お泊まり会(7)

 さて、食事が終われば伶奈がアルトから持ってきたケーキの出番。飲み物は当然のように伶奈が煎れるココア。少量のココアパウダーを少量のミルクで溶いて、じっくり弱火で暖めながらよく練るのが美味しく煎れるこつ……と、美月には教えられた。
 それを伶奈がやってる間に穂香達三人はケーキの分配の相談。本日持って来たのはモンブラン、ブルーベリームース、苺のミルフィーユ、レアチーズケーキ、ティラミスのミルクレープ、ガトーショコラの六つ。もちろん、売れ残りじゃなくて、ちゃんとした商品。半分は母に出して貰ったし、社員割引も使わせて貰ってるので、伶奈の持ち出しはそんなに多くない。
「伶奈チ、どれが良いの?」
 キッチンのテーブルの上、ケーキの箱を広げた穂香が尋ねると、眉の間に深い縦縞を刻んでココアミルクをかき混ぜていた伶奈が応えた。
「私はどれでもいいけど、おじいちゃんがビターチョコのガトーショコラは東雲さんのおばあちゃんが好きって言ってたから……」
「あっ、おばあちゃんがビターチョコのケーキしか食べないの、知ってるんだ?」
 穂香が少し驚いたような声を上げれば、隣の部屋、畳の上にこたつという暖かそうな風景の中でのんびりとテレビを見ていた老婦人が声を上げた。
「雪ちんが元気だった頃にアルトで食べてたし、この間、久しぶりにお邪魔したときにもいただいたからよ」
 少し大きめの声で老婦人がそう言うと、穂香も「なる」とひと言だけの相づちを打った。そして、早速、そのガトーショコラを小さな取り皿の上へ……
 移し終えた穂香が顔を上げると、次に口を開いたのは、普段は口数の少ない蓮だった。
「……おばさんは?」
「おかーさーん!」
 蓮の言葉に穂香が声を上げれば、母親も打てば響く速度でお返事。
「私はなんでも良いわよ!」
「なんでも良いって言われるの、一番困るよね?」
 苦笑いを浮かべて穂香がそう言った。
「あはは、まあ、今日は人数分しかないし、私たちが選んで残ったのを食べて貰えば……私、ミルフィーユ、貰って良い?」
 そう言って美紅が笑い、ミルフィーユを選んだ。それから穂香がブルーベリームースを選んで、蓮がモンブラン。ココアを煎れ終えた伶奈がティラミスのミルクレープで、結果、余ったレアチーズケーキが穂香の母の元へと届けられた。
 そして、それぞれの分け前と伶奈が作ったココアのカップを手にして、少女達は二階、穂香の部屋へと向かった。
 部屋に入るとラグの上に置かれたテーブルはすでに片付けられて、奇麗な物。『その辺置いとけば、そのうち、お母さんが片付ける』とか言いだした穂香のお尻を叩いて、片付けさせたのは、折目正しい南風野蓮と机の上の片付けならプロの西部伶奈だ。
 その奇麗に拭き清められたテーブルの上ではドレス姿の妖精さんがごろん。小さく丸まりすーすーと気持ちよさそうな寝息を立てていた。その一番邪魔になるところで、寝ている妖精の頭に向けて力一杯デコピン一発。
 すると腰の辺りを中心にくるん! と奇麗に一回転したので、ちょっとびっくり。
「地球が回った!?」
 跳ね起き、辺りをきょろきょろしている妖精の隣にマグカップとケーキ皿を置いて、少女はラグに腰を下ろす。
「……ガリレオの時代から地球は回ってるよ」
 少女が嘯けば妖精は不思議そうな表情で辺りをきょろきょろするだけ。そして、同時に彼女は、自分の周りに四つのマグカップと四つのケーキが並べられていることを知った。
「目移りするわね?」
 驚きも痛みもどこへやら。ちょこちょこと伶奈の方へと歩み寄ると、早速、ティラミスのミルクレープに取り付いた。
「そー言えばさ、うちのおばあちゃんと伶奈チの所のおばあちゃんって、親友なんだっけ? うちのおばあちゃんが誰かのことを愛称で呼ぶなんて、初めて聞いたよ」
 輝く瞳と笑顔で穂香が伶奈に尋ねた。
「親友の一人だったらしいわよ……で、その親友の中でオープニングスタッフに唯一誘われなかったのがあの子」
 答えたのは伶奈ではなく、アルト。すでに顔の周りはティラミスだらけでちょっと可愛い。
「なんで?」
 その言葉を少女達に伝えるよりも先に言葉がこぼれていた。
「県外の大学に進学してたからよ」
 ケーキにかじりついていた妖精が放った言葉は、聞いてみれば至極もっともな代物。フォークをケーキに突き刺しながら、「なんだ……」と拍子抜けにも似たものを感じる。そして、少女はそのアルトの言葉を友人達にも伝えた。
 それに穂香が紫色が濃いムースをパクリとスプーンで口に運び、それをコクンと飲み干したら、口を開いた。
「おばあちゃん、東京の大学に行ってたらしいんだよ。だから、私も高校出たら東京に出て、見聞を広めろ〜って、言われてるんだよね。私は地元が良いんだけど……」
「なんで?」
 美紅が尋ねると穂香が間髪入れずに応える。
「炊事洗濯掃除、自分でやるのがめんどい」
「……そんなところだろうと思った」
 予想された答えに美紅はがっくり。そして、伶奈とアルトも「あはは」と声を上げて笑った。
 そして、再び、穂香が口を開く。
「で、愛称と言えばさ、なんで、伶奈チは名字にさん付けなんて、堅苦しい呼び方するわけ?」
 そう言った穂香の前、プラスティックの容器に入られたブルーベリームースはすでに半分ほどにまで減っていて、相変わらず食べるの早いなぁ〜なんて思っていた少女の耳に不意打ちのようなお言葉。
 その言葉に、きょとんとした表情を見せ、少女は素直に答えた。
「校則だったもん」
「……なんの?」
 尋ねたのはミルフィーユの一番上に乗っかってるパイ生地を手づかみでかじっていた美紅だった。
 きょとんとしたままの顔を正面の美紅へと動かし、彼女は言葉を続けた。
「……何のって……小学校の校則。男子には名字に君、女子には名字にさんを付けて呼べ……って」
「…………なんで?」
 もう一度、美紅が尋ねた。
「イジメ防止……らしいよ?」
「………………なかったの? イジメ」
 伶奈の答えにそう言ったのは、ひと言も口を開かず、黙々とモンブランを突いていた蓮だ。ちなみに一心不乱に食べてたはずだが、モンブランの頂は未だに二割ほどしか減っていない。なお、頂上に飾られていた栗は取り皿の端っこにちょこんと鎮座ましましていた。
 その蓮の質問に伶奈は思わず絶句した。
 誰も口を開かず、ケーキを食べる手も止めて、じーっと伶奈のことを見つめる。
 その沈黙の時が少女には痛かった。
 そして、やおら、少女は口を開いた。
「……………………あったかぁ……なかったかぁ……で言えば…………ね? 難しいというか……なんというか……」
「あったんだ?」
 端的な質問を穂香がすれば、伶奈は慌てて言葉を積み重ねていく。
「わっ! 私は! 虐めてないよ!? せっ、積極的には……いっ、イジメなんかに参加しないよ!?」
「積極的には関与せずに、見て見ぬ振りをしてたのね……」
 図星なセリフは妖精の物。そのひと言に少女は再び絶句した。
 どうやってごまかそう……って思っていたわけでもないが、少女は自身の手元ケーキをストローで器用に切り取りながら食ってる妖精を凝視。
 その妖精がこちらへと視線を向けて、ひと言言った。
「……通訳なさいよ」
「……余計な事言うと、捻るよ?」
 思わず、少女はそう言ってしまった。
 が、まさにそのひと言が余計なことだった。
「アルトちゃん、なんて?」
「うぐっ……」
 穂香の質問に伶奈はうめき声を漏らした。
「どったの?」
 美紅が尋ね、再び、視線が伶奈へと集中する。
「………………積極的に関与しなかっただけで、見てたんだろう……って、言った」
 シーン……と少女達が沈黙した。
 外を行く車の音が聞こえた。
 一台……二台……そして、三台目は救急車だったようで、ピーポーピーポーと賑やか。
 そんな沈黙に、最初に耐えきれなくなったのは伶奈だった。
「だっ、だってね!? ちょっと、聞いてよ!? 私だって、助けてあげなきゃ! って思ったの! でも、私もその時、大変だったから! もう、ほっとくって言うか、見て見ぬ振りしとくしかなかったって言うか!!」
 矢継ぎ早にぽんぽんポ〜ン! と唇と声帯の条件反射で言い訳を並べ立ててる。
 と、そこにするりと滑り込んだ蓮のひと言。
「何が? 大変?」
「そりゃ、もう、おとう……さ……ん……」
 ここまで言った時点でさーーーーーーーっと少女の顔から血の気が引いた。
「おとうさんがどったの?」
 曇りなき目で穂香が尋ねた。
 背中に嫌な汗がだらだらと流れた。
 全員の視線が伶奈に集中していた。
 一刻も早く切り抜ける嘘をでっち上げなければならない……と、思えば思うほど、少女の灰色の脳細胞がグルグルと空転し始める。
「……バカ。何、ぽろっと言いそうになってるのよ。お父さんとお母さんが離婚で揉めてたから大変だった、にしておきなさいよ」
「あっ、うん! お父さんとお母さんがね、離婚で揉めてた時期で、本当、大変だったから! うん、それで、私もそれどころじゃなくて……」
 アルトによって出された助け船に、少女は慌てて飛び乗り、一気にまくし立てる。その言葉は言ってる本人としては違和感バリバリな口調になってしまったものだが、聞いてる方はそうでもなかった様子。
「ああ……そういう時って大変だよね……うちも夫婦喧嘩の時は空気、きついもん」
 美紅がそう言ったのを皮切りに、他の二人も異口同音。これで一安心――
 ――だと思ったのは甘かった。
「まあ、その話はとりあえず、ここで切り上げておいて、だよ。伶奈チの小学校の間抜けな校則はともかく、伶奈チの堅い呼び方、どうにかなんないの? と言うのが話の主題だよ? 伶奈チ」
「……まあ、学校の中でも間抜けな校則だなぁ……とは言われてたけど……なんか、癖で……」
「でも、お隣の大学生は変なあだ名で呼んでるよね?」
「ジェリド? ジェリドは良いの、ジェリドだから。そもそも、友達じゃないし」
 穂香に問われ、伶奈が答えるとぼそっと小さな声で蓮が呟く。
「……にしちゃんはツンデレ」
「でっ、デレた事なんてないもん!」
 顔をまっ赤にして反論したところで、フォークを高さ七割くらいにまでに減らしたモンブランに突き刺したまま、ぽつりと、また呟いた。
「これから?」
「これからもデレない!!」
 半分ほど腰を浮かすような感じで抗議の声を上げれば、少女は少女達のオモチャになることが決定した……って事に少女が気づいたのは、この時から随分経ってからのことだった。
「まあまあ、伶奈チと大学生の彼氏についてはとりあえず、こっちに置いて……」
 そう言って手のひら同士を内側に向け、四角い箱をテーブルの下から下ろすようなそぶりをして見せたのは、穂香だった。落ち着いた口調で言おうとしている努力は認めるが、そのほっぺたの痙攣と隠しきれない目元の緩みが伶奈の神経を逆なでした。
「置かないでよ!? なんで、私がジェリドと付き合ってるって話になるんだよ! これがイジメだよ!?」
「解った、解ったって。公的には付き合ってないことになってる彼氏の話はしないよ」
 美紅が堪えきれない笑みと共に言葉を言えば、伶奈が突っ込むよりも先に蓮がぽつりと三度目の呟きを漏らした。
「……内縁」
「南風野さん??!! なんで今回、こんなにぐいぐいくるんだよ!!!???」
「いぇい!」
「褒めてない!」
「ないすつっこみ!」
「褒めていらない!!」
 ぽんぽんぽーんと蓮と言葉のやりとりをしてたら、もう、疲労困憊。疲れ果てた〜って感じでぐったりとテーブルの上に少女は突っ伏。
「まあ、これ以上伶奈チを弄ったら、伶奈チが泣くから、とりあえず、ジェリドさんのことは不問と言うことで……ともかく、私はいい加減、名字にさん付けは辞めてもらいたいと、ここに主張する訳なんだよ」
 元気に音頭を取るのが穂香だった。
「伶奈ちゃん、死んでるから、私たちで決めようか?」
 勝手に死んだことにしているのが美紅だ。
 そして、蓮が
「おー」
 力の抜けた声で応じた。
 そんなやりとりが突っ伏した伶奈の頭の上で行ったり来たり。
「……今日は散々ね」
 覗き込むアルトの顔がティラミスでべったべたになってるのが、さらに腹立つ。ちなみに伶奈はろくに食べてない。
「なにがいいかな?」
「他と被らないのが良いよね〜」
「私、フランベルジュとか呼んで欲しい!」
「……何言ってるの? 穂香ちゃん……」
「フランス語で炎って意味なんだって。ほら、ほのお、ほのか、似てるじゃん? って昔から思ってたんだよね」
「……ごめん、言ってることが一ミリも解んない……」
 頭の上で穂香と美紅の言葉が行ったり来たり。その間もカチャカチャとフォークが取り皿を突っつく音が聞こえてるから、ケーキに舌鼓を打っているのだろう。
「私が買ってきたのに……」
「……ちっちゃい……」
 独り言……それを聞き留めたアルトの言い分は知らん顔をすることにした。
「むしろ、炎よりも稲妻じゃないかな? 稲は田んぼに稲妻が落ちて稲穂を着けるって、昔、言われてたそうだよ? 穂香ちゃん、名前の漢字を『稲穂の穂が香るで穂香』って言うじゃん」
「へぇ〜そうなんだ? フランス語で稲妻ってなんだろう……?」
「エクレア……」
 美紅、穂香、そして蓮、頭の上で少女達三人の言葉が再び行き来……と言うか、この調子だと、これから先、友人のことを『エクレア』呼ばわりしなければならないという地獄……が、と思った時、少女はバン! と両手をテーブルに叩き付けて立ち上がっていた。
「イヤだよ! 友達、エクレア呼ばわりとか! お菓子の名前じゃんか!? てか、そんなに、名字にさん付けがイヤなら、もう、みんなのこと、名前で呼び捨てにする! 穂香! 美紅! 蓮! って呼ぶ!!!!」
 切れ気味に少女が宣言すれば、三人の友人達は互いの顔を見合わせた。
 シーン……と静まりかえる部屋の中。
 テレビでもつけてれば良かった……なんて、急速に冷えゆく頭の中で少女は思った。
 そして、アイコンタクトだけで話し合っていた少女達が、コクンと大きく頷いて、返事をした。
「いいよ〜」
 軽く言ったのは美紅だった。
「……名字にさん付けより、好き」
 少し考えながらも、そう答えたのが蓮で、穂香にいたっては――
「じゃあ、今から、呼び捨てでないと返事しないから」
 と、言いきられると、途端に慌てるのが小市民である伶奈。
「えっ? いや、でも、ほら、よっ、呼び捨てって……ぞんざいじゃないかな?」
 いくら慌ててみたところで、少女達が受け入れることはなかった。
「だって、アルトちゃんのことはアルトって呼んでるじゃん」
 穂香にこう言われると、もはや、伶奈に言い返す言葉なんてどこにもない。
 こうして、伶奈は四方会の友人達を呼び捨てで呼ばざるを得ない立場に立たされることになった。
 そして、夜が静かに更けていく……
 

前の話   書庫   次の話

ご意見ご感想、お待ちしてます。