お泊まり会(2)

 さて、予定の土曜日。穂香の家に集まるのは二時と言うことになっている。自宅でお昼を食べてちょっとだらけてから、電車やバスで学校を目指すならこのくらいの時間になるだろうという計算の元に決まった待ち合わせ時間だ。
 コトコトとのんびり走る電車の中は、相変わらず、経営が危ぶまれそうなほどにガラガラ。ロングシートを一人で占領している伶奈はぼんやりと流れる風景を眺めていた。
 昨日一昨日と二日連続で朝から結構な勢いの雨が降っていて、雨の度に嫌なことを思い出しちゃう少女にとっては、散々な日々ではあったが、今日は一転、からっと晴れた。心地よい秋晴れの空。むしろ、昨日おとといの雨のおかげでか、空を舞っていた小さな埃も澱も、全部洗い流されたみたい。磨き抜かれた空気は美味しいし、終わり近くになってきた紅葉が遠目にも鮮やかだ。
「晴れて良かったわね」
 そう言ったのは木製の窓枠にちょこんと腰を下ろした妖精さん。その妖精のすぐ横に頬杖をついたら、少女はぼんやりと外へと視線を向けたまま、控えめな声で答える。
「そうだね」
 今夜のお泊まり会、メインは四方会みんなで銭湯! なのであるが、穂香の家にある車は普通車が一台と軽四が一台。父親が普通車に乗って仕事に行っちゃってるので、残るは軽四一台で、軽四って事は、四方会四人に運転手の時点で定員オーバーだ。
 だから、徒歩十分ほどかけて歩いて行く予定。もちろん、雨が降ったら傘を差して。
「東雲さんだから、多分、雨が降ってるから中止……なんて言いそうにないよね……」
「まあ、私はあなたの頭の上にでも居れば確実に濡れずにすむから良いけど」
「……寒いときはポケットに入っちゃうって言うし……小さいってのは便利だね」
「伶奈も人よりかは小さいじゃない? 便利なの?」
「うっ……」
 腹の立つすまし顔を見つつ、思わず絶句。ぷっとそっぽを向いたら、窓の外、遠くに降りる駅がゆっくりと見え始めてくる。
「……下りなきゃね」
「……ごまかしたわね?」
 アルトの勝ち誇った声を聞きつつ、席を立つ。右手には四角い紙の箱、背中にはお気に入りのナップザック。
 トーンと頭の上に乗っかる心地よい振動。ちらりと一瞥、四つん這いになってるつま先だけを見て、少女はドアの前に立つ。
「早かったんじゃない?」
 アルトの言葉は無視して、待つこと一分とちょっと……電車は静かにプラットフォームへと滑り込む。
 電車を降りれば心地よい秋の空。お日様は遮る雲なく伶奈の体へと達して、風は微風、少し冷ため。歩くにはちょうど良い感じ。
 今日も向かいにはもう一台、下り電車が止まっているけど、そこから下りて来る人はなく、随分と寂しげ。
 胸に大きめの箱を持って、少女はトコトコと秋空の下をのんびりと歩く。
 そんな時間が五分ほど……駅の改札を抜けて、国道を行けば、すぐにバス停。そして、だらしなく歩くふりふりスカート……
「あっ……居た」
 少女が思わず呟き、アルトが答える。
「相変わらず、やる気のない歩き方ね……」
 グレーのふりふりスカートはロング気味、ゆったりとした白いブラウスにも装飾はたっぷり。それに茶色い髪がフンワリと広がってる姿は、後ろから見ても可愛いであろう事が想像つく少女。されどその歩き方と言ったら……生まれたての子鹿というか、老衰一歩手前のロバ。両手にぶら下げたトートバッグ一つずつ、計二つが敗因だろうか? 歩く度に、右に傾き、左に傾き……ふらふら〜ふらふら〜
 見てるだけで不安になる動きだ。
「南風野さん!」
 伶奈が大きな声で彼女を呼べば、彼女の大きく広がった髪が揺れて、首が後ろへと振り向いた。
 数秒、ぼんやりとこちらを見つめる大きな瞳。
 そして、若干、ほんの少し、心持ち、普段よりも元気な声で彼女は言った。
「…………にしちゃん!」
「ストップ! ダメだよ! 南風野さん、今日、飛びついちゃダメだからね!? おんぶはダメだよ、これ、ケーキだからね! この箱、ケーキだよ! 飛びついたりしたら、“六つのケーキ”が“一つのケーキ”だった物になっちゃうからね!?」
 ぴたり……と、蓮の動きが止まる。
 ぼーっと視点が合ってるのか合ってないのか、よく解らない視線が伶奈の方……おそらくは胸元辺りに投げかけられてる……と、思う。何処見てるか、イマイチ、解らないのだ。
 そんな時間が十秒ほど……続いたかと思ったら、かくん……と蓮は力なくうなだれた。そして、彼女はか細い声で言う。
「…………蓮、がんばる……」
「……うん、がんばって……」
 蓮の言葉に伶奈は若干の苦笑いを浮かべて応えた。
 そして、伶奈が突っ立ってる蓮の所にまで歩いて行けば、右手に二つのトートバッグを握り直した蓮がユルユルと手を上げた。その様子を見て、伶奈は伶奈でケーキを左手に持ち替える。そして、ペチン! 控えめな音でハイタッチ。余り強くやっちゃうと、蓮にとどめを刺しそうだし、自分のケーキもひっくり返しそう。
「……おはよ……」
 余り強くはしてないはずだが、それでも痛そうに左手をひらひらさせながら、蓮が言うと、伶奈は頬を緩めて答える。
「おはよう……って、こんにちは、かな? お昼、食べたし」
「どっちでも良いわよ、おはよ、蓮」
「……――って言ってる」
 そして、アルトの言ったことを伶奈が伝えれば、蓮はぼんやりしたままで答える。
「……おはよ、妖精さん……」
 そして、二人は肩を並べて道を歩き始めた。
「それ、お肉?」
 重そうにしている蓮の紙袋を見ながら伶奈が言うと、蓮は小さく頷いて見せた。
「……後、白菜」
 今日の夕飯は穂香の部屋に四人集まってすき焼き。で、家で牛を飼ってる蓮がそのツテを使って安く牛肉を持ってくることになっていた。ちなみに四家で割り勘。ちなみに和牛である。奮発した。
「後、飼ってる牛を潰して持って来たわけではないわよ」
「……アルト、うるさい」
 アルトの余計なひと言に伶奈の眉がへの字を描く。話を聞いたとき、『南風野さんチの牛なのかな?』と言ってしまったが故だ。
「何キロくらい?」
「……二.五キロ……白菜がひと玉」
 伶奈が尋ね、蓮が答える。
「持とうか?」
 そして、再び、問いかけると連は左手に持っていた袋を伶奈に手渡した。
 先ほどのハイタッチの感触が残る右手で受け取る。ずしっ! と肩に堪える重さは、大きめの白菜一つとお肉1キロ。思っていた以上に堪える。
 これで蓮の持つトートバッグは一つ。未だによたよたしてはいるが、先ほどよりかは若干マシな感じ。
「相変わらず、歩き方がふらふらねぇ……もっとしゃんとしなさい、しゃんと!」
 いつの間にか蓮の頭に移動したアルトが、蓮の頭をペチペチしながら、そう言った。
「……南風野さん、頭の上にアルトが乗ってるよ?」
「……良いよ……」
「後、しゃんと歩けって言ってる……」
 アルトの言葉を伶奈が伝えるも、蓮はいつも通りのぼんやりとした視線を崩さぬままに答える。
「…………蓮には難しい」
「……あっ、そう……」
 さすがのアルトも蓮の取り付く島のない言いようにはお手上げらしく、ポテッと栗色の髪の上に横になる。髪質がフンワリしているせいか、ぱたぱた動かしてる足だけが、髪の中から出たり、隠れたり。そんな様子に伶奈は少しだけ声を上げて笑ってしまう。
「あはは……」
「なに?」
「ううん、アルトが可愛かったの」
「…………見えないのが少し残念……」
 言葉を交わしながら、二人は晩秋の日差しをたっぷりと浴びながら歩く。
 そして、学校の前を通り過ぎる頃……
「あっ……伶奈ちゃん、蓮ちゃん!」
 聞き覚えのある声に振り向き見れば、長袖、長ズボン、ジャージのような体操服の上に『英明ソフトボール部』と書かれたビブスを羽織った美紅の姿があった。
「あっ、ランニング?」
 伶奈が尋ねると美紅はその場で足踏みをしながら頷き、そして、答えた。
「そうそう。食休みで体が冷えちゃったから、暖機運転だよ」
 その言葉に改めて辺りを見渡してみれば、似たような恰好の女子が何人か走っているのが見えた。英明の敷地の周りは結構細い道が多い。中には車どころか原付も通れないような道すらある。そんなところをくるくる飽きずに走るのが英明学園運動部の伝統だ。特に中等部は基礎体力を作るためにこの手のランニングはしょっちゅうやってる。
 幼い頃からそれを見てた穂香が『英明の運動部はがち』と言って恐れてる……ってのは余談。
「大変だね……」
 穂香から聞いた話を思い出しながら伶奈が言うも、美紅は余裕のある表情で笑ってみせる。
「慣れるとそーでもないよ……っと、サボってるのばれたら事だから……行くね? また、後で……」
 軽く手を振り、美紅はその場を後にする。
 その直後――
「北原! 立ち話するな!!」
 ――の怒鳴り声。
 それに振り返り見れば、上級生だろうか? 背も高くすらりとした美人が眉をつり上げ、握り拳をブンブン振り回している姿が伶奈達の後方、十五メートルくらいの所に見えた。
「はーい、走りまーす!」
 大声で応えて美紅はかけだしていく。
「たらたら、しない!! 新人戦、出たくないの!?」
 大きな声を張り上げて、上級生は美紅を追いかけていく。その姿が伶奈と蓮、二人の前を通り過ぎていった。
「蓮もちょっと走ってきたら?」
「……――ってアルトが言ってるよ」
「…………蓮、死ぬ」
 ぼそり……と答えた蓮の言葉に、伶奈は――
「……そうだね」
 ――と苦笑いで応じ、そして、穂香の家へと向かった。

 さて、穂香のおうち。もちろん、伶奈が持ってきたケーキは夕食後のお楽しみって事になったが、代わりに、東雲家ではミニドーナッツ一袋とココアが三人には用意されていた。
「……てか、まさかここでココアを作らされるとは思ってなかったよ……」
 よそ様のおうち、よそ様のキッチン、よそ様のお母様とお婆さまが楽しそうに見守ってる中、ココアを五人前用意させられた伶奈はちょっぴり御機嫌斜め。穂香の部屋の真ん中、一つのガラステーブルを囲む席の中で、『一番の上座』と言われているベッドを背もたれに出来る所に腰を下ろして、ちびりちびりとココアを舐めていた。
「だってさ、伶奈チに教えて貰ったとおりにココアを煎れても、上手に出来ないんだもん」
 普段なら家主特権で上座に座ってるはずの穂香が、今日はそこを伶奈に明け渡し、伶奈の右隣。
 キュロットスカートにボーダーのトレーナー姿。キュロットスカートが多いのは「スカートを履かせると平気でパンツを見せて座るから」だという話は、ココアを煎れてるときに穂香の母親から聞いた。ちなみにいまもあぐらを掻いてるので、スカートだったら見えてる事だろう。
 その穂香に対して、穂香の正面、伶奈の左隣に座ってる蓮が即座に言った。
「しのちゃんは雑だから」
「蓮チ、即答だね……? じゃあ、次は蓮チにして貰おうか? 夜、ケーキ食べるとき」
「蓮はどんくさいから」
「……しょうがない、伶奈チにやって貰うしかないか……伶奈チのココアが一番だよね」
「……うん、一番……」
 ぽんぽんぽん……と穂香と蓮の言葉が伶奈の前を行ったり来たり。いつの間にやら、夕食後にも煎れさせられることが確定すると、伶奈はぷっとほっぺたを膨らませる……も、煎れた物が美味しいと言われれば悪い気がしないのが人情という物。少し頬が緩んでることを自覚する……のと同時に手元から聞こえるいけ好かない声。
「チョロいわよ……」
「うるさい」
 カップからチューチューとストローで熱いココアを飲んでるアルトを一括。軽く肩をすくめるのを見たら、少女は顔を上げた。
「それで、みくみくにあったんだって? 練習中?」
「うん。ランニングは終わってるだろうけど……」
 穂香の問いかけに伶奈が答えた。
 そして、穂香は
「ふ〜ん……」
 と、しばしの間、ぼんやりと宙へと視線をさまよわせる。
 その正面では蓮もぼんやりとあらぬ方向を見てて……
「何よ? この間抜けな構図は……」
 そう言って、アルトが呆れるほど。
 そんな間抜けな構図が三十秒ほど続いた後、穂香が言った。
「よし、見に行こう! 多分、まだ、二時間くらいは練習やるだろうし!」
「……北原さん、きっと怒るよ?」
 まず、答えたのは伶奈。
「そもそも、見に行って良い物なの?」
「……――ってアルトも言ってるよ」
「大丈夫、大丈夫。邪魔しなきゃ、大丈夫」
 軽い口調の「大丈夫」は伶奈の質問に対する答えなのか、それともアルトの質問に対する物なのか……きっと両方なんだろうな、と伶奈は思う。
「そうなのかなぁ……」
 伶奈はぼんやりとした口調で呟く……
 そして、その隣ではひょいひょいと二つのミニドーナッツを口に放り込み、そして、ちょっと冷えかけてはいるがまだまだ熱いココアをごくごくと一気飲み、コクンと口の中の物を奇麗に洗い流した蓮が――
「……いこ?」
 ――と、言って立ち上がってた。
「……早いよ、南風野さん……」
 呆れる伶奈を挟んで蓮の向かいでは……
「あちちちちち!!!」
 同じことをしようとして、ココアで火傷してたバカがいた。
 

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