『海に行きたい、友達と一週間くらいって言ったらお母さんに無言で頭を叩かれた。しかもグーで。児童相談所に訴えてやる』
要約すればこんな感じの意味になるメールが、午前中の店番が終わって、昼食も食べて、一段落がついた気安さと共に二階の借宿へと帰ってきた伶奈を出迎えた。送り主は東雲穂香、四方会のリーダー格の少女だ。
ちなみに四方会、穂香は昔ながらのガラケーって奴だし、美紅は小学校の頃に買って貰ったキッズケータイだし、蓮にいたってはタブレットPCこそ持っているが携帯電話を持ってないし……結果、四方会の連絡はメールで、って言うのが不文律になっていた。
と、言う説明をアルトにしながら古びた学習机の前に腰を下ろす。
「蓮が外に居たら連絡取れないんじゃないの?」
「取れないけど、南風野さん、私たちが誘わないと家でだらだらし続けるタイプみたいだから、問題ないみたい……メールの返事もいつも早いし……」
「……あっ、なるほどね……確かにそんな感じだわ」
机の上、木目奇麗な天板に両足を投げ出してる妖精と話をしているうちに返信メールが完成。内容は簡単に言うと『恥をかくから止めた方が良い』って感じ。
そのメールを穂香に送ったらスマホを机の上に戻して、頬杖をついた。
これからどうしようかな……なんてことを窓の外をぼんやり眺めながら考える。
英明は私立中学だけあって、通ってくる生徒も広範囲。特に伶奈の住んでるところは瑠依子曰く『飛び地』的な場所だから、毎日のように友達に会うのは難しい。時々、美月や母親に買い物に連れて行って貰ったり、アルトを伴って駅前の本屋なんかに出かけたりすることもあるが、それとて毎日してるわけでもなく、結果、勉強してるか手芸部の作品を作ってるか、良夜が置いていったゲームをなんとなくやってるか……と、ひどく無為な夏休みを過ごしていた。
「勉強でもしようかな……」
ぽつりと小さな声で呟く。
「……私、ここで半世紀以上、大学生のことを眺め続けてきたけど『暇だから勉強する』なんてバカ、初めて見たわよ……」
「……良夜くんが置いていったゲーム、つまんないし……刺繍は昨日たくさんしたから目と肩がつかれたし……」
机の上、くつろぐ妖精をひょいとつまみ上げて、学習机の本立ての上に座らせる。そして、机の中から灯が用意してくれた問題集を取り出す……も、それを開くよりも一足先に響く甲高い声。
『メール、メール、メールが届いたよ♪』
「……このメール着ボイス、だんだん、腹が立ってきた……」
「じゃあ、変えなさいよ……」
突っ込まれる方が的確だなと思うくらいに的確なツッコミ、それを受け止めながら伶奈はすっとスマホの表面を撫でた。
そして、スマホの表面を数回タップ……送り主は穂香、書いてる文章は短く、簡潔な言葉だった。
『日曜日、プール行くよ!』
どう言う話の流れで穂香がプールに行こうと言い出したのか? そんな物は考えても余り意味がない事である、と言うことはこの数ヶ月、四方会の一員として穂香と付き合ってきた伶奈は十分に学んでいた。どーせ、深く考えた上での行動じゃない。
まあ、今回のところは『海は無理だからプールで』ってくらいのノリなのだろうから、比較的わかりやすい。
待ち合わせ場所は英明学園最寄りバス停。
蓮が普段乗り降りしている所。
ここからバスに乗って十五分ほどの所にあるプールが今日の目的地だ。
通学時と同じ電車に乗って降りれば、向かいの下り電車からちょうどジーンズ姿の美紅が降りてきていた。シースルーのサマーニットに透けた黒いTシャツが格好いい。
彼女も伶奈をすぐに見つけたようで着替え入りの手提げ袋を握ったまま、ぶんぶんと大きく手を振った。
「おっはよ〜伶奈ちゃん! 良い天気で良かったねぇ〜アルトちゃんもついてきてるの?」
「うん……うるさいから連れてきたよ」
「うるさいって何よ! 毎日、暑いんだから、プールくらい行きたいわ」
美紅の質問にいつものオーバーオール姿の伶奈が答え、頭の上からノースリーブのワシャワシャドレスという夏仕様の妖精が大声を上げる。
その声に軽く肩をすくめつつ、彼女の言葉を美紅に通訳。伝えられた美紅が「あはは」と軽く笑えば、伶奈も同じように頬を緩めた。
空はとんでもなく高く、その高い空にはやっぱりとんでもなく高い入道雲と憎たらしいほどに大きな太陽。その下を二人の少女と一人の妖精がのんびり歩く。
「……暑いね、南風野さん、もう、死んでるかも……」
「蓮ちゃん、体力ない上に暑さへの耐性も低いもんね……今日も『泳がないけど、浸かりたい』で来るらしいし」
伶奈の言葉に穂香が応える。
そして、伶奈の頭の上でアルトがなぜから偉そうな声で言った。
「淑女はデリケートなのよ」
「……――ってアルトも言ってるけど、アルトも暑い寒いに弱いんだって」
「淑女だからしょうがないのよ、私も」
美紅と伶奈、そして、アルトがくだらない話に花を咲かせているうちにあっと言う間に、バス停前。
バス停ではすでにキュロットスカートの穂香とその腕にぶら下がっているワンピース姿の蓮が居た。
「おはよ〜やっぱ、蓮ちゃん……は死んでるか……てか、その格好だとスカートの中が見えちゃうよ?」
穂香の腕にぶら下がる蓮、その背後、突き出されたお尻を覗き込むように美紅が言うも、蓮はちらっと後を振り向いただけであっさりと言い放つ。
「…………おはよ……蓮は逃げも隠れもしないよ……」
そんな蓮の姿に苦笑いを浮かべて、伶奈も言った。
「……南風野さんは逃げたり隠れたりしないで良いから、南風野さんの下着は隠そうよ……」
「蓮の下着が逃げたら――速攻でわしづかみは止めなさい」
アルトの言葉が全て紡がれるよりも素早く、電光石火の動きでアルトをわしづかみ。じーっと見下ろしひと言呟く。
「……アルト、下品」
言ってぽいとアルトの身体を投げ捨てる。
「どうしたの?」
尋ねたのは穂香だ。
「ううん……アルトがバカなことを言っただけ……って、目を輝かせないでよ……下着が逃げたらとか……どうとかこうとか……下品な事を言ってただけだよ」
出来れば言いたくない馬鹿馬鹿しいことを赤面しながら言うと、穂香はもちろん、美紅や蓮までもが声を上げて「あはは」と笑った。
「もう……みんな、下品」
プイッとそっぽを向いた先は、国道下り方面、伶奈たちが歩いてきた方向。
「あっ、バス、来た」
伶奈のつぶやき、バスが止まってぷっしゅーっと圧搾空気が抜ける音と共に、後部ドアが開いた。
日曜日の下りバスは客もまばらで、静かな物だ。
東南、西北の組み合わせで二人がけの席を二組占領。
「どこで下りるの? この辺、プールなんてあるんだ?」
土地勘のない伶奈が尋ねると、一つ前の席、通路側を占領していた穂香が通路側から後ろを覗き込んで答えた。
「うん、三つ向こうのバス停だよ。市民プールがあって、市内在住か通勤通学してたら安くなるんだ」
「へぇ……」
なんとなく、相槌を打った伶奈、その頭の上でアルトがぼそっと尋ねる。
「へぇ……は良いけど、生徒手帳か何か、持って来てるの?」
「……あっ!」
四人の中、ただ一人、妖精の声を聞くことが出来る少女が少し大きめの声を上げた。
「どうしたの?」
それに隣に座った美紅が尋ねれば、伶奈は
「生徒手帳とか、身分証とか、持って来てないよ」
少々大きめの声で答える。
そして、ここに来てようやく、他の面々も的確に事態を把握する。
「制服のポケットに入れたまま……」
「……………………鞄の中、かも……」
伶奈同様に顔色を変えたのは美紅と蓮だ。
二人とも生徒手帳なんて持ってきてないし、生徒手帳以外の身分証明書なんて最初から持っていない。
その点、言い出しっぺの穂香は余裕綽々――
「生徒手帳はいつも持ち歩けって校則で決まってるよ? って、まあ、普段は全く持ち歩かないけど…………アレ?」
――だったのは、キュロットスカートのポケットに手を入れた瞬間まで。
緩んでいた表情が真顔になって、右のポッケをまさぐり、左のポッケをまさぐり、さらには中腰になって、お尻のポケットをいじくって、胸元、ブラウスのポッケにも手を突っ込んで、小さめのポシェットや着替えを入れてる手提げ袋の中までも漁った挙げ句、結論を少女は引きつった笑顔で言う。
「わぁい……忘れてきちゃった」
なお、穂香の生徒手帳は彼女の部屋、その机の上に置き去りになっていたらしい。
そんな感じで住んでるところも通ってる学校も証明出来なかったのだが……
「英明の子? もう……しょうがないな……次からは住んでるところか通ってる学校が解る物を持ってきてね」
年若い受付の女性に勘弁して貰って割引料金。
その交渉をしたのは、生徒手帳をもってこいとも何とも言ってなかった穂香だ。
「……物怖じしないよねぇ……私だけだったら、百円くらい、黙って払っちゃうよ……」
受付からロッカールームへの道すがら、ため息交じりに伶奈が呟く。
そのつぶやきに先ほどまで一生懸命受付のお姉さん相手に自分たちが英明の中学生だと説明していた穂香が答えた。
「一円を笑う者は一円に泣くのに、百円を笑ってたら、枕が涙でびしょびしょだよ? 涙でおぼれ死ぬよ? それに交渉も楽しかったよ」
「でも、『明日持ってくるから』ってないよ……バス代の方が高いじゃん……お姉さん、笑ってたよ? 『宿題じゃないから……』って。持って来いって言われたら本当に持ってきてたの?」
笑う穂香に今度は美紅が苦笑い気味に応える。
彼女の顔が少々赤いのは、伶奈同様穂香の一生懸命さが恥ずかしかったのかも知れない。伶奈自身、ほっぺが赤くなってる気がする。
そんな二人の気持ちを知って知らずか、穂香は大きく頷き断言した。
「もちろんだよ。明日、もう一回、泳ぐ口実になるじゃん?」
「……呆れるわね……」
「……――ってアルトが言ってる」
わいわいと話を交わしながら、ロッカールームに入ったら適当に四つのロッカーを占領して、着替えの始まり。
相変わらず、伶奈はラップタオルを使ってのお着替え。ぱっぱっと手早く脱いだら、するすると水着を身につけ出来上がり。くるんとと振り向き、彼女は口を開く。
「泳ご……――あっ……」
開いた唇がパカンと開いて固まった。
服の下にはなっから着込んでいた穂香はカラフルな柄物のワンピース、しかもちょっとハイレグっぽくてセクシーだ。運動部で着替えるのが早いと自慢している美紅は明るいオレンジのワンピース、スポーティな感じが格好いい。そして、未だ着替えてる最中ではあるが、蓮は蓮でパレオのついた可愛いビキニを用意していた。
そんな友人達の水着を順番に眺めた後、伶奈は自身の胸元に視線を落とす。
濃紺一色、ちょっぴりフリルのついてるところが可愛いには可愛いが、総論的には凄く地味な学校指定の水着がそこにはあった。
沈黙が流れた。
楽しそうに言葉を交わす母娘が穂香達の背後、伶奈の目の前を通り過ぎていった。娘の方は多分、まだ、小学生……だけど、可愛いビキニ姿だった事に伶奈は不幸にも気づいてしまった。
そして、蓮がぽつりと呟いた。
「………………これはこれで………………」
直後、少女は叫んだ。
「私、泳がない! 着替えたら、受付のお姉さんの所でテレビ見てる!!」
もちろん、そんなわがままが通用する事はなく、嫌がる伶奈はずるずると太陽まぶしいプールサイドへと引っ張り出されるのであった。
連れ出されたプールは空とプールサイドの青、入道雲の白、太陽の赤に、様々な色合いの水着達が乱舞していて、濃紺一色の少女の目には痛いほどにまぶしかった。
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