手料理(4)

 さて、伶奈の母由美子も今夜はアルトで食べるって事になった。しかも作るのが伶奈本人だと言うからびっくり。もちろん、それを粛々と受け入れるような伶奈ではない。
「いやだよ! うちに帰って食べるか、お金出して、商品食べてよ!!」
 顔をまっ赤にして抵抗した物だが、一日二回も外食する余裕は西部家にはないって言われると辛いし、それに――
「じゃあ、いきなり、お客さんに出すんですか? お金取って?」
 と、美月ににこやかな顔で言われれば、二の句が継げない。
「あっ……ぐっ……」
「最初に食べさせる相手にはちょうど良いんじゃないの?」
 頭の上でアルトが嘯く。
 言われてみれば、そう言う気がしないでもない。
「だいたい、貴女の親なんだから、肉さえ出てれば、喜ぶんでしょ? どーせ」
 妖精がさらに紡いだ言葉に少女は怒っていたことも忘れ、思わず、答える。
「えっ? なんで知ってるの?」
「……本当に、母娘ね……」
 妖精が呆れる声を聞きつつ、伶奈が母親の夕飯を作ることが決定した。

 そういう訳だが、さすがに三時前から夜の九時までアルトのフロアでごろごろって訳には行かない。たまの休みに洗濯物をしてたのは美月だけではなく、由美子も同様だ。窓の外は西の空からゆっくりと雲が流れてきていて、気持ちいい好天がいつまでも続くようでもない。早めに帰って取り込まなくてはない。
 それにやることもない喫茶店に一人で居たら、飲み食いしちゃって大変なことになる。
 ――主に体重が。
「最近のお母さんは休日に一キロ太って、次の休みまでの間にその一キロが落ちる人だもんね」
「伶奈、余計なことを言ってると、ひどいわよ……」
 ぽろっと余計なひと言をこぼす少女に母がひとにらみ。そっぽを向いてごまかせば、分厚い雲が窓の外、山の上にかかろうとしてるのが見えた。
「あはは。じゃあ、私も洗濯物を取り込んできますね。それじゃ、おばさん、また後で」
 ぺこっと軽く頭を下げて、美月はその場を後にした。
 それと同時にココアを飲み終えた母も席を立つ。
「ごちそうさま」
「うん……ありがとうございました……」
 ぺこっと頭を下げて、母と一緒にレジに行ったら、会計を終わらせる。一応、社員割引はOKらしい。どこまで利かして良い物かはよく解らないが、母は良いようだ。アルトも文句を言わない。
 から〜ん……と、ドアベルが渇いた、いつもの音を立てて、出て行くお客様をお見送り。
「はぁ……」
 ため息一つ。
「ウェイトレスがため息なんて付いてる物じゃないわよ、しかも、店の入り口で」
 頭の上から降ってくる言葉は至極もっともなことだと少女も思う。それでも……
「出る物は出るよ……なんか、お母さんがお店に来るとさ、授業参観な気分になるんだもん……」
「その気持ちはわからなくもないかしらねぇ……?」
 話をしながら先ほどまで母の居た窓際隅っこいつもの席へと引き返す。
 そこにはまだ、母の使っていた食器が一揃い、丸ごと残って、窓から差し込む光の中に鎮座ましましていた。
 それを改めてトレイの上に置き直し、少女はキッチンへと運ぶ。
 伶奈がキッチンに入ると入れ違いで凪歩が出て行く姿、そして、中に入れば、相変わらず、暇そうに業界紙を読んでる翼の姿があった。
「……お疲れ」
 翼はそう言うと、座っていた丸いすから立ち上がった。そして、シンクへと向かえば、伶奈が置いた食器を片っ端から洗い始める。
(暇だったんだな……)
 なんて……手際よく、そして、いつもの鉄仮面ながらどこか機嫌良さそうに洗っている姿を見て、伶奈も思う。
 さて、やる事もないし、また、かつらむきの練習でもしようかな……なんて、思いつつ、自身もシンクへ。目指すは先ほど包丁を片付けた包丁立て。そこから薄刃の包丁をひょいとつかみあげたら、すぐ隣でハンバーグのお皿を洗っていた翼が顔を上げた。
「何か……作ってみる?」
 独り言のように翼が言った。
 その言葉、自分に向けられて発せられた物だと気づくのに、伶奈は一瞬の時が必要だった。
「えっ?」
 思わず、言葉がこぼれた。
「……すること、あるなら……別に、良い……」
 翼に言われてようやく、彼女が言わんとしている事を理解する。
 そして、少女は慌てて首を振った。
「いや、別にする事はないけど……」
「……チーフも帰ってきたから……もっと、暇になる、から……」
 ぼそぼそ……と、チーズとトマトに汚れた大皿を洗いながら、翼は控えめな声でそう言った。
 そして、少女は軽く首肯して答える。
「うん……じゃあ、お願いします」
 と、言うわけで、まずは翼のレクチャーから。母には肉料理が良いかと思ったが、とりあえず、翼の得意料理でもあるナポリタンを教えて貰う事にする。お肉を何枚も無駄遣いするわけにはいかない……って言うう、大人の事情って奴だ。
 ちなみにアルトのメニューにナポリタンはない。
「ナポリタンはイタリアンじゃないんですよ? 知ってましたか?」
 キッチンのほぼ中央、作業台の傍、用意をしている伶奈と翼の顔の間にひょっこりと美月の顔が滑り込んできた。
「わっ!?」
 少女が思わずびっくりするも、その隣で翼が鉄仮面を崩す事なくひと言――
「……洗濯物、畳んだ?」
 って、聞く辺り、彼女はやっぱり、並の女性ではないと思う。
「まあ、畳む方は、仕事が終わってから、テレビでも見ながら……」
 そう言った美月の顔が翼の方から伶奈の方へと向き、そして、ひと言、最後に言った。
「ねぇ?」
「えっ? あっ? うん……」
「……同意してんじゃないわよ……バカ」
 頭の上の妖精に言われてももう遅い。
 ほとんど反射的に言っちゃった言葉に、美月はニコニコと満面の笑み。
「……困るのは、チーフ……だし」
 そう言って翼は作業台の上に用意されたニンジンをひょいと手に取った。そして、彼女愛用の包丁でするすると皮を奇麗に剥き始めた。良く使い込まれ、良く手入れされた、奇麗な包丁が赤いニンジンの上を滑っていく。
 あっと言う間にニンジンは素っ裸、それから、まずはニンジンを横に二つに切って、それから縦に二回。長さは半分、断面が扇形になったニンジンを今度は、トントンと……縦に切っていけば、あっと言う間に見事な短冊切りの完成だ。
「手際……良い……」
 伶奈は思わず呟いた。
 ら、
 いつの間にやら愛用の奇妙な模様が浮かぶ包丁を用意していた美月が、翼の用意していたニンジンを、トントンと……これまた、手早く短冊に切っていく。
 あっと言う間に短冊切りの山が完成だ。
 それは翼が掛かった時間よりも短かったかも知れない。
「えへへ」
 薄い胸を反り返らせ、彼女は誇らしげに笑った。
「チーフ……」
 伶奈の頭の上を素通りし、翼が美月の顔をジッと見つめる。
「はいはい?」
 軽い口調と共に美月が小首をかしげた。
 そして、鉄仮面は表情を1ミリも動かさずに言った。
「邪魔すると……はっ倒す、ぞ?」
「ふぇっ!? なっ、なんで!?」
 大きな瞳をまん丸くして驚く美月はほったらかしにして、翼は黙々と短冊切りになったニンジン半本分をまな板の隅っこに寄せる。そして、代わりにタマネギを取り出したら、皮を剥いて、とんと真っ二つに。
 半分のタマネギを伶奈の方へと追いやって、彼女は言った。
「みじん切り……に……」
 って、言われても伶奈がやり方を知っているわけがない。
 どうやってやったら良いんだろう……と思っていたら、まな板の上に残っていた半分をひょいと美月が取り上げた。
「こうするんですよ〜」
 そう言って、やっぱり、奇妙は模様の浮かんだ包丁でトントン……まずは横に切れ目を入れて、縦に刻んでいけば――
「あっ……」
 ――と、翼が呟く間にタマネギのみじん切りは完成した。
「……こうして、伶奈が見てる間に野菜が刻まれ終わっちゃったのね……」
 頭の上でアルトが呟き、伶奈も思わず、苦笑いを浮かべる。
 そして、翼が一瞬、その場を離れた……かと思っていたら、あっと言う間に戻ってきた。
 ごっ!
「いたっ!?」
 美月の後頭部にトレイが突き刺さっていた。
 縦に。
 で、結局、伶奈がやったのはウィンナーソーセージを半分にカットする事だけ。一応、パスタも乾麺を伶奈が茹でる事になって、説明書に書いてるとおりの茹で時間を計算してた訳だが……
「ナポリタンは後から炒めるので、少し早めの時間に引き上げるんですよ? 知ってましたか?」
 そんな事を言って、美月がさっさと引き上げてしまった。
 ちなみに翼は翼で……
「……一回、ダルダルのナポリタンを……作れば、覚える……」
 とか言って、最初から失敗させる気だったそうだし、もう、はっきり言って……
「……この二人の下で……料理、作れるようになるのかなぁ……」
 結局、翼と美月があーだのこーだの言いながら、味付けしたパスタをおやつ代わりに食べながら、少女はため息を吐くのだった。
「……職人は見て覚えろ、を体現してるのよ、きっと……」
 膝の上、パスタをストローに起用に巻き付け食べてる妖精も、ため息を吐いていた。
 

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