手料理(完)

「次は私が作るから……余計なことしないで!」
 ウィンナーを刻む以外何にも出来なかったナポリタンを食べ終えると、伶奈は高らかにそう宣言した。母に食べさせる前に一回くらいは流れを確認しておきたいというのが伶奈の言い分だ。
 まずはさきほど唯一、伶奈が一人で出来たウインナーのカット。半分に切るだけの簡単な作業だ。
「……大きさ、ばらばらだけどね……本当、ぶきっちょなんだから……」
「……アルト、うるさい」
 彼女が言うとおり、サイズはばらばらだけど気にしない。
 それが終わったら、今度はニンジンさん。先ほど教えられた通り、短冊切りにする。皮も普段はピーラーで剥くのだが、今日は練習と言う事で小さめのペティナイフを使って剥く事にした。
「危なっかしいですよね……」
「ペティナイフだから……骨までは切れない」
 遠くで美月と翼が何か言ってる声が聞こえたが、少女は無視する事にする。
 それからニンジンを横に二等分、縦に四等分。それからトントンと薄く均一に刻んでいけば、短冊切りの完成だ。
「おでこに物凄い縦線が入ってますよね……」
「世界の趨勢<すうせい>を決める調理……」
 やっぱり、美月と翼がぼそぼそ何か言ってる。聞こえないように小さめの声でしゃべっているようだが、そんなに広くない上にお湯が沸き、スープが煮立つ程度の音しか聞こえないキッチンでは、二人の会話は良く聞こえた。
「一番厚い奴と一番薄い奴を比べたら、三倍くらいはあるわね……」
 頭の上でアルトが呆れるとおり、出来上がったニンジンの短冊は見事にその厚さがばらばら。一部、短冊ではなく、三角になってる奴もあるが、それは見ない振り。後で調理するまで、一時、待機させる。
 それから、今度はタマネギだ。
 美月がやってたように最初に横に切れ目を何本か入れた後に、縦に刻んでいく……なんで、横に刻んだ時点でばらけてるんだろう?
「切りすぎよ……」
 頭の上でアルトが呟いた。
 聞こえないふりをした。
 そして、ばらばらになったタマネギをまとめて縦に刻んでいく。
 涙が出てきた。
「タマネギが終わったら、帰ってくるわね」
 そう言って、逃げそうになったバカ妖精を電光石火の素早さでゲットしたら、タマネギの傍にちょこんと座らせる。そうしたところで、拘束してるわけでもないから、当然、奴は逃げ出そうとする。だから、妖精の目の前に包丁を置いて、少女は言った。
「……刺すよ?」
「止めなさいよ……」
 冷や汗かいて固まってる妖精を目の前において、ざくざくざくざく……とタマネギを切っていく。
「なんで、こんなに涙が出るんだろう……」
「押して切ってるからよ。引いて切りなさいよ、引いて! ちょっ、本当、これ、結構、きつい……目どころか鼻にも来た……」
 と、泣き顔全開のアルトが言う物だから、言われたとおり、引いて切るような感じにしてみる……と、今度は――
「切れないじゃんか……」
 ――なんか、切りづらい。
「だから、引くときにこう力を入れる感じで……ああ、もう! 美月、呼んできなさい、美月!!」
「……美月お姉ちゃん、いたたまれないって、逃げた……翼さんと一緒に」
「後で刺してやる……」
 アルトが殺意のオーラを背負い始めた辺りで、一応、タマネギのみじん切りも完成。大きい小さいがあるし、えらく潰れてる感じになってるが、気にしない振り。
 いよいよパスタを茹でる。
 チュンチュンと沸いてるお湯にドボーンと乾麺パスタを投入。キッチンタイマーをセット。少し短めにするのが良いらしいので、少し短めに……
「ふぅ……」
 ため息を吐いたら、パスタを茹でてる間に涙で汚れた顔を洗う。
 一緒に顔を洗っていたアルトが頭の上へと帰ってきて、言う。
「具、炒めないとパスタが茹だっちゃうわよ」
「うん」
 アルトに言われたとおり、刻んだ材料をフライパンで炒め始める。
 塩こしょうを少々…………
「結構、どっさり行ったわね……後で味付けするって、解ってる?」
「……こっ、濃い味が好きだもん」
 アルトに突っ込まれると少女はそう言って反論した物だが、その声は若干震え気味。冷や汗がこめかみから顎へと一筋流れた。
 ピピッピピッ……
 どうしよう……とか考えてる間をキッチンタイマーが奪う。
 慌てて大きな寸胴からパスタを取り出して、フライパンに投入。美月ほど手際よくは出来なかったが、それでも火傷なんかもすることなく、パスタは具と共にフライパンの上で炒められ始める。
 後は味付け、ケチャップをドボドボと入れて……
「どのくらい?」
「なんで、ケチャップをぶち込んでから聞いてるのよ……?」
 よく解らないけど、さっき、塩を多めに入れてしまったから、こっちも多めに入れれば味のバランスが取れるような気がする。それから、翼がウースターソースが隠し味になるとか言って、さっきも入れてたから、真似をする。
 ドボドボ……
 ひとしきり入れたら、アルトがぼそっと言った。
「明らかに入れすぎよ……」
「そっ……そうかな?」
 プラスティックのボトル、斜めに傾けたら思ってた以上に出ちゃったのだ。てか、そもそも、伶奈にはここのキッチンはちょっと高いのだ。だから、一個一個の作業がしづらいというか、なんというか……
 と言ういいわけを口の中でぶつぶつと言っていたら、頭の上で妖精が呟いた。
「今更……」
 聞こえないふりをして、作業しづらいキッチンに向かって作業を再開。
 扱いづらい菜箸を使ってパスタをかき混ぜつつ、炒める。
 そして、しばしの時が流れれば、ソースの芳ばしい香りが少女の鼻腔をくすぐり始める。
「……なんで、ソースの匂いなのよ……」
「……ソースを入れすぎたから」
 誤りは素直にみとめる。そして、先ほど食べたナポリタンよりも若干黒っぽいパスタを取り皿の上に取り出して、出来上がり、である。
 一口食べてみる。
 ゆっくりと咀嚼し、味わい、コクンと飲み込んだら、少女は静かな口調で言った。
「…………塩辛い、ソース辛い、ケチャップの味がしない……後、時折、存在を主張する芯の残ったニンジンと逆に存在を全く感じさせないタマネギ……それから苦み走ったカリカリウィンナーのアクセント……」
「ひと言で言いなさいよ……」
「……ひと言で言うと、まずい」
 捨てたら絶対に怒られる……と思うので、もっそもっそとまずいパスタをすする。
「でも、良かったじゃない? 次はこれよりかは上手に作れるわよ」
「……そりゃ、お母さんにこれを食べさせるよりかはマシだけど……」
 頭の上のアルトと話をしながら、パスタを食べる。ちなみに奴に食えと言っても絶対に食べないのは目に見えてるので、自分一人で食べる。
 そして、ようやく食べ終える。
 口直しに飲む水が美味しい。
 まずい上に本日三回目のパスタと合って、はっきり言って、お腹もいっぱい。ちょっと苦しいほど。
 ケポッと軽くゲップをしたら、お皿を持ってシンクに向かう。
 軽くため息を吐きつつ、皿洗い。
 そして、ベルトが苦しいお腹をさすりながら少女は言った。
「……こんなことしてたら、太りそう……」
「実際、翼は太ったみたいよ。美月は昔からしてるから、そうでもないみたいだけど……」
「美月お姉ちゃん、痩せてるもんね……」
 なんて話をしていたら、噂の美月と翼、それに凪歩までもがひょこっと顔を出した。
「ナポリタン……出来たの?」
 翼が尋ねた。
「……出来た……凄く美味しくなかった……」
「……まずかった?」
 婉曲に答えてる物を翼がずばりと聞き直す。
「うっ……」
 小さなうめき声だけをあげて、少女はぶすっと頬を膨らませる。そして、洗い終えた皿をカチャン……と食器かごの中に戻したら、今度は出しっ放しになっていた包丁を改修しに、作業台の方へ……
「もう、作るのは止めます?」
 尋ねたのは美月だった。
「……もう、お腹いっぱいだよ……後は打っ付け本番……お母さんだし、多少、味が悪くても食べてくれる……と、信じてる」
 そんな伶奈の答えに「それじゃ」と言ったのは、お冷やのグラスを用意していた凪歩だった。
「灯に食べさせたら? どーせ、あいつ、お金払わないんだし」
 凪歩がそう言うと、伶奈は「うーん……」と小さなうなり声を上げて考え込み始めた。
 灯は伶奈の家庭教師を格安でやる代わりに、アルトでの飲食費は無料という特典を得ていた。だから、新製品の試作品なんかを食べさせられる事も多い。
 この時、少女は『もう一回くらい練習しておきたい』と『灯センセとは言え、失敗作になる可能性が高い物を食べさせるのはちょっと恥ずかしい』の二つの思いに揺れた。
 心の中での葛藤……それは凪歩がトレイの上にお冷やの入ったグラスを一つだけ置いたときに、終わりを告げた。
「ジェリドは?」
「他の二人は寝てるって」
 大事な事を確認したら、少女は言った。
「……じゃあ……灯センセにそれで良いか、聞いておいて……良いって言うなら……」
「了解」
 そう言ってキッチンから出て行く凪歩、その背中に少女はひと言だけ付け加える事を忘れなかった。
「美味しくないかも! って言うの忘れちゃダメだよ!」
「りょーかい」
 そして、一分後、凪歩が戻ってきたら、少女は三回目のナポリタンに挑戦した。
 それは二回目の奴に比べればだいぶんマシだった……微妙と言えば微妙な感じでもあった……
 ……訳だが……
「なんで、ジェリドまで食べてんだよ!!??」
 感想を聞きに顔を出した伶奈がみたのは、窓際隅っこ、いつもの席で一つのパスタを美味しそうに食べる三馬鹿の姿。
「シュンも食べてんぜ?」
 軽い調子で悠介が言えば、少女はほとんど反射的に叫んでいた。
「真鍋さんは良いの!」
「…………JCの手料理だ〜って感動してるざまは気持ち悪かったけど……な」
 されど、灯が苦笑いを浮かべてこう言えば、さすがの少女も若干……と言わずに引く。それはリアルに一歩、後へと後退したほど。そして、真顔になって、彼女は尋ねる。
「……えっ? ほんと?」
「お兄さんは女子中学生が大好きなんだよーとか言ったら、引かれるか?」
「あっ……うん……」
 青年の言葉に思わず頷いてしまえば、青年は整った顔を苦い物に代えて応えた。
「……頷かれると若干きつい。冗談だからね……」
 本当に冗談なんだろうか? とにこやかに笑っている彫りの深い顔を見つつ、少女はコホン! とことさらわざとらしい咳払いをして、彼女は言った。
「…………とっ、ともかく! 灯センセが全部食べて! 特にジェリドは食べるな!」
「へいへい、微妙な味のパスタなんてもう食わねえよ」
 悠介の言葉に少女がまた叫ぶ。
「美味しく出来たもん!」
 そして、頭の上から妖精の言葉が降ってくる。
「自分でも微妙……って言ってたくせに」
「アルト、うるさい!」
「まっ、まずいビールもどきの代わりくらいにはなったな」
「あれと比べないでよ!!!」
 と、減らず口の悠介との口喧嘩に盛り上がっていたら、美月にうるさい……としかれたのはちょっとした余談である。

 さて、そして、四回目のパスタは――
「あら……美味しい……」
 母がびっくりする程度には美味しい物が出来上がった。
「てっきり、塩辛かったり、ソース辛かったり、ケチャップの味が薄かったり、ニンジンに芯が残ったり、炒めすぎてタマネギがなくなったり、ウィンナーが焦げてたりするかと思ったのに……本当に美味しい……」
 とか、言って驚いている横で、伶奈がギュッと握り拳を握っていた事は、頭の上に居た妖精さん以外誰も知らない事だった。
 そして、母は言った。
「……教える人が上手なのかしら?」
「それだけはない!」
 ここだけは譲れないポイントだった。
 

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