裸の付き合い(完)

 サウナの美月達に一声かけて、伶奈は浴室を後にした。
「……アルトのせいで上がる羽目になったじゃんか……」
「いきなり、あんな所で妖しげな踊りを踊り始めるから、注目されたのよ。頭から水を被ったら冷たいって、なんで、学習しないのよ……」
「思ってたよりもずーっと冷たかったんだよ? 水道より冷たかったもん」
「同じくらいだと思うわよ……」
 ぶつくさ言いながら、お風呂上がり。
 小学生でも高学年あたりになるとお風呂上がりにドライヤーをかける女子も珍しくはない。しかし、伶奈の場合、髪は余り長くないし、寝癖もそんなにつかないもんだから、中学一年も半分が過ぎた今でも、ドライヤーは滅多にかけない。
 ばさばさとバスタオルで体を拭いたら、下着は先日買ったちょっと可愛いショーツとキャミソール。どちらもレースがふんだんに使われた可愛い代物だ。妙に気合いが入ってるのは、先日、海に行ったとき、アルトの女性陣が着てた下着がどれも結構凝った作りの物だったからだ。特に恋人と一緒に来てた美月のは同性から見てもはっとするほど。それに引き替え、自身は白一色の地味で安い木綿の下着とランニングシャツ。地味なのはともかく、木綿って言うのはどう見てもお子様仕様……って事で、母親に頼んで買って貰った物だ。
「……でも、先に出ちゃって見せる機会がなかったのよねぇ……」
 と、わざとらしく嘆くガーターベルトの妖精さん。その額をピン! デコピンしたら、上着を着込む。開襟シャツにいつものオーバーオール。ちなみに伶奈はオーバーオールを色違いとか材質違いで結構沢山持っている。今日は木綿のダークブラウン。
 ぱっぱっと着替え終わったら、肩からバッグを下げて、少女は脱衣所を後にした。
 エントランスホールには長方形のベンチソファが二つ、置かれてあった。どちらも結構大きくて、四人か五人くらいは楽に座れそうだ。それ以外にも少し奥まったところに大きな木製のテーブルとそれを囲むように丸太を割り切りにしたような椅子が片側五つ、両側で十個置かれていた。
 そのどちらにも見知った顔は見られない。
「灯センセ達、まだ、お風呂かな?」
「伶奈が早すぎたのよ」
 ぽつりと漏らすと頭の上でアルトが応える。
「ふん!」
 とりあえず、ひと言、負け惜しみのような返事をしたら、彼女は自販機でジュースを一本購入した。
 缶にラムネの絵が描かれた炭酸ジュース。
「お風呂上がりは炭酸が美味しいよね」
 詰めたい缶ジュースを握りしめて少女が言えば、頭の上で妖精が答える。
「アイスコーヒーが一番よ」
「眠れなくなっちゃうよ?」
「それ、ただの迷信。カフェインは緑茶や紅茶の方が強いんだから」
「……でも、苦いよ?」
「……苦みで目が覚める訳じゃないわよ……」
 よく冷えた缶ジュースを握って、ベンチソファに腰を下ろす。背もたれがあれば良いのに……と思うが、このベンチソファに背もたれはない。
 ぱしゅっ! とジュースのプルタブを開いて、炭酸を喉に流し込む。
 口の中で炭酸の弾ける感じが心地良い。
「ふぅ〜美味しい」
 一息に三分の一ほどを飲み干したら、それは膝の上に乗せて、少女は一息吐いた。
 その缶ジュースにとりつき、ストローで中身をチューチュー吸ってる妖精が、視線だけを伶奈へと向けて言った。
「もうちょっとゆっくり入りたかったわ」
「……誰のせいだよ……」
「……貴女以外の誰のせいよ……」
「……アルトが素直に捕まって、私にひねられてたら全てが丸く収まったんだよ……」
「……バカなの?」
「アルトほどじゃないよ」
 ひょいとアルトの頭をつかんで、ジュースの口から排除。そして、また、グビグビとジュースを飲む。
「ちょっとは残しておきなさいよ」
「いいじゃん、どうせ、大して飲まないんだから」
 そんなやりとりをしつつ、ぼんやりとお風呂上がりの火照ったほっぺを、空調がほどよく効いたロビーの空気にさらすこと五分少々……
「あっ……もう出てた」
 悠介の声に伶奈が顔を上げる。すると、なぜか『2x4Lab』のロゴが入ったTシャツにジーパン、おそろいの恰好をした三人組が男湯の方から姿を現した。
 その男達の姿を見てアルトがぽつりと漏らす。
「……男のペアルックってなんか……キモいわね。しかもツーバイフォーよ……家でも建てるのかしら?」
 頭の上でアルトがそんなことを言ってるともつゆ知らず、三人組は伶奈の方へと足を向けた。
「早かったな?」
 尋ねたのは薄着だと棒人間らしさがひときわ強調される悠介だ。
「ちょっと、のぼせちゃっただけだよ……それより、そのTシャツ……」
 ごまかすように伶奈が尋ねると、今度は灯がその裾を軽く引っ張り、苦笑いを浮かべた。
「今年から、二研と四研が合流して、正式に『二輪車四輪車合同研究会』を発足したんで……まあ、やけっぱちになって作ったロゴ入りTシャツ」
「やけっぱち?」
 少女が軽く小首を傾げる。
「そっ、やけっぱち。去年まで二部屋だった部室は一部屋、活動資金も二つで一つ分、合流って言うよりもリストラみたいなもんだからな」
「……なるほど……」
 灯の説明を聞いて軽く頷く。世知辛い世の中である。
「あっ、俺、飲み物買ってくるわ。お前ら、何がいい?」
 灯と伶奈が話してると、そう言って俊一がその場を離れた。
「コーラ」
「俺も」
 灯が答え、その答えの尻馬に悠介が乗っかる。
「私、コーヒー、ネルドリップ、アイスで」
「……ないと思うよ、ネルドリップは」
 そして、アルトがボケて伶奈が突っ込む。
「それで、お風呂、どうだった?」
 灯に尋ねられ、伶奈は素直に首を縦に振った。
「うん、気持ちよかったよ」
「溺れなかったか? ジャリはチビだから、足が届かないだろう?」
 嬉しそうな面で茶々を入れる悠介には冷たい視線と冷たい言葉。
「……死んじゃえ、ジェリド」
「……灯、お前の教え子、口が悪いぞ」
 横に立ってる灯に向けて、悠介が言えば、灯はにこっと人好きのする笑みを浮かべて言った。
「伶奈ちゃん、ジェリド以外の人に『死ね』とか言っちゃダメだよ」
 家庭教師にそう言われれば、少女は神妙な面持ちで首を縦に振る。
「……はい」
 そして、ジェリドこと悠介は苦笑いを浮かべて、言った。
「俺にも言うなよ……」
 さて、そんな感じで適当な話をしていると、飲み物の買い出し……と言ってもホンの歩いて数歩の所にある自販機でジュースを買っていた俊一が帰ってきた。
 その手には赤い色の缶ジュースが二本にシルバーに輝く――
「てめえ、何買ってきた?」
 赤い缶ジュースを受け取りながら、悠介が尋ねた。
「コーラ二本とアサヒスーパーどっらぁ〜い、だな」
「てめえ、誰が運転すると思ってんだ?」
「ジェリド、てめえだ。俺と灯の免許はまだ仮免だから」
 悠介に睨まれようとも俊一は屁の河童。かれは銀色に輝く缶ビールのプルタブをプシュッ! と気持ちよく開けると、そのまま、グビグビグビグビ! と息もつかずに一気に喉へと流し込んだ。
 横で見ている伶奈にも、あの缶の質量が一気に減ったことが理解できた。
 そんな青年の様子を見ながら、伶奈は軽くため息を吐く。
「はあ……男の人って、ビール、好きだね……」
「男だけでもないけど……私も好きよ」
「……即物的な妖精だよね……アルトって……」
「なんとでも言いなさい」
「ところで、三島さん達、しばらく掛かりそう?」
 アルトと話をしていると、その声を聞くことが出来ない灯が無自覚に話しに割って入った。
「う〜ん……多分。美月お姉ちゃん、髪の手入れに時間、かけるし……」
 美月は元々奇麗な黒髪が自慢だった。その奇麗な黒髪を

「美月さんの髪、撫でてると、なんか、落ち着くよなぁ……」

 なんて、歯の浮くようなセリフ(アルト談)で良夜が褒める物だから、最近は富に手入れの時間が延びているらしい。実際、伶奈と知り合った直後よりも、最近の方が髪を手入れしている時間は長くなった気がする。
 アルトに言わせると、
「他に褒めるところを思いつかないだけよ……」
 って事らしいが、まあ、そこはノーコメント。仮にそうだとしても素直に『美人』って褒めれば良いのに……なんて、伶奈は思うって言うのは、余談。さすがにそんな話は三馬鹿達にはしない。
 なお、髪に時間をかけるのは美月だけではない。
「凪姉も、三島さんにいろいろ聞いて、髪の手入れに時間をかけるようになったんだよな……」
 と、灯が言うとおり、凪歩も髪には結構時間をかける。そう言えば、海に行ったときにも凪歩も髪の手入れに時間をかけていた。この辺は伸ばしている女性は大変なんだろうなぁ……と伶奈は他人事のように思う。
 そんな感じで、長丁場になるのかなぁ……って空気がベンチソファーに座っている伶奈とその周りで立ち話をしてる青年三人組の間に流れ出す頃、ひょこっと一人の女性が女風呂から顔を出した。
「……おまたせ……」
 ショートボブの寺谷翼さんだ。
 恰好こそ、いつもの制服ではあるが、少し上気した頬が薄桃色で、ちょっと色っぽく見えた。
「あっ……他の二人はドライヤー?」
 灯が尋ねると、コクンと彼女は首を縦に振り、そして、言った。
「……ビール……」
 ぽつりと言った翼の視線は俊一の手元に釘付け。鉄仮面のままでくるりときびすを返したら、彼女は自販機へと足を向け――
「ちょっと、待って!」
 ――るのを灯が引き留めた。
「……なに? 私が飲んだら……いけないの? 未成年」
 首だけ振り向き、淡々とした口調で翼が尋ねる。
「……俺は飲んでない……別に飲むのは良いけど……これで寺谷さんまで飲み出すと、多分、凪姉まで飲み出すと思うよ? そしたら、いろいろ……面倒くさくない?」
 その質問に灯が半歩引き下がりながら答えれば、伶奈の頭の上ではアルトが言った。
「そして、凪歩と翼が飲み始めると、美月がごねて拗ねて、紆余曲折いろいろあって最終的には、良夜を呼ぼうって話になるわよ」
「……――って、アルトが言ってるけど……良夜くんも大変だよね……」
 伶奈がアルトの言葉を通訳すれば、さすがの翼も足を止め、座る伶奈の元へと視線を落とした。
 数秒の時が静かに流れた……
 そして、彼女は言う。
「……五分で飲みきる……から、大丈夫」
「おい!」
 その場にいた全員が当然のように突っ込んだが、翼はその計画を実行に移した。
 そして、十五分後……

「……翼さん、なに、飲んでんだよ……?」
 ほかほかと頭から湯気を立ててる凪歩が冷たい口調で言った。
「……良いですよね……? 翼さんだけ飲んで……」
 綺麗な髪がいっそうつややかに光り輝いてる美月もやっぱり冷たい口調で言った。
 されど、翼は左右に首を振って答える。

「翼ちゃんはまだ飲んでない……よ?」

 まっ赤な顔をした翼の体が、ふわふわと左右に揺れていた。
 湯上がり、サウナ上がり、血流の良くなってるところに缶ビールを一気飲みしたら、速攻で酔いが回ったらしい。

 なお、良夜はゼミの連中と一杯遣ってしまってたので、役立たずだったことを、ここに記しておきたい。
 そして、翌日……
「私だけ飲めずに運転手だったんですよ? 誰のせいか、知ってますか?」
 と、なぜか、良夜がぐちぐちと八つ当たりされてるのを見て、さすがに伶奈も良夜が気の毒になった。

 喫茶アルトのボイラーが直るのは三日後のこと……そして、その三日の間、毎晩、喫茶アルトの従業員と伶奈、それから妖精さんは銭湯通いをすることになった。
 さすがに三馬鹿達は付いてこなかったけど……

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