それぞれのお正月(2)

 さて、少し話戻って、二年参りの直後。
 喫茶アルトの面々は三台の車に分乗して、それぞれの家路へと急いだ。
 良夜の運転するジムニーには姉小夜子、一人だけ。後部座席がほとんどあってないような感じのジムニーには可能な限り人を乗せたくない。それから美月が運転するアルトには伶奈と由美子の母娘、それに妖精のアルトちゃん。西部家の二人をアパートに送ったら、そのまま、美月はアルトとも家に帰る予定。
 そして、三台目が灯が乗ってきたフーガ。日産の高級車で――
「十八が乗るもんじゃないよ……」
 ――と、小夜子が呆れるほどの代物だ。
 もちろん、灯の所有物ではなく、彼の父親が通勤に使っている車だ。他にも母の乗ってる軽自動車もあるのだが、女の子の送り迎えをするなら、こっちの方が良いだろうという父の申しつけにより『運転させられている』車だ。もっとも、灯が小学生の頃に買った奴だから、そんなに新しいわけでもなく、むしろ、年季の入った車と言っても過言ではない。
 その車の助手席に乗り込んだのは鉄仮面の女、寺谷翼だった。来る時には助手席に凪歩が乗って、翼は悠介や俊一とも二後部座席に乗ったのだが、男二人と一緒に後部座席ってのは、正直狭い。なので、助手席を独り占め。
 そして、運転手である灯が乗り込んでくるのを待って居たら……――
「私が運転するよ」
 乗り込んできたのは時任凪歩女史。
「……大丈夫?」
「免許、灯よりも先に取ったんだから、大丈夫だって」
 尋ねる翼に凪歩が明るい口調と満面の笑みで答えた。答えた内容、それがなんの担保になるのだろう? と内心疑問に思うが、この車は高級車だけあって安全装備も充実しているらしい。多分、大丈夫なのだろう。
(ぶつけても私の車じゃないし……)
 頭の片隅でそう思いながら、大きな欠伸を噛み殺す。
 そして、後部座席に男三人、ルームミラーでそれをちらっと確認したら、やっぱり、ちょっと狭そうだ。それに何より、むさ苦しい。
 その真ん中に座った灯が助手席と運転席の間に顔を覗かせ、凪歩に尋ねた。
「凪姉、シュンの家、知ってる?」
「うちの近所でしょ? うちから歩いて帰らせたら? 男なんだし」
 シートベルトをしながら、凪歩が答えれば、灯も真ん中の席にお尻を落ち着けながら、応えた。
「まあ……それもそうだけどさ」
「……待て、灯、凪さん、深夜に一キロ徒歩はしんどいって……」
「どこでも良いよ、ぐっすり眠れるなら……灯んちの客間でも」
 俊一は苦笑いを浮かべて、悠介は眠そうにふわぁ〜っと大きなあくびを一発。
 そんなやりとりをしたら、五人を乗せた高級車は二台の軽自動車とは逆方向に向いて走り始めた。
 古いとは言え高級車……腐っても鯛と言うべきか? 走行音が車内に響き渡ることもなく、車は静かに、揺れることなくスムーズに走る。車内に聞こえるのはFMラジオの女性パーソナリティが葉書を読む声と後部座席の三馬鹿が男子がなにやら怪しげなゲームの話をする声だけ。
 そんな時間が十五分ほど……国道を車が静かに走っていると、不意に灯が言った。
「……凪姉、どこに行ってんの? 寺谷さんの所?」
 その声に翼は半分ほど閉じていた目を開いた。
 うっすらと霞む瞳で見るのは窓の外、街灯も少なく、薄暗い大晦日――否、すでに元旦の町並み。もちろん、自分の住んでる街のこと、多少、暗くてもだいたいの見当は付く。その見当を付けた結果、彼女は言った。
「……違う、多分、市街地の方……行ってる」
「って、凪姉!? どこに行ってんだよ!!」
 灯が慌てて声を上げ、そして、へら〜っと顔で凪歩が言った。
「あっ、ばれた? 良いじゃん、カラオケ、いこ、カラオケ! 箱代は出すから!」

「あっ、もしもし? 母さん? 俺、灯……うん、今、カラオケ屋……凪姉が車に乗って、そのまま、旧市街まで行って、駐車場に車ぶち込んで、カラオケ屋に行こうって言いだして……うん、多分、婆さんが寝るくらいまで帰る気ないと思うわ……うんうん、居るのは俺とシュンと勝岡……そうそう、ジェリド。あと、寺谷さん、うん、うちで寝込んだ女の子…………そうそう。ちっ、違うって! それじゃ……うん、お休み。あっ、それと、明けましておめでとう。うん、今年もよろしく」
 そんな話をスマホに向かって喋ってたのは、もちろん、灯。ここはカラオケボックスの廊下。左手にはマジックミラーになった窓ガラス。外からは見えないのだろうが、こちらからは外灯の下、年明けの開放感に浮かれる人々が繁華街を行き交う姿が足下に見えていた。そして、右手には各部屋へと入るドア、防音はされてるはずなのだがカラオケの伴奏と気持ちよさそうではあるが下手くそな歌がそこかしこから聞こえていた。
 トイレに行っていた翼が帰ってくると、ちょうど灯が通話を終わらせ、そのスマホをネルシャツのポケットにねじ込もうとしているところだった。
「家に……電話?」
 ハンカチで手を拭きながら、翼が尋ねる。
 それに灯は軽く頷いて見せた。
「凪姉、面倒くさがって……ってか、家に帰りたくない理由、言うのが嫌なんだろうな……今日はあの人がいるし……」
 ため息を吐きながら、灯はそのマジックミラーの窓ガラスに軽く背を預けた。
「……おばあさん?」
 翼が尋ねると、灯は軽く頷いた。
「まぁね、凪姉に聞いた?」
「……前に、少し……嫌われてるとか……」
「凪姉は自分がみそっかすだから……って思ってんだけど、ぶっちゃけ、凪姉、お袋似だから……婆さんにはそれが気に入らないんだよ」
「ふぅん……」
 親戚の居ない翼にはいまいちぴんとこない話に翼は少々気のない返事をした。
 そこにガチャリとドアが開く音がした。
 その瞬間、カラオケの伴奏が大きくなった。
「こら! 早く入って来なよ!」
 その大きくなった伴奏よりも更に大きな声で行ったのは、開いたドアから顔を出している凪歩だ。
「はいはい」
 凪歩の最速に灯がきびすを返すのに従い、翼も部屋の中に入った。
 Uの時になったソファーが一つと大きなモニター、それからお立ち台のような小さなステージがあるごくごく普通のカラオケボックス。テーブルの上には凪歩が調子に乗って注文したアルコールとおつまみが多数。
「……お前、俺と凪さんを二人きりにさせんなよな……潰されるだろう?」
 そして、手に大ジョッキを握りしめた俊一が灯に顔を向けた。その顔はすでにアルコールで真っ赤。眉をへの字に曲げて、若干不機嫌そう。
「……お前も断れよな……注がれた物をがぶがぶ飲まないで……あと、二人きりって……ジェリドはどうした? ジェリドは」
「そこ……野郎、部屋に入った途端、そのまま、お休みって……」
 ソファの隅っこ、大きな体を小さく丸めて気持ちよさそうに寝ている青年の姿。
「……忘年会シーズンで居酒屋のバイトが忙しかったみたいだからなぁ……こいつ……」
 そう言って灯は悠介の隣に腰を下ろす。その悠介の向こう側には『濃いめ』と注文したピーチフィズを手にした凪歩の姿。グビグビ飲んでて楽しそう。そのピーチフィズを半分ほど開けると、彼女は身を乗り出し、どこに座ろうかと逡巡してる翼の方へと顔を向けた。
「座ったら?」
「……んっ」
 凪歩の向こうはすぐに椅子の端っこだし、男達の間もなんかイヤだし……と言うことで素直に灯の隣に少し間を開けて腰を下ろした。
「翼さん、何か、歌わないの?」
 そう言って凪歩はカラオケのリモコンを翼へと手渡す。それを浮けとジーッと見つめること数秒……割といつも歌っている曲を入れたら――
「……いきなり舟唄か……」
 灯が隣でぼそっと呟いた。
「……何?」
 隣に座ってる灯に向けて翼が言えば、灯は逆隣の俊一の方へと体をずらしながら、応えた。
「……イヤ、別に……てか、なんで、いちいちすごむの?」
「……すごんだ気は、ない……」
 話をしているうちに前奏が終わったので、しみじみと舟歌を歌う。
 高校時代の友達とカラオケに行ったら、まずは歌う曲で、その友達からは『意外と上手』という評価を頂いてる歌であり、同時に「ああ、また……」とも言われる代物。
 それを一気に歌いきれば、パチパチと拍手の音が鳴り響く。
 好きな歌を思いっきり大きな声で歌いきった気持ちよさに、それを拍手で迎えられる気恥ずかしさ、顔が赤くなる思いを感じながら、翼はストンと柔らかなソファーの上に座り込んだ。
 そして、目の前に置かれたジョッキを手にしたら、そこに注がれていたビールをグビグビッ! と一息にジョッキの半分ほど飲み干す。
 冷たい液体が喉を潤し、それに含まれるアルコールが同時に焼く。その心地よさに翼は「ふぅ……」と小さめの吐息をこぼした。
「……次、誰?」
「あっ……俺だ……」
 歌ってる間に入力していた灯が手を出せば、翼はその手にマイクを握らせた。すると彼はその場で立ち上がり、B’z(多分)の歌を歌い始めた。
 声量も十分だし、音程も外れない、それに長身の青年が派手すぎない振り付けをしながら、歌って言うのは思ってたよりも格好いい。
 そんな風景を見ながら、手拍子をしていた俊一が言った。
「灯、とりあえず、B’zは変わらないな?」
『お前だって、とりあえずTMだろう?』
 間奏の隙に灯が言えば、その言葉をマイクが拾い上げて、スピーカーから響き渡らせる。
 そして、その言葉に翼がぽつりと呟いた。
「ねっとわーく?」
「……翼さん、レボリューションだと思うよ……」
 その呟きに凪歩が軽く頭を抱えながら呟けば、その隣に座っていた俊一が大きな声で言った。
「残念、ネットワークで正解でした!」
「なんでだよ!!??」
 思わず凪歩が腰を浮かせば、俊一はスチャッ! と右手を挙げて宣言した。
「エンジェルハートから入ってシティハンターに逆流したから!」
「これだからオタクは……もう、いい、お前は飲め!」
 そう言って凪歩が俊一のジョッキにピッチャーからビールを流し込む。そして、入れすぎ、入れすぎと俊一が叫ぶ。そんな風景を見ながら、翼もジョッキのビールをグビグビ……
 そして、マイクは西野カナを歌う凪歩を経由して、予定通りにTMネットワークというか、シティハンターのオープニングだとか言う曲を歌い始める俊一へと渡り、再び、翼の元へ……次は友達に勧められて覚えたと言うか、ほとんど、無理矢理、覚えさせられたAIKOの歌なんかを歌えば、割と受けた。
 そんな感じでマイクがグルグルとグループの中を回り続ける。
 そろそろ、一時間ちょっと……半までは逝かないって程度に時間が過ぎた。その時、ちょうど、何度目かのマイクが翼の元へとやって来て訳だが、もはや、彼女のレパートリーは尽きていた。仕方ないから、最初に戻っての舟唄再び。
「舟唄、好きだなぁ……」
 灯が思わず呟けば、歌ってる最中だというのに翼が言った。
『……翼ちゃんに、文句、ある、の?』
 マイクが声を拾ってスピーカーから響き渡る。
 そして、灯が顔色を変えた。
「凪姉! 翼ちゃんが降臨したぞ!」
「おっ……今日、早めだ……」
 凪歩がため息交じりに呟くと、グラスに残っていた水割りをグビグビと一気飲み。トン……とグラスをテーブルの上に戻したら、凪歩は言った。
「……あの人もそろそろ寝てるだろうし……帰ろうか? 初日の出までここにいてもいいけど……そうなると箱代も割り勘にして貰わないと……」
 凪歩が控えめな口調でそう言って、立ち上がろうとしたら、翼はどんっ! と握りしめていたビアジョッキをテーブルの上に叩き付け、そして、大きな声を出した。
『翼ちゃんが! なぎぽんを虐める婆にびしいいいいい!! と、言ってやる!!』
 マイクスピーカー越しに翼の声が響き渡る。
「ぷっ!」
 瞬間、吹き出したのは俊一だった。
「いいぞ、いいぞ、言っちゃえ、言っちゃえ!!」
 思うところがあったのか、彼は大爆笑だ。
 そして、顔色を変えて慌てたのが当事者たる凪歩。
「やっ、止めて! マジ、止めて!! 家に帰れなくなるから、本気で止めて!!!」
 そして、ため息を吐いて……――
「あっ……母さん……俺、灯……うん……今夜、遅くなると思う……うん……ねーちゃんの友達が――」
 電話をし始めたのが灯ではあるが、その隣ではここぞとばかりに翼が騒ぎ始めていた。
『翼ちゃんに電話、代われ!!! だいたい、あかりんもあかりんだ!! おとこならぁ! ねーちゃん、かばわんか!!』
「誰があかりんだ!? 誰が!? ――イヤ、こっちの話、こっち……あかりん、言うな!! ともかく、一人、べろんべろんだから……うん、しばらく、カラオケ屋にいて、うん、何時になるか、解らんない」
 そして、眠りの中から、奴が目覚める……
「……あっ、コブクロ、歌いたい……コブクロ」
 むくりとジェリドが起きて、もそもそとカラオケのリモコンを取り上げ、コブクロのナンバーを入力し始めるのだった。
「翼ちゃんはぁ! 舟唄!!」
 翼が叫べば灯が電話中なのも忘れて叫び返す。
「もう良いよ!! 舟唄は!!!」
『じゃあ、石狩挽歌!』
 そしたら、また、翼が楽しそうに叫んで、灯は捨て鉢に怒鳴る。
「好きにしろ!!!」

「……――と、言う感じで結局、朝までカラオケで騒いでた……」
「……灯センセも大変だね……」
 伶奈と悠介の家の間始まった七並べの最中、そんな話が語られたのであった……
 そして、一人寝てた悠介が言った。
「……起きてりゃ良かった……」

 なお、翼は一眠りの後、覚えてない“振り”をした。
 そして、彼女は自分の動きの悪い表情筋に感謝するのだった。
 

前の話   書庫   次の話

ご意見ご感想、お待ちしてます。