お泊まり会(6)

「何してたの!?」
 から始まるお説教を五分ほど、主に穂香が受けたら、いよいよ、夕飯。
 メニューは予定通りにすき焼きだ。せっかく友達が来るんだから、子供だけで食べたい! と穂香がごねたおかげで今夜の夕飯は穂香の部屋で四方会の四人だけで食事をすることになっていた。
「キッチンのテーブルにも椅子は四つだし、居間のこたつもそんなに大きくないし、どっちしても六人、一度に食べられるスペースなんて、ないんだよね、うち」
 なんだか悪いな……と伶奈は思うが、穂香にそんな風に説明されると異論を挟む余地はない。
 用意は全て子供達がやらされることになっていた。簡単な物だろうと思っていたのだが、カセットコンロにすき焼き鍋、取り皿とお箸、それから生卵も忘れちゃいけない。そして、当然、大量の食材が盛られた大皿二つに少し大ぶりなお茶碗に盛って貰ったご飯を一膳ずつ。お代わりは、シメのうどんとケーキのことを考えたら、いらないか、これでも多いくらい。最後に電気ポットと急須、穂香のお母さんが作ってくれた割り下を瓶の容器に入れて貰ったら、これも部屋に持って上がる……と、まあ、やってみれば結構大変。全員が二回、多い者で三回ほど、階段を行ったり来たりする羽目になった。
 色々持って上がった物をガラステーブルの上やその周りに置いて、これで終わり……だろうか? 毛足の長いラグの上に置かれた大皿が不安定でちょっと不安。
「忘れ物があったら、取りに行ったら良いじゃん。もう、お腹すいたよ」
 家主権限で上座――テーブルとベッドの間、唯一背もたれのあるスペースに腰を下ろした穂香が騒ぐ。
「穂香ちゃんって本当、雑だよね……ご飯食べてる最中に足りない物があったら切ないじゃん?」
 穂香の正面に腰を下ろした美紅が呆れた口調で言うも、穂香は何処吹く風。
「私行くから。大丈夫、大丈夫、もう、忘れ物なんてないよ」
 そう言った瞬間、穂香の右隣に腰を下ろした伶奈が気づき、そして、言う。
「……湯飲み」
 そう、様々な物が持ち込まれて、一杯になってるテーブル及びその近辺。そこには絶賛再沸騰中の電気ポットと急須、茶葉の入った茶筒までもがちゃんと持って来てるのに、湯飲みは一個も見当たらない。
 沈黙の時が流れた。
 心なしか穂香の笑みが凍り付いてるような気がした。
 ちなみにこの『ベッドとテーブルの間の上座』は一度座ると立ち上がるのが若干面倒くさい。テーブルとベッドで体が挟まれてるのだから当然だろう。
 そして、数秒の沈黙の後、美紅の右隣に座っていた蓮が言った。
「……お疲れ……しのちゃん」
「行くよ! もう! 行きゃ良いんでしょ!? 行きゃ! もう! 湯飲み四つだよね!?」
 逆ギレ気味に穂香が立ち上がるのを見送ったら、伶奈の手元で妖精が言った。
「ホント、雑に生きてるわね……あの子」
「……何にも手伝ってないアルトに言われたら、東雲さんもむっとすると思うよ……」
 伶奈がため息交じりに呟いたら、ニマッと手元の妖精は底意地の悪い笑みを浮かべて言うのだった。
「五分後には役に立つわよ、間違いなく」
「何の役にたつんだよ……?」
 と、少女は呟いた物であったが、この時、伶奈は知らなかった、本当に妖精さんが役にたつ時がくることを……
 それも五分もたたないうちに。

 さて、穂香が湯飲み四つを持ってきて定位置に座ったら、いよいよ、すき焼きの開始……だったはずなのだが、世の中、上手く行かないことが多い。
「ところで……誰か作り方とか知ってる?」
 最初に聞いたのは美紅だった。
 その質問に対して答えのは、仕切る気満々な表情で菜箸を握りしめてる穂香だ。自信に満ちた表情で彼女は言った。
「鍋に出汁入れて、その中で肉とか白菜とかぐつぐつ煮たら良いんだよ!」
「……すき焼きって……そんなにダイナミックな料理なんだ?」
 ぼんやりとした口調で少女が言うと、正面に座った美紅がふるふると左右に首を振って見せた。
「……伶奈ちゃん、穂香ちゃんの言い分をそんなにあっさり信じないで……」
「……ごっ、ごめん……私も若干違うかな? っては思ったけど……北原さん、知ってるの?」
 伶奈が尋ねると途端に美紅は明後日の方向へと視線を向けた。
 静かに時が過ぎる。その間、十数秒……
 遠くで車のタイヤが路面を食む音が聞こえ、そして、消えた。
 その残響が消え去る頃、彼女はか細く消え入るような声で呟く。
「……えっと……割り下で煮る?」
「一緒じゃん! 私の作り方と同じじゃん!」
 腰を浮かす勢いで穂香がまくし立てれば美紅はまっ赤に茹だった顔を穂香の方へと向けて、さらに強い口調でまくし立てる。
「だっ、だって、言い方がすっごく雑なんだもん! じゃあ、蓮ちゃんに聞いてみ――」
 そう言って蓮へと向けた美紅の表情が凍り付き、彼女はさらに大きな声を上げた。
「――蓮ちゃん!!! ご飯に割り下かけて食べようとしないで! お腹空いてるのは解るけど!」
「…………ごめん」
 小さく呟き、少女は割り下の入った瓶をコトン……とテーブルの上へと返す。その隣にはほんのちょっぴり割り下の色が付いたほかほかご飯。
 あれはあれで美味しそう……でも、私なら卵掛けご飯にしちゃうかな? なんて伶奈は思う。
 結局、誰も詳しい作り方なんて知らないのである。所詮は黙って座ればご飯が出てくる気楽なお子様達に過ぎないのだ。と言うことを改めて思い知り、少女達は空の鍋と生の食材、冷え行くご飯(一つからは芳ばしい割り下の香り)を前にして途方に暮れる。
「ちょっと私、お母さん達に聞いてくる……」
 そう言って穂香が腰を浮かそうとした、まさにその時。
「待ちなさい!」
 そう言って、立ち上がったのは伶奈の手元でそれまで事の成り行きを見守っていた妖精だった。
「……――ってアルトが言ってる……」
 若干投げやりな感じでアルトの言葉を通訳すれば、腰を浮かしていた穂香もその動きを止めた。
「ほら、もう、私が役立つときがきたじゃない……まずはそこに付いてる牛脂で油を引いて……って、牛脂ってどれ? みたいな顔しないの! 白い四角い奴! それを暖めた鍋の底に引くの、塗るみたいな感じで良いから。それからお肉を並べて、それから白菜は先に芯から、春菊とか白菜の柔らかいところはすぐに煮えるから後で良いわよ。一通り並べ終えたら、そこに割り下をかける。気持ち少なめ。どうせ、野菜から色々出るわ。最後にお肉から離したところにシラタキを入れて、後は煮えるのを待つ! 以上!」
 言われたとおりに手を動かせば、大きな鍋はすき焼きらしき物で満たされるし、そこからはフンワリとかぐわしい香りが漂ってくる。
 それは見てるだけでお腹が空いてくる代物だった。
「……伶奈チ、手際、良い……」
「さっすが、飲食店勤務……」
「…………ぐっじょぶ」
 穂香と美紅がほぼ同時、そして、ふた呼吸くらい遅れたところで蓮、口々に褒め立てられれば、少女の顔はあっと言う間に茹で上がる。
「あっ、アルトが言うとおりにしただけだから……」
 と、謙遜したら、手元でアルトが――
「そうよ、私に感謝すべきだわ」
 と、胸を張ったのでとりあえず、指先でピン! と彼女のおでこを弾いておく。ぎゅんっ! と上半身がのけぞっていい気味。反り返った体が復活し、ひとしきり額を押さえてもがいた後に、わーわーと何か文句を言ってるようだが、それは軽くスルーしておく。
「無視するのは良いけど、さっさと食べないと、せっかくの良い肉が固くなるわよ……」
「肉が固くなるってアルトが言ってるから、食べようか?」
「ホント、良い性格してるわね、貴女……」
 って、呆れる妖精にちょっぴり勝った気分。
 良い気分で取り皿に卵を落として、軽くかき混ぜたら、そこに早速お肉を入れて、パクリ。
 それを四人がほぼ同時に行い、そして、その中、三名が固まった。
「……美味しい」
 素直な感嘆を伶奈があげた。
「うん……柔らかいし、なんか、脂身が甘い……」
 美紅も伶奈の言葉に頷いた。
 そして、穂香が言った。
「私が牛だと思って食べてた肉は豚だったのかも知れない」
「ああ、穂香ちゃんちはそうだったのかもねぇ〜」
「………………ごめんなさい、嘘です、冗談です。ともかく美味しいです、忘れられないくらい」
 当人曰く『渾身のボケ』を美紅によって軽くスルーされたら後は食事をするしかないようで、穂香もパクパクと肉に舌鼓。
 蓮の両親がツテを使って市場価格よりも随分安く入手した国産牛、その中でも比較的高級な部類のお肉。蓮曰く和牛になるとさらに美味しいらしいが少女達にはこれで十分美味しい。てか、和牛と国産牛は違うんだぁ……と言ったら、飲食店勤務の癖に、とアルトに馬鹿にされた。
「……お肉ばっかりじゃ、メッ、だよ……」
 ひとしきり肉を食べたところで蓮がぽつりと小さな声で忠告してくれるので、素直に従う。白菜や春菊にしみこんだ割り下には牛肉の旨味たっぷり、それをご飯と一緒に掻き込むのはこの上ない幸せ。もちろん、他の具材も美味しい。
「あちっ! でも、焼き豆腐も美味しい……」
「麩もいけるよ」
「シラタキってどう美味しいって訳じゃないけど、すき焼きに入ってると食べるよね……」
 熱い焼き豆腐を伶奈が舌を焼きながらも味わい、穂香が蕩けかけた麩に心を蕩けさせ、美紅は美紅でシラタキを麺類のようにすすって食べる。
 と、がつがつ食っては、味の感想を述べあって、さらには学校の話から「蓮チのおっぱいがいかに素晴らしい物か?」「みっくみくの太ももサイコー」とか「伶奈チの浮かんだあばらにはフェチがある」とか――
「その辺の下世話な話、全部、東雲さんだよね……」
 と、フェチのあるあばらと呼ばれた少女が膨らんでみたりと、まあ、いろいろなお話をしつつ、鍋の中身を食べては足し、足しては食べて、再び足すの繰り返し。そして、ひとしきり食べて、お腹もある程度膨れたところで、伶奈はずるずると自身が背負って持って来たジーンズ生地のナップザックを引き寄せた。
「これ……貰ってきたんだよね……」
 そう言って取り出したのはシルバーに光る三百五十ミリ缶、それが出た途端――
「にしちゃん!」
 蓮が大きな声を上げた。その鋭い声に、伶奈は思わずビクン! と体をすくめる。
 そして、顔を上げると、蓮の方へと向かって口を開いた。
「待って! 怒らないで! これ、ビールじゃないから……これ、ノンアルコールビールって奴。家庭教師の先生がアルコールが受け付けない体質なんだよ。それでこれを五本買ったんだけど、灯先生、まずいって……四本飲んだ時点で力尽きて、それ以来、ジェリド――お隣さんの家の冷蔵庫を占拠したままで邪魔だから、持って行けって……いらなきゃ捨てたら良いって……」
 そんな感じで伶奈が説明をしたら、蓮も他の面々も納得したみたいだ。そして、少女達は物珍しそうにシルバーの缶を覗き込んだ。
 ちなみに彼女らの家族で飲むのは、東雲家では父も母、オマケに祖母までもが飲むし、なんでも好き。北原家は父親が発泡酒を週六回たしなむ程度で、南風野家は父が付き合いで飲む程度だ、そうだ。
 話をしながらノンアルコールビールの缶をたらい回し。ほぼ無人の部屋に置き去りだったとは言え、常温で余り冷えてはない。
「冷やしとけばよかったのに……」
 穂香が少し口をとがらせれば、伶奈はバツが悪そうに言った。
「おばさんやおばあさんが冷蔵庫の傍にずっといたから……出しづらくて……」
「そもそも、不味いって言う物、飲む意味があるの?」
「…………蓮は飲んでみたい」
 美紅は少々不満げ、蓮はいつものぼんやりとした表情、二人ともそれぞれに表情と口調、そして言ってることも違うが空っぽになった湯飲みをずいっと出してるところを見れば、飲む気はあるらしい。
 そして、二人の様子に穂香が少し肩をすくめて、立ち上がる。
「私、グラスと氷貰ってくる!」
 狭いテーブルとベッドの間からするりと抜け出し、少女はばたばたとかけだしていく。そのつま先が大皿の一つに軽く蹴りあげる。
「わっ!? こぼれた!?」
 たたらを踏みつつ少女が言うも、丸い大皿は片方を床に着けたまま、もう片方を軽く浮かせただけ。すぐに元の形に落ち着くと、それ以上の異変は特になし。乗っていたお肉も野菜も全て無事。
「…………走っちゃ、メッ」
 蓮が走り去る穂香の背後に声を掛けるも、穂香は部屋の外へと走って飛び出し、部屋の外から大きな声でひと言言うだけ。
「はーい」
 そんな穂香の姿に伶奈と美紅が顔を見合わせ、肩をすくめ合う。その伶奈の手元ではあるとも同じく、苦笑いで肩をすくめていた。
 そして、彼女は出て行った時と同じ勢いでばたばた! と部屋に帰ってきたかと思うと、まーた、先ほどと同じ大皿を先ほどよりも強めの勢いで蹴り上げる。
 今度は重力が穂香の味方をしなかった。パタン! と少し大きめの音で跳ねたかと思うと、乗ってたお肉がひとかたまり、ぽとっとこぼれ落ちる。
「――っと、もったいない」
 座るよりも先に落ちた肉を回収し、穂香は煮立った鍋の中にぼとり。
「入れんな! しかも、手づかみ!?」
 美紅が即座に目を剥くも、穂香は何処吹く風。菜箸でちょいちょいと広げたら、
「大丈夫、大丈夫、今朝、掃除したし、火は入れるし」
 こんな感じの軽い口調。
 コトコト煮えていく美味しそうな国産牛に対して、それ以上文句を言う者は他になし。まあ、最後まで美紅は微妙そうな顔をしてたし、落ちた肉には余り手を着けようとはしなかったのだが……
 そして、持ってこられたグラスに氷が二つ三つずつ放り込まれ、そこに黄金色の液体が注ぎ込まれた。
 グラスの中でシュワ〜ッと弾ける炭酸の泡と黄金色の液体。正直の所、これを見て伶奈に思うところや思い出す物がないと言えば嘘になる。
 でも……
「おいしいのかな?」
「伶奈ちゃんの先生がまずいって言ったんじゃなかったっけ?」
 穂香と美紅はそんなことを話ながらも、スンスンとコップの中に鼻を入れるような感じで匂いをかいでみたり、横から覗いてみたり……好奇心一杯といった感じ。
 そして、蓮はおずおずとグラスを手にしたら、ひと言だけ言った。
「…………乾杯、する?」
「何に?」
 穂香が尋ねた。
「バカ四人組にでも乾杯すれば?」
 答えたのはストローに引っかけたお肉をかじっている妖精さん。ぺろんとストローに引っかけたお肉を下から、まるでパン食い競争のあんパンでもかじるかのように食べていた彼女は、アルコール抜きのビールには興味がないらしい。まあ、ちょくちょく本物を飲んでるからだろう。
 そのアルトの言った言葉をそのまま言うのはさすがに……と思うが、でも――
「四方会に……」
 伶奈がアルトの言葉を少し変えて伝えれば、それに反対する声は皆無。むしろ、美紅も穂香も、蓮すらも控えめではあるが肯定の声を上げた。
 そして、音頭を取るのは最近リーダー役を半ばむりやり奪い取ってる東雲穂香。
 軽く腰を浮かせて、半分ほどが黄金色の液で満たされたグラスをテーブル中央、上空へと掲げると、ひときわ大きな声で宣言する。
「では、四方会の友情にかんぱ〜〜〜い!!!」
 その大きな声に残り三人は見事に唱和した。
「かんぱ〜い」
 そして、一気にグラスを干せば、一斉に響く四つの声。
「まっっっっっっっっっっずいいいいいいいいいい!!」
「にっっっっっっっがいいいいい!!」
「ぬるっ!?」
「………………蓮、もう、いらない」
 穂香、美紅、伶奈に、それから蓮。
 四人が一斉に否定の声を上げ、そして、空っぽになったグラスをテーブルの上へと叩き付けるように戻す。中途半端な苦さに中途半端な炭酸、中途半端な温度はどれ一つ取っても美味しくない。
 その口直しをするかのように少女達は、それぞれの箸をすき焼き鍋へと伸ばす。
 柔らかくて甘いお肉、トロトロになるまで煮えた白菜春菊、割り下をたっぷりと吸い込んだ麩、食感の美味しいシラタキ、ひとしきり少女達は食べ終えると、
「あはははは」
 お腹の底から大声で笑った。
「国産牛のすき焼きも忘れられないけどさ、このまっずいビールもどき、絶対に忘れられないよね!」
 穂香が弾む声で言えば、他の面々も苦笑いと共に首を縦に振り、そして、手元で……
「私は飲んでないけどね……」
 なんて、アルトが少しだけ残念そうな口調でそう言った。

 グラスの中でシュワ〜ッと弾ける炭酸の泡と黄金色の液体。正直の所、これを見て伶奈に思うところや思い出す物がないと言えば嘘になる。
 でも……
 でも、今日からはこのまっずいビールもどきとそれを飲んで笑い合った友人達の笑顔も、思い出すことの一つに数えられるようになるのだったら、まあ……飲んでよかったかな? と思う。
 だから、少女は最後に言った。
「……大人になったら、本物の、飲もうね、一緒に……」
 それに反対する者は誰も居なかった。
 

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