それぞれのお正月(1)

 タカミーズはこう見えて就職先がすでに決まっていた。貴美は実家から車で小一時間ほどの所にある車のディーラー。本年度最優秀卒業生との呼び声も高いというか、そもそも、こんな大学に来るような代物じゃなかったという彼女ならば、もっと良い会社への就職もあり得たのだろうが、『家から通うのが便利、転勤先があっても同一県内っぽい。そして、給料もそこそこ』と言う舐めた理由でここへの就職を決めた。
 それより、何より、直樹がなんとか滑り込んだ清涼飲料水のボトリング工場から歩いて五分という立地条件を優先したのだろう……と、直樹本人は思っていた。そう言う直樹のお仕事はそこのメンテナンス部門。希望していたバイク系の仕事ではないが、それでも機械を弄るのは嫌いじゃないから、ここの仕事も好きになれそうな気がした。
「工場の保守点検ねぇ……親子なのかしらねぇ……」
 とは、夫と息子が同系列の職種を選んだ事を知った桐子はこう漏らした物だった。
 さて、職が決まれば次に決めなきゃ行けないのは住むところ。
 この件に関して、去年、貴美は母と大げんかをした。大げんかの挙げ句に(自宅から徒歩一分の高見家へ)家出した
 まあ、この時は『就職が決まってからで良いじゃん』という問題の先送りが行われたわけだが……
 そういう訳で、今年。
 ここは吉田家リビング、大きな四−五人はゆっくり座れそうなL字型のソファーに大きなコーヒーテーブル、その上にはお隣さん、高見家と合同で作られたおせち料理がたっぷりと並んでいた。
 しかし、その料理に手を着けてる者は居なかった。
「だから、なおとは一緒に住まないけど、家にも住まないって、言ったでしょ?!」
 そう言って怒鳴ってるのはフード付きのスウェットに同生地のミニスカート、生足という色っぽい寝起き姿の吉田貴美。
 相対するのは、野暮ったいジャージの上下にドテラという格好の吉田めぐみさん、貴美の母だ。その手に不動産屋のチラシを握りしめた彼女は顔を真っ赤にして怒り狂っていた。
「あんた、このアパートに住む気あるの!? 築三十年、六畳一間、風呂なし、トイレ共同、木造二階建て、家賃一万五千円! ぜっっっっっっっっっっっっったいに住む気ないわよね!? 家賃だけ入れて、直樹君の所に入り浸って、なし崩し的に同棲しようとしてるわよね!?」
「そんなことしないって! ちゃんと家には帰るって!! さっきから何回言ったら解るの!?」
「帰る気があるなら! トイレも風呂もないような部屋を選ぶわけないわよ!! 何年、あんたの親やってると思ってるのよ!! 二十二年もやってれば、あんたの考えそうなことくらい解るわよ!!!」
「そんなこと考えてない!! 結婚資金を貯めるために安いところを選んだだけ!!」
「嘘おっしゃい! あんたが標準語で喋るときは、たいがい、嘘を吐いてるんだから!!」
「私、いつも標準語!!」
「あんた、いつも、あっちゃこっちゃの方言、まぜこぜの変な言葉で喋ってるじゃないの!!」
「人の言葉遣いまでママにとやかく言われる筋合いはないよ!!」
「あんたは小学校の頃から変な方言で喋るって、通信簿に書かれてたのよ! 五年生の時に先生から『吉田さんはどちらのお生まれですか?』って聞かれて、どれだけ、母さんが恥ずかしかったか!!??」
「そんなの知らないよ! どこの生まれって、どこで生まれたのよ!?」
「橋の下じゃないの!?」
「じゃあ、ママは橋の下で出産したんやね!?」
「ほら、また、変な語尾になってる!!!」
「うっさい、ばーか!」
「親に向かって、馬鹿って何よ!? 出て行け!!」
「はーい」
「――じゃなくて!!!!!!!!!!!!!!!!」
 母の怒鳴り声を耳にしつつ、見事『出て行け』のお墨付きを貰った貴美は回れ右――すれば、そこには床を叩いて大爆笑している父が居た。
「あはははは!! ああ、腹が痛い! マジ、お前ら、面白すぎ。とりあえず、これ、おひねりな」
 そう言って父――まさるはひょいと貴美の方に指を突き出した。人差し指と中指、その間には小さなポチ袋が一つ。
 そのポチ袋をひょいと取り上げたら、貴美はポケットにねじ込みながら、ひと言だけ言った。
「まいどあり〜」
 それと同時に母の鋭い怒声が飛んだ。
「あなた!」
 背後では恵の大きな声が響き渡るも、勝の方は知らん顔。目頭に涙を浮かべるほどに爆笑していた中年男性は未だに収まりきらぬ息の乱れを整えながら、言った。
「まあ、メグちゃんの方は落ち着かせて置くから、お前もお隣で雑煮とボンレスハムでも食ってこい」
「はーい」
 そして、貴美はトコトコと小走りになって部屋を出て行った。
 それを見送り、恵は目元の涙を拭ってる夫に向かって体を乗り出し、彼女は大きな声を上げた。
「あっ、あなた!?」
「……心配しなくても、同棲は相手が居るから出来るんだぞ?」
 軽ーい調子で勝が言えば、顔色を変えていた恵もハッと貴美似の垂れ目を大きく見開き、何事かに気づくのだった。

「……と、言うわけで、二年連続十五回目の家出」
 お隣さん、高見家のリビング、その真ん中では吉田貴美が赤味噌仕立てのお雑煮をずるずるとすすりながら、本日あった大げんかのお話を高見家の面々に語って聞かせていた。
 そして、それを聞いて高見家の三名は互いに顔を見合わせると、コクンと一つずつ頷き合い、そして、立ち上がった。彼らが向かうのはリビングとは開けっ放しではあるが引き戸で区切られたキッチン。先ほど温め直した雑煮の香りがふんわりとキッチンの中を満たしていた。
 そこで車座になっての話し合い。キッチンテーブルの下辺り、親子三人は互いの額がひっつくほどの距離でしゃがみ込み、言葉を交わし始めた。
「……誰が言うんだ?」
 そう言ったのはジーパンにネルシャツ姿の父洋司ようじだ。
 洋司の言葉を受けて、薄桃色のパジャマに同系色のカーディガン姿の母柊子とうこが答える。
「そりゃ、直樹でしょう?」
 二人の言葉に若干顔色を悪くしたブルーが鮮やかな寝間着姿の直樹が言う。
「え〜〜〜〜僕ですか? ぜったいに切れますよ……」
 そして、向こうで分厚いボンレスハムにざくっ! と端を突き刺し、ダイナミックにかじりついてる貴美が言った。
「ちょっと!? みんな、何してん!?」
 不機嫌そうな声色で貴美が大声を上げた。
「ほら……さっさと戻らないと貴美ちゃん、機嫌が悪くなるわよ」
 そう言って柊子が直樹の頭をペチンとはたけば、その正面では洋司がうんうんと何回も頷き、そして、言った。
「お前が決めたんだから、お前が言ってこい」
 父にそう言われると直樹がまずは立ち上がった。
 そして、残り二人が立ちあが……
 ……らない。
「って、来ないんですか?」
 振り向き問えば、バツが悪そうに父が言った。
「いやぁ……俺、あの子にねだられると弱いし」
 そして、母は満面の笑みで言う。
「万が一、貴美ちゃんが包丁取りに来ても渡さないからね、母さん」
(この夫婦だきゃ……)
 根が生えたように動かない両親を見限り、直樹は重い足取りで貴美が座るこたつと向かった。
 そして、彼女の隣にちょこんと座ったら、正座をし、彼女へと顔を向けた。
「えっと……吉田さん」
「なんよ?」
 合せ味噌の雑煮から餅を引っ張り出して、口に運ぶ彼女を見やり、直樹はゴクリ……と生唾を飲んだ。生唾を飲み込み、考えていたのは、ただ一つ、
(あれを投げつけられたら、きっと、火傷する……)
 であった。
「とりあえず……雑煮、食べきります?」
「……まあ、そりゃ、食べるけどさ……あむっ……んぐ、もぐもぐ……ゴクン……ふぅ……でさ、なおもうちのママに言ってやってよ……ずず……あむっ、ごく……もう、本当、頭固いんだからさ。今時、同棲くらい、誰だってやってんじゃんね?」
 お餅をかじり、味噌汁を飲んで、貴美はそう言った。要所要所に入る咀嚼音が行儀が悪いというか、なんというか……
 そんな様子の貴美から視線を逸らして、ぼそっと呟いた。
「……僕の友達で同棲してる人なんて居ませんけどね……」
「一般論だよ、一般論!」
 じろっと汁椀の向こう側から貴美が睨み上げるのを、直樹はちらっと一瞥し、そして、ため息交じりに頷いた。
「はいはい……」
「返事は一回! ごちそうさん!」
 コトン……と空っぽになった汁椀と箸がこたつの上へと置かれた。そして、彼女はずいっと直樹の方へと体を乗り出すと、彼の肩に手を当て、ぐいっと自身の方へと引き寄せた。
「一緒にママを説得しよ!」
 まっすぐにこちらを見つめる貴美の顔から直樹はすーっと視線を逸らして、ひと言、ぽつりと漏らした。
「……僕、会社の単身寮に入ろうかと……」
 ごくごく静かな声で直樹が言った。
 しーーーーーーーーーーーーーーん……と静まりかえる元旦の高見家。
 遠くでどさっ! と軒から雪が落ちる音がした。
 その雪の音よりかはちょっと近いけど、ちょっと離れたところで父と母の声がした。
「……やっぱり、貴美ちゃんフリーズしちゃったな……」
「単身寮に女が転がり込むわけにはいかないってのは、貴美ちゃんも解ってるのね」
 完全に他人事なセリフ。凍り付いた恋人に肩を掴まれたままの青年は嘆息し、そして、控えめな声でそっと問いかけた。
「……吉田、さん?」
 そう尋ねた瞬間、彼女の垂れ目からぽろぽろと大粒の涙がこぼれ始めた。
 肩が解放された青年が、貴美の前へとにじり寄り、慌てて声を掛ける。
「なっ!? 泣かなくてもいいじゃないですか!!??」
「私、なんかした? そりゃ、ひっくっ! すんっ……夏コミでなお総受け本出してさ……えぐっ……みんなで小銭を稼いだのは悪かったと思うよ……ひっくっ! すんっ……ぐず……でもさ、ひなちゃんとの女装レズ本、凄く売れたから、なおにもケーキ、買って上げたじゃん……?」
 ぽろぽろとこぼれる涙を両手で拭いながら、貴美は泣きじゃくり始める。それは子供のような泣き方……ではあるが、言ってることが全く子供らしくないというか、タチが悪いというか……初耳な話にため息を吐きながら、青年は口を開いた。
「…………なんかって、それ、致命的ですよね、普通……僕じゃなかったら切れますよ? それより、二条さん、怒りますよ? てか、就活中に夏コミの監修もやってたんですね……」
 そして、また、遠くで父と母が呆れ声を上げていた。
「そこは、お前も切れろよ」
「それ、母さんにも見せて」
 そして、貴美が泣きじゃくりながら言った。
「うん……じゃあ、後で、ひっくっ……サンプル、持ってくるね……えぐっ……」
(とりあえず、あの二人、黙っててくれないかな……?)
 ちらりと父母を一瞥、そして、今度は直樹の方がガシッ! と貴美の肩を掴んだ。そして、おでことおでこがひっつほどに顔を接近させて、直樹は言った。
「別に別れるとか言ってるわけじゃないんですから、落ち着いて下さい」
「だって、同棲から別居だよ!? 順番、おかしいじゃんか!?」
「……まあ、高校卒業してすぐに同棲って時点で間違えてたんですけどね……」
「なおは、二人で生活してたん、イヤだったん!?」
 聞かれるだろうなぁ……と思っていたセリフがそのまま出てくる。それに直樹はすーっと大きく息を吸い込み、そして、ふぅ〜と大きく吐き出したら、考えていた、話をゆっくりと紡ぎ始めた。
「す〜〜〜はぁ〜〜〜……いいですか? すっごく楽で楽しかったですよ……炊事洗濯一切、吉田さんがしてくれてましたからね。それこそ、実家でいるよりも楽だったくらいで……」
「じゃあ、何が!?」
「……結局、四年、実家住まいみたいな物でしたから……少しの期間でも一人の生活っていうのをしてみるのも経験かと……単身寮には食堂とコインランドリーもあるみたいですから、自分でやるのは掃除くらいですし……職場からも近いですし……」
 直樹がそう言うと、貴美はうぐっと小さなうめき声を上げて、黙り込んだ。涙は一応止まったようだが、その目は真っ赤。それを見られるのが嫌だと言うかのように彼女は顔を真下に向けた。
「休みの時には帰ってきますし、職場も近いんですから、何かにつけて会えますよ、きっと……」
 うつむいたままの貴美に直樹は諭すように、出来るだけ声を荒げないように……と、細心の注意を払いながらに言えば、貴美はうつむいたまま、髪が伸び始めた頭をふるふると左右に振って見せた。
 そして、彼女は消えるような声で言った。
「……私がダメなんだって……なおが居ないと……朝、起きる気もなくなるし、何もする気になんないし……」
「……おかげで一週間の入院、三日で出てきたことがありましたよね……僕。そういうのもひっくるめて、しばらく離れて暮らしてみるのもいいんじゃないか? と思ったんです……嫌いになったとか、文句があるとか、そう言うのじゃありませんから……」
「だっ、だって……職場でどんな女と話してるとか、それだけでも気になるのに……」
「浮気なんてしませんよ……」
「ほんとなん?」
 と、直樹が懇切丁寧に説明してる背後では……
「まあ、一緒に暮らしてたら浮気しないとか言うなら、浮気が原因で離婚する奴って居ないよな……」
「そー言えば、私がパートで行ってる工場でも、不倫してる人が居るのよ……ここだけの話」
 母と父のぼそぼそ喋る声が聞こえていた。
 そして、直樹と髪は顔を見合わせた。
「……とりあえず、あの二人、黙らせようか?」
「……そうですね」
 貴美が良い、直樹も頷き、そして、二人は立ち上がると、まるで他人事のように盛り上がっていた母と父に文句を言いに行くのだった。

 そして……
「私、実家に住むから! 会社にはバイクで通う!!」
「あんた、一人暮らしするって言ってたでしょ!? 築三十年、六畳一間、風呂なしトイレ共同、木造二階建て、家賃、一万五千円に住んでなさいよ!!!」
「そんなところ、若い女が住めるような所じゃないって、ちょっと考えりゃ解るっしょ!?」
「今朝までそこで住むって言ってたじゃないの!!!」
「嘘だって、解んなよ!! 二十二年も私の親をしてるんなら!!!」
「あんたって娘は!!!!!」
 吉田家の夕飯時、またもや、母と娘の大げんか、そして……――
「あはははははあは、おもしれー、この母娘!」
 そして、父が大爆笑するといういつもの風景が広がっていた。
「出てけ!!!」
「じゃあ、なおの代わりに隣で住んでやる!!!」

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