秋祭り(1)

 話は少し戻って十月中頃の日曜日、伶奈は頭の上にアルトを乗っけて、コトコトと電車にゆられていた。登校時に乗るのよりも一本速い上り電車、休日と言うことも相まって車内はガラガラ。閑散としていて、まるで、借り切りのようだ。
 もちろん、休日であるから制服ではなく私服。横ボーダーのトレーナーにいつものオーバーオール、それからジーンズ生地のナップザック。まあ、いつもの恰好と言えばいつもの恰好。そんな恰好をして、普段よりも早起きをして、学校方面へと向かう電車に乗っているのには、もちろん、訳がある。
 四方会の一人、南風野蓮、彼女が秋祭りで巫女さんの恰好をし、神社で奉納舞をするからだ。
 それなら、四方会皆で見に行こう。ついでに屋台で買い食いもやっちゃおうぜって言うのが、今日のコンセプト。
 それで少し早めに家を出て、郊外にあると言う蓮のおうちを目指すという具合だ。
 なお、伶奈達が蓮の家に行くのはこれが初めて。本当ならバス停くらいまで迎えに来てて欲しいところだが、あいにく、着付けをしなきゃいけないので、迎えに行く暇はない。そこでスマホを持っている伶奈がタブレットPCを持っている蓮からメールで家の場所を教えて貰い、地図アプリを駆使して穂香と美紅を案内するという大役を仰せつかっている。
「大丈夫なの? 土地勘、ないでしょ?」
 頭の上、ちょこんと座ってるアルトに問われて、伶奈は少々自信なげに応える。
「迷うような道でもない……と思うよ」
 県外から引っ越してきて半年あまり、アルトの言うとおり土地勘はない。地図を見てもイマイチピンとこないが、とりあえずは、家の周り、ほとんど回り田んぼ。これで迷うようなら、よっぽどの方向音痴だろうって言うほどの田舎であるってことは理解できた。
 そんな訳で電車に揺れること小一時間ほど。そろそろ、学校最寄り駅というタイミングでアルトが頭の上からぴょんと伶奈の膝の上に飛び降り、そこから伶奈の顔を見上げて言った。
「まずは綿菓子!」
 楽しそうなアルトの顔を見ていると、伶奈の顔も自然とほころぶ。そして、頬を緩めたまま、弾む口調で少女は応えた。
「……相変わらず、綿菓子は外せないんだね。私は鯛焼きが良いな、皮がもちもちの奴」
「薄皮は嫌い?」
「あんこをかじってるみたいだもん。それから、牛串か焼き鳥、豚串でも良いかな……」
「……伶奈こそ、相変わらず、肉は外せないのね……」
「成長期だもん」
 少女が嘯くと妖精はぴょんと宙へと舞い上がった。窓枠へと着地を決めて、そこに腰を下ろす。ぷらぷらと揺れる足がご機嫌よさそう。
 その妖精の背後にはいわし雲が屋根の上で気持ちよさそうに泳いでいるのが見えた。
 絶好のお祭り日和……ぼんやりと窓の外を眺めながらの、心地よいひとときが数秒流れ、アルトが、また、口を開いた。
「……縦に伸びずに、横に伸びるわよ……」
「うっ……」
 言葉につまる。
 妖精の心地よさそうな鼻歌と木靴の踵が窓枠のアルミを蹴っ飛ばす音が聞こえ始めた。
 カタンコトン……電車は心地よい振動と共に、英明学園最寄り駅へと滑り込む。
(……後で捻ってやる……)
 身長は伸びてないのに体重は増え気味な少女の呟きを乗せて……
 英明学園最寄りの交換駅、そのホームに下りると下りの電車も止まっていた。その車両から下りてきたのは、四方会のメンバー、北原美紅。洗いざらしのジーンズにトレーナー、帽子と言う恰好は、可愛い感じのショルダーバッグを肩から下げていなければ、ぱっと見男の子のようだ。
「おっはよ〜伶奈ちゃん! それとアルトちゃんもいるの?」
「おはよう、北原さん、来てるよ、アルトも」
「おはよう、今日は良い天気で良かったわね」
 美紅の言葉に伶奈が応える。そして、アルトの言葉も伶奈が通訳。それから美紅が軽く右手を挙げたので、それを真似るように伶奈は左手を挙げる。すると、パン! と美紅は伶奈の挙げた左手に自身の右手を叩き付けた。ちょっときつめのハイタッチ。最近、四方会で流行のご挨拶だ。
「……ちょっと痛いよ」
 まっ赤になった左手をひらひら、涙目で抗議をしたら、美紅は「ごめん、ごめん」と屈託のない表情で笑う。それに釣られるように少しだけ頬を膨らませていた少女も、すぐに笑顔を浮かべてしまう。
 そして、いわし雲の下、肩を並べて二人は歩く。
「南風野ちゃんが巫女さんかぁ……華やかになりそうだよね」
 伶奈が言うと美紅は軽く頷きながらも、少しだけ苦笑いを浮かべて言った。
「でも、舞を奉納するんでしょ? あの虚弱体質が踊れるのかな?」
 美紅の言葉に伶奈の足が止まった。
 それと同時に美紅の足も止まる。
 そして、数秒の沈黙……
 先に破ったのは伶奈だった。
「……五十メートル走で筋肉痛になる人だもんね……南風野さん」
 軽く頷き、美紅も言う。
「……四階にある音楽室に移動するだけで、ふくらはぎがこむら返りになってたの、見たよ、私」
 伶奈と美紅が顔を見合わせ、顔色を変えた。
 そして、頭の上でアルトが言った。
「…………病気じゃないの?」
「……――ってアルトが……でも、南風野さん、入学式からずっと無遅刻無欠席だよね?」
 アルトの言葉を通訳しつつ、伶奈が記憶を頼りに言えば、美紅も軽く頷く。ちなみに玲奈と穂香も無遅刻無欠席だが、美紅は確か夏風邪で一回休んだ記憶がある。
「風邪も引いたことがないって……前に言ってたよ?」
 そう言って美紅が再び足を踏み出し始めたので、伶奈も一緒に歩き始める。
 穏やかな秋晴れの空、少しぬるめの太陽に見守れながら、のんびり二人は歩く。
 そして、程なく、二人はバス停の前へとさしかかった。
 普段の登校時なら女子校生達でごった返しているバス停も日曜日、それも少し早めの時間となれば、人影はまばらだ。そんな中、小柄な少女の影が一つ、退屈そうにバス停の時刻表を固定しているコンクリートブロックの上に座り込んでいた。
 その少女の顔がこちらに向いた。
 途端に明るくなる表情、半袖のブラウスの上には薄いヨットパーカー、短めのキュロットスカートと生足がフェミニンな東雲穂香だ。
「いぇい、伶奈チ、ミクミク!」
 足下に置いてあったブラウンレザーの手提げ鞄を掴み、すっくと立ち上がる。そして彼女はひょいと両手を挙げた。万歳みたいな恰好。その手の片方、右手を力一杯、なんの遠慮もなく、ぶっ叩く。
 ぱん! ぱん!
 心地よい破裂音が二つ、右手を叩いた伶奈と左手を叩いた美紅の分。
「いったい! って!!」
 まっ赤になった手をひらひらさせて、穂香はちょっぴり涙目。ちなみにやった方も割と痛くて、伶奈はもちろん、美紅も赤くなった手をひらひらと振って、風で冷やしていたりする。
 そんな三人を見ながら、伶奈の頭の上でアルトがぽつりと漏らした。
「……なんで、そんなに力一杯やるのよ……」
 呟きに答えるように伶奈はちらりと頭上へ、何も見えない頭のてっぺん辺りに視線を向けて応える。
「思いっきりやんないとつまんないって……」
 伶奈がそう言うと、ひょいとアルトが伶奈の目の前に顔を覗かせる。いつも通りに長い髪がひらひらと風に揺れ、小憎たらしい大きな瞳が少女の顔をじろっと見つめ、そして、彼女は尋ねた。
「誰が言ったのよ」
 その問いかけに少女はしばしの間沈黙……そして、やおら答える。
「……皆?」
「…………バカの集まりね」
 さて、アルトとの会話を顔を輝かせて待ってる穂香と、そんな穂香に苦笑いを浮かべている美紅に教えていると、すぐに下りのバスが到着。少女達が乗り込んだら、バスは静かに走り始める。
 皆でプールに行ったとき、上りのバスには乗ったことがあるのだが、下りのバスはこれが初めて。まあ、下りだからと言って特に中が変わるわけでもないのだが……
 と、思っていたら、バスはものの五分もしないうちに国道から外れ、見たこともない道へと滑り込んだ。八角形の道路標識だから県道なのだろう。片側一車線、歩道はほとんどないか白線で区切られた路側帯がごくごく細くある程度。そんな道の両側にはちょっとしたお店や普通の民家なんかが雑然と並んでいて、生活道として使われているのが見て取れた。
「この道……初めて……かも?」
 車窓を流れる風景を見ながら、伶奈はぼそっと呟いた。
「こっちの方には何もないからね。伶奈チには用事はないかも? 私も通ったことがあるだけだし」
「私はその向こうにある運動公園には行ったことがあるよ」
「私は随分前に車で通ったことがあるかしら……? 随分、雰囲気が違ってるけど……」
 隣、通路側の席に座っている穂香と通路の向こう側にいる美紅、それから頭の上のアルトが口々にそう言った。
 口々に言われるセリフを聞きながら、伶奈は「ふぅん……」と小さく呟き返した。
 バスは県道から川の土手へ……土手の上の道は細くて大きなバスだと、対向から来る車とすれ違えるのだろうか? なんて、心配になるけど、要所要所に作られた待避所を上手に使ってバスと対向車はすれ違っていく。
 そして、バスは土手から下りて別の幹線道へと入っていく。すると次第に民家も店も見えなくなって、田んぼだらけの田園風景へと変わっていった。
「バス、どこで下りるの?」
「んっと……」
 アルトに問われて少女は改めてスマホに視線を落とした。バスの中ではあるが、周りには知ってる人ばっかりだし……なんて、心の中で言い訳をしつつ、昨夜、蓮から送られてきたメールを開く。
「塩之川停留所……だって」
「うへっ、遠ぉ……」
 伶奈の言葉にうめき声のような声を出したのは、穂香だった。彼女によれば、これからたっぷり一時間以上掛かるらしい。
「毎朝一時間以上もバスに乗ってるから、登校時点で疲れ果ててるんだね。長い坂を登ってるとか言うし」
 伶奈が答えると、さらに向こうに座っていた美紅がブンブンと首を左右に振ってみせた。
「いやいや、それでもあの疲れっぷりは変だって……ホント、今日、舞が踊れるのかなぁ〜って不安だよ。蓮ちゃんだと立ってるだけで疲れ果てそうだもん」
 美紅がそう言うと、「あはは」とバスの中に少女達三人の明るい笑い声が響いた。
 そして、1時間以上のドライブが終わり、バスは大きなため池傍のバス停に止まった。
 背後には大きなため池、目の前には一面の田んぼ。そして、その田んぼの向こう側には、普段は遠くに霞んでみている山々が手が届きそうなほどに近く、大きく見えていた。
 その山から吹き下ろす風が、頭を垂れる黄金色の稲穂と伶奈の頬を撫で、そして、ため池の水面に小さな波を作って吹き抜けていく。
 田舎に来たせいか、風が町中よりも少し冷たい気がした。薄手の上着でも着てくれば良かった……なんて、ちょっぴりの後悔。
「どっち?」
 穂香に言われ、伶奈は改めてスマホを開き、地図アプリ上で蓮の家を捜した。
 距離は五百メートルほどだろうか? ため池の土手から下って、そこから道をまっすぐに行った先を少し入った所にあるらしい。五分くらいと地図アプリは教えてくれた。比較的大きな道沿いにあるようだから、迷うこともないだろう。
 と、言うことを確認したら、少女達は土手から下りる。
 すこし急ではあるが短い下り坂、それを下りきったところで、美紅がボソ……っと、言った。
「……もしかして、蓮ちゃんの言う『急な上り坂』って……これ?」
 その言葉に伶奈も釣られて振り向いた。
 土手の高さは二階建ての屋根の少し下くらい。それを一気に下ってるわけだから、急と言えば急だ。しかし……
「二階に上がる階段くらいじゃん……」
 伶奈が呆れ気味の声で呟いた……気味というか、ほぼ、完璧に呆れてた。
 その呟きにアルトを含めた三人がコクコクと何回も頷き、そして、言うのだった。
「……本当に舞を奉納なんて出来るの?」
 穂香の呟きに、全員が暗い表情になったのは言うまでもない。
 

前の話   書庫   次の話

ご意見ご感想、お待ちしてます。