友達たち(2)

 話は前回終了時から十分前に戻る。
 とんとんと階段を下りてきた四人組がキッチンに入ると、すでにそうめんは茹で上がっていて、大きなガラスの器に盛りつけられていた。ガラスの器は大小二つあるから、おそらくは大きい方が四人で食べる分で、小さい方はこの老婦人の分だろう。その近くには蕎麦猪口やらお箸やらが五人前と、刻んだネギやおろし生姜の盛られた取り皿があったりで、食事の用意はすっかりできあがっているようだった。
「あら、皆で取りに来たの?」
 そのテーブルの傍、麦茶のグラスを用意していた老婦人が伶奈達の顔を見て軽くほほえむ。
「うん。皆でわーっとやった方が早いからって。上で食べて良いんでしょ?」
 穂香がそう答えると、老婦人は軽く頷き、言葉を続けた。
「ええ、大きい方、持って行って」
「はーい」
 軽い調子で受け答えをする美紅の隣、伶奈は早速テーブルの上に出されていたトレイ……と、この場合はお盆と言った方が正しいだろうか? その朱塗りのお盆にとんと大きなガラスの器をのせる。大きめの器ではあるがお盆の方もそれなりに大きいから大丈夫。それから、空いたスペースにつゆが入った蕎麦猪口を四つと薬味の小皿をちょいと乗せたら完成だ。軽く持ち上げて、重さを確かめてみる。少し重たい気もするけど、運べないほどではない感じ。
「よいしょ……」
 つぶやき持ち上げなおす……と、それをじーっと見ていた穂香がぽつりと漏らした。
「……さっすがぁ……流れるような手際……」
「……土曜日も昼時は忙しいから……手際よくしないと、お客さん、はけないし……」
 褒める穂香の言葉が少し恥ずかしくて、伶奈はトレイを両手で支えたまま、赤くした顔をうつむけた。
「そういえば……先日、お邪魔したときも忙しそうにしてましたね?」
「ああ……あの時は、二条さん……久しぶりに来てたから……あの人、凄く食べるから……特別忙しくて……」
「そうですか……生前、黒沢さんが言ってた妖精のこととか……話が聞きたかったんですけどね」
「えっ? なに? 妖精って」
「あのお店には小さな妖精さんが住んでるって、死んだ私の親友が……」
 と、老婦人が彼女の孫と話し始めたのを聞いた瞬間、伶奈は「ヤバい」ととっさに思った。
「……私、おそうめん、持って行くね……麦茶とグラス、お願い……」
 出来るだけ控えめにそう言って、そそくさと逃げようとしたその背中、ツーーーーーーーーっと撫でる一本の――
「ひゃんっ!?」
 飛び上がって振り向き見れば、そこには突出された右手の人差し指があった。その持ち主は、いつも通りのぼんやりとした表情で伶奈を見上げる蓮だ。
 その彼女がいつもの控えめな声でぽつりと言った。
「逃げちゃ……メッ」
「メッじゃないよ! 今のはびっくりしたよ!? 重いのを持ってるんだから、止めてよ!!」
 伶奈が珍しく激高気味に叫べば、蓮は素直にぺこりと頭を下げた。
 そして、一言。
「ゴメン……」
「……あっ、いえ、こちらこそ、大声出して、ゴメン……」
 機先を制されるような感じで頭を下げられれば、伶奈も合いの手を入れるかのごとくに頭を下げた。
 互いに頭を下げ合う二人。顔を上げると、どちらからともかく、相手にほほえみかけて、なんだか、ほんわかとした雰囲気になった。
 のは良いんだけど……
「まあ、蓮ちゃんは後から四方会裁判にかけるとして……それで、なに? 妖精って……妖精なんているの?」
 ひょいと伶奈の持っていたお盆を取り上げ、尋ねたのは美紅だった。伶奈よりも背が高いし力も強い彼女は、重たいお盆も軽々と持ち上げ、テーブルの上へと戻した。でも、その戻し方がちょっぴりぞんざいで、蕎麦猪口の中からおつゆがこぼれちゃったことを、プロの目(自称)は見逃さなかった。
 と、あふれた数滴のしずくを目で追っていたら、ずいっと、美紅が伶奈の方へと一歩近づいた。
 すらっとした長身に迫られれば、伶奈の身体は反射的に一歩下がる。
 されど、その一歩は半歩の時点でとんと何か柔らかい物にぶつかり、それ以上動くことが出来ない。。
「まあ、ちょっと、お話ししようよ? 伶奈ち」
 振り向けば、そこには穂香の愛らしい笑み。その笑みは穂香の性格が表れているかのように人なつっこい物だった……のだが、彼女の肘ががっちりと伶奈の脇の下に差し入れられていて、決して逃がさないと言う彼女の意思を如実に示していた。
 とどめに連が伶奈の右腕にぶら下がり、そして、言った。
「…………だっこ」
「だっ、だっこって……えっと……あの……その……」
 助けを求めるように彼女は辺りをきょろり……少女達の姿の向こう側に老婦人の皺だらけの上品な顔があって、それが――
 ――ぷいっと、明後日の方向を向いた。
(……あっ、これはもうダメな感じだ……)
 そして、伶奈は諦めた。

「……で、今からアルトに行く、行っちゃダメの押し問答の後、『実は連れてきてる』って事になって、ばたばた階段を駆け上がってきた訳ね……」
 手の中、金髪危機一髪状態(良夜命名)のアルトに事の成り行きを教えれば、アルトは呆れたような口調でそう言った。
「……うん」
 その言葉に軽く頷けば、やっぱりアルトは呆れ口調で口を開く。
「最初から教えておけば良かったのに……」
「だって、妖精さんとおしゃべりしてるとか、変な子だと思われるじゃんか……」
「他の連中には教えてるじゃない?」
「私じゃないもん、教えたの……美月お姉ちゃんとか凪歩お姉ちゃんとか良夜くんとかだし……教えたのは」
「ジェリドのこと、攻撃させたいじゃない?」
「あっ、あれだって……だって、あの時はむかついたし、そっ、それにやっつけてやるから、誰をやっつけて欲しいか言って見ろって言ったの、アルトじゃんか……」
「ああ、そうだったかしらね? 忘れちゃってたわ」
「そうだよ。私は教えた事なんてないもん……」
「まあ、そういうことにしておいてあげるけど……ところで、後ろ、良いの?」
 言われておそるおそる振り向くと、背後で車座に座っている(昨日までは親友だと思ってた)友人達がぼそぼそとしゃべり合っていた。
「想像以上に痛々しいね……」
「……………………そんなこと、言っちゃ……メッだよ?」
「……じゃあ、蓮ちはそう思わなかったの?」
 美紅の言葉に蓮が苦言を呈し、それに穂香が尋ねれば、蓮は……
「…………………………………………」
 ぼんやりとした表情のまま、いつまで経っても返事をしなかった。
 しばし待つ。
 遠くで遮断機が下りる音がして……そして、止んだ。
 そして、蓮の小さな声の代わりに、伶奈の叫び声が部屋の蚊にこだました。
「ちゃんと答えてよ!」
 それでも蓮はぼんやりとしたまま答えず、伶奈の目に涙が光った。

 さて、いつまでも突っ立てても仕方ないし、そうめんが伸びちゃうしって事で、いったんアルトのことは棚上げ。穂香の部屋で食事の用意をし、話の続きはそれを食べながら、と言うことになった。
「……ともかく……そこって言うか……えっと、私の器の縁に座って私のそうめんの上前をはねてるのがアルトで……アルトに住んでる妖精で、なんか知らないけど、私と美月お姉ちゃんの恋人のりょう……浅間さんって人しか見えないそうなの……」
 少し伸びたそうめんをすすりながら、伶奈がテーブルの上に置かれたままの蕎麦猪口を箸で指せば、アルトがその箸の先っぽをストローでペン! と軽く叩いて言った。
「箸で指さない。行儀が悪いわよ」
「……――って言ってる。声も私にしか聞こえないみたい」
「ふぅん……」
 伶奈が説明をすると神妙な面持ちで穂香が手を伸ばした。細い指先が伶奈のお箸の先、ちょうどアルトのほっぺた辺りをプニプニと突つき始める。
「この辺? あっ、なんか、プニプニ感があるかも?」
「……痛いわよ」
 柔らかいほっぺをプニプニされれば当然嫌そうな顔をするが、それでも逃げないのは、自身の存在を穂香に教えるためなのだろうか? そう言う優しさが少し伶奈には嬉しかった……
 が、
「どこ?」
「…………この辺?」
 美紅と蓮が手を伸ばし、人差し指で突く。
 ちょうど百二十度の角度、三方向からアルトの顔を三本の指が固定した。
「あっ……」
「ちょっ!?」
 伶奈とアルトが同時に声を上げたがもう遅い。
「ふにふにで気持ち良いかも♪」
 喜んでいるのは最初に触り始めた穂香、彼女はうまい具合にほっぺたを突いた。
「あっ、ホント……すべすべのふにふにな何かがあるかも……」
 と、やっぱり喜んでるのは反対側のほっぺたをふにふにしている美紅。
 そして……
「…………堅いし……毛だらけ?」
 そして、蓮だけが後頭部、うなじの辺りを長い金髪越しにごりごりねじり込むように突いていた。
「……イヤ、南風野さん、そこ、頭だから……後頭部」
 伶奈が苦笑いで教えれば連は普段よりも少し早めの口調で尋ねる。
「どの辺だと柔らかいの?」
「この辺、柔らかいよ?」
 教えたのはほっぺたを触っていた穂香だった。
 その穂香に教わったとおり、連が指を動かしていくと……
「…………どこ?」
「この辺、もうちょっと右」
 穂香に言われたとおりに指を動かし、そして、彼女は軽く小首をひねった。
「…………柔ら……かい? こりこりしてるような……」
「鼻鼻鼻!! そこは鼻だから!!!」
 そこはアルトの鼻だった。
「ああ、この辺は頭なんだね……なんか……ああ、髪の毛さらさらっぽいかも♪」
 そして、美紅は手探りで美紅が弄ってた辺りへと指を動かしたら、そこはやっぱりアルトの後頭部。
「後ろから押さえないで!!!」
 無造作に連が鼻の頭を指先のツイストで攻める反対側、後頭部を美紅に指で押さえつけられれば、示し合わせたわけでもないはずなのに、二人の指がアルトの小さな頭をサンドイッチ。両側からごりごりと責め立てる。
「痛い! 痛い!! 痛い!! 痛い!! 痛い!!!」
 アルトの低い鼻がさらに押しつぶされて、右や左へと哀れにも変形する。ちょっと可愛そう……ではあるが、
「……でも、ちょっと楽しそう……」
「ふざけたこと言ってないで、助けて!!!!」
 伶奈にしか聞こえないアルトの悲鳴が穂香の部屋にこだました。

「これは不可抗力な感じで……」
「……ごめんなさい、まさか、そんなことになってるとは……」
「……………………ゴメン」
「わっ、私まで……」
 と、言うわけで、穂香、美紅、連、そして、伶奈までもが、鼻に小さなティッシュを突っ込んだアルトによって正座させられていた。
 彼女らの額には大きなバッテン印が浮かび上がっていた……

 おまけ
 そうめんは半分ほどがだるんだるんにのびっちゃった……けど、その伸びたそうめんは小さく刻んだ茄子と一緒に味噌汁に入れて煮ると、意外なほど美味しく食べられるって事を伶奈は始めて知った。
 

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