特別な夜―クリスマスイヴ―(完)

 人が浮かれれば事故が増える。事故が増えると救急病院の仕事は増えて、そこで働いてる看護師さんはおうちに帰れなくなる。
 父親が居るから、お金が必要だから……と言う理由で彼女はそう言うタイミングは率先して働いていた。
 そして、クリスマスは世の中の人間が浮かれてる日である。
 故に、去年までの西部由美子さんはクリスマスに家に居たことがなかった。
 しかし、その結果が例の体たらくである。
 これじゃ、いけない……と、母は考えた。
「今年のイブは、何か美味しい物でも食べに行こうか? 伶奈の好きなお寿司か……お肉か」
 十二月の初め、二人で囲む夕食時、伶奈に向かってそう言った。
 ら、伶奈はパチクリと二回程瞬きをした後、言った。
「……私はアルトでバイト……」
 母の箸からチーズ入りミルフィーユトンカツがぽとり……と落ちたのを見て、少女はさすがに申し訳ない気分で一杯になった。

「そういう訳で、ですね、今年も無事、喫茶アルトクリスマスイヴ特別営業も終わりました。つきましては、今年もちょっとした忘年会をですね、させていただきます。簡単な料理と安いお酒ばっかりですが、みなさん、ゆっくり、楽しんでいって下さいね」
 営業中は落とされていた明かりが逆に煌々と輝く中、美月が高らかに宣言を下した。
 クリスマスイブの特別営業が終わったら、その後は忘年会を兼ねた飲み会をやるのが喫茶アルトの恒例行事になっているらしい。もちろん、強制参加ではないが、『帰っても一人』の翼、『飲めるならば理由は問わない』の凪歩、『父と姉の命令』の灯、『友人が引き留めた』の俊一……と、結局、全員参加。
 この上に『美月に「他の男性の居るところで飲んで良いんですか? 脱ぎますよ? 酔ったら」と脅された』の良夜が居るのは、まあ、伶奈も納得しよう。むしろ、卒論の追い込み時期だと言ってるのにこんなところに呼び出された青年がちょっと可哀想だと思うくらい。
「えへへ、やっぱり、イヴは彼と過ごしたいですよね〜」
「ふわぁ……」
 素直に喜ぶ美月の横で青年がうつらうつらと船をこいでる辺り、彼がどうやってここに来る時間を作ったのがよく解る。
 ――ってのは、まあ、ともかくとしてだ、問題は……
「なんで、お母さんがここにいるんだよ……」
 そう言った少女の声は決して大きくはなかったが、その頬はぱんぱんに膨れきっていた。
「……美月さんに引っ張り込まれたのよ……あなたを迎えに来たら……」
 体裁悪そうに母は答えた。
 当初……と言うか、冒頭の会話を行ったときには、由美子はイヴは定時で仕事を切り上げて、とっとと帰ってくるつもりだった。そしたら、まさかの娘(中学生)の方が仕事という愉快な事案が発生。仕方ないから、同僚の若い看護師との間で、イブの残業と大晦日の残業を交換するという取引を行い、今日は残業をし、伶奈の仕事が終わる頃に帰ろう……と言う計画にしていた。
 で、伶奈を迎えに来たら、笑顔で押しが強いともっぱらの評判な三島美月嬢にこっちにまで引っ張ってこられた訳である。
「良いじゃないですか〜? どうせ、この時間だと、良いお店はどこも一杯で入れませんよ? それなら、うちでから揚げとフォカッチャと伶奈ちゃんが作ったカプレーゼを食べた方が建設的ですよ? 伶奈ちゃんもそう思いません?」
「それにおばさん放り出して、伶奈ちゃん一人、ここで食べて帰るの?」
「…………黙って、喰え」
 美月、凪歩、そして、翼にまで一気に言われてしまえば、伶奈もふくれっ面を引っ込める以外にない。言ってることも至極もっともな事であるのは間違いない訳だし……
「……別にお母さんだけ追い出せとか、言ってないし……もう、良いよ……お腹空いた、ご飯、食べる」
 そう言って伶奈がフォカッチャに手を伸ばし、バクっとかじりつけば、周りからはクスクスという失笑の声が聞こえ始める。それに少女の顔はかーっと赤くなった。
 もっとも、これ以上、反論すれば、ドツボにはまるだけなのは目に見えてるから、何も言わなかったが……
 そして、始まる楽しい食事会。
 本日の席順は端っこに母由美子、その隣に娘の伶奈、伶奈の隣が灯で、その向こう側に俊一。対面に移って、良夜、美月、翼、凪歩の順で座っていた。
 美月は隣の良夜相手に今日の話をしたり、良夜の学校の話を聞いたりしつつ、ワインをちびちび。良夜が言うにはハーフボトル七割を超えると服を脱ごうとするので気をつけなきゃいけないらしい。今日は灯と俊一がいるので、ハーフボトル一本が上限だと言うことを良夜にきつく言われてる姿が見受けられた。
 それに引き替え、凪歩のピッチは速い。最近は彼女の上司である吉田貴美が好きだとかで、ワイルドターキーにはまっているらしい。ロックにレモンを搾って飲むのが良いそうだ……と、中学生に言われても困る。
 で、これを――
「シュン君も飲みなよ? 美味しいよ?」
「……いっ、イヤ……凪さん、マジ、勘弁して……俺、夏で懲りたし……」
「解った、じゃあ、私が二杯飲む間にシュン君は一杯でいいから」
「イヤ……何が『いいから』なんだか……」
「え〜シュン君、つまんないよ……」
 と、楽しそうにお酒を勧める凪歩とそれを弱り切った表情で固辞しながらも、グラスに注がれ、そして、干さざるを得ない俊一の姿というのは、夏の海でも見受けられた情景の再現でもあった。
「灯くんは……飲まないの?」
 そして、翼は余り者同士……と言ったところだろうか? ちょうど、目の前に座っている灯に言葉をかけていた。その手には缶酎ハイ、レモン味だろうか? 黄色い色がまぶしい缶を右手に持って差し出していた。
「イヤ……俺、アルコールアレルギーなんだよ……――言わなかったっけ?」
「……そう……アレルギーはやっかい……――聞いた……かも?」
 灯の答えに満足したのか、翼は灯の方へと差し出していた缶を自身の手元へ……戻したかと思ったら、グビグビ……と、ラッパ飲み。少し地黒な喉が上下に揺れて、決して少なくない量が彼女の喉へと流れ込んでいくのが、見て取れた。
「みんな、よく飲むから、大変だよな……」
 飲めない灯がため息交じりに呟くと、伶奈も思わず、少しだけ肩をすくめた。
「飲めなくてもいいよ……ジュース、好きだし」
 そう言って伶奈はテーブルの上に置かれた炭酸ジュースに手を伸ばした。巨大な一.五リットルのペットボトル……結構、重い。それを手元に寄せたら、とくとく……と自身のタンブラーに注ぎ込んだ。
 しゅわ〜〜〜〜〜っと、炭酸がタンブラーの中で心地良く弾ける。
 それをグビグビと一気に煽ったら、から揚げをパクリ。脂っこさがコーラの炭酸によく会う……気がした。食事中にジュースというのは滅多に許される物じゃない。てか、こちらに来るまでろくにしたことがなかった。だから、たまに許されると凄く嬉しい。テンションが上がる。
 と、母が食事会に参加で下がり気味だったテンションも基準値を超える程度にまで回復。パクパクとから揚げ中心の食事をした娘に母が声をかけた。
「母さんにも注いでくれる?」
 機嫌も良くなった伶奈に母がグラスを差し出せば、差し出された少女は小首をかしげた。
「……飲まないの? 少しくらいなら……」
「……伶奈が許してくれても、表に止めてある車と法律が許してくれないのよ」
「あっ……」
 少し意地の悪い笑みで母が言えば、少女は今日の母が車で来ていたことを思い出した。
「泊まっても良いですよ?」
 美月が無邪気にそう言うが、さすがにそれは出来ない……と、母が固辞する。伶奈と違ってこちらに下着なんて置いてないし、着替えもない。それに寝るのは伶奈の部屋だ。いくら部屋に置いてあるベッドが独り寝には随分と広すぎるセミダブルとは言え、この年で母親と一つベッドは「なんかイヤ」と主張する伶奈の意向も合わさり、そこらを勘案した良夜の助け船がやんわりとではあるが的確な効果を上げたおかげで、本日のお泊まり会はなしと言うことになった。
「去年まではだいたい、みんな、この辺りで雑魚寝しちゃってたんですよね」
「……美月さん、それ、外に向いて言わないようにして。伶奈ちゃんのおばさん、引いてる」
 明るく言い切る美月を良夜が苦笑いで制するも、凪歩が更にひどいことをさらっと言った。
「私、一晩中飲んでたよ、去年」
 一晩中雪を見ながらビールからワイン、日本酒、缶酎ハイにワイルドターキーまで、好き放題にちゃんぽんで飲んでたって言うから、伶奈もさすがに驚き。
「肝臓、壊しますよ……」
 医療関係者たる由美子がそれ相応の発言をすれば、さすがにバツが悪いのか、「あはは」と笑ってごまかし……こそすれ、飲む勢いが全く変わらないのは凪歩らしいと少女も思う。
 まあ、そんな感じの飲み会……とは言っても、参加者のうち、三人がノンアルコールで美月も余り馴染みのない灯と俊一が居るからか、夏の時と比べれば随分と控えめ。手元でショットグラスに缶酎ハイを入れて飲んでるアルトに言わせると――
「静かな飲み会」
 だ、そうだ。
「しかし、相変わらず、アルトは今場所優勝のアルト山だな……」
 ぽつり……と、斜め前に座ってる良夜が漏らした。
 小さな体で大きなショットグラスを抱えて飲んでるアルトを、優勝力士が祝杯を挙げてる姿に見立てているらしい。言われてみれば確かにその通り。
「ぷっ……」
 小さく吹き出せば、ショットグラスの中身、半分ほど空けたアルトがじろり……と少女を見上げた。
「……誰が今場所優勝のアルト山よ……?」
「……アルト以外にアルト山が居たら困るじゃん……」
 堪えきれない失笑を唇から漏らしつつ、少女が答えれば、アルトはそのショットグラスをテーブルの上へと戻す。そして、脇に置いてあったストローをギュッと握ったら、それを大皿の上に盛られたから揚げへとずぶっ! と乱暴に突き立てた。
 真ん中くらいまで肉を押し込んだら、ストローの両側を握りしめて、がぶりっ! ダイナミックな食べ方を披露する。そのまま、肉を半分ほど食べたら、伶奈の取り皿の上へと彼女は置いた。
 そして、再び、ショットグラスを持ち上げたら、少女が――
「ぷっ……」
 と、吹き出す。
「……伶奈、本当、刺すわよ? それから、お代わり」
 トン……と、空っぽになったグラスをテーブルの上へとアルトが返す。
 それに少女はとくとくと飲み物を注ぎ込む。
「って、コーラじゃないの!? あと、あふれる!! あふれるから!!!」
 しゅわ〜〜〜〜〜〜と、泡が盛り上がって、小さなショットグラスはあっと言う間にオーバーフロー。弾ける褐色の液体がせっかく敷かれたテーブルクロスの上にシミを作る。しかも、泡が収まってみれば残ってるのはグラスの四割ほど。
「……入れるの、難しいね……」
 思わず、少女は呟いた。
「ちゃんと入れなさい…………じゃなくて、誰がコーラって言ったのよ!? 誰が!?」
「私の手元にはコーラしかないもん」
 顔を真っ赤にして怒ってるアルトから少女はプイッとそっぽを向いた。
 向いた先にはコーラのグラスを握ってこちらを見ている母の顔。
「あっ……えっと……痛々しい……って奴?」
 緩んだ目元と口元。優しげな笑みに少女のほっぺが熱くなった。
 アルトの声も姿も見えない人から見れば、アルトと伶奈が喧嘩しているのは、伶奈が一人で大騒ぎしているようにしか見えないって事は、何回も指摘されていたからだ。
 しかし、母は少しだけ首を左右に振って見せた。
「ううん……楽しそうだな……って、思っただけよ」
「……別に……」
 そうとだけ小さく答える。
 その少女に母は言葉を続けた。
「アルトさんが居てくれて良かった……って、母さん、思うわよ」
「そう思うなら、たまには美味しいコーヒーくらい奢りなさい」
「……――って言ってるけど、無視して良いよ。後、私は居なくても困らないもん……」
 素直にコカコーラを半分ほど一気飲みして、アルトが答え、その言葉を伶奈が母に通訳する。
 そして、アルトは大きなショットグラスを抱えて立ち上がった。
「伶奈がお酒注がないから、あっちで良夜に注いできて貰うわ」
「こっちに来てもウーロン茶しか入れねーぞ」
 カプレーゼを肴に赤ワインを傾けていた良夜が答えれば、アルトは打てば響く速度で更に答える。
「刺すわよ!!」
「まあ、良いじゃないですか〜飲ませてあげたら」
 笑顔で水を向ける美月に良夜はさらっと言いきる。
「じゃあ、美月さんのハーフボトルから注ぐんなら良いよ」
 すると、美月は笑顔を崩すことなく、言った。
「――と言うわけですので、ウーロン茶を飲んで下さいね、良いですね?」
「美月! 貴女、何、私を売ってるのよ!?」
「……――ってアルトが言ってるよ」
「だっ、だってぇ〜今日はハーフボトル一本だけって約束ですから……これ以上減ったら……寂しいですよ〜」
 アルトが悲痛な悲鳴を上げ、それを伶奈が美月に教えれば、美月はモゴモゴ、ごにょごにょ……端正な顔をうつむけ、言い訳のような言葉をいくつもこぼす。
 そんな美月の様子に良夜も伶奈も、そして、由美子までもが声を上げて笑った。
 そんな楽しい時間が二時間ほど続いた。
 そして、唐突に終わった。
 ごっ!
 鈍い音が響いた。
 その音に少女が顔を向ければ、俊一がテーブルの上に突っ伏していた。
 その隣には、向かいに座っていたはずの凪歩が空っぽになったワイルドターキーの酒瓶……確か、この飲み会が始まったときに封を切った代物だと伶奈は記憶していた。
「シュン君、弱いねぇ〜」
 そう言った凪歩はほんのりほっぺが酒色になった程度で、ほろ酔い加減……と言ったところか?
 そして……
「灯くんは……飲まないの?」
「イヤ……俺、アルコールアレルギーなんだよ……――言わなかったっけ?」
「……そう……アレルギーはやっかい……――聞いた……かも?」
「じゃあ、その缶酎ハイ、引っ込めて……」
「翼ちゃんのお酒でも?」
「誰の酒でも同じだから……」
 そして、なぜか、隣り合った席――凪歩と灯が席を替わったようだ――に座ってる翼が缶酎ハイの缶を片手に灯に迫っていた。吐息が掛かるところまで近づいた顔と顔、そして、彼の首に回された左腕……灯はその翼の吐息だけで気分を悪くしかけているようだ。
 そんな空間を少女達はあっけにとられて見守る。
 三秒ほど。
 遠くで騒ぐ大学生達の声が聞こえた。
 そして、最年長者は言った。
「……お開きにしましょうか?」
 少女の母の言葉に誰も逆らう者は居なかった。

 こうして、クリスマスイブは終わった。

 尚、灯の貞操はぎりぎりの所で守られたらしい。

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