六月末、梅雨真っ盛り……の時期であるはずだが、全体的にどかーーーーーーーっと降る日はどかーーーーーーーーっと降るが、降らない日は真夏が来たかと思うような日差しに焼かれる日々。雨が降ったら降ったで気が滅入るし、降らなきゃ降らないで毎日の自転車通学にめまいを感じるしで、降って欲しいのか欲しくないのか、伶奈には決められない日々が続いていた。
そんなある日の事。帰りのホームルームで、担任教師の桑島瑠依子が言った。
「この土曜日、授業は休みなんだけど、プールの清掃をするから、暇な奴、プール前に九時集合って事で、誰か、来る? 掃除の後にプールで遊んで良いって言う余禄も付くから、率先してやって欲しいんだよねぇ……各クラス四人は出せっことになってるし」
との言葉に速攻で手を上げた奴が居た。
「はーーーーーーーーーーい! やります、やります!!」
玲奈の隣に座っている少女、東雲穂香だ。
暑いのに頑張るんだなぁ……と伶奈が他人事のように思っていたら――
「四方会四人、やりまーーーーーーーーーーーーーーす!!」
と、言った。
――のと同時に、
「「「ちょっと!!!??」」」
四方会三人の悲鳴も上がった。
放課後、部活終了後のハマ屋、西の空へと暮れゆく日が赤く空を照らす中、伶奈達四方会四人はいつものように入り口の古びたベンチに座ってたこ判を突いていた。
暑いせいか店先でたこ判を突いているのは四方会四人くらいの物で、ほかには店内のベンチを使っている女子生徒五人組が一組居るくらい。珍しく閑散とした風景がそこにはあった。
「と、言うわけで四方会人民裁判を執り行います」
そう宣言したのは『一度やってみたかった』と言ってた美紅だ。最初の時は随分と嫌がってたはずだが、ノリノリの大きな声で宣言する辺り、どうやら嫌いではないらしい。
そんな美紅の宣言に伶奈と蓮がぱちぱちと拍手をすれば、被告人の穂香がばつの悪そうな顔で応えた。
「いやぁ……なんか、勢いで……」
参った参ったとばかりに頭を掻いてる穂香にほかの面々がじとーっと冷たい視線を送る。
「えっと……皆様、お怒り?」
その冷たい視線に耐えきれなくなったのか、真顔になった穂香がぽつり……と、こぼすようにつぶやいた。
その言葉にも、しばしの間、沈黙が流れる。
その沈黙、最初に破ったのは伶奈だった。
「……私、土曜日はアルトのアルバイトなのに……」
穂香の隣、右の端っこに座っている伶奈がたこ判を突きながら言えば、穂香がペチン! と手を合わせて頭を下げた。
「日曜日に変えてもらおうよ、ねっ?」
たこ判を突く手を止めて伶奈は友人の顔に視線をやる。
顔は少々申し訳なさそうではあるが、膝の上には食べかけのたこ判が入ったタッパ、あわした手の親指と人差し指の間に青のりとお好みソースの付いた割り箸を挟んでる辺り、誠意というか、謝意という物を全く感じられない。
鏡なんて見てないけど、自分の視線がさらに冷たい物へと変わっていることが解るくらいに冷たい視線を彼女に送る。
そのまま数秒……じっと見つめた後に、伶奈はぼそっと言った。
「……美月お姉ちゃんだって、予定とかあるかも、だし……」
不機嫌な表情でそうは言ってみたものの、実のところ、このタイミングなら『友達と出かける』とでも言えば美月は代わってくれるだろう、と思う。元々、伶奈の用事は優先してもらえるという約束もしてあるし、そういう融通さがあるからこその『時給換算五百円以下、子供のお手伝い』扱いなのだ……が、それを素直に言うのもなんか悔しいし、勝手に決められたのにも腹が立ってるしで、伶奈は言うだけ言って、ぷいっとそっぽを向いた。
そして、伶奈はたこ判を突く作業へと戻る。今日のたこ判は少し奮発して牛すじ入り。とろとろになるまで煮込んだすじ肉が良い味のアクセントになってて、凄く美味しい……のは良いんだけど、こー言う美味しい物は怒ってないときに食べるべきだと思う。怒りが萎えてくる。
勝手にほころぼうとするほっぺを明後日の方向に向けている。すると、穂香は伶奈の横顔から逆隣、右から三番目の席に座っている美紅へと視線を向けた。
そして、何かを言おうと穂香が口を開く、その一瞬前に、むすっとした表情の美紅が機先を制した。
「私、部活……」
「プール掃除に出るなら、休んでも良いらしいよ、桑島先生も言ってたから……」
「プール掃除より部活の方が良いもん」
言うだけ言って、美紅も会話を打ち切るようにぷいっとそっぽを向いた。そして、彼女もちまちまとたこ判を解体する作業へと戻った。ちなみに美紅のたこ判は明太子入り……美味しいのだろうか? と伶奈はメニューを見る度に思っているが、勇気がなくてまだチャレンジは出来ていない。
と、穂香と美紅のやりとりを見ていたら、穂香がこっちを向いたので慌てて、伶奈は再びそっぽを向く。
そっぽを向いた伶奈と美紅の間で、穂香の顔が右往左往。最後の希望とばかりに身体を乗り出し、美紅の向こう側、左端にちょこんと座っていた蓮へと穂香は言葉を向けた。
「ねっ、ねえ……?」
穂香の言葉に蓮の箸が止まった。
「……………………………………………………」
そのまま黙り込むことしばし……
沈黙。
その沈黙に耐えきれず、おそるおそるに穂香が口を開く。
「……蓮ち?」
止まっていた箸が動き、最後の一口が口の中へと放り込まれ、ゆっくりと咀嚼され……こくりと飲み干したら、蓮はやおら口を開いた。
「……………………………………特に用事はないけど、この週末は暑い、死ぬ」
控えめな声で言うと、蓮はすっくと立ち上がった。そして、空っぽになったタッパと割り箸をゴミ箱に捨てて、ちょいちょいと手招き。
「にしちゃん……きたちゃん……」
呼ばれたのは二人だけ、残るのは被告人の穂香ただ一人。
そして、三人はベンチから一歩離れた自販機の前に車座で座り込んで、あれやこれやと協議を始める。
うつむく三人のうなじを西の空へと沈みかけた太陽が赤く照らす。
カラスの群れが山へと帰っていく姿が、伶奈達の頭上に、そして、英明学園の校舎の上に見えた。
そのカラス達の姿が見えなくなるほどの時間が過ぎる。
そして、ゆっくりと美紅が立ち上がれば、彼女はびしっ! と穂香の顔を指さしていった。
「とりあえず、当日、麦茶ぐらいは用意してよね!! 四人分! 結構、多めで! それと、終わってから、みんなで穂香ちゃんちに涼みに行くから!」
「はっ、はい! って、涼みに来るの!? うちに!? そっ、掃除、してないし!!」
と、穂香は慌てたが、その言葉は誰にも受け入れられることはなかった。
そんなわけで土曜日は朝から登校してプール掃除と言うことになった……訳だが、その前日、金曜日、夜、伶奈は喫茶アルト二階に居た。
(何で、こう、イベントごとの前日って、毎回、お母さんが宿直なんだろう……?)
疑問に思う物だが、そういう星の巡り合わせなので仕方がない。
「何、渋い顔をしてるのよ……それで、英明の水着ってどんなの? 制服って言うか、そう言うの、あるんでしょう?」
美月が現役だった頃から使っている古びた学習机、その片隅には某二足歩行するビーグル犬のカンペンケースが置いてある。その上にちょこんと腰を下ろした妖精さんが、ストローふりふり、楽しそうに尋ねる物だから、伶奈はため息交じりに応えた。
「あるよ……」
「見せて」
「……言うと思った……少し待ってよ……もう少しで区切りも付くし……」
ノートの上にシャーペンを走らせながら、伶奈は応えた。
その言葉にアルトはピッとストローをどこか――おそらくは大学の方へと向けて、口を開く。
「ったく、毎日毎日、飽きないわね……あそこに居る連中に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわ、特に良夜とか」
シャーペンの動きを止めて、美月の恋人で自分と同じくアルトを見ることが出来る青年の顔をぼんやりと思い起こす。なんとなく、頼りなさそうと言うのが彼に対する第一印象。
その彼とは数回会ったことがあるのだが、その度に
「アルトの馬鹿が迷惑をかけてない?」
「うん、大丈夫。迷惑だったら、ひねるから」
と言う会話をするのがおきまりになっている。
そう答えたときの困ったような笑みを思い出しながら、伶奈は小さな声で言葉を紡いだ。
「良夜くんは……あまり勉強しないの?」
「締め切り間際、試験直前に慌てるタイプ。ぎりぎりになって慌てるけど、ぎりぎりで間に合うから懲りなくて、毎回ぎりぎりで慌てるタイプ」
「ふぅん……」
つぶやき、伶奈は再び、シャーペンを動かし始める。
そして、数分……長くて五分くらいだろうか?
「終わった?」
尋ねるアルトの声が聞こえた。
その声に顔も上げず、シャーペンの動きも止めずに応える。
「……まだ」
また、時が流れる……今度は二分くらい……
「終わった?」
また、尋ねるアルトの声が聞こえた。
やっぱり、顔も上げず、シャーペンの動き求めずに言う。
「……ひねるよ」
「暴力は良くないわよ?」
「……よく言うよ……」
そして、またもや時が流れる。
今度は長め、二十分から三十分弱……
英語の問題集、最後の一問をやっつけたら、パタンとノートと問題集を閉じて、彼女は顔を上げた。
「……ふぅ……もう、今日はこれくらいで良いかな……アルト?」
って、言ったら、アルトは――
「スー……スー……んっ……ふぅ……」
カンペンケースの上で寝てた。
「こー言う形だよ……」
明日のために家から持ってきた水着を出して、伶奈はアルトに見せる。ごく普通のワンピースに腕と脚の付け根辺りにひらひらが付いているデザイン。話によると『露出を減らすため』らしいが、そういうことはさっ引いて素直に、『可愛いデザイン』だと思う。濃紺一色というのがいただけないけど……
「そうね、素敵だと思うわよ……素敵だと思うんだけど……」
「……何?」
「逆さづりは止めなさいって!!」
窓枠の所、カーテンレールからぶら下げられた妖精が、顔を真っ赤にして怒っていた。
「……せかしたくせに先に寝るんだもん……」
「悪かったと思ってるわよ!!!」
大声で嘆くアルト、その両手にたこ糸で缶ペンをぶら下げる優しさを、伶奈は忘れていなかった。
「せめて、この缶ペンだけでも外して!! 重くて、身体を起こせないのよ!」
水着を広げたまま、伶奈がそっぽを向く。
「ふーんだ……」
「ちょっと! こっち見なさいよ!! 水着だけ、広げてないで!!」
大声で叫ぶアルトの背後、網戸の外では、ガラスビーズをぶちまけたような満天の星空が広がっていた。
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