自分の部屋(3)

 美月の部屋の掃除が終わったら、次はいよいよ、自身の部屋の掃除をする番だ。
 伶奈の部屋は美月の部屋と比べると随分殺風景だ。部屋にある物と言えば、まずは大きめの机が一つ。それも学習机というよりかは大人が仕事に使うような感じの奴でひどく無骨だ。それから同じく作りこそはしっかりしてそうだが、飾り気のない椅子。それにセミダブルの大きなベッド。それから大きくて古めかしいタンスが一つ。
 少女の部屋としては殺風景というか、彩りがないと言えるだろう。彩りと言えるのは、伶奈自身が一学期を丸々費やして作った二足歩行するビーグル犬の刺繍が、額縁に入って壁の隅っこに飾られてるくらいだ。ちなみに出来は余り良くない。力を入れて縫いすぎたせいで、生地がまるで濡らして乾かした紙切れのように引きつっている。次回作への課題という奴。
 と、まあ、そう言う地味な部屋の中、強く異彩を放つ一画が存在している。
 元々、伶奈の部屋は喫茶アルトの倉庫だった。必要な物から不要な物、昔は必要だったけど、もはや、二度と使うはずのないものまで、雑多な物が適当に放り込まれてあった。それを清華と拓也、それから由美子が大掃除をしてくれたおかげで、なんとか生活できるようにはなっていた……が――
「……あの段ボールの一画、どうにかしたいんだよね……」
 そう言って伶奈は部屋の隅っこへと視線を向けた。そここそが『異彩を放つ一画』である。そこにあるのは、うずたかく積み上げられた段ボール箱の山だ。大きめの段ボール箱が十数箱、山を築く一画。ちょうど、机の対角線側、ベッドの足下辺りにそれは存在していた。
 伶奈がここに連れて来られる以前に、この部屋に置かれていた雑多な物、それは多岐に及んだ。拓也が少年の折に読んでいた漫画から、美月の使ってた教科書、制服、使わなくなった古い食器や壊れた家電製品等々。それらの全ては『選別してる時間はない』ってことで、とりあえず、部屋の隅っこ、一番奥の辺りにうずたかく積み上げられて、そのまんま。
 住み始めた頃は所詮は借宿と思って気にもしてなかったのだが、半年が過ぎて、借宿は別宅となった。もはや、彼女にとって『自分の部屋』と言えばこの部屋をイメージするようになってくるほど。そうなって来たら、部屋の隅っこに自分の物ではない段ボール箱がいくつも積み上げられているのは、非常に気になる。
 そこで、この家の家主、和明にどうした物か? と尋ねてみれば……
「拓也の物は全部捨ててもかまいませんよ。清華さんや美月さんの物らしき物が出てきたら、美月さんに聞いて下さい」
 と、答えられた。
「勝手に捨てちゃって良いのかな?」
 和明のいるカウンターから、自分の部屋へ……戻るために階段をトントンと上がりながら、少女は頭の上に居る妖精に声をかけた。
 その少女の言葉にアルトはひょいと頭の上から少女の顔を覗き込んだ。天地逆さま、長い金髪が目の前でひらひらと揺れる。そして、彼女はニマッと愛らしくも底意地悪い笑みを浮かべて言った。
「聞きたいなら、和明か持ち主に聞けば?」
「うっ……」
 アルトの言葉に少女の言葉がつまった。
 その短いうめき声にアルトのクソ意地悪い笑みはますます悪化し、彼女は
「……慣れてる相手には平気で怒鳴りつけるのに、慣れてない相手には声もかけられないって……人見知りよねぇ……」
「うっさい……」
 少女が囁くようにそう言う頃、少女の足は二階の廊下に掛かっていた。
 そして、足が止まる。
 歩みを止めた伶奈の上から、アルトは伶奈の顔をまじまじと眺めていた。笑ったまま……ではあるが、どこか先ほどまでのクソ意地悪そうな笑みではなくて……どこがどう違うのかはよく解らないけど……
 沈黙と笑みだけの数秒間、我慢しきれなくなった少女が呟くように尋ねた。
「……なんだよ……?」
「まっ、慣れてない相手を怒鳴りつけるよりかはマシかしらね?」
「そっ、そうだよ……」
 アルトの言葉にそう呟き、少女は少しだけ吐息を漏らした。
 そして、再び、少女は自身の部屋に向けて歩み始めた。
「拓也の荷物は全部捨てれば良いわ。私に刺されるのが嫌だからって帰ってこないバカの荷物なんていらないもの」
「……一応、おじさんの分も美月お姉ちゃんに聞いてみようかな……」
「どうせ、捨てたら良いって言うわよ、美月だもの」
 話をしながら、伶奈は自室のドアを開き、その中へと滑り込んだ。
 一度は大掃除をしてくれたおかげだろうか? 美月の部屋のように壁に綿埃が張り付いてるってことがないのはありがたい。もっとも、床の隅っことかに綿埃やら糸屑やら、自身の抜け毛らしき物まで……よく見れば決して奇麗でないことは十分に解る。
「なんで、何もしてないのにゴミって溜まるんだろうね?」
「何もしてないからでしょ?」
「……なるほど」
 哲学的な問答をしながら、ベッドの枕元にある大きめの窓と机の奥にある小さめの窓を開け放つ。やっぱり、秋の心地よい風が流れ込み、伶奈の頬を優しく撫でる。
 その心地よい外を眺めつつ、少女はぼそり……と不満げに漏らす。
「……なんでこんなに天気が良いのに、私は部屋の片付け……」
「じゃあ、雨が降って、窓も開けられないのに掃除したいの?」
「……それはヤだ」
「したくないなら、由美子にさせれば良いじゃない? 見られて困る物もないんでしょ?」
「……それも、ヤだ」
「……好きなさい」
 呆れ声の妖精はほったらかしにして、まずは段ボール箱の中を確認する。目標としては、これの高さを半分くらいまでにしたいところ。
「どっこいしょ……」
 年寄り臭い声を上げて、少女は一番上にあった段ボール箱を下ろした。
 カパッと中を開いてみる。
 いきなり古新聞だった。
 上だけが古新聞かと思ったら、一番下まで全部ただの古新聞だった。
「……どういうことだろう?」
「……さあ? 拓也が新聞収集の趣味があるとか、聞いたことないけど……」
 頭の上でアルトがそう言うのを聞きながら、少女はその中からひと束の新聞を取り出した。一日分だろう。それがまとめてついてきたので、何気なく開いてみた。
 古びた新聞の中身はよく解らない古いニュースばかり。しかも、伶奈が生まれる前の話だし、内容も取り立てて珍しい話って訳でもない。
「……ゴミ……で良いのかな?」
「ゴミ以外の何物でもないわよ」
 伶奈が呟き、アルトが答える。そして、伶奈はコクンと頷き、その場から立ち上がった。そして、今は自分が使ってる机へと足を向ける。奇麗に片付けられた机の上には、小さめのペン立てが一つ。可愛い熊が「ガオー」と可愛く吠えてるペン立てから、サインペンを一本取り出したら、新聞紙の段ボール箱に『ゴミ』と書いておく。
 ちなみに段ボール箱について一応和明に聞いてみたら「ゴミに出すつもりで忘れてた奴……ですかねぇ……」とうすらぼんやりとした口調で答えた。
 さて、それからも古着がつまった箱が出てきたり、壊れた女児用オモチャで一杯の箱が見つかったり、誰の物かは解らない教科書で一杯の本が出てきたり、訳解んない家電製品がつまってたり、美月が幼い頃のアルバムが出てきたり……と、まあ、いろいろな物が発掘された。
 特に興味を引いたのは美月の幼い頃のアルバム。下はお宮参りから小中高、専門学校の卒業式に成人式、さらにはここ数年で行った海水浴社員旅行の写真までが分厚いアルバム三冊にぎっしり。それを実際にその場にいたアルトの解説付きで見始めてしまったのだから、もはや、止まるわけがない。
「ほら、ここ、よく見なさい……ここ」
 喫茶アルトの正面、玄関を出たところ。美月と清華、それに拓也と和明の四人、家族全員が仲良く並んでる写真。中心にいるのは艶やかな振り袖を身に纏った美月、その足下をアルトがちょいちょいとストローで指し示す。
「どこ?」
「足下よ、足下」
 アルトに言われて伶奈は改めて美月の足下へと視線を向ける。全身を写してる上、四人全部とアルトの店舗まで納めようとしているからずいぶんの引きでの撮影。綺麗に撮れているが細部までは見づらい……
 数秒の間、顔をひっつけるくらいに寄せて、伶奈はようやく気づいた。
「……スニーカーだね……?」
「晴れ着の下にスニーカー履いてるのよ、しかも、この写真を撮ったときは誰も気づかないで、成人式の会場に行ってから、向こうで会った友達に指摘されて初めて気づいたの」
「あはは、美月お姉ちゃんらしいよ」
「それで慌てて帰ってきて、結局、式にはろくすっぽ参加してないのよ」
「あはは……次は……――」
 と、アルバムを捲ったところで、こんこん……と背後でノックの音が控えめに響いた。
「あっ、はーい」
 少女が立ち上がり、ドアを開けば、そこに立っていたのは、仏頂面の寺谷翼さん。まあ、別に怒ってるわけではないと言うことは、この半年の付き合いで理解しているので、最近は怖くはなくなってきている……と、思う。
「あっ……翼さん……何?」
「……食事、出来たって……チーフ、が」
 言われて顔を後へと向ける。視線を壁に掛けられた丸い掛け時計へと移せば、すでに十一時半。一時間以上、美月のアルバムを見ながらアルトの昔話を聞いてた計算だ。
「わっ! うん! すぐに下りるって……」
「……解った」
 くるんと回れ右をする翼を見送り、伶奈も出しっ放しにしていたアルバムを改めて段ボール箱の中へと詰め込んでいく。そして、その段ボールはもちろん、捨てない方の山へと移動させる……つもりが結構重い。美月の三冊だけではなく、他の家族の分も満載だから当然だ。ずっしりとした本の重さが小柄な少女には結構堪える。
「あっ……」
 どさ! と落ちた段ボール箱は未だ整理のついていなかった一画にぶち当たって、その中の一つ、てっぺんに置いてあった箱を床の上へと落っことした。
「わっ!? もう……この忙しいときに……」
 ざーっと中からあふれ出した物体に伶奈の眉がへの字を描き、額に深い渓谷を刻む。
「ご飯の後でしたら?」
「そうしようか……」
 呟き、少女は段ボール箱からあふれた黒い円盤を一枚拾い上げた。そして、それをまじまじと見つめながら、もうひと言呟くのだった。
「……何? これ……」
 少女の呟きに、頭の上でアルトがちょっぴり寂しそうな声で答えた。
「……レコードなんて知らないわよね……」
「歴史の授業で習った……ファミコンとかと一緒に」
「あっ……そっ、そうなの……」
 呆れてるというか、愕然としているというか、何とも言えない感じの妖精さんを頭の上に置いて、少女は改めてレコードのジャケットに目を落とした。
『Fly Me To The Moon』
「アルトがいつも歌ってる奴だ……」
「真雪が好きだったのよ、それ……てか、そこにあるレコード、全部、真雪の」
 言われて伶奈はばらけた黒い円盤とそれが入っていた段ボール箱へと目を落とした。古びて色あせてるけどカラフルなジャケットとその中から出てくる黒光りする円盤、そのコントラストが妙に伶奈の心に響いた。
「……プレーヤーって……あるの?」
「あるわよ。ほら、壊れた家電製品の入った箱、あれ、多分、バラしたステレオセットよ」
 その言葉に少女は『ゴミ』とサインペンで書かれた箱をぱかっと開いた。中には小さめのスピーカーらしき物がひと組、二つ。他の箱も開いてみると、先ほどは単に『なんだかよく解らない家電製品』としか認識してなかった物が、ちゃんとステレオに見えてくるから、不思議な物だ。
 とりあえず、記憶にある範囲内で『なんだかよく解らない家電製品』が入った箱と切って捨てた箱を探し出し、中身を取り出す。
 結構な数。もちろん、組み立て方なんて、伶奈には解らない。
「どうやるんだろう?」
「出来なきゃ、良夜を呼べば良いわよ。あれも工学部だし、壊れてても直してくれるわよ、きっと」
「……修理までは無理じゃないかなぁ……」
 と、話をしていると……
 ドン! ドン!
 大きな、そして、いらだちすらも感じられる音に振り向けば、開きっぱなしのドアを無表情のままにぶん殴っている翼の姿があった。
 彼女は少女と視線が交わると、いつもの冷たい瞳をさらに冷たくし、ぶっきらぼうな口調で言うのだった。
「冷める」
 もちろん、少女に残された道は高速で首を縦に三回振って、広げっぱなしのレコードをほったらかして、階下に下りることだけだった。

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