今年の終わり、今年の初め(1)

 クリスマスが終われば大晦日、そして、年明けまで一直線。もちろん、ただただ、ぼんやりと過ごしていたわけでもなく、例えば、四方会の友人とショッピングモールに遊びに行ったり、家庭教師の灯センセと一緒に勉強をしたり、ジェリドこと勝岡悠介と玄関先で口げんかをしたり……と、伶奈はあれやこれと楽しい日々を過ごしていた。
 そんな三十日、朝一番、朝食終了後。
「本当に良いの?」
「うん。私、やるから」
「一人で大丈夫?」
「アルト、連れてくるから、大丈夫」
「……アルトさんにご迷惑じゃないの?」
「大丈夫だよ、どうせ、お店でだらっとしてるだけなんだし……お母さんは安心して仕事に行ってきて」
「そう? それじゃ、お願いするわね」
 和やかな夕食時にかわされる母と娘の会話、話題は『大掃除』である。
 救急病棟の看護師はカレンダー無関係の仕事だ。前の職場に比べればちゃんと休みは定期的に取れるし、予定外の残業も、皆無ではないが、多くもない。しかし、年末年始だからと言って特別休みが増えるわけでもなく、大晦日も元旦も普通にお仕事だ。そんな中、先日二十八日が由美子、本年、最後のお休みだった。だから、大掃除をしよう……と思っていた。
 訳だが、これが見事な大雨。
 元々、この辺りは真冬でも雪ではなく、雨が降る地域だとは聞いていたが、今年は暖冬で雨が良く振る。
 窓も開けられない雨の中、掃除をするのもアレだし、雨は今夜夜半までという予報だし……と言う事で、一気にやる気を失った二人は「とりあえず、新年を迎えるための買い物だけは済ませておこう」といつものショッピングモールに車でお買い物に行った。正月飾りや真空パックの鏡餅、おせち料理はさすがに作る暇がないから真空パックの昆布巻きやら紅白のかまぼこなんかを購入。日持ちしないような物は三十一日に母が仕事帰りに購入する予定。それから雑煮用に角餅を忘れてはいけない。伶奈の家では焼いた角餅に鰹出汁のお吸い物というシンプルな物だ。
 そして、買い物を終わらせたら、ショッピングモールのレストラン街で食事をしてその日一日を終わらせた。
 さらに翌日二十九日、母は当然お仕事。その上、天気予報は外れ、雨が残ってたし、伶奈も家庭教師があったり、そのために宿題をこなしてたりしてたせいで、掃除をする暇もなく終わり、三十日は……
「…………何、してたんだろう?」
 思わず伶奈は呟き、ニンジンのベーコン巻を摘まんでいた母が呆れ気味に応える。
「…………お母さんに聞かれても知らないわよ」
 なんか知らないけど、一日が終わってて、気づけば母が仕事から帰ってきて、簡単に作った料理を突っついてるという次第。昼過ぎに煙管を吸ってた悠介相手に口げんかしてたことは覚えているのだが……
 それはともかく、もはや、今年は明日しか残っていないという切羽詰まった状況になっていた。
 事、ここに及んではしょうがない……って訳で、伶奈が提案したのが――
「私がやっておくよ」
 ――だった。
 まあ、面倒くさいと言えば、面倒くさいのだが、そんなに広くもない1DKアパート。日常的な掃除は欠かさずやってるから、そんなに大変というわけじゃないだろうって言う皮算用があった。
「それじゃ……悪いけど、頑張ってくれる? 他はともかく、換気扇のフィルタだけは交換しておいてね。流しの下に新しいフィルタが入ってるから」
「うん、解った」
 そういう話をした、翌日、三十一日大晦日。
 空はまぶしいほどの快晴。もっとも、放射冷却って奴なのかきーんと冷えてて、母を見送るために玄関先まででただけで、昨日の自分を恨めしく思うほど。
「面倒くさかったら、やらなくても良いわよ」
 そんな伶奈の心根を察したのか、通勤着の安物スーツの上にコート姿の母が苦笑いを浮かべてそう言った。
「……出来るし」
 不貞腐れ気味の言葉を母に投げかければ、母は苦笑いをいっそう強くする。
「はいはい、それじゃ、頑張ってね。洗剤なんかは必ず換気をして使うのよ」
「解ってるよ……子供じゃないもん」
「じゃあ、行ってくるわね……奇麗に出来てたらお年玉も弾まなきゃいけないわねぇ……」
 そう言って、母は好天なれど寒空の下、病院へと出勤していった。
 そして、少女も一端部屋へと引っ込み、未だ、パジャマの上にカーディガンという部屋着から、トレーナーにオーバーオールといういつもの格好に着替えた。この上にセーターとジャケットを着たら防寒はばっちり。
 そして、部屋を出て向かう先は喫茶アルト。
「で、なんで、私を捕まえに来てるのかしら?」
 手の中、金髪危機一髪状態になってる妖精が、それでも尚、余裕のポーズを崩す事なく言った。
 その妖精に対して、少女も動じる事なく、答えた。
「一人で大掃除は寂しいから」
 少女が言えばアルトがじとーっと冷めた目で見つめ、それを少女もじとーっと冷めた目で見つめ返す。
「「…………」」
 二人はしばしの間、沈黙した。
 年末、客の消え去った店内を珍しくジーパン姿の美月が大きな段ボール箱を抱えて出て行く姿と凪歩が退屈そうにあくびをかみ殺している姿が見えた。
 外から差し込む寒晴<かんばれ>の日差しが喫茶アルトのフロアを明るく照らしていた。
 その真ん中で、沈黙を破ったのは少女の方だった。
「私が一人で掃除してて、混ぜるな危険を間違えて混ぜて、毒ガスを発生させたらどうするんだよ……?」
「……タチの悪い脅迫しないで……」
 あきらめ顔の妖精をパッと放せば、彼女はそのまま、伶奈の頭、定位置へと着地。諦めてくれたようで一安心である。
 タチの悪いと自覚のある脅迫で妖精を拉致って、意気揚々と自宅に戻ろう……と思って、店舗から出る。
 そこは寒風吹きすさぶ駐車場、その片隅で美月がちまちまとゴミを燃やしていた。
 しゃがみ込んだ彼女の前には小さく盛り上がった火を吹く山、めらめらと揺らめく赤い焔が寒風の中では暖かそうに見えた。その暖かそうな空気に呼び寄せられるかのように、少女は美月の方へと足を向けた。
「こんにちは……何燃やしてるの?」
 少女が尋ねると、しゃがみ込み、何かを一生懸命燃やしていた美月が顔を上げた。
「あら……伶奈ちゃん、もう、お帰りですか?」
「うん、今日は部屋の大掃除だし……何、燃やしてるの?」
 伶奈が尋ねた瞬間、美月はひょいっと手にしていた“何”かを背後に隠した。
「えへへ……なっ、何でも無いですよ? 何でも」
 隠されると気になるのが人情という奴だ。それに、ここに来て八ヶ月が過ぎて、解ったのは『ここらの連中が「何でも無い」って言うときは、たいがい何かある』だ。
「まあ、貴女も『何でも無い』でごまかしてたけどね、この間」
 頭の上から聞こえる言葉は無視をして、ひょいと美月の背後を覗き込む。
 凍り付いた笑顔のままで美月が体を捻った。同時に四分の一歩ほど後ろに下がる。
 更に少女が覗き込む。
 更に笑顔を凍り付かせたまま、美月が体を捻る。同時に更に四分の一歩ほど後ろに下がった。
 そして、少女が言った。
「……お姉ちゃん、危ない……」
「うひゃっ!?」
 危うく火の中に一歩を刻みつけようとしていた美月が大声を上げた。
 そして、一枚の紙切れが宙を舞った。
 それはまるで何者かの悪意に操られるがごとく、風を受けて、宙を舞い、そして、伶奈の手の中にぽとりと落ちた。
「……イタリア語……四十五点……」
「ふえっ!?」
「……こんな物をこんな所で焼いてたのね……」
 伶奈が思わず読んでしまうと、美月は間の抜けた悲鳴を上げ、そして、アルトは頭の上でため息を吐いた。
 美月は基本的に勉強が嫌いだ。と言うか、子供の頃から『中学を出たらアルトでウェイトレス』と決めてたので、勉強は必要ないと思ってた。しかし、テスト期間はやってくる。そこで、勉強代わりに奇妙なおまじないで山を張り、それが概ね当たり、結果的にそこそこの成績を残すという人生を歩んできたらしい。
 まあ、全く勉強してなかったのに、両親や祖父に説得されて、いやいやながらも受けた中堅どころの公立高校に進学。落ちこぼれることなく卒業し、さらには調理師学校にまで進学して、調理師の免許なんかの試験にも合格した……って言うのだから、もしかしたら『やれば出来る子』だったのかも知れない。
 でも、そんな山張りがいつもかつも当たる物ではない。外れれば、当然、大爆死だ。そして、その大爆死したテストをあっちゃこっちゃに隠すという悪癖を美月は持っていた。
 伶奈が机の裏から発掘したのも隠したテスト用紙だし、他にも倉庫の中とかにも隠してあった。それに他にも、なんとなく……で取り残してあったテスト用紙やら成績表やらが、段ボールで一箱分ほど、大掃除の際に倉庫から発掘されたらしい。
「さすがにそろそろ、処分した方が良いかなぁ〜と、思いまして……伶奈ちゃんも大掃除するなら、何か、燃やす物ありますか?」
「貴女みたいに伶奈は隠さなきゃいけないテストなんてないのよ」
 美月の言葉に答えたのはアルトだ。もちろん、美月にはアルトの声は聞こえないわけだから、それを伝えるのは伶奈の役目……ではあるが、もちろん、それは――
「……それ、私、言わないよ?」
 されど、その言葉に何か察する物があったのだろう、美月の表情が途端に苦笑いへと変わった。
「えっ、えっとぉ……アルト、何か言いました?」
 そんな話をしながら、視線を何気なく国道へと向けた。
 猫背気味に歩くコートの青年とその隣を楽しそうに歩くポンチョの女性。幸せそうなカップル……なんて思っていたら……その片割れが見知った顔だった。
「あっ……りょーや君が知らない女の人と歩いてる……」
 思わず呟いた言葉にしまった! と思うも、時すでにおそし。
「ふえっ!?」
 美月が顔を上げる。上げた顔はすでに泣きそうな感じ……と思ったら、すぐにパッと明るい物へと変わる。
「何だ……お姉さん、いらしてたんですね」
「……小夜子じゃない……まあ、良夜に浮気した上にここに連れてくる甲斐性というか、図太さがあれば見直してあげるんだけど……」
 美月とアルトがほぼ同時に口を開けば、顔を赤くするのは伶奈の番。思わぬ早とちりに少女の顔が熱くなる。
「ちょっと、ここ、よろしくお願いしますね?」
 そう言って美月はぱたぱたとその場を駆け出していった。
 彼女が向かう先では恋人とその姉が立ち止まって、軽く手を振っている光景が見えた。
 取り残されるのは、少女と、その少女に速攻で鷲づかみにされ、再び金髪危機一髪になってる妖精さん。
「……素早いったら……」
 手の中でアルトが呆れているが、逃がしはしない。
 そして、ゴミバサミの他にも、ちゃんとバケツにお水と小型の消火器まで用意しているたき火の前にしゃがみ込む。
「消火器あるなら、お水、いらないよね……」
「予定通りに消すときはお水が良いんじゃないの?」
「ああ、そっか……」
 アルトも逃げる気をなくしたみたいだから、ひとまず安心。そして、彼女と話をしながら、小さめの段ボールに入れられてる不出来なテスト用紙を火にくべる。
 大半は赤点ではないようだが、飛び抜けて良い点数……と言う物でもなくて、むしろ、良くない感じ。
 答案用紙を火にくべ、飛ばないように気を使いながら、のんびりと少女はたき火に当たる。結構、気持ちいい。パチパチと爆ぜる火花やゆらゆらと揺れる焔もなんだか奇麗だ。
「お芋、焼けないかな? たき火って言えば焼き芋だよね」
「ゴミで焼くと臭くなるわよ。真雪が一回それをやって、芋を台無しにした事があるんだから……」
「へぇ……」
 相変わらず、美月と良夜、それから小夜子と言ったろうか? 三人の男女は楽しそうな雑談に花盛り。ポンチョの女性と美月は一年ぶり位らしく、とても楽しそうに話をしているのが、離れたところからで見て取れた。もっとも、置いてけぼりになってる良夜の方は少々居心地悪そうだ。
「ねえ……アルト……」
「なに?」
「……賭けようか?」
 がさごそ……燃え残りの灰をゴミバサミで崩しつつ、少女が呟けば、頭の上でアルトも呟き返す。
「美月があのまま、店に入るかどうか? を賭けるなら、きっと、賭けにはならないわよ」
 そして、ふんわりと目の前に落ちてきた逆さまの顔を見やり、少女は少しだけ肩をすくめた。
「そうだね」
 そして、少女は再び、答案用紙を焔の中に突っ込む。
 日を眺め、少し火照った頬を、山間を抜ける風が優しく冷やす。
 そして、案の定、三人は楽しそうに話をしながら、店内へと入っていくのを眺め、そして――
「何分で帰ってくるかなぁ……?」
 少女がぼんやりとした口調で呟いた。
「二分」
 最初にアルトが答えた。
「……一分三十秒」
 伶奈も答えた。
 そして、スマホを取りだし、ストップウォッチアプリを起動……数字がゆっくりと増えていく……
「ごっ、ごめんなさい!!!!」
 美月が血相を変えて帰ってきたのは、それからジャスト一分後の事だった。
 この後……

「あっ、大丈夫みたいですね。申し訳ありませんが、後、よろしくお願いします」
 そう言って、伶奈にゴミ燃やしを任かせたまま、フロアへと引っ込んでいくとは……伶奈どころかアルトの目をもってしても見抜ける事ではなかった。

 この後、ゴミを燃やして帰って伶奈に、お昼ご飯としてふわふわオムレツとコーンスープ、後、ガナッシュケーキが与えられた事は、ちょっとした余談である。
 

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