話戻って今朝……――
「今日、話、戻ってばっかりだよね……」
「伶奈チがどうしてどうしてって聞くからだよ? どちて坊やか?」
「……何? それ?」
「さあ……? お父さんが前に言ってたんだよねぇ……」
って言う伶奈と穂香のやりとりは余談として棚の上に片付けておく。なお、後にアルトから「一休さんって昔のアニメに出てたキャラよ」と教えて貰った挙げ句、「一休さんって何?」と尋ねたら、アルトが軽く頭を抑えていたのは、さらなる余談だ。
で、話戻って今朝、場所は英明学園から歩いて三分、東雲邸、穂香のお部屋。
前に伶奈達を迎え入れたときに比べると、床にぬいぐるみが転がってたり、脱いだ靴下が転がってたりと若干エントロピーが増大した感じ。その部屋の窓辺、多くのぬいぐるみと漫画の本の中、小さく丸まった家主が気持ちよさそうに寝ていた。
「穂香! いい加減起きなさい!! 朝ご飯、食べなさい!!!」
階下から聞こえる母の怒鳴り声。
夏休みだからもっと惰眠をむさぼっていても良いはずなのだが、毎朝のように母は娘をたたき起こしていた。
がっかりである。
「……だいたい、私が九時に寝て七時に起きるような生活してたら、毎日雨だって……」
ぼやきながら体を起こし、少女はふと窓の外へと視線を向けた。
夏には珍しい曇天の空……昨日の夜に見た天気予報だと昼からは雨、とのことだったがこの調子だともうちょっと早くに降り始めるかも知れない……と思うと、思い立つこともある。
ベッドの上、腰から下を薄い肌掛け布団に突っ込んだまま、少女は枕元へと手を伸ばした。そこに置いてあるのは愛用の携帯電話。
「ちょっと! 早く起きなさい!!」
「解ってるよ!! ちょっと友達にメールしたら下りる!!!」
階下から聞こえた母の大声に少女も大声を上げて、視線を手元に落とす。
赤い二つ折りの携帯電話、いわゆるガラケー。最近スマホに変えた母のお古だ。しかもパケット放題もない奴。世知辛いったらありゃしない携帯電話をぱかっと開いて、メールをぱちぱち……
今時の中学生らしく絵文字たっぷりのメールを作ったら、すぐに送信。
もちろん、すぐに返事が来るなんて思うほど子供ではない。
中古ケータイをベッドサイドに置く。
「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!」
ぐーーーーーーっと大きく背伸び。膨らみ始めた胸一杯に新鮮な朝の空気が満ちてくる。まどろんでいた細胞一つ一つに酸素が巡り、脳みそもはっきりしていく感じが心地良い。
「よし! お母さん!! ご飯!!!」
ひときわ大きな声を上げたらベッドから飛び降りる。そして、白いパジャマも脱がずに少女は閉め切っていたドアを開いて飛び出したら、叩き付けるように閉める。
「静かになさい!」
母の声が無人の部屋にまで届く。
その声が夏の曇り空に消えれば、子供部屋はしーんと静まりかえった。
そのまま、小一時間ほどの時が流れた。
次に聞こえたのは、とんとんと〜ん……と階段を駆け上がる音。
それからすぐに、ガチャっと先ほど閉じたドアが開いて、少女が戻って来た。
帰ってきた途端に入れられるエアコンのスイッチ、サッと冷たく心地の良い風が穂香の頬を撫でた。その心地よい風に目を細めたら、少女は枕元に置いた携帯電話に手を伸ばす……
も、残念なことにお目当てのお返事はまだのよう。
「まだかぁ……」
小さな声で呟きながら、視線を窓へと向けた。
先ほどよりも雲は分厚くなったようだ。今にも泣き出し――
――訂正、今泣き出した。
ぽつりぽつりと窓に落ちる大粒の雨、それを見ながらガッツポーズを一発。
「よし! 日頃の行い!」
大きめの声で言ったら、気分を入れ替えて、ぱっぱっとパジャマを脱ぎ捨てる。
白いパジャマの下は白いパンツとタンクトップ。まだまだ子供といった趣の下着姿になったら、少女はタンスにとりつき、ぱっぱっと中から着替えを取りだした。
最近付け始めたブラジャーにキャミソール。それから、少しゆったり目の半袖トレーナー、それに合わせるのは七分丈のスリムパンツ。ボーイッシュだけど可愛いって言うのが最近の穂香が目指すところ。
引っ張り出した服を手早く着替えたら、大きめの姿見の前に移動。肩口を越えるくらいに伸ばした黒髪をブラシでとかし始めて……終わらぬ間に聞こえてる大きな声。
「穂香! お友達が来たわよ!」
祖母の声だ。
その祖母の声に穂香も少し大きめの声で返事をした。
「上がって貰って!」
そして、十数秒……とんとんとん……心地よい階段の音を響かせて、上がってきたのは――
「物凄い降ってる!」
ショートに切った髪をびしょびしょに濡らし、首にタオルを引っかけた北原美紅の姿だった。
彼女の顔を見たら、穂香は姿見の前でくるんと上半身を回し、ニヘッと人なつっこい笑みを浮かべて言った。
「だから、今日は雨だから、部活休みになるよって、メールしたじゃん? 友達の言うことは信用しようよ」
「メール受け取ったの電車の中だったし……それに昼からだって、天気予報は言ってたしさ。もう、また、体動かせなかった!」
憎々しそうに言って、穂香がガラステーブルの前に腰を下ろすのを見届けたら、穂香も使ったブラシを学習机の上に置き、ガラステーブルの方へと足を向けた。
少し大きめのガラステーブルを挟んで二人は座る。
そして、穂香が少々不機嫌そうな表情で頬杖をついて、言った。
「雨が降って部活が休みになったら遊びにおいでってメールしてくれて助かったよ。みんな、帰るか、遊びに行くか、最初から来てないかでさ。私もどうしようかと思ってたんだよねぇ」
「そこで図書館とかで自習ってのはないの?」
「穂香ちゃん、この状況でそう言う事したりするの?」
「するわけないじゃん」
「だよね〜」
そんな感じで始まった穂香と美紅、二人きりのお茶会。もっとも、饗されるのは祖母が差し入れてくれた麦茶とポテチ。
「伶奈ちゃん居たら、ココアが出てくるのになぁ……って、別に麦茶がイヤって訳じゃないよ?」
思わず口走ったのだろう、赤い顔でぶんぶんと首を振る友人に穂香は軽く笑いながら、麦茶のグラスに口を付けた。
そして、半分ほど飲み干したら、それをテーブルの上に戻して答える。
「ああ、解ってる、解ってるよ。私もそう思ってた所だし……あっ、そーだ。ココア、いつも貰ってばっかじゃ悪いし、粉くらいは買おうか?」
「あっ、それ、良いかも……三人で買えば値段もたいしたことないだろうし」
「まっ……作って貰う方のお礼はいずれ精神的に、って奴だけどね?」
「あはは、それ、お礼する気あるの?」
「お父さんがいつもお母さんに言って、呆れられてるの」
「いい加減なんだね」
「うん、いい加減。だから、その娘もこの調子って訳だよ……しかし、どうしようかなぁ……これから。ミクミク呼んだの、ほとんど、ノリで、何するか、決めてたわけでもないし……」
「うん、多分、そうだと思ってた……うわぁ、土砂降り……下手なところに行く気にはなれないよね……帰るのもおっくうになっちゃう」
そう言って、美紅は腰窓の方へと視線を向けた。
それに釣られて穂香も視線を向ける。
叩き付けられる大粒の雨。耳を澄ませば大粒の雨が窓を叩く音が聞こえる。夕立のようにも感じるが、天気予報によると夜くらいまではずっとこの調子らしい。まあ、多少早く降り始めたから、その分、早く上がってくれるかも知れないが……
「……うーん……とりあえず、蓮チにメールしよう」
ベッドサイドからケータイを拾い上げ、ぽちぽち……とメールを作る。
「伶奈ちゃんは?」
その手元を覗き込みながら、美紅が尋ねると、穂香は顔も上げずに答えた。
「伶奈チはバイト中……朝から昼まで、お店の人が自動車学校に行くんだって」
「じゃあ、今は駄目だね……」
メールを送信し終え、ケータイを二つに畳んでテーブルの上、ぽんと、投げ出した。そして、穂香はごろんと床の上に寝転がった。
「みくみく」
「……だからさ、みくみくは止めて、美紅チにしようよ、美紅チに」
「ミックミックにしてやってんだよー」
「していらないよー、で、なんの話?」
「なにが?」
「呼んだじゃん」
「うーん……忘れたよー」
「……穂香ちゃんって、時々、猛烈にバカだよね?」
「知ってるー」
ラグの上、ごろごろと転がってる穂香とガラステーブルに頬杖付いてる美紅との間で言葉が行ったり来たり。
とりとめのない言葉のやりとりがしばらく続いたかと思うと、どーーーーーーーーーーーーーん! と言う号砲……は――
「あっ、メール……蓮チからかな?」
「……それ、着信音なんだ?」
「うん、昔の戦艦の主砲の音らしいよ。お父さんが見つけてくれたんだ〜受けるぞって」
「……とりあえず、びっくりした……」
あんぐりと口を開いているのは驚いたからか、それとも呆れているのか……どちらとも付かぬ美紅にニマッと笑みを返して、ケータイに手を伸ばした。
ぱかっと開いたら、お目当ての人からのメール。中身は言葉数少ない蓮らしく、飾り気もなければ、余計な修飾もない簡素な物、必要なことを必要なだけ書いたって感じ。業務連絡だってもうちょっと何かあるだろうに……と思わせる代物。
そんなメールに変な安堵感のような物を感じながら、穂香は返事のメールを作る。
「蓮ちゃんから?」
「うん……蓮チ、遊びに来るって……」
「遊びに? それは良いけど……」
「美紅ち――ミクミク」
「今、美紅チって呼んだよね? なんで、いちいち、言い直すのかな?」
「細かいよ、ミクミク。それより、お昼代、持って来てるんだよね?」
「細かくないよ! って……そりゃ、持って来てないとお昼、食べれないし……」
「うん、それじゃさ、今、瑠依子先生に『アルトにランチ食べに行こー』ってメールしてるから、行くって言ったら、一緒に行こう」
そして、瑠依子から『ランチを食べに行くんじゃなくて、西部の様子を見に行くんだよ』と、建前重視のメールが返ってきたのは、それから十五分後のこと……雨がさらに本降りになってくる頃のことだった。
「って感じで遊びに来たって訳だよ」
四人で占領する、窓際隅っこ、いつもの席。身振り手振りを交えた穂香の説明は聞いてて飽きない物だった……のは良いけど、飽きない代わりに呆れるというか、なんというか……
「んで、これがスーパーで買ってきたココア、よく解んないけど、明治と横文字のメーカーとがあったから、とりあえず、外国製の方が良いかな? って思って、こっち、買ってきた」
そう言って、穂香はドン! とテーブルの上にバンホーテンのココアの袋を置いた。
「……別に気にしないで良いのに……てか、ちょくちょく飲みに来るつもりなんだ……」
「気を遣ってるんだか、遣ってないんだか、解らない子よね……」
伶奈のつぶやきに頭の上でアルトが答える。
遊びに来て貰えるのは嬉しいけど、それが働いてる最中だったら、ちょっとイヤ……差し引きでどっちが上かなぁ〜なんて、くだらない事を少女は考えていた。
ら、
「で、このバンホーテンを買いに行ったら、先生が、三色ボールペンを買うから、文具売り場に寄ろうって言い出したんだよね」
今度は美紅がそう言うと、伶奈は思考をいったん切り上げて、半ば以上反射的に「うん」と相づちを打った。
「……………………ついでだから……ヘアピンとか、買ってきた」
今まで、ひと言も発せず、ぼーっと雨が降りしきる窓の外を眺めていた蓮がぽつり。そして、百均の名前が入った買い物袋を取り出した。
それを蓮がひっくり返すと、中からゴチャッと出てきたのは、ぱっちんヘアピンとかバレッタとか、細い紙紐だったり、ヘアゴムだったり……
「なんでだよ!?」
「そりゃね、校則だからだよ」
腰を浮かして大声を上げた伶奈に対して穂香が言うも、もちろん、入学して数ヶ月、一度もすだれ髪に対して、文句を言われていない伶奈には納得できる物ではない。
「言われたことないもん!」
「まあ、英明の髪形の校則は第一項が『染色、脱色、パーマは髪質の如何を問わずに禁止』なんだよ」
冷静に言われるとテンパってたことよりもそれをそらんじられる穂香に呆れるというか、感心するというかで、登っていた血の気も若干下降線。
控えめな声で伶奈は言う。
「……東雲さん、そういうのいちいち、覚えてるの?」
「校則って時々面白いネタがあったりするから、確かめておくと笑えるって、お父さんが言ってたから。まあ、それは良いんだけど、第二項が本命」
「なんなの?」
不思議そうに小首を傾げる伶奈の前、穂香はにこっとはち切れんばかりの笑みを浮かべた。
「えへへ、せーの!」
そして、彼女が音頭を取れば、他の二人も息を合わせて言い切る。
「「「似合わない髪形禁止!!」」」
「誰だよ、そんなアホな校則決めたの!!!」
と、伶奈が大声を上げた十五秒後……三人を引き連れた穂香は、瑠依子の居るカウンターへと顔を出したら、そこで話をしていた和明と美月の顔を指さした。
「この人の配偶者でこっちの人のおばあちゃん、そして……――」
今度は自分の顎を指さして言うのだった。
「この人のおばあちゃんも一枚噛んでたっぽいよ」
なお、この後、伶奈は――
「確かに、出してる方が似合うから、夏休み明けからその髪型で登校したら?」
と、瑠依子に言われて、何とも言えない気分になったことは、言うまでもない。
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