プール(完)

 さて、食事の後もたっぷりと泳いだ四方会と妖精さんの五人は英明学園そばの穂香の家へと帰ってきていた。
 時間は夕方と言うには随分早い四時少し過ぎ。
 本当はもうちょっと泳いでいたかったのだが、さすがに食事と食休みをのぞいてずっと水の中に居れば、体も冷える。それに日焼けもしちゃって肩の辺りが痛がゆいし、何より……
「疲れたぁ……」
 い草のラグの上、ぐったりと寝転がった穂香がうめくように呟くとおり、みんな、疲れちゃったのである。
「みんな、はしゃぎすぎよ……」
 座卓の上でアルトが言った。しかし、彼女自身、ぐったりとだらしなく肢体を投げ出しているし、帰ってくるときなど、頭の上でグーグー寝ていたほど。なお、頭にきたので軽くねじってやったってのは、余談である。
 そういう訳で、帰ってきた伶奈達四方会はい草の香りが心地よいラグの上で寝っ転がって死んでいるのだが、その中でもとりわけひどいのが自他共に認める体力なし、運動不足、運動音痴、三重苦の蓮だ。
 見てた限り、浮き輪につかまって浮かんでただけの蓮だが、一番になってへばってしまった。もはや、歩くどころか、着替えすらままならないって感じ。それで、まあ、いつものように三人代わる代わるに引っ張ったり、押したりして、穂香の家まで連れて帰ってきた。
 ――のだが……
 これで一安心……と油断したのが悪かったのか?
 階段を上ろうと最初の一歩を踏み出した、まさに、その瞬間。
「あっ………………………………………………ツッた……かも?」
「かもってなによ!? 言い切ろうよ! 痛いんでしょ!? ツッてんでしょ!?」
 階段一段目、膝というか、ふくらはぎを抱えてしゃがみ込む蓮に対して、美紅が突っ込む。
「ないすつっこみ」
 親指立てて言ったのは穂香だ。この状況でなぜか嬉しそう。
「うっさい!」
 親指立ててる穂香に美紅が一喝。
 そんなことをやってる間も、蓮は太ももを抱えてうめき続けていた。その表情、普段のぼんやりとしたどこを見ているのか、何を考えてるのかよく解らない表情が一変、額に大粒の冷や汗を浮かべている。
 このまま、ほったらかしてるわけにも行かない。
 仕方ないから、残り三人の中で比較的体力が残っている美紅が背負って、それを穂香と伶奈が後ろから支える感じで二階までつれて上がることにした。
「そして、私が応援する役、がんばれ、がんばれ」
 苦しむ蓮の上でアルトが応援、そして、蓮のお尻を支えている伶奈は心に決める。
「……アルト、後でひねる……」
 まあ、そんな感じで二階にある穂香の自室に帰ってきたのは良いが、もはや、全員、疲労困憊。スポーツ少女で体力の有り余ってる美紅すら、
「腰に来た……」
 しなやかな体をぐでーーーーーーっとい草のラグの上に投げ出して、肩で息をしてるほど。一番体力のある美紅がその調子なんだから、他の面々に至っては何をいわんや、である。穂香から順番に東西南北で寝転がって、思い思いにい草の肌触りを堪能していた。
「あっ、蓮ちゃん、足、ゆっくりマッサージしてね。無理に動かしたら悪化するけど、ほっとくといつまでも痛いよ」
 運動少女の美紅が先ほどのつった足を未だに押さえて痛がっている蓮に声をかけた。
「……うん」
 小さく頷き、蓮が素直に足をさすり始める。
 二人のやりとりをちらりと横目で眺めて、伶奈は仰向けになって寝転がる。
 白い天井の真ん中に真ん丸なシーリングライトが見えた。
 それを見上げながら、彼女はぼそっと呟いた。
「本当、もう、動きたくない……帰りたくもないよぉ……」
「泊まればぁ〜?」
 視野の外から穂香の声が聞こえた。
「……絶対に怒られる……」
「……私も……」
 視野の外で美紅が応え、伶奈も控えめな口調で相づちを打った。
 そして、穂香がきっぱりあっさり言う。
「私は怒られないから大丈夫。後は野となれ山とな〜れ」
 沈黙が流れた。
 遠く、窓の外から少女達の騒ぐ声が聞こえた。
 その沈黙、破ったのは美紅だった。
「……そろそろ、穂香ちゃん追い出して、会の名前を三方会にしよう?」
「……そうだね……」
 神妙な声の美紅に伶奈も神妙な声で応じた。
 その直後、寝転がっていた誰かが起き上がる気配がした。
 衣擦れの音、がたんっ! と膝か何かが座卓を蹴り上げる音、そして、つま先に座卓の脚が当たる小さな感覚に……
「きゃっ!? ちょっと!?」
 アルトの悲鳴と怒鳴り声のおまけ付き。
「待って、見捨てないで、ほら、四方会は会を脱するを許さず、だから――」
「追い出すの」
 慌てる穂香の言葉を途中でぶった切り、美紅はぴしゃりという。
「あはは、しょうがないね」
 寝転がったまま、コロコロと笑って伶奈も美紅の尻馬に乗れば、穂香は一転真面目な口調で言う。
「ごめんなさい、次からは言って良い冗談と悪い冗談の区別を付けるように心がけます」
「よろしい」
 謝る穂香に美紅が芝居がかった口調で応え、そして、「うーーーーーーーーーーーーーーーーん」と、背伸びをするうなり声がをあげているのが聞こえた。
「……って、ああ、もう、バカなこと言ってたら、ますます、疲れたよ……」
「眠くなっちゃうね……」
「寝ようかぁ……」
 美紅の言葉に伶奈と穂香も異口同音。
 てなことを言ってる横で――
「スー……スー……」
 と言う気持ちよさげな寝息が聞こえはじめる。
 その寝息に少し体を起こしてみれば、い草の上で大の字になって眠っている蓮の姿があった。自身の水着が入ったビーチバッグが枕代わり、大きく広げた手足が普段の控え目な態度とはずいぶんな違いで、驚くやら、ほのぼのするやら……
 そんな寝顔を他の面々と眺めること数十秒……
「よし、寝る!」
 穂香は高らかに宣言したかと思うと、そのまま、ぽてんとラグの上に転がった。トトロのぬいぐるみが抱き枕。一抱えもあるような巨大なそれを引き寄せたら、すりすりと頬をすりつけ、目を閉じる。
 胎児のように丸まって寝ているのが年よりも幼く見えて可愛い。
 そして、数秒……トトロの肩を握っていた右腕がポテッと落ち、彼女の全身が弛緩したことを伶奈に伝えた。
 取り残されたのは、両隣にグーグー寝ている友人を置いてる少女が二人とテーブルの上で上半身だけを起こしている妖精さん。
「……友達が来てるのに寝ちゃう? 普通……」
「……――って、アルトも呆れてる」
「……だよねぇ……でも、私も眠いし……ちょっと寝ちゃおう?」
 美紅はそう言って、ポケットから二つ折りの黄色い携帯電話を取りだした。小学生の頃から大事に使っているキッズケータイらしい。
 その携帯の上で指をせわしなく動かすこと数秒……
「なにしてるの?」
 伶奈が尋ねると、美紅は
「目覚まし。本格的に寝入っちゃったら困るじゃん」
 と、応えて、その丸み帯びた可愛らしい携帯電話をテーブルの上に置き、再び、言った。
「おやすみ〜」
 寝転がってしまった穂香をテーブルの向こう側に見やり、玲奈は思わず、応える。
「…………お休み」
「なんなのよ? このノリは……」
 思わず普通に対応してしまった伶奈に、アルトが呆れ顔を向ける……が、呆れられても困る。
 辺りを見渡すこと数秒……
 先日来たときよりもクッションやらぬいぐるみやらが増えてて、確かに、少しは女の子らしい部屋になっている。それは良いが、勝手に弄って良い物でもないだろう……と思う。
「どうするの?」
 アルトが尋ねた。
「……私も寝る、お休み……」
「……お休みなさい……」
 アルトと言葉を交わして伶奈もコロン……い草の上にもう一度、彼女も寝転がった。
 蓮を見習ってビーチバッグを枕代わり。ビニール製のバッグはごわごわしてて枕にはむいてないけど、疲れているせいか、目を閉じていればすぐに意識が遠ざかっていく。
 夢とうつつを行ったり来たりする心地よいひととき……
『穂香! アイスケーキ、買ってきてるから、取りに来なさい!!』
 心地よいひとときを邪魔する無粋な声……と思ってしまったのは寝ぼけているから、と言うことにしておく。
『穂香! 穂香ったら、ケーキ、いらないの!? お友達の分もあるのよ!! ほーのーかー!!』
 繰り返し呼んでる声、おそらくは穂香の祖母の物。この家に来たときには誰も居なかった事を夢うつつの頭の中で、伶奈は思い出す。
(早く、行けば良いのに……)
 そう思いながら、寝返りを一回……二回……コロコロと繰り返す、そんな時間が数分かもうちょっと……やおら誰かが立つ気配がして、ようやく、一安心。
 遙か遠くでドアがカチャリと開き、パタンと閉じた……
(ケーキ……私のも……あるんだ……起きなきゃ……)
 そうは思うけど、うたた寝は気持ちよくて、自発的に起きるのはちょっと無理……誰か起こしてくれるのを待とう……きっと誰かが起こしてくれるはず……
 そして、また、いくらか時間が過ぎた。
 凄く長かったような気もするし、数秒だったかも知れない……
「にしちゃん……にしちゃん……」
 フンワリとした柔らかい声、静かに揺らされる肩……起こしてるのか、それとも寝かしつけてるのか解らないような起こし方……ではあるが、それでも伶奈が体を起こしたのは、ひとえに『アイスケーキ』の単語が頭の片隅に残っていたから。
「……おはよ、南風野さん……」
 眠い目をこすって辺りを見渡す。
 座卓の上には薄桃色のケーキが……三つ? コカコーラらしき褐色の炭酸飲料で満たされたグラスも三つしかなく、そして、隣には眠そうに目をこすっている美紅と…………
「しのちゃん……しのちゃん……」
「スー……スー……」
 伶奈同様連の寝かしつけてるのか、起こしているのか解らない起こし方で起こされている穂香の姿。
「……もしかして……南風野さんが取りに行ったの?」
 思わず呟いたら、テーブルの上、早速、一つのアイスケーキにとりついてつまみ食いをしている妖精が応えた。
「私も行ったわよ。応援する係だったけど」
「……応援係は別にいらないと思うけど……それと、なんで三つ?」
「ああ、それはね……」
 顔一杯にアイスクリームを塗りたくった顔をこちらに向けて、アルトが答えようとした……のよりも早く、響く少女の悲鳴。
「しのちゃん……おばあさん、怒ってた……よ」
「ごめんなさい! おばーちゃん!」
 伝えられた言葉に穂香がバネ仕掛の人形のように跳ね上がり、ドタバタと階段を駆け下りていく。
 開け放たれたドアから生暖かい廊下の空気が空調の効いた子供部屋へと流れ込む。
『お客さんを使う人がありますか!?』
『私のケーキは?!』
 老婦人が孫を叱責する声と少女の詫びる声が生暖かい廊下の空気と共に部屋へと流れ込んでくる。
 美紅が四つん這いでドアへと近づき、パタンと閉じた。
 部屋が静かになった。
「…………食べてって……おばあさんが言ってた、よ」
 戻ってきた美紅に蓮がそう言った。
 言われた美紅が蓮と伶奈の顔を順番に長め、ぽつりと漏らした。
「……アイスケーキだし、食べないと、溶けるよね……」
「………………超美味しい……って、言ってた」
 相づちのように蓮も言葉をこぼした。
「まあ、私は食べてるけど……」
「……――と、アルトが言ってて、本当に食べてる」
 と、アルトの言葉と行いを伶奈が二人に伝える。
 数秒の沈黙……
『ごめんなさ〜い!!』
 彼方で穂香の泣き声がかすかに聞こえた。
「そー言えば、『明菜は四六時中怒ってるからほっといても良いけど、滅多に怒らない郁恵は怒ると許してくれないから、真面目に対応する』って……真雪が言ってたわねぇ……」
「……――だって…………」
 また、伶奈がアルトの言葉を通訳した。
「……長くなりそうだね……」
 美紅が呟いた。
 そして、蓮は言った。
「………………いただきます」
 そして、美紅と蓮も頷き合ってから、言う。
「「いただきます」」
 食べたケーキは、もちろん、とっても美味しかった。

 穂香が帰ってきたのは、伶奈達がケーキをペロッと食べ終え、コカコーラをちびちびと飲んでいるときのことだった。
 その手にはアイスケーキとコカコーラの載ったトレイ、されど……
「ケーキもコーラの氷も溶けちゃってる……」
 と言う代物だった。
 それでも結構美味しかった……のが悔しかったそうである。
 

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