前髪(完)

「じゃあ、私は帰るよ。西部、男子大学生にコナをかけられたら、私に言うようにね。格好良かったら私が貰うし、そーでもなければ警察に突き出すから」
 瑠依子がそう言ったのは、四方会(主に伶奈)があの馬鹿馬鹿しい校則が事実であるかどうかを確かめに、カウンター席にまでわざわざ赴いたときのことだった。
(どこまで本気なんだろう?)
 なんて思いに固まる伶奈を尻目に穂香が軽く笑って口を開いた。
「相手にも選ぶ権利があるよ〜」
「私は選ばれる女だよ〜」
「背負ってる〜」
「いくらでも背負うよ〜」
 穂香と漫才のような会話を二つ三つ交えると、席を立ってひょいと肩にハンドバッグを引っかけた。
 そして、去り際、伶奈の肩をぽんと一つ叩いたら、人好きのする笑みを浮かべて言った。
「店番、楽しむんだよ。仕事って言うよりも、社会見学のつもりで。仕事なんて、西部の歳にはまだまだ早いんだから。気楽に、肩の力を抜いてね」
 伶奈に対してはそこまで。一息に言い終えたら、くるっと他の三名の顔を順番に眺めて彼女は再び口を開いた。
「帰りは六時十六分の電車には必ず乗るようにね。家に着いたら各自メールして。言っとくけど、適当な嘘をついてもばれるからね? その手のごまかしは実家暮らしだった女子大生時代に散々やり倒してんだから」
 そう言って瑠依子はカウンターから出てきた美月と共にレジへ……そして、ドアの外、未だ激しく雨が降りしきる空の下へと出ていった。
「桑島先生って……本当に真面目なのか不真面目なのか、よく解らないよね……」
 出て行く瑠依子の背中を見送って、伶奈が誰に言うともなしにつぶやいた。
「朝のホームルームを新車自慢と初ドライブの話で潰しちゃう人だもんね」
「……その初ドライブ、一緒に行ったのがお母さんだって言うのがポイント高いよね」
 伶奈のつぶやきに美紅がため息交じりに応え、穂香はなぜか嬉しそう。
「……――っと、そろそろ、伶奈チの部屋に行こうか? これ以上フロアにいたら、甘い物とか頼んじゃいそうだしさ」
 美紅との会話を切り上げて、穂香が言えば、他の二人も異口同音。三人の様子に断れそうにないな……と思いながら、伶奈が顔を上げる。
 カウンターの内側に居た老紳士と目が合った。
 すると彼は皺だらけの顔をかすかに緩めて答えた。
「二階の部屋は伶奈さんの部屋ですから……」
 この老年の大叔父にそう言われると、嬉しいやら、気恥ずかしいやら、申し訳ないやら……なんだか、非常に複雑な気分。
「気にしないで良いわよ」
 頭の上、さっきからくつろぎっぱなしの妖精なんかはそういう物だが、そこまであっさりと割り切れるほど、伶奈は図太くはない。
「あっ、ありがとう……」
 ぺこっと頭を下げて上げると、少女は赤くなってしまった顔を体ごとくるりと一回転。
「いこ……」
 控えめな声で伶奈がそう言うと、老店主がまた落ち着いた静かな口調で言った。
「後で美月さんに何か持っていって貰いますよ」
 その老店主の言葉に即座に反応したのは、穂香だった。
「あっ! 私、シュークリームが――痛っ!?」
 で、穂香の言葉にいち早く反応し、穂香の後頭部に左チョップをめり込ませていたのが南風野蓮であった。
「しのちゃん、メッ!」
 ずいっと一歩踏み出し、蓮がそう言うと、言われた穂香は蓮の方へと向き直り、そして、一歩下がる。
「えっ……えっとぉ……私も言ってから、意地汚いかなぁ……とは思ったけどぉ……ここのスイーツ、美味しいからぁ……ねぇ?」
 きょろきょろと周囲を見渡しながら、どー聞いて言い訳になってない言い訳を並べ立てる……も、伶奈と美紅は右と左に視線を逸らして助け船を出すことを全力で拒否……だって、美人にすごまれると怖いし……
 孤立無援になった穂香に対して、蓮はずいっともう一歩を踏み出す。
 穂香の背中がカウンターにトンと当たって、そこに置かれたお冷やのグラスに小さな波が生まれて消える。
 そこまで穂香を追い詰めたら、ひと言だけ、普段のフンワリとした口調が嘘のような言葉で言った。
「売り物!」
「はい、ごめんなさい。だから、その吊目は止めようよ……ほら、フェイスマッサージ、フェイスマッサージ」
 なだめるように穂香が言うと、蓮は一歩下がって、目元に指を当てて、ぐりぐりとマッサージを始める……も、閉じた目を親指と人差し指で揉むのは、フェイスマッサージじゃなくて疲れ目対策なのでは? と伶奈は思うが、見開いてると目が疲れるとも言ってたような気がするし、蓮はこう見えて突っ込み待ちな行動をすることもあるから、もしそうなら、突っ込んで上げるのも友達としての義務だし……
「……考えてないで突っ込みなさいよ……」
「蓮ちゃん、それ、疲れ目対策だよ、フェイスマッサージじゃないよ……疲れ目には目薬刺した方が良いよ」
 頭の上から響く突っ込みと、それと同時に美紅の蓮への優しさあふれる突っ込み。
 その美紅の言葉に従って、まじめに目薬を差し始める蓮とそれに対して――
「……本当に目薬持ってんだ……」
 と、目を丸くする美紅と、
「そういう訳なんで、お構いなく」
 ぺこりと頭を下げる穂香。
「はいはい。じゃあ、後で売り物じゃないものでも持って行って貰いましょうね」
 そして、温和な笑みを浮かべて答える老紳士。
 流れるような展開に伶奈一人が置き去り。
 挙句の果てが、一番最初の一歩を踏み出した穂香が、くるりと体をひるがえし、満面の笑みを浮かべて
「さっ、いこ! 伶奈チ」
 って言うもんだから、もはや、誰がここの関係者で誰がお客さんだか……
「まっ……良いか……うん、いこ」
 穂香に先導されながら自室へと向かう自分が不思議と心地よかった。
 なお、美月が持ってきた『売り物じゃないもの』は少し古くなった食パンで作ったラスク。アイスココアと一緒に食べると凄く美味しかった……と言う話は余談である。

 トントンと部屋に入り、四方会の四人と妖精さんはガラステーブルを囲んでいた。
 最初の話題は相変わらず伶奈の髪型ではあったが、百均で買ってきたぱっちん髪留めはどーも子供っぽいし、はちまきはなんか
「むしろ、ミクミクの方が似合いそう」
 と言うことで美紅が持って帰ることになったし、バレッタも試してはみたのだが前髪を留めるのにはむいてないって事で、これは穂香がお風呂上がりに使うと言うことで、彼女がお持ち帰り。
 結局……
「貴美が決めた髪形が一番って所で落ち着いたのね……」
 ちゃぶ台の上、だらっと足を伸ばして座るアルトが言うとおり、結局、貴美がやってたように前髪を七三か六四くらいに分ける感じの髪形が一番って事に落ち着いた。まあ、アルトに出入りする大学生もみんな似合ってるって言ってたのだから、似合っていることは間違いないのだろう……それでもやっぱり、未だにしっくりしてない。
 その後も、しばらくは髪形のお話が続いた。
 美紅は小学校の低学年まで伸ばしていたのだが、ある年の夏、首回りに盛大なあせもが出来たので、ベリーショートにまで切りそろえちゃったとか、穂香が美月の使ってるシャンプーとリンスに興味を示すも、それが結構良いお値段のメーカー品でがっかりとか、蓮は毎朝三回ブラッシングしたら髪が整う不思議で便利な髪をしているとか……まあ、割とどうでもいい話だ。
 それから話は明後日の方向に飛んで、夏休み中の話とか、プロ野球の話(確か、美紅のソフトボールの話から、ソフトと野球はどこが違うのか? って話になって、そこから、神奈川出身ならやっぱりベイスターズファン? となって、気づいたら今年のペナントレースの行方について話してた)をしてたり、さらには美月の両親(主に父親拓也)が置いて行ってるジャンプコミックスを読みあさったりしてるうちに、あっと言う間に時間は五時少し過ぎ。
「そろそろ、帰んなきゃなぁ……六時十六分の電車に乗らなきゃ、二度と足にならないって、瑠依子先生に言われてたんだよね……」
 そう言って、穂香が立ち上がり、彼女はペタペタと靴下の足音を鳴らして窓辺へと近づいた。
 すっと窓を開ければ、差し込むのは西に傾いたお日様の光と雨の香が残る真夏の風……
「雨、上がったね。美月お姉ちゃんに送って貰おうか?」
 蒸し暑い風を頬に受け、先ほどまでの雨が嘘のように晴れ上がった空に目を細めながら、伶奈は言った。
「うーん……車、軽四だっけ? それだと、伶奈チ、居残りになるしね……」
「みんなでぶらぶら歩いて帰るのもいいんじゃないの?」
「…………………それだと、にしちゃん、帰り、一人……だよ?」
 穂香、美紅、蓮、三者三様の言葉に少し頬を緩めて、伶奈も立ち上がった。
「……蓮は確実に歩くのがイヤなだけね……」
 立ち上がった頭の上でアルトが嘯く。
 前髪がなくなりクリアーになった視野の中、伶奈は少しだけ視線を上に動かして答える。
「アルト、連れて行くから一人じゃないよ。それにみんなともうちょっと居たいし……みんなが良いなら、歩いて送るよ……南風野さん、そんなにがっかりしないで良いから……」
 窓際、蒸し暑い風に整えた前髪を揺らしながら、伶奈は自分の部屋へと視線を戻した。
 すぐ隣には長く伸ばした髪を伶奈と同じく蒸し暑い夏の風に揺らしている穂香、その向こう側、ガラステーブルの元にはこちらを見て微笑んでいる美紅と対照的にがっくりとうなだれ、もはや、死にそうな顔になっている蓮の姿……
 そんな友人達と、普段よりも少しだけ自分の部屋を感じさせる借宿とを少女は見比べ、そして、言った。
「来てくれて、ありがとう……楽しかった、よ」
「いえいえ、ラスク、美味しかったよ。それじゃ、帰ろうか? 早めに出ないと蓮ちゃんが途中で死んじゃって、三人で背負わなきゃいけなくなるかも、だし」
「きたちゃん、だっこぉ〜」
「ええい! すがるな! 抱きつくな! 歩く前から死ぬんじゃない!!」
「きたちゃん……捨てないで……」
 腰を浮かせる美紅に早速しがみついてくる蓮。その蓮に容赦なく蹴りを美紅が蹴りをかますも、蓮は離れる様子はなくて、むしろ、ますます、強くしがみついてくる有様。
 と、じゃれ合う友達二人を眺めているのも楽しいが、そろそろ出発しないと本気で危ない。
 じゃれてる蓮の手をみんなで引いて、一路、最寄り駅へ……
「あっ、送りましょうか?」
 美月の提案は丁重に辞するも、蓮だけはやっぱり名残惜しそう。それでも連れて行ってと言わなかったのは、彼女もみんなで歩くのを楽しんでいるのかもしれない。
 長い長い下り坂を伶奈達四方会と伶奈の頭の上に乗った妖精はのんびりと下り始めた。
 盛夏の午後五時少し過ぎは夕方と言うにはまだまだ早くて、空調になじんだ身には少々きつい蒸し暑さ。
「留守番、してたら良かったかしらねぇ……」
 頭の上でアルトが早速へこたれている。
「歩かないくせに一番最初に音を上げないでよ……南風野さんだってまだ歩いてるよ?」
「どうしたの?」
 先頭を歩いていた穂香が後ろを振り向き尋ねてきたので、最後尾の伶奈は頭の上に向けていた意識を正面へと戻し、彼女の前を行く三人にアルトとの会話を簡単に教えた。
「ああ……暑いもんねぇ……こう暑いと、泳ぎたくなるよね……あっ、私も海に行きたいなぁ……みんなと泊まりがけで一週間くらい」
「友達だけで泊まりがけとか、許してくれるはずないじゃん……」
 穂香が言うと、彼女の一歩後ろを歩いていた美紅があきれかえった口調で答えた。そして、その美紅の右腕にぶら下がった蓮がたっぷりと考慮時間を得てから呟くように言う。
「……………………溺れる、死ぬ」
「波打ち際でパチャパチャしてたら? あっ、浮き輪につかまって引っ張って貰うの、楽しかったよ、すっごく」
 そう言ったのは最後尾をのんびりと歩いていた伶奈だ。
 その伶奈の言葉に蓮が足を止める。
 釣られて他の三人も足を止めた。
 そして、うつむいていた蓮の顔が上がって、伶奈の顔を覗き込みながら、ぽつり……
「にしちゃん…………引っ張って……」
 蓮の言葉に伶奈はパチクリと瞬き数回。
「えっ? 私が?」
「まあ、言い出しっぺの法則だよね」
「うんうん、足下砂だから、結構、きついと思うけど、頑張って」
「良夜も死にかかってたし……伶奈だとマジで死ぬかもね?」
 穂香と美紅だけでは飽き足らず、頭の上の妖精までもが伶奈をはやして立てる。それに、伶奈は赤くなった顔をプイッと明後日の方向、多くの車が行き交う車道へと向けて言った。
「どーせ、いけないもん……」
「じゃあ、行くことがあったら、みんな、引っ張って貰うと言うことで」
「えぇ〜!?」
 ピッと穂香が右手を挙げて宣言すれば、声を上げたのは伶奈ただ一人。アルトを含めた他の四人はぱちぱちと拍手喝采。
「……もう……きっと、いけない、いけない方が良い」
 ふてくされ気味に言う伶奈と、笑い声を上げる友人達……そして、その笑い声に釣られるかのように伶奈も照れ笑いを浮かべてみせる。
 それからもしばらく、くだらない話に華を咲かせているうちにあっと言う……間というほど早くはなく、普段の三割増しほどの時間を掛けて駅前まで到着。
 蓮がだらだらと歩いてたのが最大の原因。美紅の腕にぶら下がったり、穂香の背中にしがみついたり、伶奈の足にすがりついたりしてなきゃ、もっと早かっただろうし、そもそも、そんなことをしてる方が疲れるのではないだろうか? と言う素朴な疑問。
『かんかんかんかん…………』
 しかも、駅前に着いたときには賑やかな踏切の音が聞こえていた。
「わっ!? 電車、もう、来てる!?」
「やばっ!?」
 と、慌てる穂香と美紅に首を左右に振るのはここを最寄り駅にしている伶奈だ。
「これ、下りだよ。この時間だと先に下りが来て、後から上りだから」
 答えて伶奈は手元、腕にまいた愛用の腕時計へと視線を落とす。
 時間は未だ六時ちょい過ぎ……十八分の電車には十分以上の余裕がある。
「なんだ……」
 ぐったりとしながらも多少は慌てていたのか、美紅の腕にぶら下がっていた蓮も一安心……って、再び、ぐったりと脱力しちゃえば、ぐいっ! と腕を引っ張られた美紅が――
「重い! 重い!!」
 と大騒ぎ。
 そんな感じでやってきた最寄り駅。
 余り大きくはないが改札もあるし、わざわざ、入場券を買って入るのももったいないし……で、なんとなく、改札のすぐ傍、切符自販機の前に立って立ち話……でも、しようかと思っていたら……
「げっ……」
 思わず、漏れる小さな悲鳴。
「……下品な悲鳴ね……って、あら……悠介じゃない?」
 頭の上から降ってくる言葉の通り、何でか良いタイミングで、改札から出てくる作業着姿の間抜け面(伶奈の主観)
「どうしたの?」
 穂香が尋ねるが少女はふるふると首を左右に振るばかり……
「ん? 何々? 何かあった?」
「………………おトイレ?」
 美紅と蓮も尋ねるが、伶奈はうつむいたまま……
 さすがに改札口すぐ前の邪魔になるところにいるわけじゃないから、奴がこちらに興味を抱かなければ、そのまま、素通りしてくれるはず……との祈りを込めて、しばらく顔をうつむけ、知らん顔。
「行っちゃったわよ」
 頭の上から降ってくる言葉に顔を上げる。確かに、正面には奴がいなくて一安心……と思って、ちょっと振り返ったら――
「あっ……やっぱ、ジャリだった……」
 振り向き、こちらを見ていた奴と目が合った。
 そして、頭の上でアルトが言った。
「あっち行ったけど、こっち見てるわよ……って、遅かったわね?」
(わざとだ、絶対にわざとだ……後でひねってやる……)
 少女が心に決める。
 電車の警笛が鳴るのが聞こえた。
 そして、友人の声が耳に届く。
「ねえねえ、この格好いい人誰?」
「…………格好良くないし…………」
 尋ねる穂香にぼそぼそと消えるような声で答える。
「もしかして、彼氏!?」
「…………ただのお隣さんだし…………」
 今度は美紅の番。物凄く嬉しそうなのがなんか妙に腹が立つが、努めて冷静な口調で言葉を返す。
「………………ジャリ」
「同級生に言われたくないよ!?」
 そして、ぽつりと呟かれた言葉には半ギレで怒鳴り返して……と、対応しているうちにひょこひょことジェリドこと勝岡悠介が四人の元へと足を向けた。
「で、これから遊びに行くのか? 夜遊びは中坊には早いぞ、クソジャリ」
「違うもん! 友達が帰るから送ってきただけだもん! ジェリドこそ、何してるんだよ!?」
「……俺はこれから一回帰ってシャワーを浴びたら、居酒屋のバイトだよ……ギャンギャン、騒ぐな、クソジャリ……」
「じゃあ、もう、早くかえ――いたっ!?」
 ぽんぽん言い合う伶奈の後頭部に突き刺さるのは、案の定、蓮の右チョップ。
 大きな垂れ目がまたつり上がって、伶奈にひと言言う。
「にしちゃん、そんなに怒鳴っちゃ、メッ!」
「だっ……だって……ジェリドだ――わっ、もう、怒鳴らないから、睨まないでよ……ほら、フェイスマッサージ、フェイスマッサージ……吊目になってるよ?」
 おびえ気味に伶奈が言えば、今度の蓮は素直にフェイスマッサージ。ほっぺた辺りを中心の両手で揉み揉みと顔をマッサージし始める。
「面白い友達だな……」
 そう言って苦笑いしている悠介に、穂香が物怖じせずに声を掛けた。
「お隣なんですか?」
「あっ……ああ、そうだよ。あと、俺の友達がこいつの家庭教師をしてるから……」
「へぇ〜いくつなんですか? 年」
「十八だよ……って、なんだよ、いきなり……」
 さすがの悠介も穂香の積極性というか社交性というか、コミュ力の高さに若干引き気味。半歩下がりつつも反射的に答えれば、パッと穂香の表情が明るくなった。
「ほら、六つ差なら、まだまだ、いけるよ?」
「あっ、うちのお父さんとお母さん、五つ差だよ」
 その尻馬に美紅までもが乗れば、やいのやいのと大騒ぎ。
「もう! みんな、そろそろ、電車が来るよ! 乗り遅れても知らないよ!」
 伶奈のヒステリー気味な大声に、「はーい」と三人揃って回れ右。自販機の前にとりついたらおのおのが目的地までの切符を購入したら、三人揃って改札へ……
「じゃあ、またね、メールするよ」
「…………家に帰れないかも知れない……暑くて……」
「いや、電車とバス乗り継いだら家じゃん……って、ばいばい、伶奈ちゃん、またね」
 穂香、蓮、そして、美紅の三人を見送ったら、やっと一息……と思って、振り向けば、そこには……
「あっ……まだ、居た……」
「暇なのかしら?」
「……――って、アルトも言ってる」
「……馬鹿か? クソジャリ……帰りそびれてただけ。今から帰るよ」
 手持ちぶさたに立っていた青年がため息を吐いてくるりときびすを返した。
 小さめのザックを背負った作業着の背中……とことこと追いかけ、その隣に並ぶ。
 先ほど、アルトをひっくるめた五人でわいわい言いながら下った坂道を、今度はお隣さんと並んで登る。
 ゆっくりと西の空へと陰り始めた太陽が少しまぶしい。
「最近、こっちに帰ってきてるの?」
「いつまでも泊まってられないしな……」
 伶奈の質問に悠介が答えた。
「バイク、買えそうなのかしら?」
「……――ってアルトが聞いてる」
「まあ……なんとかなるかな……保険とかもあるから、余裕があるわけじゃねーけど……しかし、面白い友達だな……」
「……良いじゃんか……別に」
「別に悪いとも言ってないけどな……」
「まあ、面白い友達なのは間違いないわね」
「……アルトもうるさい、後でひねるから」
 言葉を交わしながら、二人と妖精はようやく夕暮れと呼べる程度に日の陰った坂道を登り切り、そして、下る。
「って、ジェリド、ついてくるの?」
「頭の上の妖精、送るんだろう? そろそろ、ジャリを一人歩きさせられる時間じゃないから付き合う」
 目を丸くする少女の言葉に青年はこともなげに答える。
「バイトは?」
「シャワーを短めにしたらなんとか……」
「……私……お母さんが帰ってくるまでアルトに居るよ? あと、ドブの匂い……ってほどでもないけど、汗臭い」
「……ちっ……引き返すか……」
 ぶつくさ言いながらも、結局、アルトの前、太い国道の対岸にまで青年は足を伸ばした。
「さすがに渡るのは面倒くさいから、ここでな。気をつけて渡れよ」
「うん……ありがと」
「貴方こそ、気をつけて行きなさいよ、アルバイト」
「……――ってアルトも言ってる」
「ああ……」
 そうやって言葉を交わしたら、くるっと踵を返す。
 夕方のラッシュが始まったおかげで国道を渡るのは少々おっかないところではあるが、それでも少し離れたところにある信号が赤に変われば、この辺りにまで信号待ちの車列が伸びる。そのタイミングを見計らって小走りで少女は道を渡った。
 そして、くるりと向き直れば、未だ止まっている車の向こう側に青年がまだ立っていた。
「またね! ジェリド!」
「ああ、クソジャリ! でこっパチ、似合ってるぜ!」
「うっさい、馬鹿!!」
「おまえほどじゃねーよ!」
 罵倒をひとつずつ交換し合ったくらいで車が動き始めた。
 気づけばお日様も随分と西の空に陰って、足下に伸びる影は随分と長い。
「じゃあ、ね! バカジェリド!」
「またな、クソジャリ!」
 最後に一つずつ言葉を交わしたら、お互いに背を向け合って、それぞれの向かう方へと足を向ける。
 ゆっくりと西の空が夕焼け空へと変わっていく。
 夜の気配をまとった風が少女のヘアピンに止められた前髪をサッと撫でて走って行く……
「……明日、晴れるね」
 少女が呟く。
「暑くなるわよ」
 頭の上で妖精が答えた。

 それから十日ほどの後……また、アルトに遊びに来てた四方会の三名と悠介が再会したとき、
「あっ、ジェリドさんだ!」
「こんにちは、ジェリドさん」
「………………ジェリドさん」
 穂香、美紅、そして、蓮までもがしっかりと「ジェリド」呼ばわりだったことに、さすがの伶奈も若干悪いことをしたかと思った。
 が、
「おい、デコジャリ!」
「うるさい、バカジェリド!」
 その罪悪感は五秒で消え去った。

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