伶奈の海(3)

 ローカル線のとろくさい電車に揺られること小一時間、伶奈は再開発地区にある私鉄ターミナル駅にいた。ここを出て、JRの駅まで徒歩五−六分ほど。そこから急行でさらに小一時間ほど、隣県の港から高速艇に乗り換えないと目的の島には着かないらしい。
 過去にも語られたとおり、再開発地区は海っぺりの埋め立て地のことだ。バブルのころに開発を始めたのは良いが、バブル崩壊の煽りを食らって開発中止、それから十年近くも開発が中断してた所だ。これが数年前から開発が再開されたので『再開発地区』と呼ばれているらしい。
 と、伶奈は穂香に聞いた。
 そんなことを思い出しながら、伶奈は私鉄プラットホームからフェンスの向こうへと視線を向けた。古そうな倉庫やら車庫、その向こうには新しく建ったのであろうオフィスビルやらレストランやら……そんな建物達の向こう側、かすかに水平線が見えた。
 その水平線、のんびりと走る船を目で追いながら、伶奈はぽつりとつぶやいた。
「海の傍なんだから、ここから高速艇が出てたら良いのにね」
「あっちの桟橋からフェリーとか出てるわよ……人口五百人くらいの小さな島とか九州とか北海道とかに行く船が」
「それじゃ、意味ないじゃん……」
「ないわよ」
 なんて話をしながら、駅のコンコースを歩く。弱小地方ローカル線とは言え、ターミナル駅ともなれば構内はそこそこの広さ。ちょっとした売店もあるようで、そこでは中年の女性が荷物を並べたりして、開店準備に余念が無い。
 駅を出ればそこは片側三車線の太い国道。歩道も十分すぎるほどに広いし、道の両側には様々なオフィスビルやお店なんかが並んでいて、すぐに人も車も通行量が増えることは容易に想像が出来た。
 もっとも、まだまだ、早朝、朝一番と言った時間帯。
 通行量は少ないし、オフィスもお店もシャッターが下りてて、街はまどろみの中にいた。
 そのまどろみの街を心地よい潮風が流れ、伶奈の頬を撫でる。
 JRの駅は私鉄の駅からさらに海の方に数分って所ではあるが、伶奈は海側ではなく、市街地側へと足を向けた。
 目的地は朝からやけに楽しみにしているマクドナルド。
「マック、久しぶり……」
「ありがたがる物かしらねぇ……?」
「お母さんが『マックなんて病気の元』って言って、食べさせてくれないんだもん……」
「まあ……それも極端よねぇ……」
 頭の上で呆れてるアルトに苦笑い。軽く肩をすくめて、伶奈は二十四時間営業のマックの自動ドアをくぐる。
 そして、出てきた時、その胸には大きな紙袋が一つ。
「買いすぎじゃない?」
 なんて、頭の上からアルトが言うのは、その中に、最初から食べる予定だったエッグマフィン、ポテト、それに飲み物のセットだけではなく、ホットドッグにアップルパイまで入っているから。
「……だって、いつもは朝起きてすぐにご飯なのに、今日は一時間も電車に乗ってたから、凄くお腹が空いちゃって……」
「……食べきれなくても知らないわよ? 貴女は小食なんだから……それに、結構、高くついたんじゃない? その辺の喫茶店でモーニングでも食べた方が安くて美味しいし、健康的よ」
「……アルト、時々、お母さんみたい……」
「一応、今日は保護者よ」
「だいたい、この辺りの美味しい喫茶店なんて知らないよ、私。アルトは知ってるの?」
「そういえば、美月が良夜と一緒に行ったお店が美味しかったらしいわよ」
「そうなの?」
 足を止めて頭の上を一瞥。青空しか見えない視野の中、金色の髪と金色の瞳がひょこっと顔を出して、にこっと笑って答えた。
「でも、レストランだからまだ開いてないと思うけど」
「ダメじゃん……」
「今度、ランチタイムにでも行きましょうって話よ」
「……そんな贅沢、出来ないよ」
 投げ捨てるようなつぶやきにアルトはパチンとウィンクをして頭を引っ込める。
 海から流れてくる潮風が伶奈のすだれ髪と頬を優しく撫でていく。
 その潮風に向かって、伶奈は再び歩き始めた。
「潮風が気持ちいいね……」
「海水浴場なら、もっと気持ちいいわよ」
 伶奈がつぶやき、アルトが答える。
 そして、先ほども歩いた広い歩道を伶奈は海側、JRの駅に向かって歩く。
 私鉄の駅を越えて、国道を渡って、ゆっくり目に歩いても十分足らずで、真新しい駅へと伶奈は着いた。
 再開発事業の目玉でもあるJRの駅舎は、すぐ傍にあるシンボルタワーと会わせて、ここらのランドマーク的な施設になっていた。そう言う建物であるだけあって、全面ガラス張りで見た目がおしゃれ。それに規模も私鉄のそれと比べれば倍以上も大きく、キヨスクやお土産売り場だけではなく、二階には軽食が食べられるところもあるらしい……が、この時間帯で営業しているのは立ち食い蕎麦かコンビニくらい。やっぱり、まだまだ、まどろみの時間といった趣だ。
 自販機で切符を買ったら、改札口からホームの方へ……
 プラットホームも七つか八つもあって、事前に調べてなかったら迷ってしまいそう。
「どこのホームに行けば良いの?」
「えっと……この時間は六番ホーム……だったかな?」
 尋ねるアルトにつぶやきで答え、案内表示を見上げてみれば、どうやらそれで正解らしい。
 始発はすでに行ってしまったみたいで、駅構内の人はまばら。静かな構内を案内掲示板に沿って伶奈が歩けば、目的地はすぐそこだ。
 目的地の六番とその隣にある五番ホームはどちらも空っぽ。車両が入ってくるにはまだしばらくの時間が掛かりそうだった。
 伶奈はそのホームの真ん中付近にあるベンチに腰を下ろすと、胸に抱いていた紙袋からエッグマフィンを取り出し、かぷっとかじりついた。
 少し甘めのマフィンに挟まれた卵とパテ、早起きしていた伶奈には普段以上の美味しさ。
「美味しい」
「これだけお腹が空いてればなんでも美味しいわよ」
 膝の上にいあるアルトにも小さくちぎったマフィンを与えれば、彼女も破顔してパクパクと食べていく。ぶつくさ言ってた割には顔ほどもあるマフィンの切れ端を二つ、ぺろりと食べてしまったのだから、ちょっぴり呆れる。
 と、食べていったのは良いのだが……
「……お腹、一杯になっちゃった……」
 と、案の定。エッグマフィンとポテト、それとアップルパイを食べ終えたところでお腹一杯。ホットドッグは美味しそうなのではあるが、手が伸びない。
「……ホットドッグじゃなくて、アップルパイに手を伸ばした時点で、食べきるのは諦めてたでしょ……」
 なんて、膝の上、アルトがしたり顔で語るも、伶奈はぷいとそっぽを向いた。
「……スィーツ、欲しかったもん……良いよ、道中、どこかで食べるから……」
「まあ、好きにしなさいな。でも、食べ物捨てたら、美月がむっとするわよ? そう言うの、嫌いだから」
「……解ってるよ」
 と、憮然とした表情で伶奈がつぶやいたころ、プラットホームに上り電車が入るというアナウンスが、構内に響いた。

 さて、話は少し戻り、伶奈がターミナル駅に着く少し前のこと。灯は悠介、俊一の友人二人と共に電車に乗っていた。伶奈が乗っていた便の次の便だ。
 モータリゼーション万歳な田舎においては、朝とは言っても列車の便はそんなに多くはなく、一つ乗り遅れると三十分待ちとかは珍しくない。今回も一つ乗り遅れただけでたっぷり二十五分待ち。まあ、その間にコンビニで食べ物を買ってきて朝食を取ることが出来たのは、好都合と言えば好都合だ。
 ジェリドこと勝岡悠介を除いて。
「……お前、飯、食わなくて大丈夫なのか?」
「……朝からハンバーグ弁当やカツ丼をがっつける奴の方が信じられねーよ……どんな胃袋してるんだ?」
 座席の半分ほどが埋まった車両の中、真ん中ほどに腰を下ろした灯が隣に座る悠介に問いかければ、悠介はお腹の辺りを押さえて答えた。
 タイミングが悪かったのか、それとも日頃の行いなのかは解らないが、彼らの入ったコンビニの棚は哀れなことになっていた。並んでいる物と言えば、ハンバーグ弁当やカツ丼やら、チーズたっぷりのカルボナーラだのナポリタンだのばっかり。そうめんやうどんのような軽い麺類はもちろん、サンドイッチやおにぎりすら売り切れという体たらく。
 結局、食欲もたいしてないし、食べたい物もないしで、悠介は今朝の食事をパスすることにした。
「俺は別に朝からハンバーグだろうがパスタだろうが平気なんだけどなぁ……」
「朝は肉体労働の資本だぜ?」
 灯と俊一があっけらかんとした表情で答えれば、悠介はますますお腹の辺りを押さえて嫌そうな顔をして見せた。
 どうもこの友人は見た目の通りに線が細く、胃袋の強度もそれなりらしい。小学校のころからリトルリーグで活躍していた灯や俊一とは違うようだ。
 まあ、それでもなんだかんだ良いながらも、きつい解体業の下手間を十分にこなしているのだから、根性と責任感はあるのだろう。もしくは、それほど金が欲しいのか……
「まあ、それは良いけど……ターミナルに着いたらダッシュだぞ?」
 そう言ったのはスマートフォンで時刻表を見ていた俊一だった。
 彼が言うには、この電車が駅について、それから乗り換えのJRが出るまでの時間はわずか六分しかないらしい。そして、私鉄の駅とJRの駅までの距離は片側三車線の太い国道を挟んで約五百メートル。のんびり歩いていると――
「信号次第では間に合わない」
 って羽目にもなりかねない。
「まあ、俺と俊一は大丈夫だろうけど……問題はこいつだな……」
 俊一の説明を聞き終えると、灯は長いすの隣へと視線を向けた。
 そこには中の辺りを押さえて、朝っぱらから顔色の悪い友人が一人。
「……俺の屍を越えていけ」
「……うっせぇよ」
 真顔で言うバカの頭、その後頭部でパン! と、灯のスナップのきいた左手のひらが直撃。心地よい破裂音を、田園風景の中をのんびりと走る電車の中に響かせた。
 そうこうしているうちに電車はいくつかの駅に止まり、その度に、下車する客よりも多くの乗車する客を受け入れる。
 混み合い始める車内、座席のほとんどが埋まったころだろうか?
 そんな頃合いにぽつりと悠介が言った。
「……腹、減ってきたな……」
「お前、マジで死ねよ……」
 つぶやきに俊一が頭を抱えるような仕草と共に答えれば、灯も「ああ……」と嘆息気味の言葉をつぶやき、そして、言った。
「高速艇に乗るまで食うタイミングないぞ? だから、なんか買っとけって言ったんだよ……」
「……あの時は欲しくなかったんだよ……」
 ばつの悪そうにつぶやく悠介の頭にもう一発、今度は反対側に座っていた俊一の平手がヒット。パン! と心地よい音が鳴ったら、ぶっきらぼうにその手の持ち主は言った。
「指でもくわえてろ」
「……そうする」
 と、素直に親指をくわえる青年に灯は
(帰ってきたら、ダチ、止めよう……)
 と、心の片隅で思った。

 さて、そんな三人であったが、私鉄駅からJR駅へのダッシュに成功、ぎりぎりの所で閉じかけるドアに滑り込んだ。
「あれ……センセ……それに真鍋さんと……ジェリドも……どうしたの?」
 胸元には大きな荷物を一つずつ抱え、ぜぇぜぇと息切らして入ってきた三人を、伶奈はきょとんとした表情でシートの上から見上げた。
 そんな伶奈にかくかくしかじかと灯と俊一が説明すれば、その偶然に驚くやら呆れるやら……
「……まあ、ともかく、ジェリド、ご飯を食べ損ねてるんなら……食べる? ホットドッグだけど……」
 そう言って、伶奈が紙袋の中、そろそろ冷え始めているホットドッグを取り出せば、ぐったりとシートに深く腰を下ろした青年は言った。
「ほっ……欲しくねぇ……」
 空腹の中、六百メートルのダッシュを行った青年は胃の辺りを押さえて死にかけていた。
「……灯センセと真鍋さん……食べる?」
「……たぶん、ここで俺らが食ったら、こいつが後でまた腹減ったとか言い出すから……残しておいてあげて」
 答えたのは俊一の方、そして、伶奈の頭の上で妖精がつぶやいた。
「……言わせておけば良いのに……」

 そういう訳で、旅は道連れ……四人のちょっとした旅行が始まった。

 それは、三十分後――
「……あっ、腹減った……」
 の言葉がクライマックスだったくらい平穏無事な物だった。
 なお、その言葉をつぶやいたバカは灯と俊一にひっぱたかれ、アルトに力一杯刺され、そして――
「……指でもくわえてたら?」
 と、伶奈に冷たく言われていた。
 なお、ホットドッグは定価でこのバカに売りつけられることになった。

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