秋祭り(2)

 稲穂の海の中にまるで小舟のようにぽっかりと浮かんだ森が一つ。多くの人がそこに向かって軽トラやら徒歩やらで向かっているのが見える。どうやら、ちょっと大きめの神社とその鎮守の杜らしい。
「あそこで何かするのかな?」
 めざとい穂香が尋ねる。もちろん、メンツの中に正解を知る者はいないが、逆に違う思ってる者も居ない。「そうじゃないかな?」と言った伶奈を筆頭に美紅もアルトも異口同音に同意の言葉を口にする。
 その参道らしき道が田んぼの向こう側に見えた。
 田んぼ二枚分ほど向こう側にあるからよく見えないけど、明らかに屋台らしき物が見えていた。
「あれ見るとテンション上がるよね!」
「買い食いは蓮ちゃんと合流してからだよ?」
 彼女自身が言うとおり、テンションを上げる穂香と、そんな穂香に苦笑いを浮かべてみせる美紅、そして、伶奈はそんな二人の様子に少しだけ頬を緩める。そんないつもの風景、一人居ないことを少しだけ寂しく思うも、その彼女の家まであとちょっと。
「そろそろ?」
 頭の上でアルトが言った。
「うーん……っと、そろそろかな……?」
 蓮の家は土手から下ってきた道をまっすぐに三百メートル、最初の交差点を右折して、さらに二百メートルほど……また、交差点があって、その北西側隅。伶奈達が北方向から言うと右手前って所……
「だったら、この家かしら?」
 そう言って、アルトが頭の上で指さした……ようだが、頭の上に座ったままで指さされても解らない。
「こっち!」
 くいっ! とアルトが髪を引っ張る。引っ張られた方へと視線を向ける。
「も〜」
 牛と目があった。
「うへっ!?」
 思わず素っ頓狂な声がこぼれた。
 大きな鉄筋スレート作りの牛舎の中に牛が……どのくらいるのだろうか? ざっと見ても十頭はくだらない数の牛が美味しそうに草を食んでいる姿があった。白黒模様で、大きなおっぱいはホルスタインって奴だろうか? 牛乳を搾る牛……なのだろう。
「……牛だね……蓮ちゃんちって牛、飼ってるんだ?」
 呆然と美紅が呟いた。
「だから、おっぱいが大きいのかな? 蓮チ」
 穂香も呆然と……どうでも良い事を呟けば、頭の上でアルトが血を吐くように訴える。
「牛乳は関係ないのよ……胸のサイズに牛乳は無関係なのよ……」
「……試したの?」
 伶奈が頭の上の妖精へと言葉をかければ、妖精はぼそっと聞こえるか聞こえないか、ぎりぎりの程度で呟く。そのアルトの言葉に伶奈もアルトと同じくらいの小声でぼそっと尋ねる。
「…………美月よ」
(アルトも試したんだ……)
 根拠はないが少女はそう思うことにした。
「ちなみに身長にも関係ないらしいわよ……実例は直樹」
「うっ……」
 牛乳ではなく、飲むヨーグルトでカルシウムを補給しているつもりの少女が頭の上から降ってくる声に言葉を失う。
 と、少女達がやりとりをしていると、ひょいと生け垣の向こう側から一人の女性が顔を出した。
 ジャージっぽい服の上下にスモッグのようなエプロン、日差しよけの麦藁帽子、典型的な野良着ふうファッションの女性だ。
「あれ? もしかして、蓮の友達?」
 年の頃は伶奈の母由美子と余り変わらないように見えるから、蓮の母親だろうか? 言われてみれば、色素の薄い癖っ毛は蓮のそれによく似ている。
「うん! 東雲穂香って言います! よろしく!」
「あっ、はい、私は北原美紅です。いつも蓮さんにはお世話になってます」
「あっ……あの……西部、伶奈……です」
 穂香が元気よく、まるで友達に挨拶するかのようにブンブンと手を振りながら、美紅は折目正しく、ぺこりと深々頭を下げて、そして、伶奈は二人の背後に隠れるように……三者三様に挨拶をすれば、伶奈の頭の上でもアルトがふんぞり返った偉そうな態度でひと言言った。
「アルトよ」
 もちろん、最後の一人分は相手の女性には伝わっていないだろうが、彼女はその他三人分の挨拶を見ると被っていた帽子を脱いで、少し頬を緩めた。
「蓮の母です。ごめんなさいね、動物相手の仕事をしてるとお祭りだろうがなんだろうが休めなくて……ばたばたしてるけど……蓮なら、今、着替えてると思うから上がっちゃって」
 そう言われて、改めて伶奈は辺りに意識を向けた。
 牛舎の向こう側、開きっぱなしの裏口付近では大柄が男性、多分、蓮の父親らしき人物が大きな荷持ちを忙しそうに運んでるのが見えるし……高校生くらいのお兄さんやおじいさんらしき人までもが、牛舎の隣にある田んぼやら畑やらで作業をしている様子が見えた。
「……なんか、忙しそうだね……」
 伶奈は思わず呟いた。
「見てても邪魔になるだけだし、上がらせて貰おうか?」
 穂香の提案にアルトをひっくるめた四人も頷き合って、一同は牛舎に背を向けた。
「あっ、そうそう」
 その背にかけられる女性の声。
「蓮は、少し変わってますけど、良かったら、仲良くしてあげて下さいね」
 少し大きめで……もしかしたら、少し不安そうな声だったのかも知れない。その声に、最初に振り向いたのは穂香だった。彼女はたった一つの単語を力一杯に発した。
「うん!」
「……せめて、『はい』になさいよ」
 伶奈の頭の上でアルトがため息をつくけど、伶奈はきょとんとした顔を見せてる美紅と互いに向き合い、軽く頷き合う.そして、おばさんの方へと顔を向けたら、声を合わせてやっぱり一つの単語をはっきりと言った。
「「うん!」」
 その元気の良い声に安心したのか、蓮の母はぺこっと軽く会釈をして、牛舎の方へと足早に向かっていった。
 それを見送ったら、伶奈達は母屋の方へと足を向ける。
 どうやら、蓮の母が出てきた生け垣の向こう側が母屋らしい。古そうではあるがしっかりとした作りが見て取れる純和風住宅と言った趣き。大きな土地に大きな平屋の家がゆったりと建っている感じだった。
 玄関の引き戸をガラガラっと開ける。さすがにいきなり上がっていく勇気は、穂香と言えどもない模様。代わりに彼女は大きな声で叫ぶ。
「れーーーーーーーーーんち〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
 伶奈のほっぺが熱くなるほどの大きな声。
「なんで、貴女が恥ずかしがってるのよ……」
 返ってきたのは頭の上から聞こえたアルトの突っ込みだけ。
「返事、ないね?」
 美紅がぽつり……誰に言うともなしにつぶやく。
「も〜」
 代わりにお隣の牛舎から牛が返事をした。
「……蓮って名前なのかしら? あの牛」
 そう言ったのは頭の上のアルトちゃん。その言葉に伶奈は「ぷっ」と小さく吹き出した。
 そして、ゆっくりと時が流れる。
 誰も出てこない……
「……田舎はのんきだって言うけど……ひどいよね?」
 立ってるのも飽きたのか、少し高めの上がりかまちの所に腰を下ろし、手にしていた手提げ鞄を足下に置いた。
 と、そこに廊下の奥からキシキシと廊下がきしむ音が聞こえた。
「……ごめん」
 控えめでなじみ深い声、顔を上げればそこには皺一つない白衣<びゃくえ>に緋袴<ひばかま>、まるで漫画の中から現れたような美しい巫女装束に身を包んだ南風野蓮が、いつものぼんやりとした表情でこちらを見ていた。
「わぁ〜すっごい! 奇麗!!」
 最初に歓声を上げたのは上がりかまちに座っていた穂香だった。パッと立ち上がると、履いてたショートブーツを脱ぐのももどかしそうに脱ぎ捨てる。そして、廊下に上がったら、足がもつれちゃうんじゃないかと思うような勢いで蓮へと駈けより、蓮の頭のてっぺんから足の先までを順番に何度も見ながら、大きな感嘆の吐息を漏らした。
「わぁ……」
「そんなに慌てなくても……」
 美紅も苦笑いを浮かべてはいるが、彼女自身も蓮の姿には若干、驚いたようだ。改めて蓮の方へと顔を向けると、パチクリと何回も瞬きを繰り返していた。
 そして、伶奈も蓮の顔へと、改めて視線を向けた。
 確かに蓮の服装はよく似合っていた。
 服装だけではない。その顔にもうっすらと薄化粧をしている様子。肌はいつもよりも白く輝いているよう見えるし、ふっくらとした頬は普段よりも少し朱色がかっていて健康的な美しさをたたえていた。何より、唇にちょこんと刺した薄紅が、女同士だというのに妙に目を引く。
「……なんで、赤面してるのよ……」
「…………うっ、うっさい」
 アルトの呟きに小さく罵声だけを返して、伶奈もスニーカーを脱いで廊下へと上がる。
 古くはあるが良く磨き抜かれた奇麗な廊下。ぴかぴかに掃除が行き届いてて、下手に歩いたらワックスに足を取られて転けちゃいそうだ。
「それで、奉納舞は何時から?」
「……十時」
 穂香の質問に蓮が答えた。時間はまだ九時少しすぎ。のんびりは出来ないが、出るのにもまだ早い、そんな時間だろうか? と、伶奈は頭の中でざっと計算をしてみた。
「…………ご飯、まだ、食べてないから……食べたら、出よ?」
 ぼーんやりとした口調で蓮はそう言って、そして、――
 ばん!
 ――転んだ。
 ……さっき、伶奈が転びそう……と思った良く効いたワックスに足袋を履いた足が取られたようだ。見事に両手を真上に振り上げた状態で転んでいた。
 受け身、取れてないんだろうな……と、伶奈は思った。
「大丈夫?」
 トーンとアルトが伶奈の頭の上から飛び降りて、床に突っ伏したままの蓮の顔を覗き込んだ。
(物見高い……)
 なんて、思った次の瞬間、アルトが叫んだ。
「ちょっと待って!! 伶奈!!! ティッシュ!! 鼻血が出てる!!!」
 もちろん、その叫びが聞こえたのは、もちろん、伶奈だけ。伶奈に考えられたのは、このことを他の二人にも伝えなきゃ、って事だけ。だから単純に彼女も叫ぶ。
「鼻血!?」
「鼻血?! 出てるの!? わっ!? 動いちゃダメ!? あっ、でも、そのままでも、ヤバいかも!? タオル!!」
 辺りを見渡す美紅、そして、伶奈も辺りに視線を巡らせる。しかし、手頃なタオルもティッシュも見当たらない。そして、伶奈は三回、首を振った後に、自身がオーバーオールの胸ポケットにスマホと一緒にハンカチを突っ込んであったことを思いだした。
 少女がポケットに手を突っ込む。そして、お目当ての小さなハンカチを取り出したときには、もう、遅かった。
「間に合ったぁ……」
 穂香が自身の着ていたヨットパーカーを脱ぎ、それで蓮の顔を押さえていたのだ。
「……ナイス……って事で、今、私の体を踏みつけてることは不問にしてあげる……」
 間一髪、鼻血が純白の白衣に滴ることを防いだ穂香、彼女の膝と向こうずね、足首、そして、つま先が作るアーチの中で妖精が狭っ苦しそうに圧迫されていた……
 なお、蓮の白衣も緋袴も血で汚れることだけは防げたものの、穂香の白くて可愛いヨットパーカーには見事なまっ赤なシミが浮かび上がっていた……のだが、それを平気な顔で羽織ろうとしている穂香を見て、伶奈は素直に凄いと思った。

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