手料理(3)

「だいたいさ、娘が家計を助けるためにアルバイトしてるさなか、自分だけイタリアンレストランでランチって親、どう思う?」
「………………伶奈、それが建前で、本音は小遣いを増やしたいだけだって、みんな、知ってるから……」
 大きめのマグカップに少量のお湯とちょっと多めのココアパウダー、砂糖は多めにとか言うわがままなリクエストに応えて、少し多めに入れて……
「私は野菜クズのナポリタンでお母さんはトマトとチーズのハンバーグだよ……デラックスなんだよ」
「…………ホント、貴女、肉、好きね……」
 後はゆっくりと丁寧によく練る。ダマにならないように端っこの方を忘れないように練るのがこつ……と、美月は言っていた。
「ねぐれくとだよ、ねぐれくと」
「……バカなの?」
 トロトロになるまでよく練ったら、ミルクパンでほどよく温めたミルクを注いで出来上がり。伶奈ちゃん特製ココア。
「アルトはいちいちうるさいよ……」
 出来上がったトレイにマグカップを乗せたら、伶奈の言うことにいちいち突っ込みを入れてた妖精がトンッ! とカップの縁に飛び乗った。そして、そのカップの中にストローを突っ込みチュ〜っと一口。
「あっ!」
 と思ったときにはもう遅い。
 ゴックンと一口、嚥下したら、彼女は眉をへの字に曲げて言った。
「美味しいけど、やっぱり、コーヒーの方が良いわね……」
 そのひと言が最後まで紡がれるよりも早く、少女は叫んでいた。
「お母さんのココア飲んだ! バカ妖精!!!」
「さっきまでごちゃごちゃ、文句言ってたくせに……」
 その怒鳴り声に妖精は何処吹く風……とばかりに髪をかき上げると小指でこりこりと耳たぶを掻く。そして、指を引き抜いたら、ふっと息を吹きかけ、ついてるのかついてないのか解らない耳垢を飛ばす仕草を、妖精はして見せた。
 その不遜な態度が少女の血圧をさらにあげる。
「それとこれとは話が別だし、耳垢飛ばしたら汚いし!!!」
「妖精の粉よ、レアアイテムよ。だいたい、一口飲んだくらいで血管切れさせて……本当、背の低い子は器も小さいって本当ね」
「チビじゃないもん!!! これから育つもん!!!」
「あら、そう? まあ、それは良いけど……後ろ、見た方が良いわよ」
 そう言って妖精はピッと! ストローを伶奈の背後に向けて指し示す。
 先っぽからぽとりと赤茶けたココアの雫が一滴落ちる。
「何だ――よっ……あっ……うん、ごめんなさい……」
 言葉を妖精に叩き付けながら、回れ右。すると、勢いよかった言葉が次第に小さくなっていき、最後には弱々しく消え入るばかり。
 なぜなら、振り向けばそこには、翼がいつもの鉄仮面を貼り付けたまま、トレイを振り上げている姿があったから。
「……伶奈、うるさい」
 しかも、縦に。
 ごっ!
 少女の頭の上でイヤな音がした。

「……アルトのせいで叱られた……」
「キッチンで大声出して騒いでるからよ……」
 ずきずきと痛む頭を抱え、少女はココアを窓際隅っこ、いつもの席へ……その少女の指定席には、今日は食事を終えた母がナプキンで口元を拭っていた。
「……ココア……」
 そう言って少女がテーブルの上にココアと共に伝票を置けば、痛む頭の上で妖精が言った。
「ご注文は以上でよろしいすか? は?」
「…………ご注文は以上でよろしいですか?」
「はい」
 その少女の言葉に母はクスッと小さく笑って、首肯してみせた。そして、ココアのマグカップを手にして、一口……静かに口をつけた。
「うん、美味しい……甘いからデザートの代わりになるわね」
 両手で包み込むような感じに持ち直して、ちびりちびり……少しずつ飲む。
 それを横目に見ながらテーブルの上に出されていた食器の類いを片付ける。全て奇麗になくなった空っぽのお皿達、それは伶奈の大根サラダが入っていた小さな小鉢も例外ではなかった。
「でも、急になんで料理なんてしたの?」
 片付けてる伶奈に由美子が尋ねると、伶奈はその手を止めて答えた。
「……暇だったから、料理を教えてやるって……翼さんが。それで大根のかつらむきを作ってたの」
「ああ……それで……」
 母が妙に納得したような表情を見せるので、少女は「何が?」と尋ね返した。
 その言葉に母は両手で包み持ったココアにまた口をつけながら、答えた。
「随分ぺらぺらな大根だと思いながら、食べてたのよね……味はよかったんだけど」
「かつらむきだもん」
「そうね。でも、随分、薄く出来たのね? お母さんも余り上手に出来ないわよ、かつらむき。家でやるなら、ピーラーを使うし」
 母がにこりと笑えば少女の頬がさらに赤くなる……も、その心地よい感覚に水をさすバカが一人。
「母娘ね……」
「うるさい」
 頭の上から降ってきたひと言にぼそっと吐き捨てれば、きょとんとした顔で母が声を発した。
「えっ?」
「あっ、違う! 違うよ! アルトが……私も『ピーラーを使えば良いのに』って言ってたから、母娘だって……」
 慌てて、言い訳のように言葉を並べ立てる。
 それに母はすぐに頬を緩めた。
「あはは、包丁の遣い方を覚えるなら、ピーラーを使っても意味がないものね」
「ピーラーくらいは使えるもん」
 母の笑い声に伶奈が頬を膨らませると、頭の上で妖精が含み笑いと共に言葉を紡ぐ。
「あら、そう? この間、ピーラーで指を削りかけたバカがいるわよ」
「……――って、アルトが……言ってる」
 そして、その言葉を母に教えれば、彼女はぼんやりとした口調で言った。
「そー言えば……母さん、大根下ろしで指を削ったことなら良くあるわねぇ……」
「そっ、それ……いつの話?」
「聞かぬが華よ」
 若干引き気味の娘に母はニコッと満面の笑みを見せ、そして、答えた。そう言えば、先月、秋刀魚を食べたときに大根下ろしが付いてたっけ……とか、思い出す。さすがに母が指に怪我をしてたかどうかまでは思い出せないし、確かめる気にもならなかったけど……
 そんな感じの家でも出来るような話をフロアの窓際隅っこいつもの席で繰り返す。
 母はちびちびとココアを飲んで、その度に美味しいと言葉を紡ぐ。それが少女には凄く嬉しい。
 そして、窓からは晩秋……もしくは初冬と言っても良い日の光、少し曇り始めては居るが、それでも暖かな光が差し込んでいた。
 そんな時間が十五分ほど……おしゃべりと日差しを楽しむ少女の耳に声が聞こえた。
「おばさん、いらっしゃい。伶奈ちゃんもお疲れ様」
「お邪魔してます」
 母がそう言って答えた相手は、友達の所に行ってるはずの美月だった。予定では三時過ぎ……とか言ってたはずだが、腕時計に目を落としたら時間は未だ二時を少し回ったくらい。一時間近くも早い。
「お帰り、早かったね? どうしたの?」
 伶奈が尋ねると美月は軽く肩をすくめて答えた。
「それが、相手の方が忙しくなっちゃいまして、のんびり、お話しする時間も取れなかったんですよ〜こちらはどうでした?」
「うん……いつも通り暇だったよ。だから、翼さんにちょっと包丁の使い方教わってた……」
「あら、そうなんですか? 上達しました?」
「うーん……どうかな? よく解らない」
 美月の質問に少女は気恥ずかしさを感じ、頬を染めながらに答えた。
「それじゃ、私はそろそろ……っと、伶奈、今夜は九時に迎えに来れば良いのね? 夕飯は?」
 その会話を聞いていた母が尋ねれば、娘は軽く首肯で答える。
「うん……ご飯は、我慢する……」
 普段なら夕飯もアルトでまかないを貰うことが多いのだが、母が休みで家で食べるときは出来るだけ我慢して帰るのが少女の常だった。正直、九時くらいまで我慢するのは結構辛い。他の面々、特に翼ががっつりとまかないを食べてると欲しくなるのが人情という物だ。
 が、それでも母に一人で食べさせるのは気が引ける。
「出来の良い娘ねぇ〜」
 頭の上でアルトが嘯く。
 その声に気づかぬ美月が由美子に言った。
「それじゃ、おばさんもうちで食事したらどうです?」
「ああ、それは申し訳ないので……」
「良いんですよ〜作るのは――」
 ぽんと伶奈の頭の上に美月の荒れ放題な手が置かれた。
「えっ?」
 頭の上でアルトが潰れていた。
 まあ、どうでも良い。
 そして、振り向く少女を一瞥だけして、彼女の姉貴分は言った。
「この子ですから〜」
「えぇぇぇぇぇぇぇ!!!!???」
 ひときわ大きな声が喫茶アルトのフロアの中に響き渡った。

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