英明学園の敷地内は大きく二つのブロックに分けられる。
一つが伶奈達も通う中等部、そして、もう一つが将来通う予定になっている高等部の敷地だ。正門に近い方半分が中等部、遠い方半分が高等部。そのちょうど中間辺りには体育館があって、屋根付きの渡り廊下で繋がれている。
その屋根付きの渡り廊下の傍を伶奈達四方会から美紅を差っ引いた三名がトコトコと歩いていた。
「そう言えば、この辺りには男子って言う名の貴重生物が住んでるらしいよ」
そう言った穂香が先ほどから物珍しそうに辺りをきょろきょろと見渡しているのは、三人の足がすでに体育館の向こう側、すなわち、高等部の敷地に入っているから。
もちろん、中等部の生徒が高等部の敷地に入ってはいけないなんて言う取り決めはない。
が、同時に用事もない。
特に伶奈達のような文化部でだらっとしてるような面々には全く用事のない空間だ。
「高等部、共学だって言っても男子は凄く少ないんだよね」
ぼんやりとした口調で呟いた伶奈も、まるで御上りさんのように辺りをきょろきょろ。四階建ての校舎にとってつけたような空調の配管や耐震補強の鉄鋼。作り自体は中等部のそれとほとんど変わりはしない。それでもなんだか、内包する空気が中等部のとは違う気がして、目が離せずにいた。
「さあ、我々四方会はこの高等部に侵入し、未だ見ぬDA・N・SHIの姿をこのカメラに納めることが出来るのか?」
その間抜けで棒読みなセリフに促され、少女は上へと上げていた視線を下ろした。
穂香が二つ折りの携帯電話を広げて構えていた。
「……何してるの?」
「貴重生物DA・N・SHIの写真、売れないかな? って……」
嬉しそうな穂香の顔からずいっと少女は横に視線をスライド。穂香の斜め後ろくらいに移動したら、そこにはもう一人の友人、蓮の姿があった。
ぼんやりと宙に視線を遊ばせていた。
校舎を眺めているようにも見えたし、いつも通りにぼんやりしてるだけにも見えたし、もしかしたら、全く他のことを考えているようにも見えた。
彼女が何を見ているのか、考えてるのかは解らないが、とりあえず、突っ込みの役は果たしてくれないってことだけは解った。
だから、少女は自身の頭上にいるであろう妖精に向けて言った。
「アルト……私が突っ込まなきゃいけないのかな?」
「ほっとけば?」
「伶奈チ、そこはアグレッシブに突っ込もうよ! みっくみくいないんだから、他に突っ込みやる人、いないんだよ?!」
伶奈の言葉にアルトと穂香がほぼ同時に応えた。
そして、伶奈は足を止める。
穂香は未だにカメラを構えていた。
だから、少女は言った。
「アルトがやるって」
「言ってないわよ」
アルトはそう言うとぽーんと頭上へと飛び上がり、穂香の頭の上に一直線。ちょこんと着地を決めた先は――
「アルトちゃんが突っ込みしてくれるの!? 妖精に突っ込まれるとか、ちょっとないよね!?」
――と、なぜか、喜色満面、小躍りを始めた穂香の頭。美月みたいに奇麗に伸ばしたいと語っている穂香の髪をきっちり、二回、しかも結構強めに引っ張った。
途端に少女の瞳が半開きになって、伶奈の顔をジッと睨む。
「……二回はNoだよね?」
ジト目で睨む友人の顔をジッと少女は見つめる。
数秒の時を稼いだら、少女はゆっくりと友人から視線を離す。
赤土むき出しのグラウンドは、昨日の雨が乾ききってないようで、濃いめの土色をしていた。
その土を見つめながら、少女は、喫茶アルトスタッフに伝わる伝統の負け惜しみを行った。
「……ちっ」
「四方会血の掟! 舌打ち禁止!!」
「控えめに、しない?」
「それだと『突っ込みは控えめに』と被るじゃん?」
「あっ、そっか……」
間抜けなやりとりを行ってる少女達の頭上、主に黒髪ストレートの方で妖精さんはぽつりと呟いた。
「…………良夜でも連れてくれば良かったかしらね…………」
そして、ここまでセリフのなかった少女――南風野蓮が言う。
「……いこ? 練習、終わっちゃうよ?」
そんな感じで進軍再開。
さて、伶奈達が普段は寄りつかない高等部の敷地をうろうろしているのには、もちろん訳がある。ソフトボール部の練習場所が高等部の敷地の中にあるからだ。
高等部の校舎の向こう側にはテニスコートやサッカー場、野球のグラウンドまである……と思っていたら、最後の一つ、「野球のグラウンド」は正確には「ソフトボールのグラウンド」であると伶奈が知ったのは、四方会の一人北原美紅がソフトボール部に所属するようになってからのことだった。
さすがにサッカー場とソフトボールグラウンドが丸々あるわけではない。端っこの方が互いの陣地に食い込むような感じで浸食している。そのせいで、サッカー部とソフトボール部が同時に試合をすると、ライトやレフトが取り損ねたボールがコーナーキックを放とうとしてるサッカー選手を直撃したり、ボールとボールがごっつっんこして、小さい方がゴールポストへ、大きい方がセンターのグローブの中に入ってしまったり、ソフトボール部のセンターとサイドからのカウンターで上がってきたミッドフィルダーとがフェイントの掛け合いをすることがちょくちょく発生する。
高等部の校舎は三つ。三つ目の校舎の角を曲がればすぐに大きなグラウンド。なにやら大きな歓声とも指示ともつかない声が上がっていたり、ボールが蹴られる音、ボールがミットの中に収まる音が少女達の鼓膜を振るわせた。
グラウンドではサッカー部とソフトボール部が練習しているようだ。
「所で……」
その様子を見つつ、穂香がぽつりと言うから、伶奈が言葉を返した。
「なに?」
「あそこ」
そう言って穂香がグラウンドの一角に向けて指を指した。彼我の距離は五十メートルほどであろうか? そこでは女子二人がボール一つを挟んで右に左に……もちろん、サッカーボールを狙ってるわけではなくて、突っ込んでくるサッカー部員を避けようとしたら、相手も同じように避けたおかげで、期せずしてフェイント合戦になってしまったって……狭い通路で良くあるパターンを演じているようだ。
「サッカー部員とフェイントの掛け合いをしてるセンターは我らが四方会北の玄武北原美紅さんじゃない?」
穂香がそう言うとセンターの方がぴたりと止まって大声を上げた。
「誰が亀と蛇のキメラだよ!?」
「伶奈チ、あれが突っ込みだよ? ちゃんと覚えておいてね」
「…………嫌だよ」
穂香と伶奈が顔を見合わせ、言葉を交わしたその瞬間、内野から響く大きな声。
「せんたー!」
「あっ……抜けた……」
呟いたのは穂香の頭の上に未だにいる妖精さん。
その声を聞いて伶奈は尋ねた。
「カウンターのミッドフィルダー? それともセンター前へのぼてぼてゴロ?」
「りょーほー」
アルトがそう答える頃、ゴールポストの方から――
「センター!!!」
理不尽な怒鳴り声が聞こえていた。
小学校時代はショートを守り『鉄壁の三遊間』としてならしていた穂香ではあったが、だからと言って中学でもショートをやれるわけではない。二年のレギュラーにはしっかりとした遊撃手がいるのだ。その一方でセンターをやってた三年は引退した……ので「とりあえず、試してみようか?」という軽いノリで紅白戦のセンターをやらされていたそうだ。
そんな話を守備から帰ってきた美紅から伶奈達三人は聞いた。
「じゃあ、コンバートだ」
伶奈が冗談めかした口調で尋ねると、やっぱり穂香も冗談めかした口調で応える。
「まだ、決まってないけどね。ポジションは奪う物だしさ」
穂香の言葉に相変わらずぼんやりしている蓮を覗き、代わりにアルトを含めた四人が「あはは」と声を出して笑ったら、バリバリに練習中の美紅は伶奈達の居るバックネット裏から攻撃側チームがたむろしている一画へとかけ出していった。
そして、周りには四方会の三名とアルト、それから他数名の見物客だけが残った。
少し寂しくなった空間、ぼそっと控えめな声で穂香が尋ねた。
「ねえねえ、ところでコンバートってどう言う意味?」
尋ねる穂香に伶奈はちょっぴり呆れ顔で問い返した。
「……さっき、解らないで笑ってたの?」
「二年の先輩に喧嘩を売る発言をしたんだなぁ〜って事は解った。後、みくみっくーと伶奈チが笑ってたから、多分、笑う所なんだろうなぁ〜とも思った」
そう言って楽しそうに笑う穂香の顔を、伶奈はまじまじと見つめた。
そして、ため息をついた。
「伶奈チ、ため息をつくと幸せが逃げるよ?」
「……良いよ、私は十分不幸だから……主に交友関係で」
「ナイスボケ!」
少女が突き出したサムアップに腹が立った。
「ボケてない!」
「ナイス突っ込み! その勢いを忘れずにね」
もう一回、少女はサムアップを突き出しやがった。
「……誰か……助けて……」
なんか、泣けてきた。
「よく頑張った」
いつの間にか伶奈の頭に帰ってきていた妖精が、しみじみとした口調と共に伶奈の頭を撫でていた。むかついたので後で捻る。
「で、コンバートって?」
「……野球で別のポジションに変わることだよ」
ため息つきつつ、穂香の質問に答える。
「ああ、やっぱり。そうだと思った」
穂香の言葉にアルトが呟く。
「……怒って良いわよ」
キンッ! 遠くで鋭い金属音が響いていた。
と、言うわけで、紅白戦の見学である。
「面白い?」
頭の上でアルトが尋ねた。
「うーん……凄く面白い……と言うわけじゃないけど、北原さんの所にボールが飛んで行くと拳を握っちゃうよね」
伶奈がそう答える一方で、他の二人はすでに飽きてきているみたいだ。穂香はさっきからバックネットにもたれて眠そうなあくびをかみ殺している。蓮にいたっては、何処かから取り出した小さめの手帳に鉛筆でスケッチを描いている始末。ちなみに題材は一枚だけボールに飛びつく美紅で、残り四枚はいわし雲だった。
そんな二人の様子を見て、伶奈は、
「…………あー言うのをみると私が応援してあげないとって……思うよね」
と、決意も新たにする。
そして、その頭の上で、アルトが
「……ああ……本当に突っ込み不足だわ……」
そう言って、ため息を吐いていた。
とは言っても、さすがに穂香も蓮も美紅が打席に入れば多少は興味を示すらしい。いわし雲に飽きて高等部の校舎のイラストを描いてた蓮も顔を上げるし、穂香は穂香で……
「打てなきゃ、伶奈チが持ってきたケーキ、半分にするって! そして、その半分は私が貰う!」
両手でメガフォンを作ってそう言った。
――ので、伶奈もそれに習って手でメガフォンを作って言う。
「打てたら、東雲さんのケーキあげるよ!」
キンッ!!
鋭い金属音がグラウンドに響くのを、伶奈は穂香に両肩口をつかまれながら聞いた。
鋭い当たりは左中間まっしぐら。
そして、ぼこっ! と鈍い音がしたかと思ったら、左サイドバッグからのセンタリングで上がったサッカーボールにソフトボールが直撃していた。
ソフトボールは明後日の方向へと飛んでいき、サッカーボールはセンタリングに合わせようとしたセンターフォワードを置き去りに、ゴールの中へと飛んでいった。
なお、この場合、ローカルルールでホームランになる、と言う取り決めがソフトボール部の中には存在していた。
わあ〜〜〜と上がる歓声、それはサッカー部の方からも聞こえてくる。どうやら、ソフトボールがサッカーボールを直撃するのは滅多にないことで、見ると良い事があるという伝説があるからだそうだ。
その歓声に見守られ、美紅がダイヤモンドを一周して帰ってくる。そして、バックネットの所にまでやってくると、胸を張って言うのだった。
「ごっちゃんっ! 穂香ちゃん!」
一方、ホームランを打ったときの見事な打撃ホームは蓮の手により一枚のスケッチに描き上げられることとなる……のは、もうちょっと先のお話。
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