいだけ食べて?」
「ならいいや。マシュマロは控えようって言ったけど、全くないのは寂しいしね」
 そう言って穂香がエンゼルパイに手を伸ばそうとするも、それを制する声が上がった。
「待ちなさい。まずは美紅のパウンドケーキを食べないと、痛むわよ。エンゼルパイなんて日持ちする物は後にすべきだわ」
 偉そうな声でそう言ったのは、アルトだ。
「……――ってアルトが言ってる」
「あっ、それもそうだね」
 伶奈がアルトの言葉を伝えれば、穂香もエンゼルパイに伸ばした手を引っ込め、代わりに美紅が母と一緒に作ったというパウンドケーキへと手を伸ばした。
「今日のは洋酒漬けのフルーツを使ってみたから、ちょっと大人向けな味かも?」
「あら、それは素敵ね」
「……――だって」
 アルトの言葉を美紅に伝えたら、彼女は素直に「ありがとう」と屈託のない笑みを浮かべてみせる。
 そして、少女もその笑みに笑みを返しつつ、可愛らしい小袋に一つ一つ詰められたケーキに手を伸ばした。
 通常よりも少し薄めに切られたパウンドケーキを更に半分にカットした物。普通なら物足りないサイズだが、他にも沢山あることを考えればちょうど良いサイズ。一口で簡単に食べられる大きさではあるが、伶奈があえて半分にしたのは、手元に心待ちにしている妖精さんが居たから。
 そのケーキをぱくりと口の中に放り込む。
 甘さ控えめ、洋酒の香りも少しだけ残っていて、確かに大人向けな味と言える。
「…………ぐっじょぶ」
 蓮はギュッと親指を立てた手を美紅へと突き出し頬を緩めた。お人形のように調った愛らしい顔がほころべば、まるで大輪の華が咲いたかのよう。周りも含めてパッと華やぐような感じがした。
 そして、穂香と伶奈、それからアルトも美紅とお母さん合作のパウンドケーキに舌鼓を打つと、口々にその出来映えを褒め立てた。それに美紅も嬉しそう。
 ケーキの話題を中心に、楽しい会話の華が乱れ咲く。
 それからクッキーやらカステラやらも食べて、いよいよ、伶奈が持ってきた物へと手が伸びる。
 そんなタイミングで、不意に穂香が尋ねた。
「ところでさ、伶奈チって……ジェリドさんのこと、好きなの?」
 その言葉に、伶奈はじとっと冷たい視線で穂香を見やる。
「私はジェリドには感謝はしているよ」
「あら……意外」
 伶奈の言葉に目を丸くしたのはアルトであり、他の面々も異口同音の言葉を並べ立てた。
 そんな友人達の様子に、軽くため息を吐き、少女は言葉を続けた。
「こっちに連れて来られて、学校も行かずにアルトのフロアで灯センセと二人で勉強してた私を、『可哀相な子』って扱いをしなかったのはジェリドだけだから……そこ“だけ”は感謝してる……」
 伶奈が努めて冷静な口調でそう言うと、穂香はパッと顔を明るくさせ、ずいっと実をガラステーブルの上へと乗りだしてきた。テーブル中央にまで進出してきた穂香が大きな瞳で伶奈を見上げる。そして、彼女は興奮納まりきらぬ口調で尋ねた。
「じゃっ、じゃあ!」
「……そういうのをすぐに恋バナに持っていくのがヤだ……感謝はしてるけど、別に好きでも何でも無いもん。だいたい、気を使われ過ぎると居心地が悪くなるけど、全く気を使われなさ過ぎなのは腹が立つんだよ…………」
 いったん少女はそう言って言葉を句切ると、ちびっとココアのマグカップに口を付けた。そのココアをほんの少し、舐めるように一口だけココアを飲む。
 暖かく、甘いココアが口内を抜けて行くのを感じる。
 そして、少女は正面、未だにテーブルの上に身を乗り出してる少女の顔をまっすぐに見やり、言葉を続けた。
「穂香もそういうとこあるし」
 その言葉に、アルトまでも含めた友人達が一斉に声を上げた。
「「「ああ……」」」
 頷く友人達に穂香の表情が一気に曇る。
「みんな! 納得するの止めようよ!! 私だって、時々は気を遣うよ?! ホント……たまに!!」
 取り繕うように穂香が言えば、友人達は声を出して笑い合った。
 そして、伶奈は少し格好を崩すと、言葉を続けた。
「後、ジェリドは私にひどいことばっかり言うし……呼び方はずーっとジャリだし……石じゃないって……」
 伶奈がほほを膨らませて抗議の言葉を述べれば、蓮がぽつり……と呟いた。
「珠のような可愛いジャリ……略してタマジャリ」
「……上手くないよ、蓮」
「……………………残念」
 冷たいひと言に蓮は蚊の鳴くような声でひと言言葉を返して、手の中に残っていたクッキーの最後の一欠片を、ぽいと口に放り込んだ。そして、それを食べつつ、ココアをグビッ……どちらも美味しかったのか、愛らしい童顔を緩めた。
「でもさ、ジェリドさんだっけ? 何回か会ったことがあるけど……結構、格好良くなかった?」
 美紅がフォローするようにそう言うと、伶奈は若干の呆れ顔を美紅へと向けて、言った。
「……美紅は格好良ければ何でも良いの?」
 その伶奈の顔へ真顔を向けると、彼女はコクンと小さく頷いた。そして、ひどく真面目な口調で言うのだった。
「格好悪いよりかは……」
「……すがすがしいダメ女ね。悪い男に騙されるわよ」
「……――ってアルトも言ってる」
「…………でも、顔の良さは七難隠すって…………」
 なんとかフォローしようとする友人に少女はため息一つ。そして、頬杖をついたら、その友人の顔をジト目で見やり、ため息交じりに口を開いた。
「でも、ジェリド、服を脱いだら棒人間だよ? がりがりの」
「脱がせたことあるの!?」
 ぴかっ! と顔色を明るくして穂香が食いつけば、少女は若干引き気味なって応じた。
「うっ! 海に一緒に行ったことがあるだけだよ!!」
 そんな伶奈を右に置いて蓮がひと言だけぽつりと呟いた。
「……すでにそこまで……」
 その言葉に穂香と美紅がパッ! と表情を明るくした。
「――って、速攻で嬉しそうな顔しないで!! 灯センセとか凪歩お姉ちゃんとか、沢山、人が居たから!!」
「「「「ちっ」」」」
「一斉に舌打ちしないで! なんでアルトまで舌打ちしてるの!?」
 友人一同にからかわれて、伶奈の顔はすでに真っ赤。ほかほかと熱くなってる顔と妙に高まってる鼓動をごまかすかのように少女はその悪友から貰ってきたエンゼルパイの箱へと手を伸ばした。
「あっ、私も欲しい」
「私も〜」
「蓮も……」
 箱を開いたら中に入ってるお菓子を穂香達友人に配り、最後に自身の手元にも。そして、パイを包む小さな袋を開きながら、少女は言葉を続けた。
「だいたい、いくら、私がエンゼルパイでも良いって言ったからって、むき出しのエンゼルパイをホワイトデーによこす人が良いの? みんなは」
 伶奈がそう言うと他の三人が苦笑い。
 ただ一人、美紅だけが――
「でも……格好いいし……」
 ――と訳解んない理屈でフォローしてみたが、引きつった笑みと震え声ではその説得力は皆無だ。
 そして、四人は一つずつ摘まんだエンゼルパイの小袋を開いて、中身を取り出した。
 その中身を、あむっ! と一斉に噛んだ。
 瞬間、少女達は小首をかしげて、ひと言ずつ呟く。
「あれ?」

 話遡ること、二十四時間ほど前。
「お前さ……その情熱、他に費やせないわけ?」
 友人が一生懸命工作活動を行っている風景を見つめ、時任灯が呆れ声を上げていた。
 その日、ジェリドこと勝岡悠介は二種類のお菓子を買ってきていた。一つは伶奈お望みの『森永エンゼルパイ』、チョコにマシュマロが挟まれてる奴。そして、もう一つが『ロッテチョコパイ』、こちらはクリームが挟まれてる奴だ。
 そして、今、青年は百円ライターで慎重に『エンゼルパイ』の箱を炙っていた。百円ライターでのり付け部分を炙ると糊の接着力が無くなり、奇麗に剥がれる……はず。
 十分に暖めたら、紙と紙の間にカッターナイフを差し込んで、ゆっくりと糊の部分を剥がしていく。ちなみに一回目は熱しすぎて燃やしてしまい、二回目はカッターで箱を切ってしまった。おかげで、彼の部屋には大して好きでもないエンゼルパイが山積みになっているが、気にしない。
 そして、三度目の正直。
 ようやく、上手く開いたら、その中からエンゼルパイを抜いて、代わりに一枚の紙切れと共にチョコパイを詰める。
 そしたら、元通り、奇麗にのり付けして完成だ。
「だいたい、それ、どう言う嫌がらせだ? てか、嫌がらせになってるのか?」
 尋ねたのはその作業をぼんやりと眺めていた俊一だ。
「どう言うって……エンゼルパイが食いたいときにチョコパイ渡されたら、これじゃない感で一杯になるだろう?」
 エンゼルパイをぱくりと一口、喰ってる俊一に向かって、悠介はそう言った。すると、彼は口の中に残っていたエンゼルパイをゴクリと飲み干し、そして、言った。
「微妙なイヤガセだな……」
「うるさい、黙れ……っと、完成!」
 出来上がった『外側』エンゼルパイ、『中身』チョコパイの箱を掲げ、青年はまるで子供のような笑顔で笑って見せた。
 そして、彼は言った。
「吠え面書きやがれ、クソジャリ」

『エンゼルパイは俺が貰った。お前はチョコパイでも食ってろ』
 テーブルの真ん中にはそう書かれた一枚の紙切れ。
 おでこくっつける勢いで四人はそれを見つめていた。
 そして、伶奈が言った。
「……ね? あり得ないでしょ……?」
 その言葉に三人は激しく頭を何度も振るのだった。

 尚、彼のもくろみ通り、四人の少女と妖精はたっぷりと……
「今はこれじゃないのに……」
 ……の気分を味わう羽目になった。

 そして、次の土曜日、諸悪の根源、悠介は喫茶アルトに遊びに来てた四方会の面々に――
「さいてー」
「………………バカ」
「……顔は良いのに……」
 穂香、蓮、そして、美紅の三人に罵倒され……
「おま、あんなの、持っていくなよ!!」
「出掛けしなに渡さなきゃ良いじゃんか!! バカジェリド!!!!!!」
 そして、喫茶アルトのフロアで制服姿の伶奈と口げんかする羽目になるのだった。
 

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