海っぺりのコテージが毎年アルトの面々が利用している宿だ。急に『隣にもう一件借りたい。隣、もしくは近くが良い』なんてわがままを言ったおかげで、今年のコテージは敷地の隅っこ、海辺からも駐車場からも遠いところにならざるをえなかった。
迷惑掛けたな……と、伶奈は後悔するも時すでに遅し。
「だれも文句なんて言わないわよ」
頭の上でうそぶくアルトに少し救われるような気分を抱きながら、伶奈は両手に大きな荷物をぶら下げ、松林の路を歩いていた。
強い夏の日差しが松の木漏れ日となって、伶奈の身体に降り注ぎ、周りには同じく大きな荷物を持った青年と女性が二人。
そのまま、歩くこと十分足らず、いい加減、汗だくになった頃、やおら到着。結構立派なコテージでびっくり……というのは少し前、同じ建物を駐車場から見た時にも思ったことだが、改めて見あげてみると、やっぱり、大きい。
「ただいま〜」
と、貴美が言ってコテージのドアを開ければ、火照った身体に心地よい冷風と――
「おかえりなさ〜い」
と言う大きな声が伶奈達を出迎えた。
タンクトップに綿パンという軽装の男性は、留守番をしていた高見直樹だ。
伶奈はまだ直樹とは会った事がなかった。しかし、現物を見るのはこれが初めてだが、彼の名前というか噂だけはちょくちょく耳にしていた。
それはすなわち『吉田貴美の彼氏』という評価、だ。
その吉田貴美嬢に対して、伶奈はある種のあこがれを持っていた。
ちょっと垂れ目だけど整った顔、背はすらっと高くて脚も長い。それに、胸は大きく、ウェストはきゅっとくびれて、スタイルもばっちり。頭の良さは総合力でいえば今年度の四年生で一番かも、なんていう噂も聞いた事がある。それに何より、伶奈の入学式に列席する美月にお化粧を施すため、わざわざ、朝早くからアルトにまでやってきてくれたという――
「……優しい、良い人」
と言うのが伶奈の貴美へのイメージだ。
才色兼備でしかも優しい。話に聞くところによると、直樹と同棲して、家事下手な直樹に変わって掃除洗濯一切合切までやってるとか、もう、どんだけ凄い人なんだろう? とか、玲奈は思っていた。
「…………ああ……うん……そうね……どこも、間違いではないわね……」
その評価を話した時、アルトが微妙な表情をして見せたのが気になるが、それはさておき、ともかく、そんな『凄い女性』の恋人だというのだから、どれだけ格好いい男性なのだろう? と少々楽しみにしていたら……
リビングに置かれた大きめのソファー、それを一人で占領していた小柄な青年が、ぱたぱたとこちらに向かって駆け寄ってきた。そして、そこに伶奈がいることに気づけば、にこっと童顔な顔を緩めてほほえんだ。
「こんにちは、高見直樹です」
笑った顔が人なつっこくて少し安心。だけど、背も低いし、凄く二枚目というわけでもなくて、童顔で線が細くて中性的。中性的なのはかのお隣さんと同じだが、彼のようなふてぶてしさもなくて頼りなさ気。
はっきり言って――
(……普通……)
で、がっかり……とまでは言わないが、少し拍子抜け。
「あの……どうかしました?」
そう言って、直樹は少ししゃがんで視線を合わせる。
そんな青年にまさか『値踏みしてた挙げ句に、釣り合わなさそう……とか思ってました』なんてなんて言えるはずもなくて、伶奈はクシュンと赤くなった顔をうつむけ、答える。
「なっ、なんでも……ない、です……西部、伶奈です……よろしく」
「この子、ちょっと人見知りなんですよ」
なんて、隣で美月がフォローしてくれればますます気恥ずかしい。
「そうなんですか? 聞いてるのとはちょっと違いますね?」
直樹が美月に答えると、伶奈は「えっ?」と赤くなった顔をあげた。その伶奈へと顔を向け、青年はクスッと軽く笑って答えた。
「口の減らない生意気なクソジャリって……勝岡君が言ってましたよ?」
「……まさおか?」
「わかりやすく言えば、ジェリド君ですよ」
きょとんとする伶奈に直樹が言えば、伶奈は「あっ」と小さな声を上げた。ちなみにかの青年の名字を聞いたのは、これが始めて……な、気がする。違うかも知れないが、少なくとも覚えてはいなかった。
そのふてぶてしいお隣さんの顔を思い出せば、丸いほっぺたがぷっと膨らみ、少女はぽつりとこぼす。
「ジェリドはいつも私の悪口ばっかり言ってる……」
「そう怒らずに。灯くんは利発な子だと褒めてましたよ……真鍋君は名前を覚えてくれないって寂しがってましたけど」
「褒めてるの、灯センセだけじゃん……後、真鍋さんの名前はもう覚えたもん」
「あはは。まあ、その三人組の先輩をしてます。よろしくお願いしますね」
屈託なく笑い、直樹は手を差し出した。差し出された手のひらは小さく、指も短い。だけど、妙に汚れてごつごつしているのは、趣味のバイク弄りをしてるうちにこうなってしまったらしい。
素直に伶奈も手を差し出せば、その手がそっと伶奈の手を包み込んだ。
「よろしく……です」
握手をしながら伶奈が呟く頃――
「彼女ほったかしでJCと話とらんで、ちょっとは手伝いな! お昼、食べさせないよ!」
大きな荷物から食材を取り出す貴美が大声でそう言うと、直樹は「はいはい」と投げやりな声と苦笑いを浮かべて、伶奈に背を向けた。
取り残された少女は、微笑を浮かべて青年のぬくもりが残る手のひらへと視線を落とした。
「どうしたの?」
頭の上からアルトが覗き込み尋ねた。
「……いたの?」
「いたわよ、ずっと」
「……別に……普通だけど、いい人だな……って思ってただけ……」
「いい人じゃない人と美月を同じ屋根の下に泊まらせたりしないわよ」
「……そっか……」
二人が話す所にもう一発、大きな声。
「って、なおだけじゃなくて、伶奈ちゃんも! 飯抜きだよ!」
聞こえた声は先ほど同様貴美の声。
「あっ、はい!」
思わず伸びる小さな背中、ぱたぱたと伶奈は駆けだし、コテージへの最初の一歩を刻んだ。
さて、お昼は予定通りにピザ。
もっちりとした肉厚なピザ生地にトマトの風味がたまらない自家製ソースはアルトでも出してる組み合わせ。その調理方法は、チーズとバジルだけで味わうシンプルなマルゲリータ、ジャガイモとタマネギとベーコンが美味しいジャーマンピザは伶奈のリクエスト、それから貴美が選んだシーフードミックスとツナ缶たっぷりのシーフードピザの三種類。
一度に三枚は焼けないから、大きめに作って一枚ずつ、焼きながら食べることになった。それは良いのだが、調子に乗って好きに食べてたから、三枚目が焼けるには結構お腹いっぱい。だけど、三枚目、シーフードピザも美味しそう。少しだけ……と言いつつ、二切れも食べたら、完璧に食べ過ぎ。
「デザートに買ったケーキは夜にしようか……?」
「……夜は夜で買ってますが……」
と言ってる貴美と美月も、伶奈と同様の様子。美月に至っては最後の一枚をこっそり良夜の皿へと追いやってた始末。直樹も良夜もついでにアルトも食べ過ぎたようだ。
「……まあ、デザートは食えなかったら、伶奈ちゃんか後発組にでもやっちゃえば良いだろう……」
「それはそれでなんか惜しいんよねぇ〜」
「……吉田さん、意地汚いですよ、恥ずかしいなぁ……もう」
お腹いっぱい……って所にさらに一切れのピザを押しつけられた良夜が食後のアイスコーヒーすら飲みかねる感じで言うと、クリームもガムシロップも無駄に増量したコーヒーをちびちび飲んでた貴美が応え、そして、直樹が苦笑い。
そんなやりとりを伶奈も珍しくコーヒーを飲みながら、ぼんやりと眺める。
「珍しいわね?」
尋ねたアルトは良夜の手元にいた。伶奈のコーヒーは貴美同様にガムシロップとクリーム増量なので彼女の舌には合わないらしい。
そのアルトがとことこと伶奈の手元へと歩いてくるのを目で追いかける。そして、彼女が手元にまでたどり着いた所で、伶奈は控えめな声でぽそっと言った。
「……ココアパウダー、持ってきてなかった……」
「……それは自業自得ね」
そう言って、彼女はぽんと飛び上がり、うっすらと汗をかいたグラスの縁にちょこんと着地。細いストローを優雅に明るい褐色の湖面に突き刺した。
それを、チューと一口飲んで、一言。
「……脳みそ蕩けそう……」
「……甘くて美味しいのに……」
「そいつ、甘い飲み物はダメなんだよっと……さて、食器片付けたら、海に行く段取りでもしようか?」
そう言って良夜が残ったブラックコーヒーを一息にあおって、席を立った。それに従うように他の面々も軽く頷きあい、席を立つ。
伶奈もそれに習って、席を立ち、自身が使った食器をシンクへと下ろした。
食事の後片付けなんかは五人が手分けをすればあっと言う間。
食器を下ろして、洗って、拭いて、棚に片付けたら――
「んじゃ、着替えようか?」
と、貴美が言い出したので、玲奈は思わず、目をパチクリさせた。
「えっ? 着替えてから行くの?」
「うんうん、そうそう。更衣室借りるのに海の家の席料取られるしさ。だったら、こっちで着替えて、パーカーでも引っかけていけば良いじゃんかって話で、毎年そうしてんだよ」
貴美にそう説明されるとサッと伶奈の顔色が変わっていく。なぜならば……
「パーカーみたいなの……持って来てない……Tシャツとかブラウスとかは沢山あるけど……」
ちなみに、ここを正しく言い換えるならば『持ってない』だったりするのだが、そこは秘密、恥ずかしいから。ほとんどの服を前の家に置いてきてしまった兼ね合いで、伶奈は服を全然持っていないのだ。必要に応じて母に買い与えて貰ってはいるが、彼女の衣類は非常に少ない。ズボンなんて三本くらい。
と、伶奈が気恥ずかしさにぼそぼそっと囁くような声で言えば、貴美のしなやかな手がぽんと伶奈の癖っ毛な頭を撫でた。
「じゃあ、私の貸してあげっから。着ていったら良いじゃん」
「でも……じゃあ、吉田さんは?」
「私はなおのをふんだくるから良いんよ」
「じゃあ……直樹さんは?」
「Tシャツでも着せときゃ良いじゃん、男なんだから」
「じゃあ、私が……」
「何言っとんね? 女の子っしょ? 安上がりに見せてっと、価値下がんよ。もったいぶらないと」
「えっと……あの……その……」
「あのね、伶奈ちゃん――」
ぽんぽんと矢継ぎ早に紡がれる貴美の言葉とよどみ続ける伶奈の言葉。そして、一端、貴美は言葉を切ると、すっとその長身な身体をしゃがませ、自分の視線を伶奈の視線に合わせた。
まっすぐに伶奈の目を見つめて、彼女は言う。
「私が『やれ』って言ったら、返事は『はい』だけなんよ?」
少し垂れ目な鳶色の瞳、睨むような視線にビクン! と身体を震わせれば、貴美はクスッと頬を緩ませた。口元が少し緩み、その整った顔に愛嬌のある笑みが浮かぶ。そして、ポン! 軽く頭を立ていて立ち上がると、彼女は言った。
「なお! パーカー貸しい! えっ? じゃなくて、パーカー、持って来てるっしょ?! 貸しったら貸しい!」
「パーカーは部屋に置きっ放しですから、着替えるついでに取ってきますよ」
「おっけ〜」
貴美の剣幕に直樹があっけにとられた表情で応えれば、彼女は満足したように頷いて見せた。そして、伶奈の肩をぽんと一つ叩くと、彼女は言った。
「――と、んじゃ、行こうか? 伶奈ちゃん」
叩かれた肩が押される。
半ば無理矢理振り向かせられれば、伶奈は首だけを残して、苦笑いの青年へと視線を向け、そして、言う。
「あっ、ありがとうございます」
「いえいえ」
軽く手を振る直樹に伶奈も手を振り返してるうち、伶奈の身体は女子更衣室になってる部屋へと押し込まれる。
窓の外はまぶしい真夏の日差し、それから目隠し代わりの生け垣と細い路地、その向こうに立つ別のコテージ。伶奈が泊まる予定になっている棟だ。
その景色をぼんやりと眺めていたら、一歩遅れて入ってきた美月がしゃっ! と音を立ててカーテンを閉めた。しかし、真夏の太陽はそのカーテンに負ける事はない。おかげで、女子更衣室は電気が不要なほどに明るい。
その部屋の隅っこ、自身が持ち込んだボストンバッグを開いて、中から取り出したのは濃紺のワンピース水着、学校指定って奴……それからと、こちらも、やっぱり学校でも使ってた筒状に縫われたバスタオル、いわゆるラップタオルだ。
長めのラップタオルを頭からスポッと被れば、膝上丈のミニスカワンピースに早変わり。
その中でもそもそとオーバーオールを脱いで、その下のブラウスを脱いでなんてことをしてたら……
「なにしてんの?」
「えっ? きが――ふにゃっ!?」
背後からかけられた声に振り向き見れば、そこにいたのは吉田貴美嬢だった。
真っ裸の。
「はだ!? はだ、はっ、はだか、おっぱ!?」
驚くほどに大きくて真っ白い乳房、その頂点で輝く小さめの乳首。思わず伶奈が目を白黒させれば、貴美はその胸元を隠すこともなく、むしろ、胸を張るようなそぶりをして、言った。
「……見るん、初めてでもないっしょ? お母さんのとか……それともやっぱ、三島一族の呪いでおばさんも永遠の関東平野なん?」
「三島一族、全部、永遠の関東平野にしないで下さい! 後、うちのお母さんと伶奈ちゃんのお母さんに血のつながりはありません! 永遠の関東平野ですけど!」
と、大声で反論する美月とて、ワンピースを脱いで、ブラに手を掛ける所。もちろん、隠してなんかいない。ぺったんこのスタイルを気にしているようだが、ウェストも手足も貴美より細くて、少し、モデルっぽい。カーテン越しの柔らかな逆光の中で見ると、凄く綺麗……
そんな感じに、思わず見とれること数秒。我に返って、玲奈は思わず大声を上げた。
「……――って……美月お姉ちゃんも隠してよ! それに、さっき、吉田さん、『安上がりに見せちゃダメ』とか言ってたじゃん!」
「……銭湯の脱衣所だと思えばどーってことないでしょ? 女しかいないんだし」
と、ベッドの上辺りから聞こえる声に視線を向ければ、そこでも真っ裸の妖精がもそもそと水着に着替えていた。今朝見た時は少々驚いたが、ここにいるほか二名に比べたら、アルトのスタイルは幼児体型というか、見慣れた物というか……単純に有り体に言えば、
(……あっ、たいしたことない)
で片付く代物。
ちょっぴり安堵してたら、妖精はじろりと冷たい視線と言葉を伶奈へと投げかけ呟いた。
「……今、明らかにたいしたことないって、顔したわね……」
「……そんなこと、ないもん……」
「嘘ばっかり! 絶対に、たいしたことないって顔、してたわよ!」
大声で怒鳴る幼児体型というか、お身内体型な妖精からぷいっとそっぽを向いて、伶奈はもそもそとラップタオルの中で着替えを続ける。
「隠す必要なんてないのにねぇ〜」
「あはは、恥ずかしい年頃なんですよ〜」
背後から聞こえる貴美と美月の会話、その会話にますます顔を赤くしながらも、やおらお着替え終了。
スカイブルーに白いドットプリントの結構きわどいビキニ姿の貴美と黒地にドットプリントのワンピース姿の美月、ウェストにきゅっと巻き付けられたブラックのベルトがちょっとおしゃれだ。そして、真っ赤に火照った顔を手のひらでぱたぱたと仰いでる伶奈は学校指定の濃紺のワンピース姿で、頭の上には白いフリル付きワンピースのアルトがちょこんと座っていた。
そんな彼女らが更衣室から出てくると、そこでは椅子に座った良夜と直樹があーだのこーだのとなにやら愚にも付かない会話に花盛り。二人ともごくごく普通のトランクスタイプ。良夜は白いパーカーを合わせ、直樹の方は……なんだろうか? なんだか、よく解らない英単語が書かれたTシャツを羽織っていた。
「でさ、柊のやろうが……――あっ、終わった?」
「柊君はしょうがないですよっと……じゃあ、行きましょうか?」
そう言って良夜と直樹が立ち上がれば、ため息をつく女が一人、吉田貴美だ。
「てかさ、せっかく、女の子が可愛い水着を着てるんだから、コメントしてあげるんが、男ってもんちゃーうん?」
「……昨日、褒めたろう? 美月さんのも、吉田さんのも……」
投げやりな良夜の言葉に反応したのは美月の方。
「違いますよぉ〜」
彼女はずいっと伶奈の背中を押して、良夜と直樹の方へと差し出せば、ピッと人差し指を立てて言った。
「学校指定って言うのがちょっと寂しいところですけど、ほら、可愛いじゃないですか〜このワンピース、ふりふりですよ〜」
「ふわっ!? ちょっ、ちょっと!? 美月お姉ちゃん!!!??」
男性二人に向けて突き出されたら伶奈は途端にしどろもどろ。
されど、男二人は平気な感じで、「ああ……」と頬を緩ませると、伶奈の前に一歩近づき、言った。
「よく似合ってるね。可愛いよ」
「そうですね。よく似合ってますね」
と、アルトに言わせると「凡庸な褒め言葉」を並べて伶奈の水着を褒めそやす。そんな凡庸な褒め言葉ではあるが、それでもやっぱり、嬉しいやら恥ずかしいやらで、伶奈の顔はますます真っ赤っか。先ほどの分とも合わせて……
「……外に出る前から茹だりそう……」
「海に入れば、心配しなくても、あっと言う間に冷えるわよ」
伶奈が呟けば、その赤い顔の前でアルトの生意気そうな顔が揺れる。その顔に伶奈は少しだけ頬を緩めて、答えた。
「そうだね……」
と……
ご意見ご感想、お待ちしてます。