「ところでクリスマス、どうする? うち、イブが終業式じゃん? なんか、したいよね?」
そんな話を穂香が言いだした。
「……穂香ちゃん、良くこの押し迫った状況でそんなことを言い出せるよね?」
「……勉強、しようよ……穂香……」
「…………まずはケーキ…………」
美紅、伶奈、そして、少し間を開けて蓮、三者三様の反応を見せるここは、東雲穂香の私室で、時は十一月最終日曜日。来週には二学期期末考査が始まるというタイミングである。
ベッドと座卓の間に作られた“上座”から右回りに東西南北の順番で座ったテーブル、暖冬好天のまぶしい光が差し込んで、蛍光灯いらず。その明かりが照らすテーブルには教科書やノート、それからプリントが山ほど。中には伶奈が灯から貰った中一二学期学期末考査対策用問題集とか言う触れ込みのお手製小冊子まである。
来週から期末考査だし、みんな集まって勉強しよう……そう言い出したのは、穂香だったはずだ。しかし、始めて、わずか十五分で彼女が言い出したセリフが冒頭のそれだ。
何を考えてるかよく解らない蓮はともかく、伶奈と美紅、それから――
「ある意味、大物よね……」
それから、座卓の上でくつろいでたアルトも一様に呆れた。
「だいたい、一番危ないの穂香ちゃんだよ?」
美紅が呆れ顔でそう言えば、顔色を変えて穂香が反論した。
「ちょっと待って? みっくみく。一番危ないのは私じゃないよ? みくみっく〜だよね?」
「……呼ぶ度にアクセント違うよね……ってのは、後で話し合うとして……一学期の期末は私の方がちょっと上だったじゃん?」
「それ、保健体育とか美術とか音楽が混じってきたからだよ? 五教科だけなら私の方が上だよね?」
「今回も保健体育とか美術も混じってきます! だから、危ないのは穂香ちゃんです!」
「一番危ないの、美紅チの英語じゃん!!」
「穂香ちゃんの数学よりマシだもん! あと、今、美紅チって呼んだ!」
「呼んでません、みっくみっく〜って呼びました!」
「いいや、今、美紅チって言ったもん! みんな、聞いたよね!?」
「じゃあ、みんなに聞いてみようよ!」
そう言って、顔を向けた二人が見たのは、辞書を振り上げてる伶奈と蓮の優等生二人組の姿だった。
ちなみに、その辞書は縦だった。
同じ頃……と言っても翌日、しかも、夜。
「ところでクリスマス、どうしましょう……」
穂香よりも深刻な顔でそう言ったのは、喫茶アルト『ほぼ』店長三島美月さんだ。『名義上』店長の三島和明氏は美月が何を聞いても相談しても「美月さんが考えたとおりにしてくれて良いですよ」としか言わないので、最近の美月の立ち位置は喫茶アルト『ほぼ』店長と陰日向で言われるようになっていた。
閑話休題。
その喫茶アルト『ほぼ』店長三島美月さんは困っていた。
「良夜さんも直樹くんも……最後の頼みの綱だった吉田さんすら、クリスマスと言うか、年末年始の頃は忙しいからって……手伝ってくれないんですよ……」
時は喫茶アルト営業終了後のお楽しみ、お茶会の時間。明かりの落とされたフロアの中、翼、凪歩と共に一つのテーブルを囲んでいた彼女は、ため息交じりに他の二人に漏らした。
「去年の『For All Lovers』企画、ちょーウケたのは良いんだけど……あれ、私たち三人と店長だけでやったら、絶対、死ぬよね……」
ブルーベリーソースたっぷりのレアチーズケーキを突っつきながら、凪歩がため息交じりに呟いた。
「……キッチンは三人……フロアーも……三人、欲しい……」
凪歩の言葉に生クリームを付け合わせにシフォンケーキを食べてた翼がぼそっと小さな声で答える。
客の入り自体は昼のランチの方がはるかに多いのだが、クリスマスの夜はコースで出す分、スタッフの仕事が増えてしまう。店内の明かりはいつもよりも暗めで歩きづらかった上に、料理自体も手の込んだ物を出したから余計だ。ちなみに去年はキッチンには翼、美月、貴美の三人、フロアには凪歩と良夜、直樹、そして、コーヒーを入れつつ、フロアが忙しければフロアに、キッチンが忙しそうならキッチンの応援と、遊撃手のような動きをしてたのが店長和明だった。それでちょうど良いくらいの仕事量だったことを考えれば……
「それを四人でやるのは辛いですね……」
ショートケーキを食べていた美月は、そう言うと「はぁ……」とことさらに大きめのため息をついた。
それに合わせて他の二人もため息をつく。
そして、数秒の間、言葉も発せず、ケーキも食べない時間が続いた。
遠くで大きなトラックのタイヤが地面を噛む音がかすかに聞こえた。
その沈黙を破ったのは、凪歩だった。しばらくの間、考え込んでいた彼女は、ためらい気味の声で静かに言った。
「本当に……誰でもいいなら、灯とシュン君でも引っ張って来るけど……」
「ウェイター、出来ますかね?」
「シュン君は解らないけど、灯はねぇ……むかつくくらい何やらせてもそつなくやる奴だし……吉田さんの作ったマニュアルを読ませて、後は給料に色をつければ……まあ、なんとか……」
凪歩がそう言うと、それまで沈黙を守っていた翼が普段の抑揚のない小さめの声で言った。
「だったら……ジャレコとか……ジェリコとか言うの、キッチンに呼べば良い……」
「……ジャリコ? ジュリコ? ……ジェリドじゃないの?」
「……そうかも知れない。皮むきくらいは……出来そう、だと思う……」
訂正する凪歩の言葉に翼はふんわりとした感じで頷いて見せた。
この時、翼が思い出していたのは海でのことだ。二日酔いで死んでた俊一、包丁を握るのは中学の調理実習以来という灯、その二人に代わって朝食の用意をしていたはジェリドこと悠介だ。居酒屋でバイトしているらしい彼は、キッチンのスタッフというわけではないのだが、暇なときに簡単な調理を教わり、その知識で自炊をしたりしている。だから、割と料理が上手だし、手際も、悪くなかった。
「猫の手くらいには……なる」
翼がそう提案した。
それに美月が不安そうな口調で応えた。
「まあ……とりあえず、まだ、半月以上ありますし……その方向で人手を集めてみて、ダメでしたら……今年のクリスマス営業は通常営業という方向で調整しましょうか……」
さて、そんな様子を眺めていたのが、テーブルの上、三つのケーキを適当についばんでいたアルトさんだ。彼女は最後に美月のショートケーキ、その頂点で輝く苺をガブッ! と行きながら、呟くのだった。
「……相変わらず、ここの子達は当事者をほったらかしにして話を進めるけど……大丈夫なのかしら?」
その呟きの通り、大丈夫ではなかった。
さて、灯と凪歩がゆっくりと腰を落ち着けて話せる機会は意外と少ない。
朝、凪歩が起きる頃には灯も起きてはいるのだが、ジョギングに出掛けていて一時間くらいは帰ってこない。そして、帰ってくる頃にはもう凪歩は出勤している。それから凪歩が仕事から帰ってくる頃には、灯はコンビニでバイト中だし、灯が帰ってくる頃には凪歩は寝るか、寝てないにしてもパジャマ姿で自室に引っ込んでて、出てこない。挙句の果てが凪歩の休みの週末には、灯は遊びに行って帰ってこない。
結果、同居してるはずの自宅で会うよりも、凪歩の職場であるアルトで会う方が多いと言う面白い姉弟関係になっていた。
そんなわけで、凪歩がようやく灯を捕まえることが出来たのは、灯がアルバイトの休みを取ってた、木曜日のことだった。会議があったのは月曜日だから、すでに三日も経ってる計算だ。
アルトから帰宅した凪歩は、玄関に明かりのスニーカーがあることを確認すると、服も着替えずにトントンと階段を駆け上がり、灯の部屋を訪ね、そして、尋ねた。
「灯、あんた、クリスマスイブ、暇?」
ノックもしないでドアを開ければ、パジャマ姿の灯は机の前に座っていた。小学校入学時に両親が買い与えた学習机だ。凪歩も同じような物を買って貰ったが、高校卒業した頃には捨ててしまっていて、もう、部屋にはない。その学習机を覗き込めば、なにやら分厚くて大きな本と大学ノート、それから大きな計算機――普通の計算機じゃなくて関数電卓という奴らしい――が乗っていた。
その机に向かっていた灯がくるんと椅子を半回転させ、こちらへと向いた。
「クリスマス? どうかな……? その辺りで二四研の忘年会が入ってくると思うけど……後はコンビニのバイト……」
「予定、入りそうなのは二四研の忘年会だけ? バイトはまだシフト決まってないでしょ?」
話をしながら、凪歩はつかつかと灯の部屋に入ると、彼の奇麗に整えられたシングルベッドの上にポフッと腰を下ろした。そして、長い脚をひょいと組んだら、顔だけを灯の方へと向けた。
「多分……まあ、俺は飲めないから、忘年かもなぁ……って感じなんだけど……」
「暇ならアルトでウェイターやんない? 昼のうちは表で予約ケーキの受け渡し、夜はフロアでウェイター、シュン君も一緒に。後、もう一人の……勝岡さんだっけ? あの人もキッチンを手伝って貰えるんなら、助かるんだけどさぁ」
「バイト代は?」
「もち。伶奈ちゃんよりかは大きい金額なるよ」
そこまで言うと灯は「ふぅん……」と少し考えるようなそぶりをしてみせた……が、そこは姉弟。やる気になっているのは見て取れた。
そして、顎に手を当て思考していた灯がやおら口を開いた。
「コンビニのバイトローテ次第かな……シュンはどーせ、アニメ見てるだけだろうから、あいつもバイトのローテ次第……ジェリドはこっちにいるのか?」
「ああ……帰省かぁ……」
「ともかく聞いてみるよ。俺のバイト先も含めて」
「りょーかい、頼んだよ」
そう言って凪歩は一端部屋を後にした。
暖房が聞いた灯の部屋から廊下に出れば、そこは息が白くなるほどに寒い。その寒い廊下から窓の外を見れば、周りの家から暖かそうな明かりがこぼれているのが見えた。空には大粒の星が三つか、四つ……家や外灯の明かりの中に懸命に輝いていた。
(明日は寒いかも……)
凪歩は心の中だけで呟いた。
さて、灯が返事を持って来たのは、それから更に数日が過ぎた、土曜日のことだった。
その日の凪歩は仕事がお休み。天気もイマイチ、風は冷たくて、雨も降りそうって事で一日だらだらと家で過ごしていた。そんな一日も後は風呂に入って寝るだけって感じの時間帯。
こんこんと軽いノックに「開いてるよ〜」のひと言で返事をする。
間髪入れず、カチャリとドアが開いて、顔を出したのは分厚いダッフルコートを着込んだ灯だった。
「俺とシュンは行けるよ。でも、ジェリドは居酒屋の方がイブは他のスタッフが休むのと、忘年会シーズン真っ盛りなので休めないってさ」
その返事をベッドの上で聞いた凪歩はどっこいしょと体を起こした。
「ああ……忘年会シーズンだもねぇ……居酒屋は忙しいかぁ……あと、寒いから入るなら入る、出るなら出るって決めてよ」
「公休も減らされてるってさ……あっ、ごめん」
そんなことを言いながら、灯は部屋に入ると後ろ手にパタンとドアを閉めた。
その灯の様子を見ながら、凪歩はベッドの端っこに足を組んで座り直した。そして、灯がガラステーブルの前、転がっていたクッションを引き寄せてその上に腰を下ろしたのを見ると、改めて、口を開いた。
「まっ、灯とシュン君の二人が三人分働けば大丈夫だよ」
「……鬼だな……凪姉」
「あはは、まあ、今年もイブの夜はアルトの忘年会だから、灯とシュン君も参加すりゃ良いじゃん?」
「……飲めねえのに忘年会に出てもつまらねーし……」
「その分、食べなよ。シュン君にもそう伝えておいて」
「へいへい。じゃあ、そー言うことで……出勤時刻と時給、早めに教えてくれよ? 安かったら、逃げるから」
「逃げたら家には入れないと思いなよ」
「悪魔か……あんたは……」
「あはは、冗談、冗談。出来る限り色をつけて貰えるように頼んでおくよ」
「期待はしないよ」
苦笑いの青年が立ち上がり、部屋を後にすれば、凪歩も立ち上がって、クローゼットへと向かう。そこを開いて衣装ケースから下着やらパジャマやらを取り出す。
(しかし……二人で三人前はきついかなぁ……)
ぼんやりと凪歩はそんなことを考える。
『凪歩! お風呂開いたわよ!!』
ドアの外、更に階段を下ったその先から母の大きな声が聞こえた。
その声に「はーい!!」と大きめの声で言葉を返す。
しかし、その間も考えているのはクリスマスのこと。従業員を集めるのは経営者、すなわち『ほぼ』店長の美月が考えることではあるが、人数が減ってきついのは、凪歩も同じ。楽が出来るなら楽がしたいところだが……
そんなことを考えながら、下着を漁っていると、ふと……一人の少女の顔を思い浮かべた。
「あっ……そっかぁ……」
そして……
「ところでクリスマス、どうする?」
改めて、穂香がその言葉を言いだしたのは、学期末考査も無事終了し、その結果も帰ってきた日の帰り道、久しぶりにハマ屋でたこ判を突っついてるときのことだった。
ちなみに結果は、四方会一位は勉強しないくせにいつも成績が良い南風野蓮、それから、頑張るべきところは頑張らないと居心地が悪くなる西部伶奈。ここまでが順位が発表される『クラス上位十名』に入ってた優等生。そして、五教科なら東雲穂香で、そこに保健体育、美術、音楽、家庭科等が混じってくると北原美紅が逆転するという感じで幕を閉じた。
そして、一応、全員、全教科で赤点なし。
平和裏に学期末考査も終わって、後は冬休みの予定を立てるだけってなもんである。
「それでさ、みんな、時間があるなら、うちでなんかやんない? 夜にはパパが帰ってくるから、終わってから送って貰えるし」
一番最初にたこ判を食べ終えていた穂香が順番待ちをしている上級生に席を譲りながら、言葉を続けた。
「良いねぇ〜お昼、穂香ちゃんちで食べようか? お弁当か何かさ」
ニコニコと楽しそうに美紅が話を膨らませれば、蓮は軽く頷き、そして、ひと言言った。
「……ケーキも……」
「「ケーキ!!」」
蓮の呟きに穂香と美紅がほぼ同時に感嘆の声を上げ、そして、やれ「チーズケーキが良い」とか「クリスマスにはブッシュドノエル!」とか、やる前提で大騒ぎ。
そんな中、暗い顔をしていたのは西部伶奈ちゃん。
「……私……アルトでバイト……なんだよね……クリスマスで人手が足りないから……出来れば、手伝って欲しいって……美月お姉ちゃんと凪歩お姉ちゃん、それから翼さんにまで頼まれて……断れなかった……」
ぽつりぽつり……と、小さく、囁くような声で言った。
この時、少女が嫌だったのは、クリスマスイブに働かなきゃいけないって事よりも……
「――って事で、じゃあ、今年のイブはアルトで!」
「「おーーーー!!」」
穂香が断言すれば、美紅と蓮が腕を振り上げ反応した。
そして、伶奈が叫ぶ。
「絶対、こうなると思ってたの!」
この時、少女が嫌だったのは、クリスマスイブに働かなきゃいけないって事よりも、それを教えたら、穂香達三人が遊びに来るだろうって事が目に見えていた事だった。
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