時間―裏―(1)

 話戻って、未だ良夜と美月が仲良くショッピングモールでデートを楽しんでいた頃。喫茶アルトは閑散とした空気に包まれていた。
「……アルト……暇だね……」
 喫茶アルト、入り口傍のレジ、小さな丸いすに座って伶奈はぼんやりとしていた。
 その伶奈の頭の上では、小さな妖精さんがやっぱり、ぼんやりとしていた。伶奈は一応『店員さん』の自覚があるから、あくびをするにしても出来るだけ目立たないように……と言う意識があるのだが、アルトの方はお構いなし。誰に恥じることもなく大きなあくびを一発、大きく背伸びをしながらに、彼女は言った。
「ふわぁ……今日……昼から何人、客が来たのかしら……?」
 そんなアルトの言葉にちらりと伶奈は頭上に視線を送る。木靴に包まれた小さな足がぷらぷらと暇そうに揺れているのが見えた。
 その足を下から見上げながら、伶奈はぼんやりとした口調で言う。
「……数えてないけど……多分……五人くらいかなぁ……?」
「……伶奈の給料も出るか、怪しいわね……」
「……土曜日はおじいちゃんと寺谷さんだけでいいんじゃないのかなぁ……」
「ダメよ、和明はカウンターから動かすと死んじゃう生き物なんだから」
「……どう言う体質だよ……」
 呟き、少女はカウンターの方へと視線を向ける……と、そこには老店長の姿はどこにもなかった。
「……そもそも、いないじゃん……おじいちゃん」
「裏口出たところでタバコを吸ってるわよ……」
「……おじいちゃんも相変わらずだね……」
 ぼんやりとした口調で伶奈は呟く。同時にお隣さんが美味しそうに煙管をふかしてるシーンが頭に浮かぶ。
 そして、また、彼女は呟く。
「体に悪いのにね……」
「言っても聞かないわよ。良いパイプを揃えて、のんびり吹かせるってのが人生、二番目の目標だったんだから」
「二番目?」
 軽く伶奈が小首をかしげて尋ねると、ふわっと目の前に天地逆さまになってアルトの頭が落ちてくる。そして、長い金髪を軽くゆらして、彼女はパチンと軽くウィンクをして見せた。そして、ニマッと愛らしい笑みを見せ、言う。
「一番目は店を持つこと」
「……ああ、なるほど」
 伶奈が軽く頷くと、アルトは満足したように頬を緩めてひょいと体を起こした。そして、また、頭の上でリズムを取るようにぱたぱたと足を動かしはじめ、そして、口を開いた。
「店も軌道に乗って、子供も独り立ちして、さあ、高いパイプを集めよう……と集め始めたら十年も経たないうちに、孫が学校で『タバコの健康被害』についてのビデオを見て、『お父さんとお祖父さんに禁煙させなきゃ!』との使命に見醒め、あーだのこーだのぐちぐちねちねち、文句を言い始めて、今では隠れて吸うしかなくなってるのよ」
「それはそれで可哀想だね……」
「だから、黙っててあげなさいね」
「……うん」
 小さく伶奈は頷く。
 黙っているのが正しいのかどうなのか、美月にも和明にも世話になってるし……と考えた伶奈の結論は『言いつけはしないが、かばいもしない。聞かれたら言うけど、聞かれなきゃ黙っていよう』であった。
 それは喫茶アルト従業員及び浅間良夜と高見直樹がこの件に関して思っている事と同じであった。
 さて、そんな話をだらっとしていると、キッチンの方から和明が姿を現した。彼はひょっこりとキッチンから出てきたかと思うと、そのまま、流れるような動きでするりとカウンターの内側、定位置へと滑り込む。そして、始めるのは真新しいパイプ(未使用)を白く清潔なハンカチで磨き始める行為。あまりにも収まりよく収まっているので、帰ってきたところを見てなきゃ、ずーっと出て行ってないようにも見えた。
「まっ、和明が戻ってきたからって忙しくなるわけじゃないけど……これなら、良夜と美月のデートに着いていけば良かったわ。夜は水炊きで日本酒とか言ってたし……」
 頭の上、少女同様に老店長のことを眺めていたアルトが言った。
 そのアルトのいるあたり、頭上へと視線を投げかけながら、少女は少々呆れ気味の声で呟く。
「馬に蹴られて死ぬよ?」
「馬なんて、どこにいるのよ……生で見たことないわよ」
「…………じゃあ、私に捻られて死ぬよ?」
「…………殺す気なのね」
「邪魔しちゃ悪いよ……」
「暇なの!」
 ひときわ大きな声でアルトが叫ぶ。頭の上で何かが動くような感じ、視野の一番上でひょこひょこ動いてた足が消えた。おそらくは立ち上がったのだろう。
 と、その瞬間……
 から〜んとドアベルが乾いた音で鳴った。
「あっ……いらっしゃいませ!」
 慌てて伶奈が立ち上がると、目の前にプランとぶら下がるアルトの姿。真っ正面から少女の顔を睨み付けて、彼女がまた怒鳴る。
「……っと、コラ! 急に立ったら落ちるじゃない!」
 その声を無視して、少女は右手で崩れた前髪とそこにぶら下がる妖精を軽く払う。
「こんにちは、伶奈ちゃん。暇そうだね?」
 クリアーになった視界の中では、茶色く脱色した髪に少し派手なメイク、大きなおっぱいを強調するような薄手のブラウス……と、いかにも遊んでそうな女子大生が軽く手を振り、微笑んでいた。
「あっ……ううん……大丈夫……」
 慌てて首を振る少女に女子大生は少し不思議そうに小首をかしげて尋ねた。
「何が大丈夫なの……まっ、それはともかく、今日のお勧めスイーツ何?」
「イチジクのタルト……です」
「ああ……イチジクかぁ〜季節ね。じゃあ、それとブレンド……いや、今日はブルマンでも良いっか〜ブルマン、ホットでね」
「はい」
 鼻唄交りでフロアの中を行く女性を見送って、ホッと一息。カウンターに戻ってきてる老店長にはコーヒーの注文を伝える。伝えられたろう店主が手際よくお湯の用意をし始めるのをちょっと眺めてから、キッチンへと赴く。そして、ケーキの準備……と、数時間ぶりの仕事をこなしていると、ふと、それまでやっぱり暇そうにキッチンの片隅で丸いすの上、雑誌を読んでいた翼が口を開いた。
「……ケーキ、だけ?」
「あっ、うん……」
「……そう」
 答えると翼は再び、雑誌へと視線を落とした。
 仕事中に本なんて読んでて良いのだろうか……と伶奈は思った物だが、これはアルトで定期購読している外食産業向けの雑誌。いわゆる『業界紙』という奴だったりするので、許される……って話は少し前に聞いた。
 そんな翼の様子を一瞥、伶奈の背丈ほどもあるケーキ用の冷蔵庫を開き、そこから本日のお勧めイチジクのタルトを取り出した。
「……相変わらず、翼が苦手なのね」
 頭の上の言葉を聞きながら、ケーキを小さな取り皿に載せる。それから小ぶりなデザートフォークを添えてケーキは完成。その仕上がった物をトレイに乗せると、少女はキッチンからフロアへと戻った。
「何とも言えないプレッシャーを感じるというか……なんというか……」
「あれでも『顔が怖い』って言われるの、気にしてるのよ?」
「……前も聞いたけどぉ……」
 悪いと思いつつ、未だに伶奈は翼が怖い。初対面の時の『追い出そう』発言をさっ引いても、まだ、怖い。だいたい、美月が『美月お姉ちゃん』で凪歩が『凪歩お姉ちゃん』なのに対して、翼は『寺谷さん』で、それすら呼んだ経験が数回くらいしかないという体たらくなのだから、話にならない。
「懐け……とは言わないけど、もうちょっと、普通にしゃべれるようになりなさい」
 頭の上で言われる言葉、カウンターでコーヒーが出来上がるのを待ちながら、聞く。
 そして、少女はしばしの間……コーヒーがドリッパーからサーバへ流れ落ち、そこに一杯分が溜まるまでの時間を、思考に費やした後、やおら、答えた。
「…………来年の目標……にする」
「まだ、九月よ……」
 と、妖精が呆れたのは言うまでもない。
 そんなこんなでようやく注文の品の完成。紙ナプキンやティースプーン、砂糖、ミルクなんかと共にトレイに乗せて、山側の窓際にある席で座ってる女子大生の元へと急ぐ。急ぐとは言っても、実際には余り急がない。下手に急ぐよりも慎重に歩くことが大事だって事は、ここ何ヶ月かのアルバイトで嫌ってほど学んだ。
「お待たせしました」
 そう言って、彼女はテーブルの上にコーヒーとケーキを並べる。
「ありがとう。可愛いウェイトレスさん」
 人なつっこい笑みを浮かべて彼女はそう言った。そして、手にしていたスマホをテーブルの片隅に置いて、早速ケーキに舌鼓。緩んでいた頬がさらに緩くなったところを見ると、イチジクタルトは美味しかったのだろう。
 と、伶奈がきびすを返そうとすると、その頭の上から、トーンとアルトが飛び降りた。
「せっかくのブルマンだから、ちょっとご相伴預かって帰るわ」
 嘯く彼女は、空中で少し大きめの円弧を描き一回転、とんぼを切った。そして、トンと華麗な着地を決めたら、早速、かぐわしい香りを放つブルーマウンテンのカップにとりつく。
 チューチュー……数口、ストローで熱いコーヒーを飲んだら――
「やっぱり、美味しいわねぇ……ブルマン、幸せすぎるわ!」
 と、満面の笑顔。
 幸せそうで腹が立つ。
「どうしたの?」
 そんな伶奈の気持ちも知らず、女子大生が首をかしげた。
「あっ、いえ……ごゆっくり。失礼します」
 ぺこりと頭を下げて、伶奈は慌てて、その場から逃げ出した。
 そして、レジへと戻って、ホッと一息……
(……アルトのバカ……後で捻ってやる……)
 内心でそう呟く物の、同時に……
「まっ……暇だし、良いか……」
 とも、少女は半ば無意識のうちに呟いてた。
 もっとも、その決断にはすぐに後悔の念を抱く羽目になった。
 おしゃべりの相手すらいなくなったレジは、暇すぎて暇すぎて、まさに『一時間潰すために何時間必要なんだろう?』状態である。仕方ないから道路を行く車の数を数える。単純な数を数えるのではなくて、業務用が何台、バイクが何台、自家用車は何台……といった感じで数えていると、意外と早く――
「……時間が過ぎない……」
 ――過ぎるわけがないのである。
「パイプでも磨いてたら、時間が早く過ぎるのかな……? スマホでも磨いてようかな……吉田さんに知れたら怒られそうだけど……」
 店内、壁に掛けられてある時計へと視線を移す。時間は全くと言って進んでない。
 それでも伶奈は一生懸命、何もしないことをし続け、(現実では)三十分の時間を(体感的には)一時間かけて、ようやく、潰し終えた。
 窓の外から差し込む光が随分と低くなって、大きな影を店内に刻みつけ始める頃、スマホ片手にタルトとブルマンを楽しんでいた女子大生が立ち上がった。
 そして、つかつかと伶奈のいるレジへとやってきたら、不機嫌そうに細い眉をへの字に曲げて言った。
「お会計!」
 不機嫌そうに伝票を置く女子大生に伶奈は小首を傾げる。
「どうしたの?」
「呼び出し……」
「嫌なの?」
「嫌だよ、せっかくのブルマン、一気飲みだよ? 最低過ぎる……」
 答える女性の口調ははっきりと解るほどに不機嫌、不貞腐れているというのがありありと解る。
 それに関しては可哀想だ、とは思う。でも、少女の視線を捉えて放さない物は他にあった。
「♪〜〜in other words In other words I love You♪」
 女性の頭の上、なぜか、機嫌良さそうに鼻歌を歌っている妖精さんだ。
(そんなにブルーマウンテンが美味しかったのかな……?)
 伶奈はそんなことを考えながら、レジを打ち、女性に合計金額を伝え、お金を貰って、おつりとレシートを渡す。
「ありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げるまでが、伶奈のお仕事。
「ごちそうさま、お勧めタルト、美味しかったよ」
 そう言って貰えるのはちょっとしたご褒美。胸の中が少しだけほんわかしてくる感じがした。
 そして、出て行くお客様をレジから見送る。
 から〜ん。ドアベルがいつもの乾いた音を立てて、ドアが開かれる。
 秋の夕暮れ、少々冷たくなった風が店内に流れ込み、それと入れ違いに女性が――
 ――アルトを頭に乗せたまま、出て行った。
(出て行ったのは良いけど、どうやって戻ってくるつもりなんだろう……?)
 なんて思いながら、窓越しに妖精を乗せて歩き去る女子大生を眺める。
 彼女の頭の上では妖精がひらひらと手を振っていた。それはそれは、愛らしい笑顔だった。
 だから、少女は思わずというか、無意識のうちにひらひらとてを振り返していた。
 そして、妖精を乗せた彼女が視界から消え、代わりに大きなトレーラーが走り去っていった。
『それ』を理解するのに伶奈は三十秒かかった。
「………………………………」
 そして、『それ』を理解したとき、伶奈は叫ばずにはいられなかった。
「アルトが逃げた!!!!」

「呼び出された先が大学だったのよねぇ〜で、店から大学に行ってれば良夜のアパートの前を通るだろうと思ったら、案の定、おかげで、私は見事、鍋に日本酒に参加出来たって訳」
 酔った勢いで自慢話をしているバカ、その自慢話を聞いてる青年が頭痛を覚えたのは言うまでもないことであった。
 

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