お泊まり会(1)

 話少し戻って九月中旬。もっと具体的に言えば『裸の付き合い』で語られた事件があった翌日の事。
「それで、昨日はアルトの人とお風呂屋さんに行ってたんだよね」
 って話を伶奈はお昼時の話題として四方会の面々にした。なんでそんな話をしたのかは良く覚えていない。話の流れ……って奴だろう。その話に蓮や美紅は『広いお風呂は気持ち良いよね』って言うような返事をしたくらいだったのだが……
「わっ! 良いなぁ〜皆でお風呂って楽しそう! ねえ、ねえ、今度、一緒にお風呂行こうよ! ねっ!? 絶対に行こうね!!」
 こんなふうにがっつりと食いついたのが四方会の自称リーダーで実際に周りからもリーダーだと思われている東雲穂香だ。
 物凄く嬉しそうな顔と身振り手振りで力説する物だから、伶奈をはじめとした四方会の面々もたじたじ。
「行けたら良いね」
 伶奈がそう言ったのを筆頭に異口同音。しかし、実際の所は誰もがいけたら楽しいだろうが、そんな機会は修学旅行までないんじゃないのかな? なんてことを思っていた。
 それからひと月少々……そんな話をした事も忘れちゃうくらいの時間が過ぎた、十一月中旬。
「と、言うわけで、この週末、うちでお泊まり会やるよ」
 一方的に穂香が宣言したのは、月曜日のお昼、彼女がエビフライ定食の一匹目を食べ終えたときの事だった。
「……なんで?」
 穂香の隣、伶奈の正面。ささみのフライ(チーズ入り)定食を食べる手を止め、美紅が尋ねた。その表情は心底きょとんとしていて、穂香の真意を測りかねていると言った感じ。
 それは伶奈も同じではあったが、同時に――
(たいしたことは考えてないんだろうなぁ……)
 ――なんてことも思っていた。
「今日からお父さん、二週間出張で家に居ないんだよね。それに今週は三連休だから色々都合が良いし、だから、お泊まり会しよ?」
 そう言って、穂香はミックスサンドの中からレタスとトマトとゴーダチーズのサンドイッチをぱくりと一口かじった。
 そんな穂香に伶奈も美紅も目をパチクリ……三回ほど瞬きしたら、テーブルを挟んで座る伶奈と美紅は互いの顔を見交わした。そして、互いにうなずき合うと、美紅が代表するかのように口を開いた。
「なんで、お父さんが居なかったら、お泊まり会って話になんの?」
「だって、お父さん、うざいじゃん。ミクミクん所のお父さんはそうでもない?」
「まあ、そりゃ、うざいッちゃ、うざいけど……」
「お風呂上がりにトランクスとTシャツでうろうろするような感じだし、友達連れてきたら、顔を見に来ようとするし、もう、面倒くさいもん」
「ああ……うちのお父さんもそんな感じかなぁ……もうちょっと、気を使って欲しいよね」
「でしょ? でしょ? だから、居ないときが良いかぁ〜と思って――痛っ!?」
 友人の悲鳴みたいな声に伶奈が顔を上げる。最初に目に入ったのは、斜め前の席で突っ伏している穂香。どうやらテーブルの下でつま先を抱えてもがいてるようだ。
「いたたたぁ……」
 それから、真正面で伶奈の顔を見ている美紅の顔。大きな目をいっそう大きく見開き、そして、口元を押さえて絶句していた。
「ごっ、ごめん……」
 気まずそうに美紅が言えば、何に対して詫びているのかを、理解できないほど、伶奈は鈍くはなかった。
「あっ、ううん……別に気にしないで良いよ……」
「でっ、でも……」
 慌てて伶奈が首を左右に振るも、美紅は相変わらず、気まずそうな視線を伶奈に投げかける。
 正直、そんな目で見られるくらいなら、かまわず、お父さんのお話でも続けてくれる方が伶奈には気が楽だった……
 が!
「そうだよ? うちのお父さんがうざいのと伶奈チのお父さんとお母さんが別れちゃったのは、関係ないんだから、気にしないで良いじゃんか! てか、蓮チ、思いっきり、向こうずね、蹴り上げないでよ!」
 向こうずねの痛みから回復した穂香が一息にまくし立てるも、蹴り上げた張本人の蓮はカレーうどんをすすり続けて、反応を示す事もなし。つーんと椅子の上で体ごとそっぽを向けたまま、カレーうどんをずるずるとすすっていた。
 かと思ったら、蓮はぼそっと小さな声で言った。
「……しのちゃんは生き方が雑……」
「なんでだよ! 伶奈チだって気にしないでって言ってるじゃん?!」
 両手をテーブルの上に載せて腰を浮かせるくらいの勢い、そっぽを向いてる蓮に向かって一気呵成にまくし立てたかと思うと、彼女は最後に伶奈の方へと顔を向けて言った。
「ねっ!? 伶奈チ!」
 腰を浮かせた穂香の顔は座ったままの伶奈よりも頭一つ分くらい高い所。少し見上げるような感じで友人の顔をじーっと見つめる。
 その時間、だいたい、五秒くらい。
 周辺では少女達の賑やかな声が聞こえていた。
 そして、伶奈は言った。
「……東雲さん……」
 少し小首を傾げると、彼女は落ち着きを取り戻した声で言った。
「なに?」
「…………そこまで気を使われないと、さすがに腹が立つよ?」
「…………ごめんなさい」
 ぺこりと頭を下げる穂香に伶奈は少しだけ肩をすくめた。
 そして、伶奈は自分が怒っていたのか、落ち込んでいたのか、呆れていたのか、悲しかったのか、辛かったのか、もう、よく解らなくなっていた。
 さて、お父さんの問題はさておき、お泊まり会をやるのかやらないのか? やるならどう言う段取りが必要なのか? の話し合いはお昼休みの教室で執り行われる事になった。
 お昼休みには、伶奈達四方会は教室で無駄話をするのが好例になっていた。話した片っ端から忘れていくような、どうでもいい話ばっかりを掃除の時間までたっぷりとするのが、四方会のお昼休みだ。
 体育館やグラウンドで体を動かしてる生徒もいたり、図書館で本を読んでる者も居たりで、教室は閑散としているのが常。伶奈達以外には二人組が一つと四人ほどのグループが一つ、互いに干渉し合わない、適度に離れた位置に陣取っていた。
 直近の席替えにおいて、四方会はそれぞれ、ばらばらの位置に座らされる事になっていた。ちなみに席替えは視力その他の特別な事情がない限りはくじ引き。グループとかその辺のことは一切考慮にいられないってのが、このクラスの鉄則になっていた。
 なお、伶奈がくじ引き通りに座ったら、クラスで一番背の高いバスケ少女の後ろという好位置。その身長差、実に十五センチ。全く前が見えないのでその『特例』が適用された結果、中央最前列と言う素敵な位置へと移動させられた……って言うのは、完全な余談だ。
 で、伶奈達が集まるのは移動したがらない蓮の席というのが不文律。ちょうど、蓮の席がグラウンド側最後尾隅っこという絶好のポジションというのも功を奏している。適当に空いてる席から椅子を拝借すれば、つまらない教室も楽しいおしゃべりの場所に早変わり。
「一応、うちのお母さんには了解は取ってるよ」
 隣の席から拝借した椅子に座って穂香が言えば、机にもたれるように体を預けている穂香が素早く突っ込みを入れる。
「……取ってなかったらおかしいよね……」
「まあ、そりゃそうなんだけど……で、皆、土日の予定は?」
 右手で頬杖をつくって穂香が尋ねた。
「土曜日は部活だよ。夕方までたっぷり、日曜日は休み」
 右手を蓮の机の上に、お尻と太ももの付け根辺りを机に預けた美紅が答えた。
「土曜日はいつも通りアルトの店番、日曜日は特にないかなぁ……」
 そして、蓮の前の椅子に横向き、通路側に足を出すような感じで座っていた伶奈が答え、蓮本人がワンテンポかツーテンポほど遅れたタイミングで言う。
「………………なし」
 その三者三様の答えに穂香は少し頬を緩めて応えた。
「まあ、予定通りかな? 本格的に集まるのはみっくみくの部活が終わってから、伶奈チはアルバイト、月曜日の祝日にしたら良いじゃん。んで、蓮チと伶奈チは適当な時間にうちに遊びに来てくれたら良いよ。みくみくの部活が終わったら、近くのスーパー銭湯に行こう。うちから徒歩十分って所にあるんだ。それから帰ってきたら畳の間にお布団を引いて、修学旅行みたいに寝ようよ。絶対、楽しいよ! うちのお母さんにもそんな感じで了承取ってるから!」
 一息に穂香が説明し終えると、置き去りだった三人はそれぞれの顔を見合わせた。
 蓮はいつもの事ながらぼんやりと何を考えてるのか解らないというか、何も考えてなさそうな顔ではあったが、美紅はぽかーんと口を開いてあっけにとられているし、伶奈も、まあ、似たような表情になっているのだろう。
 そして、なんとなく、代表して美紅が口を開いた。
「……なんで、そう言う所まで考えてるのに、当事者の私たちが話を聞くのが最後の端なんだよ……本当に穂香ちゃんって、雑に生きてるよね……」
 そしたら、穂香は照れ笑いを浮かべて黒髪の後頭部をかき始めて言った。
「いやぁ〜それほどでも〜」
「褒めてない!」
 美紅による当然の突っ込みに、伶奈だけではなく、蓮までもがコクコクと何度も頷いていた。

 夕方少しすぎ、東の空はすでに真っ暗、西の空だけが残照に赤く焼けていた。少女は外灯と国道を行く車達のヘッドライトを便りに坂を上がっていた。峠のてっぺんには楽しい我が家。一端、自宅アパートに帰ったら、荷物を置いて、服を制服からいつものオーバーオールに厚めのトレーナー、それから、今日は一枚、薄手のジージャンを羽織って外に出る。
 無人の廊下を数歩で通り過ぎて、階段を一気に駆け下りる。
 先ほどよりもさらに薄暗くなって、ほぼ真っ暗。残照も西の空に紫がかすかに残る程度になっていた。
 そして、少女は峠の下り道をアルトに向かって一気に駆け下りる。
 アルトの前の辺りにたどり着いたら、辺りをきょろりと見渡す。帰宅ラッシュの時間帯ともあって国道は結構な交通量。この国道では美月と翼が自爆事故をやったとか二四研に原付で宙を舞ったバカがいるとか、まあ、色々曰く付きの道なので、気をつけなくてはならない。横断歩道があれば良いのに……と思うが、ないものはしょうがない。交通量のなくなったタイミングを見計らって、一気に道を渡る。
 渡りきったら、その勢いを残したままにアルトの駐車場へと駆け込む。
 から〜ん。
 喫茶アルトのドアベルが乾いた音を鳴らして、少女は店内へと入る。
「いらっしゃいま――あっ、伶奈ちゃん、お帰り」
 レジの周りで作業をしていた凪歩が伶奈に声をかけた。
 高い所にある凪歩の顔を見上げて、伶奈はぺこっと軽く頭を下げる。
「ただいま……美月お姉ちゃん、忙しそう?」
「ぼちぼちかな? いまは一息吐いてるよ」
 改めて周りを見れば、店内は三分の一ほどの人口密度。その全てに料理が行き渡っているようで、それぞれのお客さん達は楽しそうに食事に舌鼓を打っていて、確かに一息吐いてる雰囲気。
「じゃあ、ちょっと、話してくる」
「どうぞ。食べたい物があったら直接言ってね。いつもの席は空いてるから」
「はーい」
 ぱたぱたと走ってキッチンへ……と向かう直前、カウンターに陣取ってる老店主にひと言、「ただいま」と声をかけておく。帰ってくる「おかえりなさい」の言葉が心地良い。
 そして、キッチンの中に入るとさすがに、キッチンスタッフ達が遊んでるってことはない。翼はフロアから返ってきた食器を洗ってるし、美月は美月で大きな寸胴の前で何かを作っているようだった。
「あっ……こんばんは。いま、良いかな?」
「どっち?」
 伶奈の言葉に聞き返したのは、入り口から見て手前にいた翼の方。
「お姉ちゃんの方……あっ、一応、翼さんにも関係、ある、かな?」
「どうしました?」
「なに?」
 伶奈の言葉に美月が作業の手を止め、そして、翼も食器洗いの手を止めた。
「うん……実は……」
 そう言って伶奈が四方会でのお泊まり会の話をすれば、美月は視線を宙へと遊ばせた。それでも手元、大きな寸胴をかき回す手が止まらない辺りはさすがと言うべきだろうか?
 そして、数秒の沈黙を破り、彼女は言った。
「――まっ、土曜日にお休みの件は解りました。友達とのお泊まり会、楽しんできてください。振り替えの方はこちらで調整して、明日にでも……多分……月曜日の祝日、かなぁ……?」
「うん……ありがとう」
 ぺこりと頭を下げて、お話は終了。
 今夜の母は宿直なので、伶奈はアルトにお泊まり。夕飯は翼お得意の野菜クズや肉の切れっ端なんかをぶち込んだナポリタン。今夜はこいつを半熟卵で包む特製オムナポリタンだ。トロトロの半熟卵をケチャップ味のパスタに絡めながら食べると、もう、売りに出さないのがもったいないくらい美味しい。
 そして、営業終了後の話し合いで、予定通りに伶奈のアルバイトは月曜日に変更された。翼と凪歩、それから店長和明によって店を回すという事が決定。そう言えば、凪歩と一緒のお仕事って言うのは滅多にないから、ちょっと楽しみ。
 後はアルトと一緒にお風呂に入って、最近お気に入りのジャズレコードを聴きつつ、お勉強、予習復習は大事。
 勉強が終わったらぐっすり眠って……
 そして、朝ご飯、家だと焼いたトーストに魚肉ソーセージを挟むというか巻いた代物だが、アルトにいると売り物のモーニングが出てくるから嬉しい。ふわふわのスクランブルエッグが大好き。
 お母さんは家でグースカ寝てるんだろうなぁ……と思いながら、登校して、四方会の三人には――
「バイト、月曜日で良いって言われたよ〜楽しみだね、お泊まり会」
 ――と、ご報告。
 なんか忘れてるかなぁ……と思いつつ、その日が終わって、翌日、水曜日。
 その夜、夕飯、おかずはチーズインハンバーグ、特製トマトソースが良い塩梅。
 テレビを見ながら、それを食べていると、ふと、母が、言った。
「……土曜日、友達の家に泊まりに行くって……本当なの?」
 そして、娘は言った。
「あっ……」
「あっ……じゃない! お昼に美月さんに聞いてびっくりしたわよ!? 東雲さんよりもあなたの方がずっと雑に生きてるじゃないの!!」
 と、怒鳴られ、『穂香よりも雑』のひと言に少女は海よりも深く落ち込むのだった。

 なお、伶奈のいないところで……
「今時、中学生だって友達の家に泊まりに行くんだよね……」
 ため息をついてる社会人がいたことをここに記しておきたい。

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