友達たち(1)

 さて、伶奈達四方会のプール開きは、プールの隅っこでぱっちゃぱっちゃっ水遊びしているだけで終わった。全く泳げない蓮が、足が付き、しがみつける壁際から全く動こうとしなかったのだ。
「そこまで怖いなら入らなきゃ良いのに……」
「………………………………暑いから、浸かっていたい」
「……水風呂代わりなんだね」
 一足先に上がった穂香と蓮が太陽まぶしいプールサイドにぺたんと座り込んで話をしていた。
 その二人の会話を耳にしながら、伶奈もプールから上がる。水着に包まれた細身の肢体をまぶしい太陽の光に晒しながら、伶奈は白いメッシュの水泳帽を脱ぐ。その水泳帽に押し込まれていた長めの前髪が額に張り付く。少しうざったい。その半ばトレードマークにもなっているすだれ髪を無意識のうちにかき上げれば、広めのおでこがあらわになった。
「髪、あげた方が可愛いね?」
「……でこっぱちだから……やだ」
 後から上がってきた美紅に言われて、伶奈は慌ててあげた髪を下ろす……と、濡れた前髪が額に張り付くのはやっぱり不快だ。少し考えて、前髪を左右に分けるような感じの折衷案を取ることにした。
「……」
 その少し開いた額を穂香がじっと見上げる……
「なっ……なに?」
「ううん、なんでもないよ〜」
 明るい笑顔で穂香はそう言い、そして、彼女も水泳帽を脱いだ。メッシュ生地の中に無理矢理納められていた長い黒髪が解放されて、穂香の整った顔に張り付く。
「……なんでもないって顔じゃないわね?」
 そう言ったのは水の中からスイッと飛び上がり、伶奈の頭に見事着地を決めたアルトだ。『泳げる』との言葉通り、羽まで使った泳ぎ方は文字通りトビウオのごとしであった。もっとも、小さな身体に見合った程度の速度と持久力だったのはちょっぴり残念なところ。右手と左手を広げた範囲を泳ぎ切るのに数分かかってたから……
「……そうだね」
 苦笑いと共に発した控えめな声は、はしゃぐ少女達の声や水音にかき消されて、自身の頭の上にいる妖精にだけ届いたようだ。
「それより、お昼、皆、どうするつもり?」
 二人の言葉が聞こえなかった穂香が上がってきた伶奈と美紅、それから自身の隣でぺたんと座り込んでる蓮の顔を順番に眺めて、尋ねた。
「学食、開いてないから、コンビニかハマ屋のたこ判かなぁ……?」
 最初に答えたのは美紅だった。それから伶奈と蓮も似たような感じであることを伝えれば、穂香がパッと表情を明るくしていった。
「じゃあさ、うち、おばあちゃんがいるから何か作って貰って、皆のお昼ご飯代はコンビニでスィーツにしちゃおうよ! ハマ屋のたこ判でも良いけど」
 穂香の提案に残り三人が顔を見合わせ、そこにアルトが伶奈の頭の上から顔をプランと落とす。
 話し合いがもたれること三十秒少々……
 三名の議論に一つの結論が導き出され、そして、代表として美紅が言った。
「……穂香ちゃん、お金、持ってないでしょ?」
「……えへへ……お昼ご飯代だと思って……私の分も、ね?」
 ジト目で睨む三人に穂香はばつの悪そうな笑みを浮かべて、頭を掻いた。
 そして、パン! と平手が固い頭を叩く音が三つ、高い高い空へと響き、消えていった。

 プールから上がった伶奈達四方会と伶奈の頭の上を住処に決めてる妖精さん、合わせて五人は学校傍のコンビニに来ていた。お昼少し前、朝から強かった日差しがさらに強くなり始めてて、伶奈達の濡れた髪もすぐに乾いてしまいそうな勢い。プールの更衣室からコンビニまでわずか十分にも満たない程度の距離ではあったが、すでに額には大きな汗がにじみ出していた。
「さっさと家に帰りたいねぇ〜」
 三人のお小遣いで買った四人分のスィーツは荷物持ちを任じられた穂香の両手にぶら下がっていた。ちなみに結構な分量。大きめのレジ袋二つにわけられたそれは、冷静に考えて食べきれないかも……って量に達していたのだが、まあ、空腹でテンションが上がっていたから仕方ない。
「……中学の友達の家って……始めて」
 コンビニから出てきたとき、伶奈は改めてそうつぶやいた。
「私たちは伶奈ちゃんちに行ったことがあるけどね」
「……アルトは私の家じゃないよ?」
「家だと思えば良いわよ」
 そう言ってくれるアルトに少しだけ視線を送って頬を緩める。
 その上に向けられた視線の意味を穂香は解することが出来ないが、その代わりにパッと表情を明るくし、彼女は言った。
「じゃあ、本宅の方にも遊びに行かせて貰わないと!」
「……あっ、墓穴」
 と言って、やっぱり、頬を緩めて伶奈は笑う。
 そして、釣られるように他の二人も笑っていれば、あっと言う間に穂香の家へと到着した。
 穂香の家は庭と駐車スペースこそ少し広めではあるが、二階建てのごくごく普通の民家といった趣の家だ。駐車スペースが三台分あるのは、やっぱり、車がないと身動き取れない地方都市だからだろう。大人一人に車一台が当たり前のお土地柄だと言う話は、伶奈もちょくちょく耳にする。
 その三台分の駐車スペースに一台だけ止まっている軽四の前を通り、玄関前へ……
「ただいま〜」
 玄関を入れば、開きっぱなしのドアに目隠し代わりののれんが揺れていた。
 そののれんの向こう側から弾んだ声が聞こえた。
「お帰り〜! そうめんをゆがいてるから、手を洗って部屋で待ってなさい。あっ、お友達もいらっしゃい」
 その少し大きめの声に最初に反応したのは、意外にも蓮だった。
「お邪魔します。お昼、ごちそうになります」
 いつものふんわりとした独特のリズムではなく、口調もはっきりとしていて、下げる頭も折り目正しくて、なんだか、別人のよう。
「あら……」
 その声に釣られるかのように、ひょっこりとのれんの向こう側から見覚えのある老淑女が顔を出した。年の頃は和明よりも少し若く見えるだろうか? 白い髪は随分と細く少なくなっているようだし、顔もアースカラーのツーピースから覗く首筋も皺だらけ。典型的な『おばあさん』といった感じの女性だ。だけど、伶奈達の顔を見て浮かべた笑みには人を安堵させる何かがあった。
 彼女は、少し前、喫茶アルトで和明やもう一人の老婦人となにやら、楽しそうに話をしていた女性だ。それだけなら印象にも残らず、すぐに忘れちゃうのだろうが、その直後にこの老婦人が友人の祖母だという話を聞いたり、その流れで友人にアルトでのバイトがばれたりと、まあ、小さなイベントがあったから、良く覚えている。
「あっ、おじゃまします」
 そう言って美紅が頭を下げれば、隣にいた伶奈も慌てて頭を下げる。とっさすぎて、声が出なかったのが余計に恥ずかしくて、カッと顔が赤くなる思い。
「……遅いわよ」
 頭の上から聞こえる言葉はやっぱり無視。
「いらっしゃい……黒沢さんのお孫さんまで来てるのね?」
 老婦人が皺だらけではあるが上品な顔を破顔させてそう言うと、穂香を除く三人はきょとんとした顔を見せた。
「黒沢は真雪の旧姓。真雪は和明のお嫁さん。伶奈から言うと、祖母じゃなくて義理の大叔母さん。真雪から言うと伶奈は姪の子よ」
 頭の上から降ってくる補足説明に「ああ……」と軽く頷いた。そして、伶奈は「えっと……」と小さな前置きをして、ぼそぼそ……と、少し恥ずかしそうな口調で口を開いた。
「あの……私はおじいちゃんの孫じゃなくて……えっと……」
「姪御さんの娘さんでしょう? 黒沢さんがそんなこと、気にする物ですか。あの人には血の繋がらない子と孫がダースでいた人ですから」
「……そう、なの?」
「店の客は全部我が子だ、我が孫だって……いつの頃からか、うそぶいてたわよ。後、ダースじゃなくて、グロスよ、グロス。十二ダース」
 不思議そうにかしげられる頭の上から、アルトの声が聞こえた。その声はいつも通りに偉そうにも聞こえたが、それと同時に何かを懐かしむような色合いもどこかに含まれていた。
 そして、老婦人も軽く頷き、答える。
「ええ。良くも悪くもいい加減な人でしたからね」
 そう言った老婦人はあまり背が高くないようだ。中学生の中でも小柄な伶奈とあまり変わらないか、少し高いくらい。柔らかいまなざしも伶奈の目の高さとあまり変わらない。そのまなざしをすだれの前髪越しに受け止めると、伶奈はとっさに視線を逸らし、自身の足下へと向けた。
 綺麗に磨き抜かれた床が見えた。頬がちょっと熱い。
「もう、おばあちゃん、私の友達、からかわないでよ。それと、そうめん、茹でてるんじゃないの? 危ないよ」
「はいはい、年寄りは消えますよ。それじゃ、えっと……北原さんと南風野さん、でしたね? 皆さん、ごゆっくり。穂香、出来たら呼ぶから、取りに来なさい」
「うんうん、解った、解ったよ」
 老婦人がのれんの向こう側へと足を向ければ、穂香も伶奈達の肩を抱いて玄関の左側、階段へと向けさせた。
「……しのちゃん、メだよ……あー言うの……」
「解ってるよ。でも、友達が遊びに来て、家族とずっと立ち話してるのって、きついでしょ?」
 蓮が穂香の背中をペチンと叩いていうと、穂香も階段を上がりながら照れ笑いのような笑みを浮かべて答える。
「…………………………うん」
 そして、階段を上がりきる頃、やおら、蓮が頷いた。
「ああ、そこは素直に認めるのね」
 なんてアルトの言葉を聞いてる伶奈の隣、穂香が自身の部屋のドアを開いた。
「あれ……意外ときれい」
 そうつぶやいたのは美紅だった。
「うん、昨日、三時まで掛かった。もちろん、朝のね」
「……それは今日だね、今朝っていうんだよ」
「寝るまでは昨日だよ〜ほら、アニメとかでも深夜二十七時からって奴、あるじゃん?」
「そういう問題じゃないよ」
 バカな掛け合い漫才をやってる穂香と美紅はほったらかして、一足先に部屋に入る。
 六畳くらいの部屋に大きめのベッドが一つと本棚が二つ、並んでるのは大半が漫画とラノベっていうのは穂香らしい。それから部屋の隅っこにはやっぱり少し大きめの学習机が一つと、真ん中辺りに薄いオレンジ色のラグと、その上には見るからにこたつ兼用な座卓が一つ。
「まあ、その辺、適当に座って」
 穂香はそう言うと、彼女自らが率先してテーブルの一画に腰を下ろした。テーブルとベッドの間、ベッドを背もたれにするように座る姿は、そこに座りなれているって感じ。おそらくは彼女の指定席なのだろう。
 座ると早速座卓の上に置かれたリモコンに手を伸ばし、彼女はエアコンのスイッチを入れた。
 カタカタと壁掛け式のエアコンが音を立てて動き始める。
「……お邪魔」
 それに続いて蓮が穂香の正面に腰を落ち着けたので、伶奈と美紅はそれに習うように左右に分かれて座った。
 腰を落ち着けると、伶奈は改めて部屋の中をぐるりと見渡した。
 明るい部屋。その隅には大きなゴミ袋が二つ。おそらくは三時まで掛かって集めた戦利品だろう。あれが部屋の中にひっくり返っていたのかと思うと若干頭が痛くなる。それから、窓にはごくごく薄いピンク色のカーテンに、壁には流行のゲームのポスター。なぜか戦国武将がビームを撃ったりするアレだ。あのポスターが数枚、どれも眼帯をつけたキャラの物が張られている。好きなキャラなのだろうか?
「……きょろきょろしちゃ、メだよ……」
 隣の蓮が静かめな声でそう言うと、伶奈は軽く頷くも、まるで言い訳のように言葉をつないだ。
「あっ、うん……なんだか……男の子の部屋みたいで……」
「言われてみれば、そんな感じだよね……」
 伶奈の言葉に美紅がつぶやくように相づちを打ち、そして、穂香は少しばつが悪そうな表情で応える。
「昨日まではちゃんと女の子の部屋だったんだよ?」
「へぇ……そうなんだ?」
 相づちを打ったのはやっぱり美紅、その美紅にピッと人差し指を立てて見せると、穂香は大きく頷いて、言った。
「うん。ショーツ落ちてたり、ブラ落ちてたり」
「ちょっと!!」
「あはは、冗談、冗談。ぬいぐるみとか、クッションとか、全部、陰干ししてるから。普段以上に殺風景なだけだよ」
「もう! バカな冗談を言わないでよ!」
「あはは。まあ、下着は転がってなかったけど、Tシャツとかブラウスは結構転がってたかなぁ……なんかね、どう見ても、小学校の頃に着てた服とか出てきて、超びっくり」
「もう……たまには掃除しないと、蓮ちゃんにメってされるよ?」
「………………するよ」
 穂香と美紅のやりとりが続き、蓮が締める。そして、伶奈が軽く頬を緩める。割といつもの四方会の光景。
「穂香! そうめん、出来たから、取りに来なさい!」
「はーい!」
 階下から聞こえた老婦人の声に穂香が立ち上がると、誰ともなしに他の面々も立ち上がる。結局、座っていたのはわずか数分と言ったところ。つけたエアコンも効いてないくらいの短い間。
「いってらっしゃ〜い」
「…………」
 例外が一人、いつの間にか頭の上から座卓の上に着地していた妖精さん。だら〜っといつものように両足をテーブルの上に投げ出して、くつろぎの姿勢。
 彼女が来ても猫の手ほどにも役に立たないのは解っているのだが、なんか、腹が立つ。
 後でひねってやろう……と心に決めて友人達と共に部屋を出る。

 そして、十分後……
「下からそうめん取ってくるだけの割に時間が掛かってるわねぇ……」
 なんてアルトが思って待っていると、ばたばたばた〜っと階段を開け上がってくる足跡が四つ聞こえた。
「ん?」
 不思議そうにアルトが締め切られたドアの方へと視線を向ければ、途端にそのドアが大きな音を立てて開かれる。
 入ってきたのは伶奈、その背後に四方会のこり三名。
「あら……そうめん――きゃっ!?」
 ぎゅっと握りしめられるアルトの身体。
 そして、少女は振り向き、言った。
「ここ!」
 

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