それぞれのお正月(完)

 正月二日、良夜は美月と出掛けることになっていた。
 一昨年まで、美月にはお正月のお休みという物がなかった。お正月は従業員から休ませるべきで、経営者側がんばれば良いだろうという判断だ。
 それが、去年からは――
「家にいても一人……だし、家にいたら、食費と光熱費、いるから……」
 って言ってる翼と、
「家にいたくないんだよねぇ……三が日。理由? まあ、良いじゃん」
 って言ってる凪歩のおかげで、二日には休みが取れるようになった。
 そういう訳で二日朝、八時頃、良夜は姉小夜子と共に喫茶アルトに顔を出していた。
 喫茶アルト窓際隅っこ、いつもの席。背中には寒晴れの心地よい日差し、ほどよく効いた暖房のおかげで暑いほど。ぽかぽかとした日差しを感じながら、良夜は正面に座る姉の顔を見ながら、モーニングを食べていた。
 そのモーニングを奢ってくれてる姉が、大きな眼鏡越しに大きな二重の瞳を細めながら、尋ねた。
「それじゃ、ご飯食べたら、美月ちゃんと初売り?」
「まぁね……姉ちゃんは?」
 答え、そして、尋ねると、良夜は手にした四枚切りのトーストを千切り、口に運ぶ。表面は芳ばしく、中はもちもち、小麦の香が口いっぱいに広がった。
 その問いかけに姉はヨーグルトパクリ……とスプーンで口に運び、それを飲み干し、答えた。
「部屋に帰って持って来てる本でも読んでようかなぁ……新刊、何冊か、まだ、読んでないのがあるし……」
 あまりにも予想通りな答えに青年は軽く嘆息し、そして、彼はもう一度尋ねた。
「姉ちゃんって……何しに来たわけ?」
「りょーや君の顔を見に、だよ。後は美月ちゃんの顔や……他の友達の顔なんかも……見たかったんだよね」
「……美月さんのねぇ……なんのために?」
「そりゃ、付き合ってる彼女が不景気な顔をしてたら、別れさせちゃおうかな? って思ってたんだよ」
 ニコニコと笑いながら、姉はパクパクとヨーグルトをかけたフルーツを口に運ぶ。決して早くはないが、止まらない手の動き、こぼれんばかりの笑みは彼女がそれを気に入ったことを教えていた。
 その姿をぼんやりと見上げながら、青年は呟いた。
「……余計な事すんなよ」
 その呟きに小夜子はスプーンをガラスの器の隅っこに置いた。そして、四枚切りの分厚く大きなトーストを小さめに千切ると、その一欠片を口に含んだら、ゆっくりと咀嚼して、飲み込む。
 そして、彼女は改めて、少し、嬉しそうな笑みを浮かべると、良夜の顔を見て言った。
「でも、美月ちゃんも奇麗になったよね。一年前よりもずっと……びっくりしちゃったなぁ……」
「そうか? 変わってない気がするけど……」
「幸せになると女は奇麗になるんだよ。思春期の女の子を百人以上も見てれば解るって」
 不思議そうに小首を傾げる青年に姉はふっと頬を緩めて見せた。
 その顔を見やり、良夜はふと……言葉が口を突いて出た。
「……じゃあ、姉ちゃんも幸せなのか? って……ああ……何でも無い、何でも無い」
 思わず言ってしまった言葉を慌てて、青年は取り繕うように取り消す。されど姉には届いてたらしい。彼女は少しだけきょとんとした顔を見せた後に、ニコッと大きな瞳を存分に緩めて笑う。
「ありがとう、まあ、割と幸せだよ、ねーちゃん」
「………………生まれてこの方、ずっと幸せそうじゃねーか……あんた」
 プイッと青年はそっぽを向いた。顔が妙に熱い。そのほてりをごまかすかのように青年はトーストを手にして、がぶりっ! と無造作に噛みついた。もちろん、味なんて解ろう物じゃない。
 そんな彼の横顔を見やり、姉はとんと頬杖を着くと、その横顔に向けて言った。
「りょーや君も……大人の顔になったよ」
「……なんだよ……ねーちゃん、今日、おかしいぞ?」
「うーん……大事な弟君が美人の彼女を作って、就職決めて、今日昨日みたいにたまに部屋に泊まることはあっても、一緒に暮らすことはもうないんだなぁ……って思うと、ねーちゃんもさすがにしんみりしちゃうんだよ」
 しんみりした……と言う割にはさばさばした表情で彼女はそう言った。どこか嬉しそうとも言える感じ。いつも笑ってて、心の内を感じさせない姉ではあるが、今は本当に喜んでいるように良夜には思えた。
 それを感じて良夜も少しだけしんみりとした気分で口を開いた。
「……来年も、泊まり来いよ……多分、今より、ちょっと広い部屋に引っ越してるから……」
「帰ってくるって言う選択肢はないの?」
「……親父達が帰国してたら帰るよ……多分」
「じゃあ、帰ってこさせないとねぇ〜」
「あの二人も何やってんだろうな……全く」
「仕事だよ。稼いでるみたいだよ」
 そんな話をしながらの朝食の続き。分厚いトーストにちょっとしたサラダ、それからヨーグルトが乗ったフルーツ、そして、コーヒー、定番のモーニング。
 その朝食が半分ほど終わったところで、ふわっとどこからともなくアルトが飛んできた。
「おはよう」
 その声に視線を頭の上、テーブルの上にぶら下げられたペンダントライトの辺りへと視線を向ける。すると、そこには黒いゴスロリドレスを着た妖精がぱたぱたとトンボのような羽をせわしく動かし、ホバリングしていた。
「アルトちゃん?」
 良夜が口を開くよりも先に小夜子が尋ねた。
「えっ? ああ……そうだよ。よく解るよな」
「弟君のことだしね。それに、着いてもない灯をぼーっと意味も無く見上げてたらおかしいよ」
 感心する良夜に食事の手を止めることもなく、答える。
 そして、アルトがふんわりと黒ゴスのレースたっぷりなスカートの裾を軽く翻しながら、テーブルの上へと着地を決めた。その翻ったスカートの裾を軽く叩いて整えたかと思うと、そのまま、トコトコと歩いて、早速良夜のコーヒーに舌鼓。チューチューとストローでブラックコーヒーを吸いながら、彼女は言った。
「楽しそうな話をしてたから終わるまで待ってたわ。なんの話?」
「美月さんが奇麗になったって話……――なんの話をしてたんだ? ってさ」
「良夜くんも大人の顔になったって話だよ。アルトちゃんもそう思うでしょ?」
 アルトのセリフを良夜が伝えれば、小夜子がしれっとした顔でアルトに尋ねる。
 その言葉に良夜は少し眉をひそめ、顔にほてりを感じながら、言った。少しぶっきらぼうな感じ。
「……気のせいだよ」
 そんな良夜を、ひとしきりコーヒーを飲んだアルトが、見上げる。そして、コーヒーカップの中からストローを引っ張り出すと、その先端をひゅんっ! と軽く振ったら、その切っ先を良夜の方へと指し示す。
 そのまま、見つめること、数秒ほど……まじまじと見つめた後で、彼女は言った。
「紳士というのは少々修行不足かしらね……?」
「うっさい」
 茶化す言葉に吐き捨てるように答える。
「なんて?」
 当然、アルトの姿も声も聞こえない小夜子が尋ねれば、良夜はやっぱり軽くため息を吐きながら、妖精の言葉を伝えた。
「……紳士と言うには修行が足りない、だとさ」
そう言って小夜子は手にしたスプーンの先っぽを壁の資格越しではあるが、カウンターの方へと向けた。そして、パチン♪と軽くウィンクをして見せ、彼女は言う。
「きっとアルトちゃんの満点はあそこでコーヒーを煎れてる人だよ」
 その言葉にアルトはすっ! とストローを小夜子のスプーンが向いてるのと同じ方向へと向けて、応える。
「満点じゃなくて、合格点があれ」
「……――だってさ。からすぎるぞ、アルト」
「あはは、それ、辛いよ」
 アルトの言葉を良夜が伝えれば、小夜子が笑い、良夜はプイッとそっぽを向いた。
「まあ、精進なさいな」
 そして、アルトの澄ました声が聞こえたが、それは小夜子に伝えられることはなかった。

 そんなこんなをしている間に食事が終わり、ようやく、用意をしていた美月が良夜達の居る所へと顔を出した。
「お待たせしました〜」
 シンプルなラインのワンピースは美月が好む服、その上にふんわりとしたショール、小脇にはロングのコート。出入り口の所で並ばなきゃ行けない可能性を考慮しての、結構な重装備だ。
 食事は和明と一緒に先に終わらせているらしい。その後に留守番をまかせる翼に声をかけたり、いつもよりも念入りにお化粧をしたり……と、色々していたそうだ。
 その『いつもよりも念入りに』お化粧している顔を良夜は見上げた。
「どうかしました?」
 きょとん……とした顔で彼女は小首を傾げる。
 良夜の席から見ればちょうど青年の背中から見える陽の光に美月の顔が照らされて、少し、まぶしく見えた。もちろん、姉の言い分に一理以上の物がある……と感じたのは、それだけが原因ではないのだろうが……
 その美月の笑顔を見上げてながら、青年は取り繕うように席を立つ。
「何でも無いよ」
「……去年の目標は良夜さんの『何でも無い』にごまかされない、だったはずだったんですけどねぇ……」
「別にごまかしてないよ。アルトも付いてくるのか?」
 確実にごまかすつもりで言った言葉をアルトに投げかければ、アルトはと〜んとテーブルを蹴って飛び上がり――
「……げっと」
「ちょっと!?」
 ――良夜の頭に飛び乗るよりも先に、昨夜からアルトの二階に泊まっていた伶奈の右手に、すっぽりと収まった。
「美月お姉ちゃんがいないのに、アルトまでいなくなったら、私、どうやって、今日を過ごしたら良いんだよ……今日が三十時間くらいになっちゃうよ?」
 アルトの制服ではなく、お気に入りのオーバーオールにトレーナー、それからカーディガンを一枚羽織った伶奈がちょっぴり不機嫌そうな口調でそう言った。
 その言葉に、金髪危機一髪状態のアルトは顔を真っ赤にして応える。
「テーブルの上のペーパーナプキンの数でも数えてればあっと言う間よ!」
「……じゃあ、アルトにも半分分けてあげるよ、ペーパーナプキン」
 話をしながら少女と彼女に握りしめられた妖精は良夜達のいる窓際隅っこ、いつもの席から離れていく。
 それを見送り良夜は軽く肩をすくめた。
「久しぶりにあいつが来ても良かったんだけどな……」
「寂しいですか?」
「……そーでも」
「ふふ……」
 意味深に笑ってる美月から未だ腰を下ろしたままの姉小夜子へと良夜は顔を向け、そして、言った。
「じゃあ、俺ら出掛けるけど……ねーちゃんは?」
「部屋に帰って読書だって言ったじゃんか。お土産は何か甘い物ね。それと、美月ちゃん、りょーや君は自分から服を買わない人だから、良いの何着か見繕ってあげてね。金は支払わせて」
「はぁい」
「……余計な事言うなって」
 頬杖をついて小夜子が言うと、満面の笑みを浮かべた美月は気持ちの良い返事を、そして、そっぽを向いた良夜は吐き捨てるように返事をした。
 そして、二人は喫茶アルト、窓際隅っこ、いつのも席から、快晴なれど風なお冷たいお正月の空の下へと出掛けていった。

 それを小夜子は見送る……
 窓際の席に心地よい沈黙が訪れた。
 そして、彼女はハンドバッグを取り出すと、その中から携帯電話と小さな箱を引っ張り出した。
 その小さな箱を開くと中に入っているのは小さな指輪。
 彼女はそれを取り出すと、大事そうに自身の左手の薬指にはめた。
 それを陽の光にかざす。冗談みたいに小さいけどまごうことないダイアモンドの光がまぶしい。
 そのまぶしさを確かめると、二つ折りの携帯電話を取りだし、意中の相手の番号を呼び出した。
 待つこと数秒……
「もしもし……私……うん。淳行あつゆき? 今、指輪着けた……うん。あはは……どうしてもさ、弟君と彼女の顔、見てから正式に答えたかったんだよね…………うん、なんかさ……もう大丈夫ってのが四割で、取られた〜って気分が六割かな? まあ、淳行んちの妹にも同じように思われてるかも、なんだけど……」
 そう言って彼女はいったん言葉を切った。そして、ちびっとコーヒーに口を付ける。
 そのカップを手にしたまま、彼女は言った。
「……式、いつにしようか?」

 なお、両親は小夜子が大学生だった頃から二人が付き合ってるのを知ってたとか、この直後に伶奈、凪歩、オマケで翼までもが『左薬指に指輪着けてる』と気づいてたとか、美月も翌日には気づいたとか、それなのに、良夜は言われるまで気づかなかったとか、更に誰も教えてくれなかったとか、もちろん、周りはみんな『知ってると思ってた』と証言したとか……そう言う諸々に関して、良夜がぶち切れたって話は……また、後の話。
 

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