翌日、伶奈達女性陣が灯達男性陣と合流したのは、朝と言うには遅すぎる十時半を少し過ぎた頃のことだった。
この時間までだらだらとベッドの上に居たのは、ひとえに、昨日の夜、遅くまで四人で話をしていたから。まさに修学旅行の夜って感じで、どーでもいい話を深夜遅くにまでやっていた。
当然、朝、起きられるはずがない。
ちなみにどのくらいどーでもいい話をしてたかと言うと、一例としては凪歩と伶奈が「カレーにソースはありかなしか?」の話をしている最中に「インスタントラーメンにマヨネーズはちょっと美味しい」と翼が言い出すくらいにどうでもいい話を深夜二時くらいまでやってた。
昨日の夜、最低限の荷物すら持たずに――具体的に言うと翼のパジャマすらも持たずにこちらのコテージに移動してきた女子組四名、昨日のうちに買ってきた食材は全部、元のコテージに置きっ放し。彼女らが起きたコテージの冷蔵庫には朝食になるような物どころか、氷以外なんにも入っていやしない。
「…………朝から、朝食、六人前……」
その状況で暗い顔になったのが起き抜けから本格的二日酔に突入している寺谷翼女史。たっぷりとシャワーを浴びてきているようなのだが、吐く息は酒臭いし、顔色は最悪。しきりに頭を撫でてる辺り、辛そうなのが見て取れ……――
「まあ、私も手伝うから……」
「……伶奈、手伝って……なぎぽんは……その辺で、踊ってて……」
「……ひどい」
……――るのだろうか? 凪歩との会話を見る分には、普段通りに思えなくもない感じ。意外と余裕があるのかも知れない。
ともかく、私服に着替えたら、男性陣が待つコテージへ……朝っぱらからまぶしい日差しの路地を抜け、お隣のコテージへ……凪歩が預かってたままの鍵でガチャッと鍵を開ける。
「……そー言えば、私たちのコテージの鍵は?」
「それはもちろん、灯から分捕ったよ?」
「そー言うところはちゃっかりしてるわねぇ……」
伶奈の質問に凪歩が答えると、頭の上でアルトが感心するような、呆れるような……微妙な声色でコメントを付け加えた。
「…………おはよ」
話をしている伶奈達の横、ローテンションの翼がぽつりと呟く。
すると返ってきたのは灯の意外なひと言。
「狙ってた様なタイミングだな……」
「何が?」
尋ねたのは好奇心旺盛なアルトさん。
「……私が聞くの?」
「当たり前じゃない」
と、伶奈とアルトが揉めてる間に凪歩が尋ねる。
「何が?」
「ちょうど、朝飯が出来たところだって事」
「へぇ〜? 誰が作ったの?」
凪歩の質問に灯が答え、さらに凪歩が尋ねる。その問いかけへの返事が返ってくるまでの間に女性三人プラス妖精さんがキッチンへと入った。
テーブルの上には汁椀の中に入った赤いソース……ケチャップにタマネギのみじん切りが入ってるのだろうか? 見た限りだとその程度しか解らない。それから大きめのお皿にはスライスされたタマネギとピーマン、それに細切れのベーコンとか豚バラ肉。
そして、チン! と響くトースターのベル。
「おっ、出来たか……」
大きなテーブルの片隅、立ち上がったのはそれまで食パンにマーガリンとケチャップ製ピザソースを塗っていた悠介だ。彼は塗りかけの食パンをテーブルの片隅に置いたら、すでに具材とてんこ盛りのチーズが乗った食パンを手にトースターの方へと足を向けた。
そして、青年がぱかっとトースターの扉を開けば、ペロッと出てきた網の上にはトーストが二枚。それにはタマネギやピーマンのスライス、豚バラ肉が並べられ、その上にはトロッととろけたチーズの衣が覆い被さっていた。
溶けたチーズ、焦げたケチャップ、しみ出した脂、そのすべての香りが伶奈の、そして、皆の鼻腔をくすぐる。
「あっ、美味しそう……」
思わず伶奈が呟き、先ほどの凪歩の質問に灯が答える。
「ジェリド作だよ」
「えっ?」
素っ頓狂な声を上げる伶奈に、焼き上がったピザパンを皿の上に並べていた悠介が憮然とした口調で言った。
「……文句あるなら、食わなくて良いぞ、ジャリ」
「べっ、別に文句はないよ! 意外でびっくりしただけだもん!」
「ひと月も一人暮らしをしてたら包丁の使い方くらい覚えるし、そのうち、ネットでレシピを調べるくらいの知恵は身につくんだよ、大人は」
慌てる伶奈に悠介が不機嫌さを隠しもしない表情で言えば、反応したのは伶奈の頭の上でくつろぐ妖精だった。
「あら、良夜なんて、ひと月終わった頃にはバイト先のスーパーで売れ残りの総菜を貰う知恵をつけた結果、三年たった今でも、適当に刻んで、適当に炒めて、適当にエバラ焼き肉のタレで味付けする肉料理しか作れないわよ……後ピーラーで作るキャベツの千切り」
「……それもどうかと思うけど……」
「ん? なんか言ったか?」
「アルトとちょっと話をしてただけだよ……」
「悪口か?」
「ジェリドのじゃないよ」
「珍しいこともあるもんだ」
伶奈と言葉を交わしながら、悠介は皿の一つを伶奈の胸元に突き出した。
近づくピザトーストが少女の食欲をピンポイントで打ち抜く。
お腹が鳴った……様な気がした。
「えっ?」
二度目の素っ頓狂な声。
「どーせ、シュンは二日酔であの体たらくだからな……」
そう言う悠介の視線を追い帰れば、その先にはテーブルに肘を突いて座る俊一の姿。顔色悪く頭を抱えてる姿は確かめるまでもなく二日酔。
「まあ、昨日、シュン君は念入りに潰したから」
軽い口調で凪歩が言う。
「……なぎぽん、やり過ぎ」
翼も二日酔らしいが、俊一に比べればまだまだマシ。軽くため息を吐いたら、キッチン、シンクへと足を向けた。小さめの土鍋と米を取り出すところを見ると、どうやら、おかゆを作るようだ。
「いやぁ〜ツイ……」
笑う凪歩に、俊一よりかはマシだがやっぱり潰された悠介がもう一発ため息を吐く。そして、伶奈に皿を押しつけ、彼は言った。
「ガキが遠慮してんじゃネーよ……食わないんなら、ずっと、食うな」
「誰も食べないとか言ってないじゃん! 皆より先で良いのかと思っただけだもん!」
「それが遠慮って言うんだよ、バカジャリ。それから飲み物は冷蔵庫のジュースでも飲んでろ」
「言われなくても飲むもん! 凪歩お姉ちゃんも真鍋さんじゃなくて、ジェリドを入念に潰しておけば良かったのに!」
伶奈がひときわ大きな声で言えば、皿を差し出したままの青年はそれをさらに上回るほどの大声を上げた。
「あんだけ潰されたら十分だ! 俺だって頭が痛いんだぞ!? それをシュンは頭抱えてるし、灯は包丁を持ったのは中学校の家庭科以来だっつーし! 女組はいつまでも起きてこないわ、電話にも出ないわで、俺が作るしかないだろう?! 灯がお前の電話に三回電話したんだぞ!?」
と、切れる悠介の言葉に伶奈は慌てて、胸元、オーバーオールの大きな胸ポッケに手を突っ込む。取り出される愛用スマホ、軽くキーに触れたら浮かび上がるロック画面と着信ありの文字。
「あっ……ごめん……」
「つー訳だから、おとなしく黙って、食え。バカジャリ」
「…………くっ、一生の不覚……携帯、なんで、気づかなかったんだろう……?」
「……安い一生ね、貴女の一生……」
と、テーブルに着く伶奈の頭の上で、アルトがやっぱりため息を吐いていた。
さて、そういう感じの朝食兼昼食。六人分に十分足りるだろうと思っていた食パンを、卵がゆを食べた俊一を除いた五人で食べきってしまったって言うのが味の評価のすべてと言って良いだろう。
「負けた気分で一杯……」
「二枚も食べておいてその態度か? ジャリ」
「二枚も食べたから負けた気分で一杯なんだよ!」
「じゃあ、三枚目の敗北でもかみしめてろ!」
と、伶奈と悠介の阿呆な口論を挟みつつ、男女別れて水着に着替え。それぞれに水着の上にパーカーだったりTシャツだったりと気軽な格好に着替えたら、悠介が運転する大きなライトバンに乗って海まで移動……って――
「ジェリド、運転、下手くそ!」
ガッコン! とエンストしたライトバンの中、前部座席の背もたれに突っ伏した伶奈が体を起こしながらに叫んだ。
「……お酒……まだ、残ってるの?」
伶奈の右隣、シートベルトにしがみついてる翼が尋ねると、助手席と運転席の間、補助席に座った灯が後ろを振り向きながら答える。
「……イヤ、こいつ、いつもこんな感じだから……」
そういう訳で、三十分足らずで三回目のエンストである。
三点式のシートベルトでしっかり固定されてる他の面々はともかく、三人シートの真ん中で二点式のシートベルトで固定されてるだけの伶奈にしてみればえらい迷惑。信号で止まる度にブレーキが効きすぎては前につんのめり、発進の時にはエンストでまた前につんのめりの繰り返し。
「アルトなんて最初の信号の時に、私の頭の上から吹っ飛んで、今、ダッシュボードの所で気絶してるんだよ!?」
そう伶奈が叫んだとおり、ただいま、アルトはフロントガラスにまで吹っ飛んだ挙げ句、ダッシュボードの上で轟沈している。曰く『良夜も美月も若葉の頃から普通に運転してたから、油断していた』との事。そのアルトがブレーキをかけたり、発進したりする度に、ダッシュボードの上でコロコロ転がっているのは、可愛いやら、憐れやら……
「ちゃんと捕まってないと危ないよ?」
そう言う灯の場合、慣れているのか器用に助手席のヘッドレストにつかまったり、足を踏ん張ったりしてるおかげで、そんなにガッコンガッコンと前後に揺らされているわけでもなさそう。
「とりあえず、灯、帰ったら免許取りに行きなよ、免許」
翼同様に三点式のシートベルトにしがみつきつつ、凪歩が言えば、灯は小さくため息を吐いて答える。
「……凪姉もな」
なお、この時、悠介がひと言も反論しなかったのは、その余裕がなかったからだ、そうだ……
それから三回の急ブレーキと同数のエンストを繰り返して無事(?)海に到着。
直後、気絶から復帰したアルトが悠介のデコに大きなバッテンを作ったって言うのはちょっとした余談。
二日酔いに車酔いが合わさって死にそうな顔をしている俊一が荷物番を買って出てくれたおかげで、残り五人は気兼ねなく海を堪能できることになった。
先日の日焼け跡も綺麗に消えた首筋をサワサワと触りながら、伶奈がぽつり。
「ジェリドの運転が下手だからだよ……明日には帰らなきゃいけないのに……」
「うっせ……免許取れる歳になってから言いやがれ」
と、ふてくされ気味のそっぽを向く悠介の隣、灯が苦笑いを浮かべて言った。
「まあ、シュン、泳げないから」
「えっ? そうなの?」
「筋肉が付きすぎてると浮きづらくなるんだよ」
そう言って灯は自身の左肩の辺りを右腕で撫でながら、苦笑いを浮かべた。
よく見てみれば、確かに凄い筋肉だ。太ももも腕も太いし、お腹周りにも余計な肉が付いてる様子は全くない。鍛え抜かれたという表現がぴったりな感じだが、これでも現役を退いてからは落ちたらしい。
「それに、中学と高校の六年、夏はずっと野球の練習だったから、ろくに海もプールも行ってないしなぁ……」
「灯は無理矢理連れて行かれてたもんね、家族旅行で海に」
二人の会話に割って入ってきたのは、肩から大きな浮き輪をぶら下げた凪歩だった。
「それでも泳ぎは余り得意じゃないよ、嫌いでもないけど」
「ウェットスーツ着たら泳げるんだよね」
「浮き輪代わりになるからな」
話をしている姉弟をよそに、伶奈はふくらはぎの真ん中くらいに波を受ける辺りまで足を進めた。
東の空、海の上には大きな入道雲、その下が霞んで見えてるから、もしかしたらスコールみたいな物が降っているのかも知れない。
ぼんやりと数秒眺めた後に、伶奈は視線を色とりどりの水着とビーチパラソル、海の上が立ち並ぶ海岸へと戻した。
「何しに来たんだろう?」
独り言をぽつり……と、呟くと目の前にふわっとアルトの小さな頭がぶら下がる。
そして、彼女はニマッと底意地悪そうな笑みを浮かべていった。
「水着の女でも見に来たんじゃないの?」
「……そうなの?」
「海にあるのは海水と水着の女だけよ」
「水着の男も居るよ?」
「そんなの刺身のツマかとんかつのキャベツの千切りよ……てか、男の裸を見に来た男が良いの?」
「……それはイヤだけど、だからと言って、水着の女を見に来た男の人が良いって訳でもないよ……」
「正論ね」
「何ぶつくさ言ってんだ? てか、ジャリ、準備体操はしたか? 足がつっても知らんぞ」
たわいのない話をしている所に茶化すような馬鹿にするような声。振り向き見れば、青い海パン姿の悠介が馬鹿面(主観)を下げて立っていた。
「さっき、したもん……ジェリドこそ、したの?」
「大人は良いんだよ」
「……アルト、この人、やっぱり、バカだよ」
頭の上、先ほどまで視野を覆っていたアルトへと声を掛ければ、答えたのは妖精ではなく、苦々しい顔の青年だ。
「……言いやがったな……クソジャリ」
端正な二重のひとみを細めて伶奈の顔をにらみつける。もっとも、普段が普段な上に、基本的に締まりのない顔(主観)なので余り迫力はない。
少女はにらみつける青年の視線を軽く受け流しながら、言葉を繋ぐ。
「大人だって準備運動しなきゃ、足がつるに決まってんじゃん……」
「いい大人が海に入る前に体操とかやってられねえんだよ……恥ずかしい」
青年がそう言った。
ふくらはぎを撫でる波が心地良い。
そして、少女はため息交じりに言った。
「やっぱり、バカじゃん……」
「……むかつくクソジャリだな、お前……」
「ねえ? アルトだってそう思うでしょ? って、どうしたの?」
頭の上にはアルトの気配、されど返事はなし。視線を上へと持ち上げながら、少女が尋ねると、ふわっと小さな頭が少女の視野の中、青年の顔を覆い隠すように落ちてきた。
「たいしたことじゃないわよ、ただ、さっきの灯や俊一に比べて、まあ、貧相な体つき……と思ってたのよ」
アルトはそう言って再び、視線を悠介の方へと向けた。
それに釣られて伶奈も視線を向ける。
確かに、細い。
あばらが見えてる。
色が白いからなおさら痩せて見える。
そんな青年の姿を見ながら、伶奈はぽつりと呟いた。
「…………細いね」
伶奈がそう言うと、妖精はぽんと頭の上から飛び上がり肩の上に着地。ほっぺにほっぺを押しつけるような感じにしながら、彼女は言った。
「……貧相な坊やって奴ね、まさに」
「……そこまでは言わないけど……がりがりだよね……」
ぼんやり、悠介の体を鑑賞しながらアルトと言葉を交わしていれば、悠介は怪訝な表情で伶奈の顔を覗き込み言った。
「なんだよ……人の顔、まじまじと見やがって……気持ち悪いな……」
「いやっ……あの……細いな……って思って見てただけだよ……」
流石に貧弱な坊やだと思っていた……とは言えずに、慌てて言葉を濁せば、悠介は違う意味に取ったのか、頬を緩めてポーズを取って見せた。
なんだか解らないけど、ボディービルダーがやるようなポーズだ。
「最近、力仕事ばっかやってからなぁ〜引き締まってるだろう?」
って、本人は言ってるけど、なんて言うか……
「棒人間」
「…………ぷっ」
アルトの的確な指摘に思わず吹き出す。
「うん? どうした?」
「なっ、なんでも、なんでも無いよ……うん」
慌てて首を左右に振ってみせる。
「そうか?」
そう言って青年は違うポーズになった。後ろを向いて両腕を上げる感じの奴。背筋をアピールしているのかも知れないが、背骨が浮かんで見えてますますみすぼらしく見えた。
その背中から、少女は視線を逸らす。
少女の肩が小刻みに震える。
足下、澄んだ海水の中を一匹の小魚がぴゅーっと泳いでいくのが見えた。
自身の足下から少し離れたところに、青年の足が見えた。その足下しか見てないけど、微妙に動いて小さな波紋を作っている。どうやら、未だにポージングをやっているようだ。やってるうちに楽しくなってくるタイプなのだろう。
とりあえず、吹き出す前にこの場を離れよう……そう思ってきびすを返そうとした、その瞬間だった。
「……伶奈……棒人間みたいなのと、遊んでないで……準備体操……」
翼の声に伶奈が顔を上げる。
ポージングを取っている棒人間の向こうにいつもの鉄仮面が見えた。
とりあえず、真っ正面から棒人間を見てるのに吹き出さないってだけで、伶奈は翼を尊敬できる気がした。
だって……
「……ジェリド」
ひと言、言った。
「……なんだ?」
腕を下ろして、棒人間が棒立ちになった。
って事を頭の中で考えたら、もう、止まらなくなった。
「ごめん」
もう、ひと言言って、彼女はぺこりと頭を下げた。
「あはははは、棒人間! 棒人間!! ジェリド、棒人間だって!!」
「ちくしょーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!! 俺だって、そうじゃねーかとは思ってたんだよ!!!!」
大爆笑する少女を捨て置き、青年は大海原に向かって駆けだしていった――
「ぎゅあ!!!!」
――ら、足がつった。
二人目の荷物番が生まれた瞬間だった
それから数時間後……日も暮れ、天井に夜の帳が下りる頃、伶奈達はコテージの庭にレジャーシートを敷いて、その上に座っていた。
真ん中には皆で作った料理達。大きな卵焼きは翼作、から揚げは悠介。凪歩がサラダを作って、いびつな形のおにぎりは灯と伶奈の師弟コンビが握った代物。
二日酔いが何人も出たことの反省を込めて、アルコールはなし……のはずが、凪歩の手には缶酎ハイ。
「缶チューハイなんて酒の内に入らないって。それに今夜は私の分しか買ってないしね」
「つーか、二度と凪さんとは飲まないからな!」
うそぶく凪歩に大声を上げたのは、昨夜、入念に潰されたという俊一。
「はいはい、解ってるって」
二人の会話を聞くともなしに聞きながら、伶奈はから揚げに手を伸ばす。ぱくっと食べたら、美味しくて、やっぱり、敗北感。
「敗北感つーなら、食うなよ」
「……ジェリドの分まで食べてやる……」
とは言っても、いくつも沢山食べられるわけでなし。大きめにカットされたから揚げを紙の取り皿に取ったら、それをちびちび……おにぎりと交互にかじる。
「上手なもんだよな……どこで覚えたんだ?」
「半分はネット、半分はバイト先の居酒屋」
俊一が尋ねると悠介も自作のから揚げと伶奈が握ったウメオカカのおにぎりにガブリ。
小さな声で
「あっ、いける……」
と、呟いたのが聞こえたので、ちょっぴり勝った気分。
「おにぎりなんて、誰が握っても同じ味よ……」
なんて、アルトが膝の上、から揚げの上前をはねながら言ってるけど、聞こえないふり。
「そろそろ、上がる時間だな……」
一人、卵焼きをつまみながら、ダイバーズウォッチを眺めていた灯が呟く。
次の瞬間、斜め前、見知らぬ誰かが借りてるコテージの向こう側に花火が上がった。
十分に大輪の花火が見えるのだが、距離は残念ながら、少し遠目。ドーンという心地よい破裂音は花火のきらめきよりも数秒遅れて聞こえた。
「去年も最後はこの花火だったなぁ……」
一発目の花火を見上げ、凪歩が呟く。その右手にはすでに空っぽの缶チューハイ。くしゃっとアルミ缶が潰れたら、傍らに置かれていたゴミ袋へと放り込まれる。
「また……来年……」
翼がぽつりと呟いた。
二発目の花火が上がる。
大輪の菊花が宙に舞う。
その菊花がゆっくりと消えゆき、元の星空が戻ってくるのを長めながら、伶奈は尋ねた。
「灯センセ達は来年も来るの?」
「さあ……どうかなぁ……? バイトがあったから来ただけだし……なかったら、来ないんじゃないかな……」
「割が良いから、来年もありゃ良いけどな。俺、結局、泳いでねーし……」
灯が答えて、それに俊一が言葉繋ぐ。
そして、悠介が言った。
「来年はもう、やらねえって……どーせ、棒人間だからな、俺は」
「あら、まだ、根に持ってるわよ? 体が貧相だと心根も貧相になるのね」
「……――ってアルトが言ってる」
「うっせ! クソ妖精! 勝負つけっか!?」
食事を挟んだ対面で悠介が腰を上げ、声を荒げる。
されど、アルトは柳に風、そっぽを向いて平然と言葉を紡ぐ。
「あら、女に手を上げるなんて最低だわ」
「……――って……言ってるけど、いい加減、私を挟んで喧嘩するのは止めて」
「あら、残念。これから本番だったのに……良かったわね、貴方の脆弱な精神が私の言葉の刃でズタボロに切り裂かれる前に終わりになって」
「……もう、伝えないからね……」
「……絶対にひどい事、言いやがったに決まってる……」
少女がきっぱりと言い放てば、悠介も憮然とした表情のままではあるが、浮かび上げていた腰を下ろした。
それとほぼ同時……また、花火が上がった。
今度はオープンハートの花火だ。薄桃色のハートが星の間に浮かんで消える。
遅れて、ドーンという大きな音……
「このメンバー、全員で来年ってのは無理かなぁ……吉田さんが来年は居ないから、私か翼さん、それか伶奈ちゃんがアルトで仕事しなきゃだし……」
凪歩がその花火を見上げながら、しんみりとした口調で呟いた。
また、花火が上がった。
今度は柳。雨のように火の粉が長い尾を描いて降り注ぐ……
それを見上げながら、また、少女が呟いた。
「でも、楽しかった……あっと言う間だったね」
その言葉に他の面々が異口同音に首肯した。
そして、また、花火が上がる。
いくつも……いくつも……
いつしか、言葉が消えて、歓声だけに変わっていく……
耳を澄ませば、周りのコテージからも似たような歓声と拍手……
伶奈はこのひと時が終わらなければ……と思いながら、焔の華が咲く夜空を見上げていた。
しかし、楽しいひとときは必ず終わり……明日は朝一番から三馬鹿がバイト先から借りた車を返しに行ったら、後は高速艇と電車を乗り継いで帰らなければならない。
それは……
「残念だけど……でも……」
少女は漆黒の夜空を見上げて、言葉を止めた。
「でも……帰って、アルトのいつもの席でケーキ……食べたいな、アイスココアも付けて……」
その思いを言葉にしたら、なぜか、急にいつもの――窓際隅っこ、店内から目立たない席が恋しくなった。
「ふふ……それも良いわね、私は和明のコーヒーが良いけど……」
ぽんと伶奈の立ち上がった頭の上へと飛び乗り、妖精が言葉を漏らした。
こうして、伶奈の海は終わった。
また、賑やかで楽しい、喫茶アルトの日常へと伶奈とアルト――二人の淑女とその友人達は帰っていくのだった。
ご意見ご感想、お待ちしてます。