特別な夜―クリスマスイヴ―(3)

「くぅ……夜の部まで居たかった……あっ、アルトちゃんにもよろしく」
「…………蓮は、死ぬかも知れない……」
「……ほら、肩貸してあげるから、坂道見ただけで死にそうな顔しないで」
 穂香、蓮、そして美紅、三者三様の反応を見せる友人達を、頭の上にアルトを乗せた伶奈は喫茶アルトの駐車場にまで見送りに出ていた。普通はレジ前でお別れではあるが、そこは友人相手という事で特別待遇。
「それじゃ、お店が終わったらメールするね」
 見送りの言葉を友人達に贈れば、友人達も口々に「夜の部の様子を教えて」とか「行き倒れなければ返事を出す」とか「肩貸してるじゃんか!」とか……まあ、それぞれに特徴的な言葉を残して、少女達はその場を後にした。
 ブンブンと大きく手を振る友人達の姿が、そろそろ暗くなりかけた東の空へと遠ざかっていくのを見送り、少女は踵を返す。
「伶奈ちゃん、灯、呼んできてくれる? そろそろ、ここのレジ、片付けるからさ」
 そこに声をかけてきたのは、一人、店外の臨時レジで予約ケーキの受け渡しをしていた凪歩だった。あらかた受け渡しは終わったようで、仮に受け取り損ねてた人が取りに来ても店内のレジで対応できるだろうとのことだった。
 説明をしてくれた凪歩に「はーい」と明るい口調で返事をすると、少女はドアにぶら下がっていたプレートを『営業中』から『準備中』へとひっくり返した。
 今日は夜の特別営業のため、一端、店内の客を放り出すことになっていた。テーブルの上に普段はかけない真っ白いテーブルクロスを引いたり、燭台を並べたり……そう言う作業を営業中にやるわけにはいかないからだ。
 そういう訳で、店内に入るとスーツ姿の男二人が女子大生にまみれた店内で、ラストオーダーを取りに、各テーブルを回っていた。
「灯センセ、凪歩お姉ちゃんが、臨時レジの後片付け、お願いって……」
「ああ……了解……って、一人でやれよな……」
 ぶつくさ言って外へとでて行く灯を、苦笑いで見送る。
「貴女はレジに行けば良いわ。追い出される子達がそろそろレジに来るわよ」
 見送る伶奈の頭の上でアルトがそう命じた。
 特に他に用事もないし、素直に従う。
 三々五々にやってくる客をそろそろ慣れ始めた手つきで少女はさばいていく。客は多く、途切れることはないが、逆に一斉に来るというわけでもない。それに今日はメニューもクリスマスの特別メニューが多くて、その辺りは普段よりも少し楽。落ち着いてこなせば大きな問題もなく、昼の部、最後の客が喫茶アルトを後にした。
「もう、居ないかな?」
「居ないみたいね」
 伶奈の独り言に近い質問に頭の上からアルトが答えた。
 そして、レジの鍵を掛け、一端、レジから離れた。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜ん、なんか、疲れた……」
 ぐーーーーーーーっと大きく背伸びをして、息を吐く。
 周りでは灯達がテーブルの上を片付け、そこにクロスを敷き、燭台を並べる作業を開始していた。伶奈もその作業を手伝うなり、もしくは、キッチンに行って皿洗いをするなり……と、仕事はあるのだが、一段落が付いたという安堵感の方が少女には強かった。
「サボってると貴美に言うわよ?」
「……それ、辞めようよ……」
 アルトが冗談めかした口調で言えば、少女は苦笑いを浮かべて、答える。
 そして、少女はキッチンへと向かう。キッチンの方もばたばたと忙しそう。美月はチキンの下ごしらえに余念がなさそうだし、凪歩は返ってきた食器の皿洗い、翼は……まだ、ブッシュドノエルとショートケーキを切って、フィルムを巻く作業に没頭していた。
 その忙しそうな雰囲気に飲まれているのを伶奈自身も感じつつ、彼女はおそるおそると言った雰囲気で口を開いた。
「あっ、あの……何か……」
「それじゃ、ニンジンとジャガイモの皮を剥いて、一口大に切って下さい。今日は急いでますから、皮はピーラーで剥いて良いですよ」
 大量の鶏肉と格闘しつつ、美月がすぱっ! と命じれば、伶奈はそれに気圧される気分で
「うっ、うん……」
 と、小さく頷き、作業台に向かった。
 相変わらず作業台はちょっと高いのだが、かといって、何か踏み台が必要と言う程でもなくて、何とも中途半端な高さ。早く背が伸びないかなぁ……と思いつつ、少女は言われた作業に取りかかった。
 まずはピーラーでニンジンの皮を剥いて、それからざくざくとほどよい大きさに切っていく。
「少し大きめの方が美味しいそうよ」
「そうなの?」
「私は凄く小さいのしか食べれないから良く知らないわ」
「……無責任なセリフ、吐かないで……」
 頭の上の妖精に茶々を入れられつつ、ニンジンをカット。切り終え、横に置いてあったニンジンは黙って美月が持って行ったから、多分、大丈夫なサイズなのだろう。それから、今度はジャガイモ……ニンジンと違ってごつごつしてるから、ピーラーを使っても皮を剥きづらい。
 特に凹んでる部分の皮がいくらやっても、居残り続ける。このまま削ってたら、ジャガイモのサイズがドンドン小さくなってしまいそうだ。
 ――と思って作業をしていたら、頭の上から妖精がひょこっと顔を出した。
「……伶奈、そのへこみの所、四苦八苦してるのは良いんだけど……そのピーラーの端っこに付いてる出っ張り、それでゴリッとえぐれば芽のところが奇麗に剥けるって知ってた?」
 頭の上の妖精に言われ、伶奈は改めてピーラーに目を落とした。
 ピーラーはY字状のハンドルに刃が付いた形状だ。そのY字の一辺、端っこには小さな出っ張りというか、匙のような物が、確かに付いている。その匙の部分を芽のくぼみに押し込んで、ぐりっ! 勢いよくとえぐれば、先ほどまでいくらやってもしつこく居残ってた皮も奇麗にいなくなるではないか。
「おぉ……!」
 その気持ちよさに思わず、声が漏れた。
「……感動しないで……」
 頭の上でアルトがため息をついてるのが聞こえた……が、聞こえないふりをした。
(てっきり、飾りだと思ってた……)
 なんて事は絶対に言わない。
 それから、そのジャガイモもざくざくと適当な大きさに切りそろえる。こっちは大きい方が食べ応えがあるような気がしたので、ちょっと大きめ。
 二つ三つ……ジャガイモを刻んだら、今度は、また、ニンジン……ニンジンを切ったら、また、ジャガイモを二つ三つ……
「……いくつやれば良いのかな?」
「切りすぎても、夜食に使われるから、気にしないで切り続ければ良いわよ。どうせ、そんなに手際が良いわけじゃないんだし」
「……アルト、後で捻る……」
 後半の言葉にムッと頬を含めるも、暴れてる暇はない。自身に与えられた小さめの包丁とピーラーを駆使して、与えられた仕事を黙々とこなす。
「ひとまず、ジャガイモとニンジンはそれくらいで……次はタマネギ、くし切りにして下さい」
「あっ、はい」
「その次はベーコン、五ミリ幅くらいでお願いします」
「はっ、はい!」
「それから、トマトは厚めにスライスで!」
「えっ!? あっ、うん!」
 次々と美月が指示を飛ばす。そのお仕事を的確……なのかどうなのかは自分でもよく解らないけど、ともかくこなしていく。タマネギは皮を剥いて、半分に切って、更に三等分。それからベーコンはスライスされてる物を数枚重ねて、トントンと……と五ミリ幅くらいだろうか? 物差しがないからピンとこないけど、ともかく、フィーリングで刻む。アルトがそのくらいだろうって言うから、それを信用することにする。それから、今度はトマト……って、もう、頭の中は軽くパニックだ。
「落ち着きなさいよ……今のところ、ミスってないから」
「わっ、解ってるけど……」
 アルトの言葉を頼りに一生懸命、仕事をこなす。
 そんな時間がしばらく続いたかと思うと、フロアの方から凪歩がひょこっと顔を出して、フロアの用意が概ね終わったことを告げる。
 気がつけば、外はもはや真っ暗。
「ああ……そろそろ、夜の部ですかね……それじゃ、忙しくなると思いますが、みなさん、怪我しないよう、ミスのないように、頑張りましょう!」
 キッチンのほぼ中央部、美月が高らかに宣言をしたら、いよいよ、夜の部の開始だ。
 前菜はスライスしたモッツァレラチーズとトマト、それからバジルの葉っぱを重ね、塩こしょうとオリーブオイルだけでシンプルに味付けしたカプレーゼ。メインのひと皿目は小さめのマルゲリータ、二皿目は今年はチキン一択、チキングリルにトマトソースを賭けた逸品。それからベーコンと野菜のスープ。ドルチェは、もちろん、クリスマスケーキとコーヒー。人によってはワインなんかも付けたりするちょっぴり贅沢なコースが本日の料理だ。
(おっ、思ってたのとだいぶん違う……)
 伶奈の想像ではこれを伶奈がロウソクだけで演出された店内に運んでいく物だと思っていた。薄暗い店内で静かに給仕をしている自分を想像して『ちょっと格好いい』とか思っていた。
 が、ふたを開ければ、伶奈の受け持ちはカプレーゼの調理。自分がスライスしたトマトとバジル、モッツァレラチーズを一つの皿に順番に重ね、そして、塩こしょうとオリーブオイルで味付け、という作業をやっていた。自分が味付けした物が客に供されるというのは緊張するも嬉しくはあるのだが、いかんせん、忙しい。
 これを作るのは今回が初めてではない。少し前にも同じ物を翼の指導の下、作ったことがある。その時は美月も凪歩も和明も、そして、母由美子もちゃんと美味しいと言ってくれた。
(大丈夫……前に教えて貰ったとおりにやれば……)
 パニックになりそうな中、必死で伶奈は踏みとどまる。
 後々考えれば、これはこれで『格好いい』のだが、今の彼女にそれを気づく余裕なんてない。
 そんな中……
「あっ、私、大事な仕事があるの。後は頑張りなさい」
「ちょっ、ちょっと!?」
 頭の上で作業を見守っていたアルトはぽーんと彼女の頭の上から旅立ち、なぜか、フロアへと飛んでいく。
 追いかけていってやろうか? と思った物の、それは翼の――
「……伶奈、次」
 短くも有無を言わせない指示によって、実現できず。
(絶対に後で捻る、捻り殺す!)
 その思いだけを糧に、伶奈はてきぱきとカプレーゼを作る作業を延々とやり続けていた。

 いくら忙しい……とは言ってもその時間が永遠に続くわけではない。なんでも終わりという物は必ずやってくる。それは、喫茶アルトクリスマス特別営業も同じ。
 カプレーゼだけではなくて、グラスにワインを注ぐ役や焼く用意が出来たピザをオーブンに突っ込んでスイッチを入れる役やそれが焼けたら取り出す役なんかまで押しつけられた伶奈のお仕事も、山場は越えたようだ。気づけば手待ちになる時間が増えてきた。
「一段落、付いたみたいですね?」
 一息吐いた伶奈に美月が声をかけた。
「うん……」
「ところで、アルト、居ます?」
 美月に問われ、伶奈はブンブンと首がちぎれんばかりに左右に振った答えた。
「あっ、ううん! アルト、夜の営業が始まってすぐに『大事な仕事がある』って居なくなっちゃったよ!」
「ああ……やっぱり」
 変なところで納得する美月に伶奈は「ん?」と小首をかしげた。
 その不思議そうな表情を見せる伶奈に美月が言った。
「じゃあ、せっかくですから、見てきたらどうです? ロウソクだけのフロアもちょっと珍しくて、見る価値ありますし」
「でも……仕事……」
「良いんですよ。もう、山は越えましたし」
 美月はそう言ったかと思うと少女の肩を掴んで回れ右させた。そして、半ば、キッチンから追い出すような感じで少女をフロアへ通しだした。
 そして、少女はフロアへと顔を出した。
 ロウソクだけのフロアは思ってた以上に幻想的。ぽつりぽつりと浮かぶ灯の中でテーブルとそこで食事を取ってる人々の顔が複雑な陰影を描く。その陰影がゆらゆらとロウソクの炎が揺れるのに合わせて、揺れていた。
 その幻想的なフロアの中、どこからともなく、歌が聞こえていた。
「We wish you Merry Christmas……We wish you Merry Christmas……」
 澄んだソプラノのアカペラ、聞き覚えのある声に視線を向ける。
 それはフロアの片隅、ひと組のカップルが占領するテーブルの上。ロウソクの薄暗い炎が揺れ、小太りの青年とやせ気味の女性、二人の顔を柔らかく照らしていた。その片隅に、彼女――喫茶アルトに住んでる小さな妖精さんが居た。
 彼女は女性の手元にあるチキンにプスッ! とストローを刺したかと思うと、それを口元に運んでガブリ! むしゃむしゃと咀嚼したら、ゴクンと飲み込む。
 そして、また……
「Silent Night,Holy Night All is calm,all is bright……」
 別の歌を歌い始める。
 適当に歌ったら、また、適当にお客さんの更から食べ物を失敬して、また、歌い始める……グラスワインやコーヒーまでしっかりいただいてる辺り――
「……気楽な仕事……趣味じゃん……」
 ――って、奴だ。
 だけど……ロウソクの炎の中、小さな妖精が歌っている様は幻想的。それが自分一人にしか見えないのかと思うと、少し、もったいない気もした。
(歌だって、私しか聞こえないのに……)
「伶奈ちゃん、ごめん、レジちょっとお願い」
 ぼんやりとアルトの独唱を聴いてた伶奈に凪歩が声をかければ、少女は慌てて返事をした。
「えっ!? あっ! はい」
 ぱたぱたと小走りでレジに向かう。
 レジにはひと組のカップル。先ほど、アルトにつまみ食いされていた二人組だ。
「お待たせしました」
 ぺこりと頭を下げて、レジに入ったら、そばかすだらけの女性が少々驚いたような表情を見せた。
「わっ、小学生だぁ」
「あはは、それ、この子に禁句。中学生だよ」
 いい加減言われ慣れたセリフに少女がぷっと膨れれば、青年が苦笑いを浮かべた。
 どうも小太りの男性は大学の学生で伶奈のことも知っているが、女性の方は他学の学生らしく、アルトにも滅多には来ないらしい。
「えへへ、ごめん、ごめん」
 楽しそうに笑う女性、その顔は少し赤く、吐く息も少しアルコールの香り。少し短めのスカートから伸びる足が若干ふらついてるのを見れば、男の左腕に巻き付けられた右腕が、愛情表現だけではない理由であることは明らかだった。
(酔っ払いに怒ってもね……)
 そして、会計を済ませれば二人分のお金を支払うのは男性のお仕事。
「ごっとうさん」
 おつりとレシートを受け取り、まとめて財布に突っ込みながら青年が言った。
「ごちそうさま。美味しかったって、作った人に言っといて〜」
 幸せそうな顔で女は言った。そばかすだらけ、歯並びも余り良くなくて、決して美人とは言えない女性……だと思う。だけど……
 だけど……
「ああ、美味しかった! ちょーしあわせ〜作った人にありがとーって言っておいてね!」
 そう言って笑う彼女は妙に奇麗だった。
 そして、その奇麗な笑顔の女性はきびすを返しながら、もうひと言言った。
「後、きれーな歌もありがと〜って」
「……酔っ払い、帰るぞ」
「あはは、聞こえてたもーん」
 酔っ払って足下もおぼつかない彼女を彼氏の方が引き摺りながら、ドアを開いた。
 から〜んとドアベルが鳴った。
 開いたドアの向こう側には満天の星空。きーんと冷えて透き通った空気が満ちていて、そこから流れ込んだ冷たい風が少女の頬を優しく撫でた。
「あっ、ありがとうございました」
「酔っ払いの冗談だから、気にしないでね」
 見送りの言葉を述べる少女に青年が苦笑いで言う。
 そして、少女は、満天の星空の下、店を後にするカップルに言った。
「つっ、伝えときます」
 歩みを止めて青年は振り向く。そして、少しだけ肩をすくめて、彼は言った。
「酔っ払いの冗談に付き合わなくて良いってば!」
「妖精、居るって〜! 言い出しっぺ、そっちじゃん!」
「ああ、はいはい。俺はここの店長に聞いただけって!」
 そう言って、彼と彼女は出て行き、開け放たれていたドアが、ドアベルをから〜んともう一度鳴らして、閉まった。
 レジの中に少女が取り残される。
 そして、少女はほんの少しだけ肩をすくめて、思った。
(捻るのは止めとこうかな……)
 こうして、喫茶アルトのクリスマスイブはひとまず、終わりの時を迎えた。

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