特別な夜―クリスマスイヴ―(2)

 さて、当日十二月二十四日、木曜日、終業式。なんの役に立つのか解らない校長先生の長い訓示やら生活指導の諸注意やらをありがたくいただき、一学期と比べて微妙に向上した通知表を受け取って、伶奈の二学期最終日は午前中で閉じた。
 今日は部活も休みで、普段の放課後よりに比べるとホームルームが終わってもすぐに教室を出る者は少ない。それぞれに仲の良いグループが、教室のあっちこっちに集団を作っては、冬休みの予定を話し合ったり、冬休み明けまで会えない友人との名残を惜しんでいた。
 そんな中、そそくさと教室から出て行く一団があった。
 伶奈達四方会だ。
 彼女らはざわめく教室を後にして、やっぱり、ざわめきあふれる廊下、そして、階段へと下りていった。
「本当はさ、このさ『For All Special Guest』って奴に行きたかったんだけど、これに行きたいからお金ちょうだいって言ったら、グーパンの上にアイアンクローだよ? ホントさ、児童相談所の電話番号教えて」
 そう言って、穂香は制服のポケットから一枚のチラシを取り出した。喫茶アルトで配布していたクリスマス特別営業の広告だ。そこには去年の『For All Lovers』の様子が写真で掲載されていた。燭台の上に灯された明かりだけでの営業はどこか幻想的だ。その幻想的に揺らめく炎の中、楽しげに微笑む女子大生の横顔がとても幸せそう。
 今年はこの中で、伶奈自身も働くのか……と思えば、身が引き締まる思いがした。
 ちなみに、去年は『全ての恋人達に送る素敵なクリスマスイブ』が標語だったが、今年は『全ての特別な人に特別なイブ』に変わった。「恋人なんていねえよ!」という非リア充な方々から血涙を伴ったクレームがあったが故だ、そうだ。
「まっ、ディナーは無理だからお昼のクリスマスセット、食べに行くね」
 そう言って美紅が穂香の持ってたチラシをひょいと取り上げ、その片隅に書かれた『お昼のクリスマスセット』の欄を指さした。チキンのイタリアンハーブグリルとフォカッチャ、特選クリスマスカットケーキ、それにブレンドコーヒーが付いたセット。意外とリーズナブルな価格で、これなら、まあ、お小遣いの範囲でも食べられそう、とのこと。
(こっちも中学生には安くないと思うけど……)
 なんて思うけど、まあ、私立中学に子供を入れるような家庭だから、生活には余裕があるのかも知れない……と、自分も通ってることを棚に上げ、伶奈は思った。
 そんな感じの話をしながら、校舎、そして、校門を出る。
 空はうっすらと曇りこそしているが、気温は高く、暖冬傾向は今日も相変わらず。せっかく買った学校指定のコートも、今のところ出番はなし。周りを見渡しても着ている生徒はほとんど見えず、ごく少数の生徒が小脇に抱えてるのが見えるくらい。
 十二月、年末も押し迫った時期とは思えない陽気の中、少女達は道を歩く。向かう先は伶奈がいつも電車の乗り降りをしている最寄り駅。そこまで伶奈を送ったら、穂香達三人は、一端、穂香の家にとんぼ返りをする予定。そこで制服から私服に着替え、伶奈が乗った電車、その次の便に乗って、アルトに来る手はずになっていた。
 なんで、こんな面倒な手続きを踏むのか? と言えば――
「せっかくだから、伶奈チに出迎えて貰いたい」
 ――と、穂香が言いだしたから。後はせっかくのクリスマスイブに制服を着たままうろうろはしたくないとか、そんな感じ。
「わざわざ、見送りに来てくれなくても良いのに……」
 伶奈が苦笑いで言えば、穂香が軽く肩をすくめて答える。
「次の便、一時間後だし」
「田舎の電車だもんね」
 穂香の言葉に美紅もやっぱり肩をすくめて苦笑い。
「あはは、車社会だもんね、こっち。それじゃ、また、アルトで。来るとき、気をつけてね」
 苦笑い同士の顔を合わせて笑ってる穂香と美紅、その背後でぼんやりしている蓮の三人に声をかけて、伶奈は一人、改札口を通り、中に入った。
 伶奈が乗るべき電車が来るまでまだ少々の時間があった。ベンチにでも座っていたいところだが、そこはすでに英明の制服を着た女子中学生や女子高校生、それからオマケの男子高校生が占拠していて、空き家はなし。仕方ないから、端っこの方に立って待つことにした。
 ぼんやり待つのも暇だから……とスマホでお気に入りのウェブコミックなんぞを見ながら待つこと数分……上下線、同時に滑り込んで来た電車のうち、下りに乗り込む。後はゆられてるだけで自宅最寄り駅だ。
 それから、長い坂を登って、自宅まで階段を上がって、無人の自宅に帰ったら、学校の制服からアルトの制服に着替えて、更に階段を下りて、峠を下りて、アルトに向かう。
 これを昼食抜きの十二時大幅すぎにやってんだから、はっきり言って、結構、辛い。
(……アルトに行ったら、何か食べさせて貰わないと……)
 そんなことを考えながら、少女は徒歩でアルトに向かった。
 大学周辺はすっかり冬休みではあるが、世の中的には普通に平日。国道にはひっきりなしに車が通っていて、アルトの前で渡るのには多少の時間が必要だった。
 こんな時に限って……と言いたいところだが、焦ると危ない。
 十分に安全を確認したら、やおら、少女は道路を渡った。
 アルトの前、普段なら店内に入る客が通り過ぎるだけのスペースに、ちょっとした人だかり。予約分のケーキの受け渡しがそこで行われている……はず。
「あれ?」
 少女が小さな声で呟いたのは、その人混みの向こう、ひときわ高い位置に見覚えのあるポニーテールが見えたからだ。事前の打ち合わせだと、こっちにいるのは灯と俊一の男二人組で凪歩は店内を受け持つことになっていたはずだ。
 疑問に少女が足を止めれば、人混みの向こうでポニーテールの女性――時任凪歩が顔を上げた。
「伶奈ちゃーん!」
 そして、彼女がひときわ大きな声で少女を呼ぶので、少女はぱたぱたと革靴の音を立てて、そちらへと駆け寄った。
「どうしたの? 灯センセは?」
「良いから、ちょっと変わって……トイレ行きたい」
「あっ……うん……それじゃ、私のタイムカード」
「おっけ、おっけ、押しとく。今日、余裕ないから! 頑張ろうね!!」
 訳も解らないまま、学校行事なんかで使うような長机で作られた簡易レジコーナーの内側へ、伶奈は凪歩と入れ替わりに中に入った。置かれてるレジの機械……正式名称はレジスターだっけか? それは普段使ってる物に比べると随分古くて、基本は同じとは言っても、やっぱり、ちょっと扱いづらい感じがした。
 ここでの売り物は二種類、ブッシュドノエルとショートケーキだ。ブッシュドノエルはクリスマスだけのオリジナル商品で、ショートケーキの方も飾り付けがクリスマスオリジナルバージョンとやらになっているらしい。どこがどう違うのかは良く知らない。多分、サンタさんとトナカイが居るくらいだろう。
「はい、これ、よろしくね」
 最初にそう言って引換券を手渡したのは、ツナギ姿の巨乳女子大生、伶奈の家のお隣さんでもあるアマナツこと天城夏瑞だ。
「あっ、こんにちは。天城さん」
 顔見知りの女子大生にブッシュドノエルの箱を渡しながら、少女はぺこっと軽く頭を下げた。
「お疲れ様、伶奈ちゃん。いやぁ〜馬子にも衣装って……あるんだね」
 彼女の言葉を聞きながら引換券に視線を落とした。そこには入金済みのマーク、レジの中に伝票を入れたらそれで終わり……ではあるが、その手を止めて少女は顔を上げた。
「どー言うこと?」
「そりゃ……」
 そう言って口を開きかけたものの、彼女はちらりと背後に視線を向ける。
 それに釣られて伶奈も夏瑞の背後に視線を送った。
 二人が見たのは夏瑞の背後に並ぶ数人のお客さん、いくら暖冬とは言え、クリスマス、それも吹きさらしの屋外に突っ立てれば楽しかろうはずはない。そんな客達を二人でちらりと見やると、二人は顔を合わせて、少しだけ肩をすくめて、頬を緩め合う。
 そして、テーブルの上に置かれたケーキの箱を手に取りながら、夏瑞が言った。
「まあ、すぐに解るよ。仕事、頑張ってね」
 そう言ってその場を立ち去る後ろ姿を見送る。
 すぐに解る……と言われたところで、解ってるのは伶奈の目の前に途切れることなく、客が来ているって事だけ。その途切れることのないお客さんから予約券を受け取り、ケーキを渡す。
 結構、忙しい。
 しかも、お腹が空いてる。
 とても、辛い。
 せめてアルトでもいてくれれば……そう思いながら、少女は背後、大きな窓をちらりと見やる。
 今日のフロアはやけに女子大生ばかり。その中の一人、楽しそうにケーキを突っついてる女子大生の手元に、コーヒーを盗み飲んでる妖精の姿を、少女は発見した。彼女の口の周りにはべったりと生クリーム、十分に奴がショートケーキを味わったことはもはや疑う余地はない。
(お腹空いた……アルト、後で絶対に捻ってやる……)
 なんて思いながら、お客さんの相手をすること二十分弱。
「お待たせ!」
 ようやく帰ってきた凪歩とタッチ交代。
 ぱたぱたと靴音を立てて、その場を辞したら、まっすぐに裏口へと少女は向かった。
 飛び込んだキッチンでは、翼がケーキを切り分け、美月がイタリアンハーブたっぷりの骨付き鶏もも肉を調理中。二人とも、とても忙しそうだ。
「こっ、こんにちは」
「あっ、伶奈ちゃん、おはようございます、お昼、食べました?」
 伶奈の声に美月が手を止め、声を掛ける。
 それに少女はブンブンと音がするほどに大きく首を振って見せた。
「それじゃ、そこにサンドイッチを作ってますから、適当につまんでください。ごめんなさい、今日、本当に忙しくて……」
 そこ……と言われて美月の顔の向いてる方へと視線を向ける。そこは作業台の片隅、すぐ横では翼がケーキをカットしまくってる所だった。普段、ケーキはカットし、フィルムがまかれた状態で届けられるのだが、クリスマスはケーキショップ『ひさか』が忙しいのでカットとフィルム巻はアルトで行うことになっていた。そもそも、クリスマスケーキのカット販売は『ひさか』では執り行っていないのだ。
「切って……巻いて……アルミの上に置いて……巻いて、巻いて、巻いて……アルミの上に置いて……置いて……置いて……」
 焦点の合わない瞳でぶつぶつ手順を確認しながら、辛気くさい作業を続ける翼。若干……怖い。
(見ない振りをしよう……)
 そのすぐ隣で、サンドイッチをぱくりとかじって、口の中に押し込む。それから冷蔵庫を開いたら、何かと良く使う業務用の大きな牛乳パックを取り取り出した。そして、それをグラスに注ぎ、グビッ! と一気飲み。これでなんとかお腹も一段落だ。
「いそがしいの?」
 牛乳パックを片付けつつ、伶奈が美月に尋ねる。すると、美月は焼き上がった鳥の足を皿の上に盛りながら、答えた。
「とっっっっっっっっても! 誰ですか?! 格好いい男の人がウェイターしてるってメール出したら、お客さん、きっと沢山! とか言いだしたの!?」
「……チーフ、あなた」
「そうでした!! ごめんなさい!!!」
 泣きそうな声を上げてる美月と黙々と陰気くさい作業をやりつつも的確なツッコミを行う翼とのやりとりを見つつ、少女は小首を傾げる。
 も、その疑問はすぐに解消された。
「スペシャル、後、四つね」
 聞こえた方へと視線を向ける。
 場所はキッチンとフロアの境目辺り。
 鍛えられ引き締まった長身、髪形を珍しくオールバックに決めたちょっと格好いい青年――伶奈にとっては家庭教師でもある時任灯がそこに立っていた。その長身を包むのは喫茶アルトの制服ではなく、真っ黒いシングルスーツ。その下には皺一つないワイシャツとピンとまっすぐに伸びた藍色のネクタイ、シンプルなシルバーのタイピンが良く映えていた。
「はーい!」
 大きな声で美月が答えて、トレイの上に料理とケーキを載せていく。
「あっ、伶奈ちゃん、お疲れ様。今日、凄い、忙しいよ」
 黒スーツの青年がそう優しげな口調でそう言った。
「ホント、馬子にも衣装よねぇ〜」
 どこからともなく飛んできたアルトが伶奈の頭の上にちょこんと着地。ひょいと頭の上から少女の顔を覗き込んで、彼女は言った。
「背が高すぎて、アルトにある制服が合わなかったのよ。それで、なんでも良いからスーツ持って来いって言ったらあの格好で来たの。それで、調子に乗った美月がメールマガジンで『臨時イケメンウェイター登場』なんて、メールを出そうって言い出したら、今度は凪歩が写真もつけようとか言いだして、そしたら、もう、女子大生が大量に釣られて、おかげで、今日の女は完全に裏方よ」
「ふぅん……」
 興味なさそうに返事をしつつ、手洗い場で軽く手を洗い、除菌スプレーをピッと手にスプレーした。
 そして、少女は美月に声をかけた。
「友達が来るから……フロアの仕事、してて良いかな?」
 その問いかけに美月が顔を上げ、そして、スーツ姿の青年に声をかけた。
「あっ、良いですよ。それじゃ、灯くんか、真鍋さん、どちらか、キッチンに入って貰えますか?」
「それじゃ、シュンに声をかけてきます」
 一足先に出て行く恩師を追って、少女もフロアへ……女子大生でごった返してるフロアの中、灯に追いついたら、ひと言、彼女は言った。
 追いついた先には灯と俊一の姿。
「あっ、センセ……ありがと」
 灯は伶奈の言葉に気づくと長身を腰で捻ると、視線を伶奈に向けた。
「良いよ。せっかく、友達が来るわけだし……――っと、シュン、俺、キッチンで良いか?」
「じゃあ、フロアは俺と伶奈ちゃんか? りょ−かい、あと、たまに凪さんの方、様子見とけよ。さっき、血相変えて、トイレに飛び込んでたぜ?」
「あはは、冷え性なんだよ、あの人」
「寒いからなぁ……外は」
 伶奈に笑顔で言葉を返した灯が同じくフロアでお冷やを運んでいた俊一と二言三言、言葉を交わした。
「それじゃ、後、頼んだからな」
 最後にそう言うと、灯はキッチンの方へと消えていった。
 そして、残った少女は残ったもう一人の青年の顔を改めて見上げた。
 彫りの深い色黒の顔に、黒いスーツ、胸元の筋肉質な感じがスーツの上からでもよく解った。灯よりも筋肉質なのかも知れない。そう言えば、筋肉が付きすぎて水に浮かないとか言う話を、夏にしてた様な気もする。
 そして、その顔を見上げて少女は改めて思った。
(……お風呂の映画に出てた俳優さんみたい……)
「それじゃ、俺、お冷や、配ってくるから、ここ、よろしくね」
 失礼(?)な事を考えてた伶奈を置き去りに、俊一は大きなお冷やのピッチャーを持ってフロアを回り始める。そして、空っぽになったグラスに水を注いだり、そこの流れで注文を取ったり……ウェイターをやるのは今日が初めてだと聞いたが、意外とそつがなくて、ちょっとびっくり。
「あなたの初日よりもよっぽど上手ね」
「……アルト、営業終わったら、二回捻る……」
「一回目の理由を言いなさい、一回目の!」
 顔色を変えてるアルトはほっといて、伶奈もお仕事。お客さんを案内したり、お冷やを運んだり、注文を持っていったり……アルトでの店番も随分と長くやってて、多少は仕事に慣れたと思っていたのだが、そこは所詮――
「土日と夏休み、暇なときに甘やかされてただけね……」
 アルトが言うとおり、暇な時間を静かに潰すのが最大のお仕事って言うような時に働いていたに過ぎない。こんなに忙しく働かなきゃいけないのはこれが始めて。
(メチャクチャ忙しい……)
 そんな中、グラスが空っぽになってるところに重たいピッチャーを持っていって、お水を注いだら……
「お冷やのお代わりです……」
「あっ……ありがと……」
 上げた女子大生の顔が心なしかがっかりしてたり、返ってきたお礼が棒読みだった、気がする。
「まあ、どうせなら、異性が良いんじゃないの?」
 空っぽになったピッチャーを交換しにキッチンに入ったとき、アルトが頭の上でそう言った。どこか笑いを堪えているような感じがして、若干、むかつく。
「……フンだ……ホストクラブにでも行けば良いのに……」
「あら、ホストクラブなんて知ってるね?」
「……格好いいお兄さんが居る飲み屋さんだって、事は知ってる」
「…………間違いじゃない……ような、微妙に違う……ような……?」
 そんな中、一つの席を囲んでいた四人の女子大生達が立ち上がった。
 ちらっと視線をレジへと動かせばそこでは俊一が接客中。まあ、女子中学生が対応するよりも彼が対応する方が受けが良さそうだし……と思って、少女は空いたばかりのテーブルへと向かう。
 四人がけのテーブルに四人分の食器、追加の料理やドルチェも取ったようで、他のテーブルよりかは随分と食器が多い。一つのトレイに全部乗っけるのはちょっと辛いか……? トレイいっぱいに置かれた食器が高く積み上げられて、重たい上にちょっと不安定だ。
 おっかなびっくりに少女は歩き始めれば、背後からかけられる一つの声。
「それは無理だよ。それ、俺が持っていくから、伶奈ちゃんはテーブルの上を拭いててくれる? それから、そろそろ、友達が来る頃じゃないかな? 入り口の方に行っておいて良いよ」
 それはレジを終わらせた俊一だった。
 彼は大きな手でひょいとトレイを持ったら、ふらつくことなく、キッチンへとその食器の山を運び去ってしまった。
「……さすが、男の人だね……」
「そうだね」
 その広い背中が食器が下げるのを見送り、少女は少しだけ頬が火照ってるような気がした。

 さて……そんな感じでお仕事をしてたら、四方会三名様がご来店。
「来たよ〜」
 先頭に立って入店してきた穂香が明るく言い放ち、
「おっじゃま〜なんか、良い匂いする……」
 続いて入ってきた美紅がスンスンと鼻をならして、
「……もう……足が痛くて……蓮は、死ぬ」
 駅から坂を上がってきただけで、死にそうな顔をしている蓮が二人の腕にぶら下がって死んでいた。
 三人とも私服姿。キュロットスカートの穂香に、ジーパンジージャン、男の子みたいな美紅、それからフンワリスカートの蓮と、基本的にはいつもと同じ格好なのだが、三人ともちょっと普段よりも良い服を着ているような気がした。
「いらっしゃい。ちょうど、テーブル、一つ開いたから……こっち」
 そう言って伶奈は少女達をフロアほぼ中央、四人がけの席に案内した。
「それじゃ、お冷や、取ってくるね、注文はスペシャルセットで良いのかな?」
 伶奈が尋ねれば、三人とも異口同音にそれで良いとのこと。面倒ごとが少なくて助かるなぁ……なんて、思いながら、キッチンへと引っ込み、グラスを三つ、用意する。
 そして、それをトレイに乗せて、フロアに向かう。
 相変わらずフロアは女性達で一杯。友達が帰ったら、キッチンでお仕事かなぁ……なんて、思っていたら……
「伶奈チ、伶奈チ」
 ちょいちょいと手招きをする友人は東雲穂香。
「何? 穂香」
 まるで悪いことでも話すかのように少女がしつこく手招きするから、ついに少女は穂香の前に中腰になった。
 その伶奈の耳にそっと、穂香が耳打ちした。
「……料理持ってくるの、あっちのおにいさんが良い」
 その言葉にくるっとテーブルの周りを見渡した。
 友人二人がプイッとそっぽを向いた。
 その二人のこめかみになんか、冷や汗が浮かんでる……ような気がした。
 そして、少女はコホン……と小さく咳払いをしたら、囁くような声で言った。
「アルト……殺っちゃ――」
「待って、待って! ちょっと待って!」
 慌てて穂香が腰を浮かせて、伶奈の言葉を制するも、伶奈は冷たかった。
「遺言なら聞くけど、言い訳は聞かないよ……?」
「四方会血の掟! 殺人禁止!」
「……それは法律だね、普通にやっちゃだめだよね」
「きたちゃん、ナイス突っ込み」
 穂香の言葉を美紅が冷静に突っ込み、突っ込んだことを蓮が更に突っ込むというか、褒めるというか、よく解らないコメントをつけるというか……そう言う普段の流れに、伶奈の機先も制されたというか、なんというか……
「貴女の負けよ」
 頭の上でアルトがそう言えば、少女は自然と方と眉の間から力が抜けていくのを感じた。
 そして、彼女はため息を一つ吐いた。
「はぁ……」
「でもさ、でもさ、あの人、格好いいよね?!」
「スポーツしてる人?」
 そんな伶奈をほったらかしに穂香と美紅は盛り上がる一方だ。
「確か、野球部のキャプテンよ、高校時代は」
「……――ってアルトが言ってる」
「野球部!」
「キャプテン!」
 更に食いついた。
「野球部でキャプテンとか、どーしよう!? 優良物件だよ!! 駅から徒歩五分レベルだよ!!」
「その例えはよく解らないけど、でもなんか良さそうな気はする!!」
 盛り上がる少女達に伶奈のため息は止まらない。更に大きなため息を吐いたら、一人、お冷やをちびちび飲んでた蓮に少女は声をかけた。
「…………蓮、一緒に四方会、抜けようか?」
 その言葉にゆるふわ美少女は顔を上げて応えた。
「…………会を脱するを許さず、だよ?」
「……まあ、そうなんだけど……」
 友人二人は相変わらずの盛り上がりっぷり、どうしたものかと考える少女の肩をちょいちょい……と突っつく細い指。
 首を動かしたら、ほどよいサイズの胸元が見えた……ので、ゆっくりと顔を上げたら、笑ってるけど目の笑ってないポニーテールが居た。
 そして、そのポニーテールが言った。
「今日、余裕ないって……言ったよね?」
 そう言った彼女の顔は、口元こそ笑っていたが、目は絶対に笑っていなかった……と、その場にいた全員(アルトを含む)が証言する代物だった。
 周りでは格好いいウェイターに釣られた女子大生達が、クスクスと隠すことなく、楽しそうに笑っていた。
 西の空……一年で一番早い夕日が空を焼く時間帯……そろそろ、イヴが始まる。

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