さて、体も洗って、髪も洗って、ゆっくりとお湯に浸かって、あーだのこーだとくだらなくも楽しい雑談。話題は概ね学校のこと、さらに細分すればクラスメイトの話だったり、今日見てきた紅白戦も話題の一つだし、教師の悪口も楽しい話題。
「――美術の長瀬先生ってきついよね……?」
そう言ったのは穂香。
「……それ、穂香ちゃんが『水平線』なんてふざけた宿題を出したから、目を付けられてるだけだよ……」
それに対して美紅が返事をして、伶奈も尻馬に乗って言葉を繋ぐ。
「再提出の絵、結構上手だったんだから、最初から真面目に描いとけば良かったのに……」
大きな湯船のど真ん中、四人並んで裸のお付き合い。学校の話ばっかりでアルトが話題には入れないのはちょっと可哀想かとも思うが、こればっかりはしょうがない。妖精自身も空気を読んでくれたのか、伶奈達の会話に入ろうともせず、先ほどから気持ちよさそうに湯船をプール代わりに泳いでいた。
正直、それはそれで少しうらやましい。
と、うらやましいほど気持ちよさそうに温水プールを楽しんでいた妖精が、伶奈と穂香の間にすーっと滑り込んできたら、少女の肩口をちょいちょいと突いた。
「なに?」
視線を穂香から少し落として、少女が尋ねる。
すると妖精はすっと手を上げて言った。
「あっち」
指す方向は穂香の反対側、蓮の居る辺り……
「わっ!? 南風野さんがのぼせて浮かんでる!!!!???」
アルトの指さす方に顔を向けるとそこにはまっ赤な顔でぷかぷか浮かんでる蓮の姿があった。
「――って、のぼせてひっくり返ると浮かぶんだね、蓮チって……プールじゃどうやっても沈んでたのに……」
人の少ない湯船の中、おっぱいもそれ以上に大事なところも丸出しで浮かぶ『カナヅチ』を見やり、友人が呟いた。
ら、もう一人の友人が力一杯その後頭部をひっぱたいていた。
しかも、ぐーで。
と、言うわけでお風呂終了。三人で力合わせてひっくり返ってる蓮を脱衣所へと引っ張り上げる。その時、蓮をおんぶさせられた美紅が――
「うおっ!? おっぱい、やーらかい!?」
と、驚いたら、
「えっ!? ちょっと触らせて!?」
なぜか、ノリノリで穂香が食いついてきたり、
「……脂肪の塊を弄りたいなら食肉売り場でラードでも揉んでなさいよ……」
と、アルトが拗ねたりと大騒ぎ。
たっぷり時間をかけて、脱衣所にまで引っ張り上げたら、脱衣所の隅にあるベンチに彼女を座らせる。
「大丈夫ですか?」
「おねえちゃん、だいじょうぶ?」
心配してる母娘連れのお母さんにぺこぺこと頭を下げて、やっぱり、心配してくれてる娘さん(多分、小学生低学年)には、ありがとうと答えて頭を撫でて……
これでようやく一安心、母娘連れ二人以外に人が居なかったのが何よりの救い。
伶奈の奢りでペットボトルのスポーツドリンクを買い与える。すると、ふらふらしながら立ち上がろうとするから、何かと思ったら、ロッカーに財布を取りに行こうとしたらしい。何とも蓮らしいというか、何というか……
「お金は後で良いって。それより、休んで早く立ち上がれるようになってね」
そんな言葉と笑みを、冷たい水で濡らしたミニタオルと共に手渡し、少女は一端、自身のロッカーの方へと足を向けた。
そして、元気な三人組が並んで体を拭いて、服を着替えて……それから、三人仲良くドライヤー。もっとも、比較的短めの伶奈は軽く乾かし、ヘアピンで前髪を留めたら終わり。運動部所属で短髪の美紅にいたっては乾かすだけで櫛もろくに入れない感じで、さっさと終わり。一方、肩を越えて背中まで伸ばしてる穂香だけはブラッシングも含めて時間が必要だ。
「私たち、蓮ちゃんの方にいるね」
そう言った美紅とそれに続く伶奈、それからいつの間にかいつものドレスに着替えてる妖精の三人は蓮の座っているベンチの方へと足を向けた。
「大丈夫?」
美紅が尋ねると連はどこを見てるか解らない視線を伶奈へと向けて、コクンと小さく首を縦に振った。
「……ぼーっとしてたの、治ったよ……」
「…………ぼーっとしてるのはいつもだし、今も割とぼーっとしてるわよ……」
蓮の言葉を聞いて、頭の上でアルトがボソ……思わず「ぷっ」と小さく吹き出してしまえば、アルトに何を言うことも出来ず、むしろ、それを美紅に問われる始末。仕方ないから、良夜から教えて貰った伝家の宝刀『何でも無い』でごまかしておく。
そして、蓮が若干ふらつきながらもロッカーの方へと歩くのを見送ったら、二人も財布から小銭を取り出し、ジュースを購入。穂香はスポーツドリンク、伶奈は下手な物を飲むと夕飯が食べられなくなる気がしたので、冷たい緑茶。
そして、蓮が着替えるのと、穂香がドライヤーを終わらせるのを、缶を片手にのんびり待つ。待ってる間の話題はさっきの続きみたいな物。教師の話だったり、クラスメイトのことだったり、部活のことだったり。
適当に話ながら待ってるうちに、穂香が戻り、蓮も合流した。
その蓮は眼鏡をかけていた。
「あれ、蓮ちゃんってメガネかけてたっけ?」
最初に尋ねたのは美紅だった。
リムレスでレンズの大きな、少しおしゃれな眼鏡が蓮の鼻の上にちょこんと鎮座ましましていた。そのレンズを指先で持ち上げながら、蓮は答える。
「……普段はコンタクト……」
「そう言えば、知り合った頃も眼鏡かけてたよね? 入学直後……すぐにかけてこなくなったような……」
ぼんやりとした口調で伶奈が呟く。確か、最初の数日は眼鏡をかけていたような……かけてなかったような……フンワリとしたあやふやな記憶。
「メガネっ娘の方が需要があるよ?」
「何の……?」
穂香の言葉に美紅がすかさず突っ込みを入れる。
「この打てば響く突っ込みが貴女に穂香から求められてる物よ?」
って頭の上でアルトが言うけど、それはひとまずスルー。
そして、蓮が眼鏡からコンタクトに代えた理由を答える。
「…………眼鏡は麺類食べると、曇るよ?」
「…………それだけ?」
唖然とした表情で聞き返す穂香にコクンと首肯……
「うん」
蓮らしいと言えば蓮らしい。そー言えば、学食ではなんだかんだって麺類を食べてるような気がする。ラーメンとかうどんとか……それから、一応、眼鏡をかけるとちょっと野暮ったい感じになる……って事も気にしているようだ。そんな物だろうか? と伶奈は思うが、本人がそう思ってるんならしょうがない。
さて、服を着替え終えたら一同は銭湯の外へ……
この時間帯になればさすがに風は冷たい。しかし、湯上がりでのぼせ気味になるほどに火照った体にはそれもちょうど良い。
からっと晴れてた昼間の天気を引き継いだ夜空は奇麗で大粒の星がいくつも見えていた。
「何かさ、こんな夜中に外に出るとどっか遊びに行きたくなるよね?」
穂香が空を見上げて楽しそうに言えば、ペチン! と蓮の小さな手が彼女の後頭部を叩く。
「めっ!」
「冗談だよ、冗談。顔が怖いよ? ほら、フェイスマッサージ、フェイスマッサージ」
「あはは」
いつものやりとり、いつも通り、馬鹿正直にフェイスマッサージを始める蓮に美紅と伶奈が声を合わせて笑い声を上げる。
それに釣られて穂香や蓮も頬を緩めて笑い始めた。
見上げる空には雲も月も出てなくて、星が瞬く、美しい晴天。海で見たあの降るような星空を思い出せば、穂香ではないが――
「どこか海か山の光のないところに星でも見に行きたいなぁ……」
――なんて言葉を、伶奈も呟いてしまう。
「そうだねぇ〜この辺りはちょっと明るいもんね」
伶奈の呟きを聞いた美紅もぼんやりと空へと視線をあげて呟くように言った。彼女が言うとおり、外灯もあるし、民家からこぼれる明かりも結構明るい。その光は大粒の星はともかく、小さな星明かりをかき消してしまっていそう。実際、海で見上げた夜空に比べれば、見える星の数は寂しくなるほどに少ない。
空を見上げ、足を止める伶奈と美紅。
そして、先ほど、頭を叩かれた穂香だけがちょっぴり不機嫌顔。
「てか、なんで、私だと『メッ』で伶奈チにはしないだよぉ……」
その言葉に珍しく蓮が即答した。
「日頃の行い」
「――って即答!? つか、日頃の行いって何だよ!? 私、夜遊びとかしたことないから! したことないから、逆にちょっと徘徊してみたいだけだもん!」
「……メッてされるべきだと思うわよ、私」
「……――ってアルトが言ってるし、むしろ、それは一番ダメなパターンだよ?」
頭の上のアルトの言葉、そして、自身の感想を苦笑いと共に伝えれば、穂香の不機嫌そうに膨れた頬がますます大きく膨らんだ。
ちょっぴり可愛い。
止めてた足を動かし初めて、一同は国道から学校の前へと続く道へと入る。
下校時刻は当然とっくに過ぎて、校門も固く閉ざされる時間帯……だというのに、校舎を見上げればいくつかの窓からは煌々と蛍光灯の明かりが漏れていた。
「まだ、先生達居るみたいだね」
美紅が校舎を見上げてぽつり……独り言のように呟いたら、ご近所さんの穂香が応えた。
「毎晩遅くまでいるみたい。学期末とかは特に遅いし、時々、夜中にも車が入ってくる音がしたり……現役だった頃はおばあちゃんも夜中に呼び出されたとかって……」
「学校の先生って言うのも大変なんだね……」
穂香の話を聞いて伶奈はぼんやりと何気なく呟いた。
ら、返事が聞こえた。
「本当にね……お前らみたいに夜遊びするバカが減ったら仕事も減るんだけどなぁ」
「ひゃっ!?」
思わず、伶奈が素っ頓狂な声を上げると、足下から懐中電灯の灯がひょいと跳び上がった。
まぶしさに目が眩み、目を細める。
そして、数秒。
少し冷たい風が少女達の湯上がりの頬を撫でた。
まぶしさに瞳が慣れれば、懐中電灯を握りしめた英明学園一年二組担任桑原瑠依子の苦笑いを浮かべた顔が見えた。
「なっ、なにしてんの?! 先生!!??」
穂香が言葉につっかえながら尋ねると、瑠依子は一同の顔を照らしていた懐中電灯を足下へと向けながら、答えた。
「四方会が風呂屋で騒いでるって言うから、ここで待ってたのよ。番台の所で男の人が居たでしょ? あれ、中等部の三年で数学を受け持ってる田原先生。一年は受け持ってないから知らないだろうけどさ」
言われて伶奈は思い起こす。確かに年若い男性が番台のむかつくおばあさんと話をしていたような記憶はある。中等部にも男の教諭も居たのかぁ……なんて、変なところに驚いてみたり。
「のぼせてひっくり返ってたとか、体重が重いとか、おっぱいが柔らかいとか、古い銭湯なんか壁一枚向こうは男湯なんだから、ちょっとは気をつけてしゃべりなよ……男湯で失笑の声が聞こえてた……って、笑ってたわよ」
やっぱり呆れ顔で言われれば、少女達はがっくりとうなだれる……そのうなだれた頭の上で――
「ホント、大騒ぎだもの、恥ずかしいったらありゃしないわね」
と、妖精が嘯く。
後でひねると心に決める。
「あの……それで、何か、叱られたり?」
おそるおそる穂香が顔を上げて尋ねる。さすがの彼女もバツが悪そうだし、伶奈自身も十分バツが悪い。
すると、瑠依子は軽い口調で言った。
「後、十五分」
「えっ?」
「後、十五分経って、お前らが――特に東雲がここを通らなきゃ、何処かに遊びに行ったもんとして、週明けに学年主任と一緒にお説教のつもりだったのよ」
その言葉にさーっと伶奈の背中に冷たい物が流れる。
彼女によるとクラスメイト同士が一緒に泊まるくらいならとやかく言うような校風でもないが、さすがに風呂上がりにそのまま何処かに遊びに行ったって言うのは見逃せないので、それならお説教……と言う流れを彼女は決めていたらしい。
「銭湯でひとっ風呂浴びて、塾へ……なんてこともないでしょ? そう言うわけだから、とっとと帰るように。それと、この辺は街灯が少ないから、これ、持って帰りなさい。週明けにでも返してくれれば良いから」
そう言って、彼女は手にしていた懐中電灯を穂香に手渡した。どうやら、もう一個、持っているらしい。もっとも、こちらはキーホルダーに着けてる小さなLEDライトだそうだが……
「解った? あと、家に着いたらメールしてね。一応、見ちゃった以上、ほったらかしにも出来ない立場って物があるのよ、良い?」
一息に彼女が言い切れば、伶奈と美紅、それから蓮、そして、アルトまでが――
「はーい」
と、気持ちいい声を瑠依子に返した。
ただ一人、穂香だけを残して。
そして、穂香だけが一人、周りとは違う言葉を発した。
「五分だけ!」
そして……
「五分だけよ、本当に五分だからね?」
案内してきた瑠依子は少々呆れ声……ではあるが、断りもしなかったし「五分」を繰り返し言ってるのは、単純に「まだ、仕事が残っているから」と「寒いから」ってだけの話。乗り気か乗り気でないかと言えば、むしろ、乗り気。
穂香の「五分だけ」のお願いを聞いて、ここ――高等部の校舎、さらにその向こう側、昼間、ソフトボール部が練習をしていたグラウンドにまで連れてきたのはむしろ瑠依子の方。さすがは英明の瑠璃姫、その面目躍如と言ったところか?
そこで少女達は天を仰ぎ見る。
雲一つない、きーんと凍り付いた星空。明かりの消えた校舎のおかげで、夜道を照らす外灯の光も、家族達が団らんを楽しむ窓の光も、ここにまでは届きはしない。
そんな漆黒の夜空を見上げ、少女達は感嘆の声を上げる。
「おぉ〜」
そのおかげでまるで手が届きそうなほどに星が近く、そして、黒いところがなくなっちゃうかと思うほどに多い。
その星空を少女達は自身に与えられた五分の時間、目一杯に楽しむのだった。
そして……
「遅い!!!」
そして、家で待っていた穂香の母親に叱られるのだった。
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