せいちょう(3)

 エレベータがかくんと小さな振動と共に止まった。ポ〜ンというアラームと『六階です』という機会的な女性の声が、少女とその保護者二人に目的地へと到達したことを教える。
「さて、着いた、着いた」
 明るい口調と共に一足先に外へと出たのは、吉田貴美嬢。
「…………」
 無言のまま、貴美を追って外に出たのが、西部伶奈嬢。目つき厳しく、頬っぺたはぱんぱん、不機嫌さを全く隠すことなく、エレベータから降りる。しかも、その両手は腕組みされて、その発展途上の胸元を堅くガードしていた。
「もう、触らないって」
 貴美が笑みを浮かべてそう言い、そして、頭をぽんぽんと二回ほど叩いた。
 頭の上に置かれた貴美の手を払いのけるように、一歩、前へと足を踏み出す。
「……一回触れば十分じゃん……」
 少女がぼそっと呟けば、貴美はもう一度、ぽんと頭を叩いて言った。
「しょうがない、伶奈ちゃんがそんなに怒ってるんなら、帰りはまっすぐ帰るか……男爵いものカレーパンと道産牛のビーフシチューパン、奢ろうと思ってたけど……」
「えっ?!」
 思わず、少女の足が止まる。
 そして、貴美の方へと顔を上げれば、そこにはニコニコと屈託なく笑ってる整った顔。その顔が少女を見下ろしながら、鳶色の瞳を大きく緩めて、言葉を紡ぐ。
「多分、食べるスペースもあると思うから、そこで……って考えてたけど、しょうがない……帰って、つばさんのまかないパスタでもすするか……」
 そう言えば、貴美はわざとらしく細い眉を真ん中に寄せ、その間に深い渓谷を刻みつけて見せた。
「おっ、怒って……ないし……びっくりしただけだし……」
 あたふたと取り繕うように言葉を並べれば、胸元に潜り込んだ妖精がぼそぼそっと小さな声で言う。
「…………本当に色気より食い気ね……この子」
「うっ、うるさい! って、ちっ、ちが! あっ、アルト、アルトに言っただけ!」
「そっかぁ〜じゃあ、許してくれる?」
 また、貴美の顔がパッと明るくなれば、少女はコクン……と小さめに頷くも、慌てて、左右に顔を振った。
「……うっ、うん……いや! 最初から、別に怒ってないから! うん」
 と、言うわけで、なんか、ごまかされた気分で一杯ではあるが、伶奈の機嫌も一応治って、いざ、買い物開始である。

 ジュニア用の下着売り場へと二人は肩を並べて歩を進めた。日曜日とあって人出はそれなり。もっとも、大半が親子連れ、家族連れ。女子大生と女子中学生なんてコンビは伶奈達くらいの物だ。伶奈ももちろん、子供用の下着売り場くらいなら入ったことがある。しかし、改めてブラを買おうなんて思い立ってやってくれば、妙に居心地が悪いというか、何もかもが目新しいというか……
 辺りをきょろきょろ、物珍しそうに見渡してる伶奈を置き去りに、貴美はつかつかと目的地に一直線。そして、なにやら物色し始める。まるで自分の物を買いにきているかのようだ。
(何を捜してるんだろう……?)
 伶奈がまるで他人事のように思っていたら、彼女はぽいぽいと三枚のハンガーに引っかけられたブラを伶奈に手渡した。
「じゃあ、これとこれとこれ、合わせてきて」
 そう言って、貴美が手渡したのは、伸び縮みする素材で出来てて、ワイヤーも入ってないジュニアブラという奴だ。しかも、頭から被る奴でホックすら着いてない。もしかしたら、スポーツブラに近いタイプなのかも知れない。
「多分、この真ん中の奴が伶奈ちゃんのサイズだと思うんだよね……」
「……良く、解るね」
「一回触りゃ、解るっしょ?」
「……そうなの?」
 当たり前のように貴美が言うので、伶奈が思わず、アルトに尋ねれば、妖精はため息気味に息を吐いて答えた。
「……多数派じゃないわよ……」
「……そっか」
 とりあえず、その三つのブラを抱えて、試着室へ向かう。
 狭い試着室に入ったら、付いてきた貴美がひょこっと顔を覗かせて、尋ねた。
「着け方、解る?」
「頭から……被って、この中に胸のお肉を入れる感じ……?」
 お風呂に行ったとき、スポーツブラをつけてた美紅がそんな感じでブラを着けてた……ような気がする。余りじろじろ見てたわけじゃないから、良く覚えていないが、それ以外に着け方がなさそうなのも事実だ。
「まあ、だいたい、そんな感じやね。あるちゃん、来てんっしょ? もし、解んなかったら聞き。それじゃ、外で待ってるから」
 そう言って貴美が引っ込み、ドアを閉めた。そのドアに鍵をかけたら、いよいよ、着替えの始まりだ。
 パチンパチン……とオーバーオールのフックを外し、その下に着ていたトレーナーやらタンクトップやらを脱いで、上半身裸に……なったところで、ふと、壁に貼られた鏡に目が行った。
 床から間仕切りのほぼ天辺にまで達する大きな姿見だ。
 その姿見へと少女は体ごと顔を向けた。
 穂香にフェチなあばら……と呼ばれた物は随分と薄くなってきてるような感じがするし、胸元はふっくらと丸みを帯び始めていた。少し横を向いたら、この間までは見えなかった厚みも生まれてきていた。
 少し腕を上げて脇腹の方から鏡に映してみたり、胸元の膨らみ始めた部分とそうでない部分の境目を軽く撫でてみたり……そんなことをしながら、伶奈は小さな声で呟く。
「……おっぱい……っぽい物になってる……ね」
「ホント、急に育ったわね……」
 頭の上から逃げ出し、ハンガーのフックへと飛び移りながら、アルトが応えた。
 その声を聞きながら、少女は貴美に渡されたブラをスポッと頭から被る。メッシュ素材のブラは思ったよりも良く伸びて、体にぴったりと密着した。そしたら、膨らみかけた乳房を柔らかいカップの中に納めるというか、カップを胸のラインに密着させるというか……どうやったら落ち着くのか、イマイチ、ぴんとこない感じに四苦八苦。
 そのブラと胸に悪戦苦闘しながら、少女はぽつりと漏らした。
「……私、大人になんか、なりたくなかったんだよね……」
「どうして?」
 答えた声に反応するかのように少女は顔を斜め上、ハンガーフックの方へと向けた。
 ハンガーフックの小さな足場には妖精の小さな足といえども両足を奇麗に置くことは出来ない様子。彼女は片足立ちでフックの上に立ったら、両手を広げて器用にバランスを取っていた。
 その様子をちらりと一瞥、もう一度、胸元を落ち着けさせる作業へと戻ったら、伶奈はアルトの言葉に答えた。
「……子供、出来ちゃう……」
 ぼそっと少女が呟いた。
 瞬間、ツルン! とアルトがハンガーフックからずり落ちて、そのまま、床の上へ……と堕ちていったかと思ったら、グレイのカーペットが敷かれた床、十センチの所で急ブレーキ! ぶつかる直前の所で止まりきったら、一気に体を伸ばし、トン! と床を一回、強く蹴る。そして、一気に急上昇。伶奈の頭の上にまで上り詰めたら、くるんと空中でとんぼを切って、少女の頭の上に着地を決めた。
 そして、少女の顔を上から覗き込んだら、彼女は言った。
「それで、急に育ったのは、そー言うことを考えるのを止めたから?」
「それで成長しないんなら、おばさんなんて世の中に居ないよね……とりあえず、ジャリって呼ばれるとむかつく……」
 淡々とした口調で少女は答える。その間も、胸元やブラを弄くり回す手は止めない。
 そして、伶奈の言葉の余韻が消える頃、外から聞こえるBGMが妙に耳につき始めた頃、ようやく、ブラも胸も落ち着いた……ような気がする。今までほとんど感じたことのない胸への締め付けがどーも落ち着かないけど、ブラをつけてるから、なのかも知れない。
「一応、ワンサイズ大きいのもつけてみたら?」
「うん……」
 アルトのアドバイスに従ってずぼっとブラを脱いだら、頭の上に居た妖精が巻き込まれた。
「ちょっと!?」
「あっ……ごめん」
 ひと言謝って、ブラの中であがいている妖精を救出。ぽいっと宙に向かって放り出したら、彼女は先ほど同様、ハンガーフックに向かって舞い上がっていった。
 また、そこに器用に片足立ち……
 ふらふらしている様子はまるでヤジロベエのようだ。
 そして、ワンサイズ大きいブラをつけてみる。
 二度目だけあってか、先ほどよりかは簡単に着られる。締め付け感は先ほどよりも随分と小さいが、同時にカップの中が随分とすかすか。アンダー側も少し緩いようで落ち着かない。
「やっぱ、一枚目のがちょうど良いかも……一つ小さいのはもう、合わせなくて良いよね?」
「良いんじゃないの? どうせ、すぐに成長するわよ。嫌でも子供は大人になるし、大人は老人になって、いつか死ぬのよ」
 確認するかのように少女が言えば、アルトはどこか突き放したような口調で応えた。
 そして、少女は小さな声で返事をする。
「……そうだね」
 そう呟いて、少女は一つ大きなブラを頭からスポッと抜き、先ほど脱いだタンクトップやらトレーナーやらを再び着込む。
 こん、こん……
 そこに小さなノックの音が聞こえた。
「サイズ、良かった?」
 貴美の声だった。
「あっ、はい。真ん中のがちょうど……」
「おっけー、それじゃ、早く出といでね」
 言われるままに着替えを終えて、少女は三つのブラを持ち、フィッティングルームから顔を出した。
 伶奈が出てくると、人混みの中、所在なさげに待っていた貴美が少女の方へと視線を向けた。そして、その顔をニマッと破顔させたら、伶奈に声をかけた。
「お疲れ〜それじゃ、これからがお楽しみだよ」
「お楽しみ?」
「サイズが解ったらあとデザインっしょ? ジュニアブラでも結構デザイン色々あっからね」
 と言って、貴美は伶奈を連れ回して、あれやこれやとブラを探し始めた。確かにジュニアブラと言え、種類は様々。デザインも似てるようで全然違う。柄が入ってたり無地だったり、リボンのワンポイントが着いてたり、中にはキャラ物まであったりするから驚き。値段も上下がある物で、一番上と下とでは倍ほども違っていた。
 確かにこう言うのを選ぶのは楽しい。
「こっちのが可愛いんちゃう?」
「黒とか大人っぽいわよ」
「可愛いけど……予算がぁ……」
 貴美とアルトの意見聞きつつも予算という高い壁に阻まれたり、意外とこの二人の意見が違っててどっちをアテにして良いのか良く解らなかったり……と、大変ではあるが結構楽しいひととき。
 そんな中、貴美がふと言った。
「ああ、それと、一つくらいはショーツとセットで買っときなよ」
「……なんで?」
 黒地に白いリボン模様がいくつも入ったブラを手にしたまま、少女はきょとんとした表情を貴美に見せた。
 すると、貴美は大きな胸を誇るように逸らして、言葉を続ける。
「体育の時には上下セットで着ていくと、出来る女を演出出来んよ?」
 も、少女はやっぱり小首をかしげて尋ね返す。
「スカート、履いたまま、体操着のズボンを履いて、それからスカートを脱ぐ物じゃないの?」
「……女子校でそこまでガード堅くしてんだ? 伶奈ちゃん……」
 呆れ顔の貴美が尋ねる。
「大胆に脱いでる人もいるけど……」
 その質問に呟きで答えながら、ふと着替えの時のことを思い出す。四方会の面々、伶奈以外全部、堂々と脱いでたことが頭の中をよぎる……も、少女はこのままだと、自分がマイノリティだ言うことに気づいてしまいそうなので、考えるのを止めた。
 そんな思考に気づく様子もなく、貴美は楽しそうに言葉を続けた。
「まあ、学校はともかく、友達と銭湯やプールにも行ったんしょ? そういう時には上下おそろいで着てる方が女の子らしく見られるんよ」
 貴美にそう言われると無下に断ることも出来ないし、確かに貴美が言ってることも解らなくはない。と言うわけで、スカイブルーの上下をワンセット、ブラの方には左のストラップの下、ショーツの方は正面の所に小さなチョウチョのワンポイントが刺繍されてるのがちょっと可愛い奴。それから、ブラだけ単品、洗い替えとして数枚購入して終わり……と言えば簡単だが、気がつけば一時間以上もあーだのこーだのと商品を物色するのに費やしていた。
「予算、ちょっと越えた……」
 少し大きめの紙袋一杯に下着を入れて、少女はそれをお腹の辺りに抱く。
「まあ、お昼は貴美が奢るって言うんだから、その分、入れればちょうどくらいでしょ?」
「それもそうだね」
 レジを終えたら貴美の方へと駆け寄る。
 そして、今度は貴美の買い物に付き合う番だ。向かうのは本館三階サロン・ド・ランジェリーって……まあ、平たく言えばただの下着売り場。こちらは伶奈には初体験の場だ。
「……何が凄いって値段だよね……下着一枚、一万円超えてるよ……」
 伶奈がぽかーんとした口調で呟く。
 伶奈本人は頭の上でくつろいでるアルトに言ったつもりだが、反応したのは貴美の方だった。彼女は軽く肩をすくめ、苦笑いを浮かべて言った。
「さすがにその辺のクラスは私にも手が出ないって……こっちこっち」
 そう言って貴美が連れてきたのは、もうちょっとお安い価格帯。二千円から三千円、高くて四千円くらいまでの商品が並ぶコーナー。すけすけだったり、色々柄が入ってたり、派手だったり、レースだったりと……色々並んでる商品には圧倒されるが、一番の驚きは――
「……どんぶりみたい……」
 ――なサイズだ。こんな大きなブラを着ける人が世の中に居るのかと言うことに少女は感動すら覚えた。
「……どんぶり言うな」
 呟いた言葉にアルトが冷静な声で突っ込みを入れた。
 物珍しさに辺りをきょろきょろ……してるうちに貴美がその中の三つほどを選んで引っ張り出す。どれも薄桃色でカップの上半分ほどがレースで透けた、ちょっとセクシーな感じのブラだ。
(こんなの、つけるんだぁ……)
 そんなことを考えると、なんだか、鼓動が高まる。
「ちょっと合わせてくるから。暇だったら……新館の三階に喫茶店合ったと思うから、そこで待ってる?」
 ブラを胸元に抱えた貴美が尋ねれば、アルトと伶奈がほぼ同時に応えた。
「あっ! いいわねっ!」
「ううん……色々見てる……なんか、ちょっと、面白い」
 もちろん、首肯したのがアルトで、首を振ったのが伶奈。
「喫茶店でコーヒー! ケーキもつけて!!」
 じたばた騒ぐバカはほっといて、貴美と別れて辺りを散策。もちろん、すでに買っちゃった伶奈に新しい下着を買うお金はないし、そもそも、この辺りのブラは伶奈には合いそうにない。
 それでもやっぱり色とりどりの下着は見てて楽しい。いくつかの商品を手に取ったり、服の上から会わしてみたり……しているうちにアルトも興味を抱いたのか、少女の頭の上からひょいと顔を覗かせた。
「こっちのショーツなら合いそうなサイズもあるんじゃない?」
「そうだね……でも、買わないよ? 家にもあるし……って、スケスケ……お腹、冷えそう……」
「伶奈にはちょっと早いかしらね? あっ、ガーターベルト……」
「ガーターベルトって、アルトが毎日着てる奴だよね?」
 と、話をしているとまた、伶奈の腹部を違和感が襲った。
「……あっ、ちょっと、トイレ……」
「もう……ホント、野菜食べなさいって……」
「便秘じゃない!」
 アルトの言葉にきっちりと訂正。そして、アルトを頭に乗せたまま、彼女はフィッティングルームのある方へと足を向けた。売り場の隅っこ、ちょっと引っ込むような感じになってる一画だ。
 辺りには若かったりそうでもなかったりする女性達、結構な混み具合だ。そんな女性達でがやがやしている中で、少女は控えめな声で名前を呼んだ。
「吉田さん」
「なに?」
 声をかけたら、閉まっていたドアがガチャリと開いて、ひょこっと貴美が顔を出した。胸元は一応キャミソールで隠してはいるが、その下は真っ裸っぽい。
「わっ、わざわざ、顔、出さなくて良いよ……それより、私、ちょっとおトイレ……」
「あいあい、りょーかい……野菜、食べなきゃダメだよ?」
「便秘じゃないって!」
 顔を真っ赤にして訂正すれば、貴美はケラケラと笑ってから顔を引っ込めた。
「もう……吉田さんって人が悪い……」
「人を弄るのが趣味なのよ。特に貴女みたいに何かにつけてオーバーアクションなのを」
「もう……翼さんみたいにクールな女をめざそ……」
「……あれがクールかどうかは……」
「大声を出さず、ヒステリーを起こさず、表情は変えず……」
「大声でヒステリー起こす、切れ芸が持ち芸のくせに……」
「切れ芸じゃないもん!!」
「……ほらキレた」
 話をしつつ、通路を歩く。トイレはものの一分と経たずに発見。矢印が命じるままに、人混みの中、角を曲がって、おトイレへ……運良く開いてたドアの中に滑り込んだら、少女は便座の上に腰を下ろした。
 オーバーオールが好きでほぼ毎日、いろいろなパターンで着ているのだが、トイレをするときだけはちょっと面倒くさい。便秘気味の時は普通にスカートかズボンにしてももうちょっと脱ぎやすいのが良かっただろうか……そんなことを思いながら、少女はパチンパチンとオーバーオールのホックを外して、ズボンを膝まで下ろた。
 そして、するりとショーツを下ろしたら――
「えっ?」
 ――真っ白だったお子ちゃまショーツが真っ赤に染まっていた。
 伶奈の顔からドンドン血の気が引いていくのを、伶奈本人すらも感じていた。そして、彼女は大声を出すことも、ヒステリーを起こすことも、表情を変えることすらも出来ず、たった一言だけを、絞り出すかのような声で呟く。
「あっ……アルト……」
 その呟きに、便所のドアの上、後ろを向いて座っていた妖精がひょいと振り向いた。そして、一瞬だけ目を大きく見開いたかと思ったら、ポソッとひと言言う。
「あら……旗日……って、真雪の時代の言葉かしら?」
 とりあえず、後で捻ろう……パニックになりながらも、少女はそれだけは堅く心に誓うのだった。

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